第98話 国王の謀略!
[そんじゃあな。二度とそのツラ俺に見せるんじゃねえぞアルテミス]
やや疲れた表情のバアル=ゼブルから別れの挨拶が発せられると、アポローンが笑みを浮かべたまま軽く右手を振る。
「私は君とまた会う日を楽しみにしているよバアル=ゼブル」
[ケッ、言ってやがれ]
親し気なアポローンの言葉にバアル=ゼブルは毒を吐くと、そのままふわりと浮き上がって王都の方へと飛んでいく。
アポローンはジョーカーたちの時のようにその背中を笑顔で見送ると、左手で掴んでいたアルテミスの襟首ごと彼女を引き寄せた。
「気は済んだかいアルテミス」
「済むわけ無いだろ! なんで邪魔するんだよアポローン!」
つい先ほどまで取っ組み合いの喧嘩をしていたアルテミスは、傍から見ても気の毒なほどに顔に引っかき傷を作っており、更には髪がボサボサになっていて、アポローンが引き離した後も、隙を見てバアル=ゼブルに飛び掛かろうとしていたほど我を忘れていたのだ。
「あの男にはまだまだ生きていてもらわなければならないからね」
「……何か見えたのか?」
芸能、芸術の神であり、更には神託を授ける予言の神でもあるアポローンは、双子であるアルテミスに温和な笑みだけを返し、周囲の森を見る。
「さて、魔力の吹き溜まりが物質界に飲み込まれて固着する前に浄化するとしよう。本来なら天使の仕事なのだろうけど、クレイは遠いヘプルクロシア。そして今のアルバトールを魔に近づかせたくはないからね。アルテミスは魔獣に変えられた猟犬たちを浄化しておくれ」
「分かったよ。あたしの可愛い猟犬を魔獣に変えるなんてひどい仕打ちだ」
ぶつぶつと愚痴を言いながらも、一心不乱に魔獣を浄化していくアルテミスを見てアポローンは苦笑し、自らは森の浄化に注力する。
(過保護にするだけでは、人間たちの真の魂の成長は望めないことは天主も知っているだろうに。それにしても……)
しかし浄化と思考を同時に進めていたアポローンは、今までに幾度となく思考の末に辿り着いた一つの疑問を再び思い浮かべていた。
(我々のような超常的存在に力を与える人間とは何なのだ。そして人間たちがまだこの地上に現れていないころ、旧神はどうやって存在を保っていたのだ?)
「おいアポローン」
(ゼウスによると、人間は我々がより力を得るための精力剤とするために大母神ガイアが産み出したということだが、では何のために今よりも力が必要なのだ? 敵と戦うために力を得る必要があるというなら、我々と相容れない存在である魔族も同様に人を必要とする事実をどう説明……)
「アポローンってば! お前あたしに浄化を全部やらせるつもりか!?」
「ん? ああ済まない。それはあまりに節度の無い仕事の分配だ。すぐに私の方も終わらせよう」
答えの出ない疑問に集中するあまり、ついつい浄化の手が止まっていたアポローンは、その間に猟犬の浄化を終わらせたアルテミスが、目の前で眉を吊り上げているのを見てすぐに浄化の続きを始める。
(随分と長い間考えているのに、まったく答えが出ないな。この疑問に対する答えを教えてくれるものは、いつになったら私の前に現れてくれるのか)
そして悠久の時を生きる神によくある、差し迫った問題以外は後回しにしがちな生き方により、この疑問はまたもやアポローンに忘却されてしまったのだった。
「退いたか」
「そのようで」
その頃すっぽりと闇に覆われてしまったフォルセール城では、見張り台にいくらかの見張りを残すと、後の者たちは戦闘の後片付けに没頭していた。
「翌朝になってから詳しく見てみなければ分からぬが、思ったより被害が出た地区が広いな。その代わりと言っては何だが、甚大な被害は少ない」
「死人が出なかったのは幸いでしたな。籠城すれば、間違いなくドワーフたちは犠牲となっていたところでした」
その後片づけの原因となった戦いの片棒を担いだとも言える二人、シルヴェールとベルナールは今回の事後処理について議論を交わしていた。
そこに一人の美しい女性が口を挟む。
「シルヴェール様……いえ陛下、その件についてですが」
「どうした。ドワーフたちに何かあったのかクレメンス」
「いえ、市街地に出た被害の方です。概算見積もりだけでも修繕費がかなりの額に上りますが、既に陛下もご承知のように国庫に余裕がありません」
「ふむ」
