遡源
「あ、エイジャ! ニキビ出来てるやん!」
「え? あー……最近食べ過ぎだったかなぁ?」
「痘痕になるっ!」
お祭り以降、探偵事務所の財務は一時的に持ち直しており、エイジャもお腹いっぱい食べられる毎日が続いていた。嬉しい悲鳴がエイジャの吹き出物となって現れていたのだ。
タキシードが慌てて彼女の肩に乗り、ぞりぞりと患部を舐める。するとエイジャの足元から目に見えないほど小さな七色に光る粒子が無数に立ち上り、彼女の身体を這い上がってまとわり付いた。光がすぐに頬の赤い出来物に集束していくと、ほどなくして赤みは引いて、元の張りのある滑らかな肌が光の下から姿を現した。
エイジャが微笑みながら肩のタキシードを撫でた。タキシードはその手から漂うレストレイド臭もついでにペロペロと舐め取っていく――遊んだ後に手を洗わなかったな。
「……いつ見ても不思議な力ッスねぇ」
タキシードは、自分のこの力の正体を知らない。だから、この不思議パワーがなんなのかと聞かれても答えられなかった。
力の適性は〈マスタリー〉と呼ばれている。そして才能に応じて、いくつのマスタリーを習熟できるのかが、生まれつき決まっている。一般には、ひとつのマスタリーを習熟でき、それを〈シングレット〉と呼ぶ。大抵の人間は武器を扱うマスタリーを修める。エイジャも〈スピア・マスタリー〉を習熟している。
ふたつのマスタリーを同時に収められる才能を持つ場合、それは〈ダブレット〉と呼ばれ、これは数は少ないものの、そこそこ存在する。エイジャがダブレットだった。
そして三つ――〈トリプレット〉となると、これはもうほとんど存在しない。トリプレットは天才と言わざるを得ないほどの希少な才能だった。
〈クワドラント〉――四つという、観測されている限り最多のマスタリーを習熟できる存在は、もはやおとぎ話の中の存在であり、そして、タキシードはクワドラントだ。これには彼が遡源であることが関係している。
遡源は必ずクワドラントであり、加えて先天的に決まったマスタリーを習熟して生まれてくる。
スフィンクスの遡源たるタキシードが扱う四つのマスタリーの内、ふたつは判明しており、残りのふたつが正体不明だった。先程エイジャに使った、大地から立ちのぼる光を使って怪我を癒したり、その他不思議な効果を発現する力は、何のマスタリーによるものなのか分からないのだ。ともあれ、それを本能的に利用できるのはご覧のとおりだ。
過去に何度も、その力はなんなのかとイノライダーに聞かれているのだが、タキシードにも分からないものをどう説明すればいいのか。イノライダーはタキシードが隠していると思っているが、完全に邪推だ。むしろタキシードも教えて欲しいくらいだった。
ただ、ひとつ確かなことは、この癒やしの力が前代未聞だということ。怪我を直接的に癒せるマスタリーは存在しないというのが一般的な理解であって、この力が広く知れるとタキシードの立場は極めて危うくなる。具体的に言うと、間違いなく騎士団に追われる。
遡源であり、かつ正体不明のマスタリーを持ち、怪我まで癒やせる。完全に珍獣枠だ。そして恐るべきことに、このロザリアンの貴族は秘密の儀式を用いて人外とも子を成せるのだという。それは貪欲に力を血筋に取り込むための一子相伝の儀式らしい。騎士団にとっ捕まってしまえば、いったい何をされるのか分かったものではない。そら恐ろしい。肝が冷える。
タキシードは彼女が欲しいし、そのために人型になることを人生の目標としているが、それはその先にある恋愛だの、恋の駆け引きだの、人型同士の生殖行為だのに憧れがあるからであって、そういった一切合切を端折って子供だけできました、というのは違うのだ――絶対に、違うのだ。
騎士団に捕まるのだけは、避けねばならなかった。
イノライダーには硬く口止めしてあるので平気だと思うが、タキシードはこの正体不明の不思議パワーを、人前では可能な限り使わないようにしている。
そんなことをしながらベリーヒルを下った三人と一匹は、事情を聞くために警察に届け出た家を訪れた。そこは赤色風信子石通りの近くに位置した、二階建ての平均よりは裕福そうな、しかし庶民的な家だった。




