第96話 ティーターンの末裔!
[なるほど、どうやら本当にティーターンに還ったようだな]
ジョーカーは先ほどまで自分がいた場所の石畳がえぐれ、残った部分すらぐつぐつと煮えたぎっている様子を見て内心で冷や汗をかく。
[むしろ孵ったというべきか。奴らは未だあのタルタロスに閉じ込められているはずだからな。この物質界に顕現、もしくは混生できるほどの力を持つティーターンはもう……]
「難しいことを言うなよジョーカー」
その恐るべき状況を、アルバトールの張り巡らした結界の中で、加えてポセイドーンが張った結界の中で作り出したリュファスは、抑えきれない怒りを体中から発してジョーカーを圧倒した。
「白けちまうだろ」
[むうッ!?]
言うと同時にリュファスは足を大きく一歩踏み出す。
地が揺れ、空間はきしみ、天地が逆転したかと思うような圧倒的な振動がジョーカーを襲う。
[空間ではなく物質界の根本から揺るがすか。どうやら本物のようだ]
だが続いて迫ってきたアダマス剣からは身をかわすことができたジョーカーは、水の矢を放ちながら後方に十メートルほど跳躍することで間合いを取った。
[この短時間でこれほど力を使いこなすとは信じられん。何があった]
「さっきから頭の中にアイシュレーって女の声がして、その人が力の使い方を教えてくれるのさ。ついでに言うと、どうも俺の中には巨神アトラースの子供たちの一人、ヒュアースって奴の魂が吹き込まれているそうだ」
[なるほど、世界の果てで天空を支えるとの伝承を持つアトラースの系譜か]
ジョーカーは首を何度かコキコキと鳴らし、だが勢い余って中の骨が抜けてしまったのか頭部をだらんと垂れ下げ、しかし目の前の敵が呆れたような顔で見つめてくるのを見た彼はそっと首を両手で持ち上げて元の位置に戻した。
「お前を殺しちまう前に一つ聞きたいことがあるんだが」
[私を殺すとは悪い冗談だ。あのエルザですらできなかったことをお前がやると言うのか? 今すぐにその発言を引っ込めるのであれば聞かなかったことにしてやってもいいが]
わざわざ軽くのけ反り、反動をつけて大袈裟に溜息をついてみせるジョーカーへリュファスは鋭い視線を向けた。
「なぜフェルナン爺ちゃんを殺した?」
[呆れた奴だ。つい先ほど私が言ったことをまるで聴いていなかったというのか]
「なぜ殺した?」
[……狂ったか]
「なぜ殺した?」
同じ質問を、リュファスはただ繰り返す。
ジョーカーはその意味するところを理解し、抗することができた。
[ま、市民の蜂起を止めるため。ってところだろうな]
変わらぬ状況に耐えきれなかったのは、バアル=ゼブルの方だった。
ジョーカーは今さらのようにこの旧神の口の軽さを思い出し、内心で舌打ちをしながらバアル=ゼブルに自制をうながす。
[やめておけバアル=ゼブル。今さら自分の内に眠る罪の意識に勘付いた訳でもあるまい]
[いいじゃねぇか。お前だってあんなこと言っておきながら、爺さんを殺したことについて何も思っていないってわけじゃねぇだろ]
「……あんなこと?」
[……]
余計な情報を次々と口にするバアル=ゼブルにジョーカーは頭を抱える。
それによって招いた災いを自らの力で解決する自信があるからだろうが、今まで彼を見続けてきたジョーカーには、バアル=ゼブルがせっせと自分の足元に自らの墓穴を掘っているようにしか見えなかった。
「そっちの都合はどうだっていいさ。俺が聞きたいのは、フェルナン爺ちゃんはもういつ天から迎えが来ても仕方がない年だった。無理に殺さなくても、市民の蜂起は止められたはずだ。それなのに何でわざわざ殺したんだよ」
