現れた影
それから十日ほど経って。
張り込みにはタキシードの猫友が参加してくれていた。猫的な強い好奇心も手伝ってみんな協力的だ。心強いことだった。
こうやって猫友を常に従えていれば、探偵業務などお手の物。そう思っていた時期もタキシードにはありました。しかし現実には、あまり彼らに頼るわけにもいかない。なぜなら、同様に猫的な飽きの早さで、同じ猫じゃらしを振り続ければやがてそっぽを向かれてしまうように、こういった手伝いをしょっちゅうやらせていると、猫友達はすぐに仕事に興味を失ってしまうからだ。
タキシードは猫友の動員には慎重にならざるを得なかった。
(なんか、雨降りそうやな)
空は低い曇天だった。タキシードはドレアス宅のお向かいの屋根に香箱座りして、今日も定点観測業務に就いている。庭では妻カレンが植物の手入れをし、息子ジュニア(ドレアスジュニアというらしい)は二階の窓際で読み物をしている様子だった。
これまでのところ収穫はほぼゼロ。途中、この住宅地に似つかわしくない雰囲気の男が数度家の近くを通ったが、それだけだった。不審者と言うには微妙なところだ。調査請負から五日ほど経って、見積書を携えて中間報告に行ったエイジャも決まりが悪そうだったが、妻カレンは調査継続を希望した。エイジャの人柄の良さが生きたのか、あるいは、やはり心当たりがあるのか。
しかし、それから更に五日。音沙汰無し。
考え過ぎなのではないだろうか、そんな考えが、屋根の上でウトウトしてきたタキシードの脳裏に浮かんだ。ドレアスの、恨まれたりする心当たりがないという言葉が本当だと仮定すると、彼は何の理由もなくセーフルームを作るほど病的に臆病な性格の持ち主という事になる。
噂をすれば。ドレアスが帰宅した。庭にいた妻と一緒に家に戻っていく。
――ドレアスと妻の妄想の可能性も視野に入ってくる、か……。
ポツリ。
タキシードの鼻に雨粒が落ちた。
雨は嫌だな。そんな事を思い、タキシードは交代に来てくれた猫友(三毛)の頬を舐めて彼女を帰した。流石に雨の中、友達に仕事を強要するほどタキシードは人でなしではない。タキシードのマネジメント感覚は見た目とは真逆に公正なのだ。
――今日はもう自分も店じまいにしよう。明日、エイジャと相談して調査終了に話を持っていくか、あるいは何か心当たりがあるならそれを吐かせるべきだ。
――おや?
三毛猫を見送ってから、屋敷に振り返ったタキシードの猫目が、先ほどまで存在しなかった人影を捉えた。その影は、ドレアス邸の外壁の脇に秘かに立ち、真っ黒で、一見すると本当に影が立っているように見えた。黒すぎて、あたかもその部分だけか景色から切り取られたかのような錯覚すら覚えた。
ドレアス邸がフラッシュでパパパッと瞬いた。
影が、フラッシュの残光にかき消された。
それを見たタキシードは総毛立った。
タキシードの心臓がドクンと強く打ったのと、遅れてきた雷鳴が彼の耳をつんざいたのは同時だった。
「な、なんや……っ⁉」
動揺するタキシードの視線の先に、もうあの影はなかった。何かの見間違いかと思った。しかしタキシードの髭は未だにチリチリと異常を感じ取っている。
空が陽光を失い始めていた。もうすぐ夜になる。雨も勢いを急激に強め始めており、一帯が急に寒くなったように感じられた。ドレアス邸の明かりが灯り、窓から漏れた火影が庭の上で雨に打たれて揺れていた。
タキシードは近くの繁った木の枝に飛び乗り、雨から少しでも身を隠せるその場所で調査続行を決めた。タキシードにもプロ根性がある。彼は木の上から先ほど影が佇んでいた場所を凝然と見つめた。しかし、もう陽光は残されていない。その場所は闇黒に飲まれ始めていて、猫の夜目をもってしても、それを見通すことは困難だった。
タキシードのちっちゃな心臓がトクトクと打つ中、どれほどの時間そうしていたのだろうか。ネズミ一匹動く者を逃すまいと集中していたタキシードの視界の端で、人影が動いた。
「――っ!」
タキシードがキッっと睨み付けるように首を回すと、四つの人影がドレアス邸の庭を横切って行くのが見えた――違う。あれじゃない。屋敷から漏れる明かりに照らされたそれらの影は、完全に人間だった。タキシードが先ほど見た影は、もっと――。




