張り込み開始
手早く屋敷の中を探検して満足したタキシードは、エイジャが庭に出て行った時にこっそり半開きにしていった玄関ドアから身体を滑らせて外に出た。
エイジャは妻と息子を連れて家の周りを回っている様子だった。それを見たタキシードは彼女達の反対側に回り、爪を立てて必死そうに家の壁を登った(羽ばたくと音がうるさい)。
そのまま屋根の上まで出ると、彼は「にゃん」とひと鳴き。エイジャの猫耳がその音にピクっと反応を示し、今度は二人を連れて家の中に入っていった。
ドレアスの屋敷はバミューダ海の近くに立地していた。この地区は南バミューダの海岸としては珍しく、険しい段丘崖ができており、その上はいわゆる金持ちの高級住宅街となっていて、ドレアスの屋敷もそこにあった。おかげで屋根から見えるバミューダ海の景色は抜けていて気持ちが良い。
高いところから見渡すバミューダ海には薄く靄がかかっており、漁に出た船や、何かの養殖をしている船がさざ波の上に幾つも浮いていた。漁師の仕事を観察しているあの水鳥たちはきっと二代目清漁會の誰かだろう。ずっと遠くには小さく霞んだ街のシルエットが見えている。北バミューダと、東バミューダだ。
バミューダの街は三角湖の頂点にそれぞれあり、その中間、三角湖の辺に相当する付近には街がない。その代わりに三つの市街地を結ぶ街道が海岸線に沿ってまっすぐに伸びていた。
そんな景色を眺めながら、タキシードは上からドレアスの屋敷の周辺を観察した。しかし特にこれといって変わったところはなかった。
――張り込み決定かな。
エイジャとタキシードだけで四六時中見張るのは骨が折れる。猫友にでも協力をお願いしようか。タキシードが目を閉じてそんなことを考えつつ、屋根の上でうとうとしていると、エイジャが屋敷から出てきた。
つかつかと道に出てきた彼女の持つケージにするりと滑り込むタキシード。
「家の二階にセーフルームと、地階になんか隠し通路がありそうやったわ。あとは普通の金持ちの家って感じやな……エイジャはどうやった?」
「私も変わったところは感じなかったかな……あ、でもカレンさんの話なんだけどね、実はジュニア君の事を指したように読める脅迫状っぽい手紙が届いていたんだって。はっきりとは書いてなかったそうなんだけど」
エイジャが独り言のように続ける。
「でね、その手紙が来てから、数日後にジュニア君が手を引かれて連れ去られそうになったってさ……それで、なんと。昨日また手紙が来てたって。それはカレンさんは見てないそうなんだけど、ドレアスさんは凄い驚いた様子で部屋に篭もっちゃったそうなんだよ。ちなみに、あのお手伝いさんはミシェルちゃん」
ドレアスの息子ジュニアは使用人のミシェルに気がある。だがミシェルは立場の違いから距離を置きたがっている。唐突に始まった、そんなエイジャの胸キュン推理を聞き流す一方で、タキシードはますますドレアスの素性が胡散臭いと感じていた。
脅迫された上でジュニアが誘拐されかけたなら、完全に警察案件だ。エイジャ曰く、妻カレンは警察に頼りたいことを、話の雰囲気として仄めかしていたそうだ。
――ドレアスは、警察を呼びたくない理由を隠している。
(ま、そこまでは知らんけど。ちょっかい出す連中が何者か調査するのが依頼や)
タキシードは湧いてきた疑念を振り払うと、エイジャに言う。
「しばらくは、ワシが張り込むわ」
「えっ、兄ぃ一人で大丈夫?」
「ああ、猫友の連中に手伝ってもらう……みんなの餌代、見積もりに上乗せで」
「らじゃー!」
そんなことを小声で話しながら歩いていると、エイジャがとある住宅を指差してあっと声を上げた。
「――兄ぃ。あそこのカフェ、行こう!」
「おお……ええけど、よく見つけたな」
彼女がめざとく見つけたのは、段丘上の高級住宅地の外れにある、海岸に向かう急斜面を利用したオープンテラスの洒落たカフェだった。二人が歩く道からは塀が邪魔をして中が見えず、看板もかなり近づかないと分からないほど、ひっそりしている。はっきり目的を持って来なければ、ただの住宅にしか見えない造りだった。
「ふっふっふ、私のカフェセンサーを侮ってもらっては困るな……」
エイジャは顎に手を当て得意げにそう言ってから、不意に表情を崩した。
「――実はカレンさんに教えてもらっていたのでしたーっ! この辺の人しか行かない隠れ家的カフェなんだって!」
そう言ってケラケラと笑うエイジャは、黒猫を連れた流行に敏感な、あどけない美少女にしか見えない。誰が地下拳闘の常連だという事を想像できるだろうか。タキシードにも信じられない。
彼女の綺麗なお腹は、あれで鋼のように硬い。光が当たった時にだけ、薄い脂肪の下から筋肉の隆起が見え隠れするその事実を、彼女の容姿に惑わされずにひと目で見抜ける人間は少ないだろう。
――人目の多い店だと堂々と喋れないのが辛いところだが、ここなら静かだし目立たなそうだ。たまには妹の楽しみに付き合うのも兄の勤めか。
タキシードは店員からのペット扱いに文句も言わず、エイジャに付き従った。
美味しいラテと見晴らしの良い景色を前にして上機嫌なエイジャ。そんな彼女に、タキシードはケージの中から「なぁなぁ」とおやつを催促するなどして、その日の午後は過ぎていった。