リュファスの発言に対してジョーカーはゆっくりと首を振り、目の前の若いエルフ族を憐れむように溜息をついた。
[愚かな。敵に攻め込まれている最中に、そんな悠長なことができたとでも思っているのか]
リュファスの沈黙につけこむように、ジョーカーは即座に次の一手を打つ。
[愚鈍な自分の考察を、それが本当に正しいのかどうかも推敲しないまま相手に押し付ける。確かに力は得たかも知れぬが、どうやらお前はその力に振り回される存在に成り下がってしまったようだ]
先ほどリュファスがアンドラスに一方的な一撃を加えた、姿勢を変えないままの移動。
その妙な技を使った後にリュファスが垣間見せた心境が、およそ複雑なものであったことを覚えていたジョーカーは、目の前の敵を動揺させるべく挑発の道具へと転換する。
だがリュファスは、ジョーカーの思い通りの反応を返さなかった。
「話題を変えたいのか? それならそれでいいが、もう一つ聞きたいことがある。フェルナン爺ちゃんは孤児院を作ることができたのか?」
[なぜそんなことを聞く]
「もし作れたのなら、その行末が爺ちゃんの心残りになったに違いないからさ。爺ちゃんが死んだというなら、八雲兄ちゃんが後を継いだかも知れないけどな」
あまりに唐突な質問にジョーカーの気が抜ける。
そしてその間隙を縫うかのように、再びバアル=ゼブルが迂闊な発言をした。
[あー……それな。実は八雲のヤロウがルシフェルだったつーか、ルシフェルの半身だったらしくてな。んでもう一体が迦具土……おいどうしたジョーカー]
[気にするな。お前の口を引き裂いてやりたくなっただけだ]
[お前俺の口に恨みでもあるのか]
[王都に戻ったらお前が理解できるまでじっくり説明してやろう。実に楽しみだ]
ジョーカーはバアル=ゼブルの軽い口に釘を刺すと、リュファスの方を見る。
[自ら求めた情報でショックを受け、あまつさえ目の前に敵がいるこの状況で呆けてしまうか]
その視線の先に居るリュファスは、アダマス剣を持った右手を細かく震わせたままであり、ジョーカーがバアル=ゼブルと会話をしている間も立ち尽くしていた。
「フェルナン爺ちゃんはどんな気持ちだったんだろうな」
[それをお前に言う必要は無い]
「敵に囲まれ、それでも責務を果たそうと身を粉にし、その行きついた先が信じた人に、信じるしかなかった魔族たちに裏切られての死なんてさ」
[……]
ジョーカーが口を閉ざす。
バアル=ゼブルですら軽口を叩かず、その口を閉ざしたままであることを見たリュファスは、大きく息を吸い、吐き出した。
「お前を倒す」
[もう話はいいのか?]
「もういい。続きは王都を解放した後、実際に見届けた人たちに聞くさ」
ジョーカーに向かって静かにリュファスが歩き出し、その静かさに硬い意志を感じたジョーカーが軽く膝を曲げて開いた左手を軽く前方に構える。
その時だった。
[始まったか]
「な、なんじゃあこりゃあ!? ワシの結界がアルバトールの結界に食い込まれ始めとる!?」
ポセイドーンが張った結界から次第に重低音が発せられるようになり、それだけでは収まらず周囲の空間が歪み始めたのだ。
[意外と始まるのが遅かったがこうなることは読めていた。どうやらポセイドーンの介入はアルバトールの想定外だったようだな!]
言うと同時にジョーカーの両手が鋭く交差する。
「ぐ、ううッ!?」
ポセイドーン、アテーナーを含めた全員が周囲で発生した異常に驚く中、ジョーカー一人だけが素早く動いており、ロザリーの両腕へ石つぶてを投げつけたのだ。
[逃げるぞアンドラス! 成果は十分に得られた!]
[ははっ! さらばだロザリー! 今度このアンドラスと会うまでに槍の使い方を覚えておくのだな!]
