いつもの昼
「エイジャ、お前には隙が多すぎる」
机の上に座ったタキシードが、シャツっぽい胸の白い逆三角形模様を突き出し、威厳たっぷりに言った。
「……失礼な。この前の地下拳闘試合、三対一で私が勝ったの、見てたでしょ」
腰をふりふり。エイジャはご機嫌で踊っていたすっごいダンスをやめると、椅子に座って足を組み、口を尖らせながらタキシードの額を指でぐいぐい押した。タキシードの頭が首に埋まっていく。
「? ……ちゃうちゃう、その隙ちゃう。そんな師匠と弟子的な会話ちゃうねん! もっとセクシャルな話やっ‼」
タキシードが前足でエイジャの指を払い、くわっと口を開いた。
「兄ぃ、デリカシー不足だよ。私だって女の子なのに、そんな話」
「……どんな話? いや、せやからな、すっごいダンスだか、ごっついダンスだか知らんけど、もっと、こう……そう、女の子! それや! 女の子やろお前‼ ほら、この前だって、簡単に胸さわらせようとするし……それから、あのパンツ! ワシもあれから考えてみたんやが、あれ、やっぱりおかしいんちゃうかなぁ⁉」
くどくど言い始めたタキシードを遮って、エイジャがわざとらしく「はぁぁ」と嘆息を漏らして頬杖をついた。
「またその話ぃ~? それを言ったら、兄ぃなんて人前でいっつもすっぽんぽんじゃん」
「ん゛ん゛ーっ⁉」
ここはタキシード探偵事務所。空に赤みが差し始めていた。そろそろ季節の変わり目だ。
みぞおちに良いのを一発もらったような悶絶顔になったタキシードが、吐き出すように片手を突いて歯を食いしばった。器用にもう片方の猫の手を握り締めている。
「……それを言っちゃぁ~おしめぇよ! エイジャ、それを言っちゃあ――」
「もうその話はいいよ~。兄ぃ、またお散歩行こー?」
「フシューっ‼ ……この前行ったばっかやん! しばらくは嫌やっ!」
そろそろ昼だ。今日も客は来ない。バミューダは今日も平和なのだった。タキシードは一旦気分を落ち着かせるために後ろ足でケリケリ、耳の裏を掻いた。
その時、タキシードの耳が足音を聞いた――はて、どこかで聞いたような。
「エイジャ、お客さん……かも?」
「んん〜っ!」
エイジャが伸びをしていると、事務所の玄関ドアが鳴った。
「はいはーい――あれ、ミシェルちゃん」
「こんにちわ、エイジャさん……タキシードさん」
タキシードが覗くと、エイジャの向こうにドレアス邸の使用人ミシェルがいて、ぴょこりと頭を下げていた。
ミシェルは先日の調査料金を届けてくれた。一応、色も付いていた。彼女の話では、屋敷は表面上落ち着きを取り戻しているらしい。
そしてミシェルは脅迫状と予告状の現物、更にもうひとつ、宝石を携えていた。脅迫状は強盗団のもの、予告状はワイトスパルナのものだった。脅迫状は特筆すべき事も無いが、予告状は凝っていた。薄く切り出された紅玉髄のカードに溶かした銀で文字が書かれ、隅に白い羽が一枚くっついている――ワイトスパルナ、翼生えてたもんな。
――今宵、星の恵みを貰い受ける
予告状にはそう書かれていた。キザすぎてタキシードは寒イボが立った。
もしあの後ドレアスが警察を呼んだなら、当然タキシードのところにも聴取があるはずだが、そういった気配も無い――まぁ、これ以上は自分の知ったことではない。
それよりも驚いたのが宝石だ。ペンダントほどの大きさの半楕円型の石だが、不透明で緑じみた病的な色をしており、パンに生えたカビのような汚らしい模様が全体に浮き出している。しかしタキシードが驚いた理由はその見た目ではない。なんとこの石、あのグロテスクの肉の中にあった石だというのだ。
「予告状も含めて全部、旦那様が処分されたものです。全て差し上げます」
ミシェルがこっそりと、くすねてきてくれたらしい。脅迫状と予告状はまだ分かるが、なぜ宝石を? というタキシードの問いに、ミシェルは「タキシードさんが、じっと見ていたのを覚えていました……必要な物かなと」と言った。
タキシードはミシェルの献身に感動した。良い子だ。とはいえ、よくそんな不気味な物を持ってきてくれたものだ。普通の人間はグロテスクの残滓に触れることはおろか、その匂いを嗅ぐことすら忌避する。
「――いや、ほんま助かったわ。ありがとな、ミシェル」
そうタキシードが礼を言うと、「よかったです」とはにかんで見せたミシェル。だが彼女はまだどこか元気がなさそうだった。人質になった経験は決して軽いものではないだろう。そう思ったタキシードはソファーに座るミシェルの肩に飛び乗って、そのもふもふな身体を彼女の頬にこすり付けてやった。喜んでくれた。彼女は猫が好きらしい。翼で顔をファサァ……と撫でるという大サービスも付けておく。
「兄ぃ、ドレアスさんの件、私最後まで聞いてないよ」
「そう……やったな」
ミシェルの膝の上で背中を撫でられながら、初めてエイジャに先日のドレアス邸での出来事を詳しく話したところ、彼女は黙って全て聞いてから、「そう」のひと言だった。タキシードは何も悪いことをしていないのだが、なんだかとっても怖かった。話すのを忘れていたわけではないが、なんとなく、兄としての勘で、この件を曖昧にしていたのだ。案の定、この話はエイジャの機嫌を損ねたようだ。後で彼女の顔を尻尾で撫でてサービスしておかないと今後に障る。
その後、しばらくミシェルとエイジャはお茶を飲みながらお喋りをした。せっかくこんな辺鄙なところまで来てもらったのだ。用事が済んだから、それじゃあバイバイではあまりに冷たい。
窓枠に座って街を眺めていたタキシードが欠伸をした。窓から入ってきた空気は、香ばしい匂いがした。
「――ミシェルちゃん、このあと暇?」
「え、あ、はい。今日はこれでお暇をいただいていますので……」
「じゃぁ、お昼行こうよ!」
エイジャはミシェルを気に入ったのか、ミシェルの手を引いて立ち上がった。タキシードも床に降りて二人に近寄っていく。
「――ワシ、今日は肉がええな」
「え、兄ぃも来るの?」
エイジャが真顔で言った。タキシードはビクリ「えっ」と目を剥いて停止した。




