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ただの紐

 夫ツバメは素直にそれを下に落とした。隣の妻ツバメから強めに(つつ)かれている。たぶん怒られているのだろう。なかなか珍しい夫婦漫才をタキシードが楽しんでいると、ふと、巣の中に強い煌めき(ファイア)を認めた。


「――お、それ楔石(スフェーン)やんか。自分ら、それどうしたん?」


 楔石(スフェーン)は貴重な宝石だ。宝石を“割って”力を引き出すのに必要な石であり、また同時に希少金属である〈(おお)いなる金属〉――〈タイタニウム〉――またの名をチタンの原料でもある。


 聞けば、暖房として赤色(レッド)尖晶石(スピネル)を使っていたらしい。なるほど、なかなか賢い夫婦だ。楔石(スフェーン)を持っていたので赤色(レッド)尖晶石(スピネル)まで盗んだというわけか。


 どこでそんな物見つけたのかと聞くと、彼らは足抜けする時に楔石(スフェーン)をくすねてきたと答えた。なんとなくトラブルの匂いを感じたが、タキシードは後を全部ポジャックに押し付けて知らんぷりの腹づもりだ。


 (こと)の発端であるご近所さんのパンツは、ここに捨て置くことにした。既に巣に編み込まれてしまっていたそれは、男物のパンツだったからだ。盗まれたのは男のパンツだった。紛らわしい。巣から(ほど)くのが面倒くさいし、こんなの咥えて帰りたくもない。事情を説明すれば、まぁ、ご近所さんも納得してくれるだろう。


 かくしてタキシードはエイジャのパンツ(?)を取り返した。


 タキシードは不思議と夫ツバメを責める気にはならなかった。それは、長時間にわたった(しのぎ)を削るデットヒートが、二人の心を(つな)いだのかも知れなかった。タキシードは同時に、新たな翼の扱い方を伝授してくれた夫ツバメに敬意に近い感情すら抱いていた。


 普段は冷静な探偵タキシード、熱い(おとこ)の友情に乾杯だ。


「ほんじゃまたな、師匠。アディオス」


 タキシードは、そんな普段なら絶対言わない臭い捨て台詞を残し、パンツを咥えて闇夜に飛び立った。そんなおかしなテンションになっていた。




「帰ったで~」


 タキシードが事務所に戻ると、エイジャがソファーに寝転んで待っていた。両脚を上に突き出して空気を漕ぐという器用なエクササイズをしていた。おかげでスカートがめくれて大変な感じになっている。


「おかえり~、兄ぃどうだった?」


 ポトリと、タキシードが咥えていたエイジャのパンツをローテーブルの上に落とし、忌々しそうに(うめ)く。


「――お前……これ、もうただの(ひも)やん」


 それは紐にしか見えなかった。黒い紐だ。


「ふふふ。それ、最近の流行りなんだって。ライチに教えてもらったの、かわいいでしょ?」


 エイジャがそう言ってパンツを持ち上げて広げてみせる。しかしそれでもタキシードには紐にしか見えなかった。彼女とは衣服の定義に関して小一時間議論したい。パンツを盗まれたから云々(うんぬん)の話ではなかった。こっちの方が一大事だ。


 ――()に心配なのは妹の友好関係よ。ライチめ……っ!


「今日のも可愛いんだよ! ……見る?」


「見るかっ! はぁぁぁ……ワシはただの紐のために、あんなにがんばったんか……」


 タキシードは深々と嘆息を吐き出して天井を仰いだ。夫ツバメと大空の覇を競った友情の記憶が、殊更(ことさら)滑稽(こっけい)なものに思えてきたからだ――いや、パンツを争っていた時点でしょうもなさすぎる。自分は一体どうしてあんなに熱い気持ちになっていたんだ……?


「――はぁ、もう寝よ。エイジャ、ワシ疲れたから、なんかテイクアウトしてきて」


 そう言ったタキシードを、エイジャは問答無用で抱き抱えて玄関に向かった。


「――今日は兄ぃが好きな阿候鯛(あこうだい)が入ったって言ってたよ。一緒に行こ。私が運んであげる」


「……はい」


 (おとこ)タキシードは見事、次の日バッキバキの筋肉痛になって一歩も動けなくなり、エイジャの看護を受けることになった。


〈次回予告〉

「兄ぃ、そろそろ寝よー」

「おお。明日、お祭りやもんな」

決然と妹を見上げた黒猫。金を、稼ぐぞ!


次回、街外れのお祭り探偵。

乞うご期待!

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