クレメンスの指摘にシルヴェールは短く頷き、ベルナールを見る。
「この作戦を立案した者としてはどう考えるベルナール」
「給与の自主返納は最初から覚悟しておりました」
静かに答えるベルナールに、シルヴェールは苦渋の表情を返した。
「なるほど、潔いことだがお前だけの給与では到底足りそうにない。無論この作戦の許可を出した私も一部返納する訳だが、それでも追いつかない額のようだ」
「例え私の残りの一生をかけても支払っていく所存です」
うやうやしく頭を下げ、謹んで言上してくるベルナールの真っ白な頭髪をシルヴェールは一瞥すると、今度はニヤリと口の端を釣り上げてクレメンスと頷き合う。
「戦いになれば被害が出ることは避けられぬ。いかにしてその被害を抑えるかも我々に課せられた仕事だが、今回に関しては不要な被害まで出てしまったと言わざるを得ない。よってお前に返納を命じた訳だが、一つ問題がある」
「総額としては申し分なくとも、一度に支払う分には不足、と言うことですか」
「さすがはベルナール、その通りだ。我々のような個人に支払う分であれば、予算の変更も簡単な話だが、国家事業……例えば第四城壁のようなものになるとその用途は多岐にわたり、下手に変更すれば予想もしない所まで影響が及ぶ可能性がある。はいそうですかと修繕に回すことはできん」
「しかし陛下の話しぶりには何かあてがあるように見受けられますが」
ベルナールは顔をあげ、疲労は残れどもやや余裕を取り戻した表情でシルヴェールを見つめた。
が。
「お前とレナの給与を返納という形にすれば、かなり楽になるのでそうさせてもらった。心配するな、すでにレナの承諾は得ている」
「なっ……!?」
その余裕は、シルヴェールの説明によって即座に吹き飛ぶこととなっていた。
「お、お待ちください陛下! レナは今回の作戦に関してまったくの無関係! いくら何でもそれはあんまりではありませぬか!?」
「まったくの無関係というわけではなかろう。クレメンス、お前はどう思う?」
「長年の間を一つ屋根の下で暮らし、苦楽を共にした仲というのに……それをまったくの無関係とベルナール様に素気無く受け流されてしまったことをレナ殿が聞けば、その悲しみはいかほどのものとなりましょう」
よよよ、と泣き真似をするクレメンスの言葉を聞いたベルナールの顔が呻き声とともに陰り、そして即座に元の冷静な顔へと戻される。
そのベルナールとは対照的に、シルヴェールとクレメンスの顔は表面的には重大な問題を解決する施政者としての厳格な顔をしていたが、二人の目と口は微妙にいやらしく歪んでいた。
「共に暮らし支え合う仲。結婚はしていなくとも伴侶というに相応しいレナに、片翼であるお前の給与の返済を話さない訳にはいかなかったからな。するとレナの方から提案が為されたのだ。ベルナール様を助けたい、とな」
(くっ……謀られたか)
まさか自身が仕える主君にそのようなことも言うわけにもいかず、ベルナールは自分の迂闊さを天に呪った。
激務だったとは言え、倒れてしまうほどに弱った体力。
自分でも気づかないうちに休養を欲していたのか、目の前の敵を処することのみに囚われ、敵を排除した後の処理には目を向けなかった自身への甘やかし。
アルバ=トールの父親、先代のフォルセール領主であるフィリップ=トールと共に他の貴族たちとの暗闘に明け暮れていた日々には、このような失態は決してしでかさなかったというのに。
「しばらく二人とも給与が減ることになるが、それも心配しなくていいとレナが言っていた。何やらある目的のために貯蓄を……」
「陛下、それはレナに固く口留めされていたはずですわ」
「そうだったな。とりあえずお前の今回の働きは見事なものだったから、そちらの報酬は当然出さねばならぬ。報酬が出たらその分からレナの給与を補填するといいだろう。それまでは苦労をかけることになるが、二人慎ましく、支え合いながら生計を立ててほしい」
「承知いたしました陛下」
ある目的のための貯蓄。
言わずもがな、それはレナと自分が結婚した時の披露宴用の貯蓄であろう。
口留めなどともったいぶった言い方をすることで、より罪悪感を増そうとする国王夫妻を心の中で少々呪いつつも、ベルナールは素直にシルヴェールに従う。
「疲れただろう。差し当たって民の動揺を抑えるための問題は処理されたし、他の問題は明日以降にするとしよう。帰ってゆっくり休んでくれ」