「ま、待つのです……うっ!」
痛みに負け、法術の発動が遅れてしまったロザリーの目の前でアンドラスとジョーカーたちは退却の合図とみられる光球を上空に発し、即座に城門へと向かおうとする。
[逃げだすのが遅くねぇかジョーカー]
その先にのんびりと立っているバアル=ゼブルを見たジョーカーは、即座に一つの指示を出していた。
[合流が一番遅れた罪だバアル=ゼブル! お前は我々の退却を助けるために最後まで残れ!]
[ふざけんなやるわけねえだろ! つーか俺は伝言をお前に届けに来ただけだ!]
ジョーカーの一言に血相を変えたバアル=ゼブルは、途端にジョーカーの後を追って走り始める。
だが彼らが逃げるには、行く手を阻む一人の人物を倒さねばならなかった。
「逃がさねえよ」
「リュファス!?」
ロザリーの悲鳴が行きつく先、リュファスの肉体は気迫に満ちていた。
まるで今にも張り裂けそうなほどに。
「待ちなさいリュファス!」
「ごめんかーちゃん。今こいつを逃すわけにはいかないんだ」
身体の至る所から噴気が立ち昇り、周囲を発する熱で歪ませ、まるで活火山の火口そのもののようになったリュファスは、満足げな笑みを浮かべた。
「障壁は頼んだぜポセイドーン! あんたのさっきの言葉、信じるからよ!」
[自爆か? だがお前程度の存在ではこの世界の因果から私の現在、ほんの刹那を吹き飛ばすことはできても、過去と未来を離脱させることはできんぞ]
リュファスはジョーカーの嘲りを跳ねのけ、目の前にいる獲物を捕まえるべく中腰となって両手を前に構える。
「そいつはやってみなくちゃ判らねえな!」
そして一瞬の溜めの後にジョーカーへと詰め寄っていった。
[そう来るしかないとはいえ哀れな。散れアンドラス!]
しかしジョーカーはアンドラスを先に逃がすと、迫りくるリュファスを一向に恐れる様子も無く、それどころか悠然とその到着を待っていた。
「もらった!」
リュファスは再び世界を鳴動させ、その揺れに体のバランスを崩したジョーカーにタックルをして地面に引きずり倒す。
[……俺の目の前で随分とナメた真似してくれるじゃねえかリュファス]
しかしその瞬間にリュファスは脇腹に軽い衝撃を感じ、その意識は闇へと飲まれていった。
[今度こんなふざけたことをしてみやがれ。俺がお前を地の果てまで追いかけてでもブチ殺す]
リュファスがこれまでに聞いたことのないほどの怒気を含んだ、一人の旧神の声を聴きながら。
[王都からお前らが脱出しようとした時を思い出しちまったぜ]
バアル=ゼブルはジョーカーに覆いかぶさったリュファスを軽々と担ぎあげ、エステルとロザリーの所へ歩み寄ると二人の目の前の地面にどさりと置く。
「お礼を~、言わなければなりま~せん~か~」
[ヘッ、そんなものいらねえよ。ヘプルクロシアでの一件をアテーナーに取りなしてもらえりゃそれでいい。ロザリー、リュファスが目覚めたら一発殴っておけ]
皮肉気な笑みを浮かべ、そう言ったバアル=ゼブルの腕は、リュファスが未だ発する熱によって赤くなり、水膨れができていた。
「治療するです」
[いらねえよ。さっきのアテーナーの治癒で分かってんだろ。お前もリュファスもまだまだ半人前だ。俺と遊びたかったらもうちょい力をつけておくんだな]
「……分かったのです」
いつの間にかジョーカーは姿を消し、周囲から絶え間なく発されていた爆音も止み、天へ真っ直ぐ立ち昇る煙が、戦いが終わったことを象徴する静寂としてその場にいる全員の目を引き付ける。
[あー……うん……それと、だな]
バアル=ゼブルは頭をひとしきり掻き、背中を向け、そして小さく呟いた。
[アルバトールに、よろしくな]
「……え?」
そのあまりに小さな声が聞き取れず、ロザリーが聞き返した時には、青い髪を持つ旧神の姿はか細いつむじ風を残して消えていた。




