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ベリーヒルの朝

 夜が明ける。


 闇黒(くらやみ)(あお)が染み込み、空が色づき始め、清浄な風がカーテンを揺らした。そしてその空気の流れ着く先には、薄明かりに照らされた赤い髪の美女がベッドに一人。


 ひんやりとした気流を受けたエイジャの猫耳がピクピクと揺れた。彼女が肌掛けを巻き込んでごろんと寝返りを打つと、ずれた肌掛けの隙間から黒い毛玉がもぞもぞと這い出してくる。ビロードのように艶めく黒猫が肌掛の下からスルリ、現れたのはタキシードだ。


 フンスッと鼻息をついたタキシード。彼は、くかーっと口を開けた、あられもない寝間着姿のエイジャの頭まで力なく()っていくと、そのまま彼女の頭の上にのし掛かるようにして力尽き、彼女の赤髪を寝ぼけ気味にゾリゾリ毛繕(けづくろ)いし始める。


 寝ているエイジャの頭を両腕で抱えて、ざりざりざりざり――。エイジャの赤い髪がタキシードの舌にびっしり生えた逆棘に引っかかると、彼のピンク色のベロがびよーんと引き出されてしまった。タキシードは鬱陶(うっとう)しそうに頭を振ってその引っ掛かりを取り除くと、続けて声で彼女の目覚めを誘う。


「ぉおい……起きろ、エイジャ……」


 んふふ、と寝笑いするエイジャは起きない。


 タキシードは仕方なく彼女の頬を猫の刺激的な舌で舐めてやる。しかし、ちろちろとタキシードの小さな舌が出し入れされる度に、エイジャはううん……と寝返りを打つだけ。(しま)いには柔らかな胸元に乗ったタキシードを両腕で抱きしめてから、彼女はその意外な剛腕で黒猫の背骨を折りにいった。


「ぐええぇ……え、エイジャ! 死ぬっ! 中身が飛び出だすっ‼ やめっ……おい! 今日お祭りやろ、はよ起きんとっ‼」


「――はっ! そうだった‼」


 かっと目を開いて覚醒したエイジャ。彼女は弾かれたように上体を跳ね起こした。


 勢いで、タキシードはベッドの外まで放り出された。


 くあっと欠伸(あくび)をしつつエイジャがベッドの上で背中を反らし、猫めいた伸びをすると、彼女の形の良いお尻から伸びた尻尾が綺麗なS字を描いた。


「んんーっ!」


 エイジャの紫紺の瞳が窓の外に向いた。空は明るさを増しつつあった。


 今日は、ベリーヒルのお祭りだ。




 南バミューダの街外れには、ベリーヒルという果樹栽培用の高い丘がある。ちょっとした山と言ってもいい。ベリーヒルは(ふもと)から頂上まで“つづら折り”の道が繋がっていて、タキシード探偵事務所はその“ふた折れ目”にある。


 ベリーヒルには様々なフルーツが植わっていて、時期をずらしながら年中収穫できるようになっているのだが、やはりまとまった収穫時期というものがあって、その時期になると収穫祭が(もよお)される。


 バミューダのビタミン事情を一手に引き受けているベリーヒルのお祭りだ。例年バミューダ中から人がやって来て大盛況になる。観光客はつづら折りの道を登りながら、途中の出店で獲りたてのフルーツに舌鼓(したつづみ)を打ち、屋台でお腹を満たすと、へべれけになる頃には頂上に着いて、そこから見渡せるバミューダの湖と街の景色に満足して帰って行くのだ。


 タキシードとエイジャの二人は、このお祭りで生活費を稼げる限り稼がなければならない。それは今後の生活の豊かさに直結する一大イベント。今日の探偵業務はお休みだ。


 朝早くから事務所前の道に屋台を(こさ)えた二人。簡易的な机とベンチを道に沿って並べれば、あっという間に屋台風オープンテラスの出来上がりだ。


 そうこうしていると、一台の馬車が坂道を上ってきた。仕入れの馬車だ。馬車を操るのはメルカトル。彼はタキシード探偵事務所ご贔屓(ひいき)の商人で、御用(ごよう)聞きもやってくれている人物だ。このバミューダでタキシードと一番古い付き合いでもある。


 タキシードが事務所の外壁の上に乗ってメルカトルに声を掛ける。


「朝からご苦労やな、メルカトル。おはよーさん。もーかりまっか? 例のブツあるか?」


「おはようございます、所長さん。ぼちぼちでんな。届いてますよ」


 去年は焼き牡蠣(がき)とカップケーキと甘酒の組み合わせでご提供、という壮絶なマリアージュで観光客の話題をかっ(さら)ったのだが、流石に三品はエイジャ一人だと回しきれず、今年は嗜好(しこう)を変えたのだ。ちなみに牡蠣はバワーズに横流ししてもらい、カップケーキはエイジャがご近所さんの奥様方と一緒に焼き、甘酒は自作したものだった。


 タキシードは調理と提供には参戦できない。申し訳なく思う。


 そこで今年は焼き鳥とワインだ。これなら、ただひたすらその場で焼けばいいし、ワインも瓶ごと出して勝手にやらせればいいので手間がない。タキシードも今年は前足に装着するゴム製のサックを作ってもらったので金銭のやり取りくらいなら可能だ。首に掛ける“がま口”の小銭ポーチも準備完了。


 それにしても、金がない探偵事務所がどうやって元手もなく大量の鶏肉を仕入れられたのか?


 ――兄ぃ、今年は焼き鳥にしよう。


 そうエイジャが提案してきたのは随分と前のこと。なんでもヤブドゥルにお祭りの話をしたところ、鶏肉を大量に提供できるという申し出があったそうなのだ。しかもツケでいいらしい。


 ――何(もん)やの? ヤブドゥルさん。まさか(みつ)がせてんの? まだ早いで、そういう悪女的なやつ。


 そんなタキシードの小言を余所に、エイジャはあっけらかんとヤブドゥル・ルートを手配して今日に至る。


 そしてメルカトルの馬車から()ろされてくる肉の量たるや!


「ぎ、きょうさん仕入れたな?」


「……あれぇ? 発注ミスかな? あ、あはは……」


 エイジャの口から乾いた笑いが漏れた。


「これが午前の分で、午後にもう一便着きますよ」


 メルカトルの無慈悲な通告に絶句するタキシード。


 ワインはバワーズから買い付けた物を既に搬入してもらっていて、事務所内にある。そちらもツケだ。ツケに()ぐツケ。これでもう後はなくなった。


 ――やるしかない。


「売り切るで、エイジャ」


「――がってん!」


 エイジャは元気よく腕をまくって見せた。


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