「承知いたしました陛下」
ベルナールは同じ言葉を力なく繰り返すと、一礼をしてから執務室を出る。
それを心配そうに見送ったシルヴェールとクレメンスは、ベルナールが占めた扉が再び開かれないのを確認すると、互いに顔を見合わせてニヤリとほくそ笑んだ。
「もう出てきても良いぞレナ」
果たして執務室の本棚の影から現れたのは、先ほど話題に出ていた宮廷魔術師筆頭のレナであった。
以前は短めだったブラウンの髪は背中の真ん中あたりまで伸ばされ、同じく大きめのブラウンの瞳は以前の快活な印象のものから柔らかなものへと変化している。
しかし出てきた直後の印象は、シルヴェールからの説明を聞くたびに昔の快活なものへと変化し、ベルナールが承諾したことを聞いた後にはすっかり若い頃の活力に満ちたものへと戻っていた。
「ありがとうございます陛下! これでまた一つ外堀が埋められました!」
「構わんよ。民の愚痴を聞いて解決するのが王の仕事でもあるからな」
まるでうら若い少女のように嬉しそうに飛び跳ねるレナ。
それを見たクレメンスは苦笑し、レナに冷静さを取り戻させるためにちょっとした冷や水をかぶせる。
「しかしベルナール様ならば、このような茶番はとっくに見抜いているでしょう。逆に不埒な真似を、とお怒りになられるのではありませんか?」
「でも今のどっちつかずの状態を打破することはできますよ?」
「それもそうですね」
だが即答してきたレナにクレメンスは少々たじろいでしまい、自分とは違うタイプの強い女性に思わず同意してしまう。
「まぁ心配はいるまい」
その姿を見たシルヴェールはすかさず助け舟を出し、レナのベルナールに対する引け目も消そうとする。
「ベルナールは自らの意地を張ることより自らの不備を責めるタイプだ。今回のこともこうなると予想できなかった自分を責めるだろうし、逆にレナが態度を変える方が奴にとっては辛かろう」
「あはは、ちょっと性急に過ぎたかもしれませんね……でも……」
レナはそこで口を閉じ、うなだれる。
「ベルナール様が倒れたと聞いて、家に戻った後もろくに食事もされずに寝台に倒れ込んで死んだように眠る姿を見て、もう矢も楯もたまらなくなってしまったのも確かなんです。幸せな時はいつまでも続かないんだって気付いて……」
レナの肩が震え、ぎゅっと両手を握りしめる。
慰めるべきかどうか、シルヴェールが横目でちらりとクレメンスの方を見た時。
「だからあたし、ベルナール様の子供が産みたいんです! 自分の力と知識を受け継いでくれる後継者が! 昔ベルナール様ご自身が、自分を助けてくれる後継者を育ててみてはどうかって、あたしにそう言ったのに! 後継者を産ませてくださいって言ってもちっとも子種をくださらなくて!」
突如として足を踏み鳴らし始めたレナの愚痴を聞き、シルヴェールはげんなりとした顔でレナに忠告をする。
「続きはベルナール本人とやってくれ。それとベルナールより早めに帰らねば先ほどの話に色々と不整合な面が出てくるぞ」
「あ、はい陛下! お心遣い感謝いたしますー!」
慌てて部屋の窓を開け、飛行術で帰ろうとするレナをシルヴェールは叱責し、部屋の扉を指し示す。
どたばたと走っていくレナの後姿を見送ったシルヴェールは、明日からの激務に備えてクレメンスに先に寝室に向かうように伝え、自分は羽根ペンと没食子インクの在庫のみを確認しようとした。
しかし一本の羽根ペンへ手を伸ばした時、寂し気なクレメンスの声によってその動きは止まる。
「後継者」
「……む?」
「どうなされるのですか? ジョゼはいますが、やはり女の子一人だけでは心もとありませんわ」
「クレイがいるではないか」
「確かにクレイとジョゼが結婚してくれれば良いかもしれません。ですがあの子は天使になってしまいました。それに……」
「大人の都合だけで、子供の将来を縛り付けるわけにもいかぬか」
「あの子たちは賢いですから、自分の意思ではなく周囲の願いを優先させてしまいかねませんからね」
シルヴェールは嘆息し、持っていた羽根ペンをケースの中に戻す。
「今日は疲れた。お前も疲れただろう」
「はい陛下」
「二人でゆっくり休むとするか」
そしてシルヴェールとクレメンスは腕を組み、舞踏会の会場に姿を現す時のように優雅なステップを踏んで寝室へと向かったのだった。




