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黒猫が守るもの

 ――なおーん、なおーん――


 タキシード探偵事務所の外から、豪雨の音に隠れてそんな鳴き声が聞こえてきた。エイジャが慌ただしく玄関へ駆け付けてドアを開けると、そこにはずぶ濡れのタキシードが。


「――兄ぃ⁉」


「帰ったで、エイジャ……ほんま、疲れたわ」


 雷が危なかったので今夜は空を飛ばず、タキシードはドレアス邸から走って帰ってきた。おかげでバケツで泥水をぶっかけられたようなことになっており、いつものふわふわの毛並みはどこへやら。今はほっそりとして、見るも無惨な感じになっていた。


「たいへんっ!」


 濡れた身体を舐めようとするタキシードの顎をクイッと持ち上げてやめさせ、「ばっちいから、メッ!」と言いながらエイジャがドドドッと走って部屋の奥から拭くものを持ってくる。タキシードが部屋を汚さないために玄関でじっとしていると、エイジャが手早く彼の身体を拭き取っていった。


「依頼は……多分これでお(しま)いや。最後は、際どいところやった」


「え、何か分かったの?」


「――明日話す」


 タキシードは顛末(てんまつ)を話そうとして、止めた。明日にしよう。タキシードが単独でグロテスクと対峙した話をすればエイジャが心配する。それにタキシードにも話を整理する時間が必要だ。ものすごく混沌とした現場だったのだから。


 真面目な依頼より色恋沙汰のほうが楽でいいな。そんなことを考えつつ、ごしごし拭かれるがままになっていたタキシードを、エイジャがタオルにくるんで抱きかかえる。


「絶対びしょ濡れで帰ってくるって思ってたから、お風呂焚いておいたよ。入れてあげるね」


 そう言ってエイジャは事務所の奥、寝室の隣に(しつら)えられた浴室に向かった。この家、かなり贅沢な作りで普通は共同浴場のところ、風呂があるのだ。


「お前が先に入りや……」


「そんなの待ってたら風邪引いちゃうよ!」


 エイジャは湯気に満ちた浴室の床にタキシードをポトッと落とすと、自分もスカートをするりと脱いで入ってくる。彼女のしなやかな尻尾が機嫌良さそうに揺れていた。


 (おけ)に汲まれたお湯を背中から掛けられたタキシードが、全身を駆け巡るゾワゾワを抑えきれずにブルブルと身体を振るって水滴を飛ばした。「ぬわーっ!」と目を閉じたエイジャが笑っていた。


「うう……やっぱり風呂はあんまり好かんな」


 エイジャが湯を張った桶にタキシードを浸けてミニお風呂とし、今度はその中で彼の汚れを(そそ)ぎ落としていく。


「――兄ぃ、水も(したた)るいい猫だね。湯加減はどう?」


「スフィンクスな。まぁ、身体は温まったわ」


 ひと通り泥が落ちてほっそりしたタキシードと湯船を、うずうずとした様子で交互に見るエイジャ。それを見たタキシードが先手を打つ。


「――やめとけ。後悔すんで」


「一緒に入ろう!」


 そう言ってエイジャはスルスル、ポイポイとあっという間に全裸になると、ジト目になるタキシードを抱えてポーンと湯船に飛び込んだ。バッサァと立った波しぶきが二人の顔に掛かり、慌てて顔を振って耳に入りそうになったお湯を飛ばすタキシード。


「あ、あぶっ!」


「わっはーっ!」


 ――やんちゃなことを……。


 もうこうなったら抵抗は無駄だ。湯船はタキシードにとって深いので、エイジャの胸に乗っていないと危ないし、無理に湯船から出ると彼女のご機嫌が斜めになる。


 エイジャが怒気を押さえつけている時の圧力はグロテスクなんて目じゃない。吐き気と冷や汗が止まらなくなり、動悸(どうき)もやまず、同じ部屋で半日もそれを受け続ければ、熱が出て精神的にダウンする。


 嘆息をついたタキシードが、爪を立てないようにエイジャの肩に取り付いていると、エイジャがなんだかよく分からない歌を歌い始める。


「にゃごふんにゃったー、にゃごふんにゃったー、にゃごふんぬけにゃったら、ふんぎゃったー、にゃごふんにゃったー、にゃごふんにゃったー、にゃごふんぬけにゃったら、べっきょべきょ、ちらりーらっら、ちらりーらっら――」


「なに、そのごっつい不吉な感じの歌……意味わからんけど肝冷えるわ……」


 しばらく湯船でエイジャに付き合った後、タキシードは翼を広げて水面に浮き、犬かきをして泳ぐという遊びを披露してようやくエイジャにご満足いただき、解放された。その時の、顎を上げて水面から顔を出し続ける必死の表情が彼女のツボに入ったようだ。


「あ、まって兄ぃ。拭くから」


 そう言って立ち上がったエイジャの染みひとつ無い滑らかな身体には、タキシードの抜け毛がびっしりと付いていた。


「ああああああーっ!」


(言わんこっちゃない)


 だが、タキシードは何も言わない。毎回これをやるのが、彼女のお気に入りのルーチンになっているからだ。ただただ、生暖かい目で見守るのみ。


 ――エイジャがいると場が(にぎ)やぎ、心も(はな)やぐ。


 タキシードなら、地位、土地、金とエイジャなら、エイジャを取る。彼女はタキシードにとって、そういう存在だった。


 強盗団はプロだった。そういった組織の存在が南大三角連合会グレート・サウス・デルタアライアンスの情報網に引っかかっていないところを(かんが)みると、どこからかやって来て最近活動し始めたグループだろう。


 怪盗(自称)ワイトスパルナは正体も目的も不明。なんだか腹が立つ相手だった。泥棒だが根が善人っぽいという不思議な立ち位置だ。義賊というやつだろうか。こちらも最近バミューダに来たと思われる。


 グロテスクの動きは不可解だった。グロテスクはあんなに人目を忍ぶような動きはしないはずだ。奴らは目につくもの全てを殺しに来る。そして、グロテスクが落としたと思われる、あの宝石。グロテスクが――死ねばヘドロになるだけの連中が、宝石を落とすという話は聞いたことがない。幽霊石(メタモルフォシス)に関係するのだろうか。


 次々と脳裏に浮かんでくる考えを、タキシードは身体をブルブルさせて水滴と共に振り払った。続いてエイジャの笑い声が風呂場に響いた。


 ――もういいや。全部、考えるのは明日にしよう。


 タキシード探偵事務所の夜は、雷雨にも負けず今日も楽しげだ。


〈次回予告〉

「「「女の敵!」」」

女性陣三人の力強い声が定食屋さんに響いた。

誰もタキシードの話なんて聞いてなかった。


次回、結婚詐欺師の噂を追う黒猫探偵。

乞うご期待!


〈お知らせ〉

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