第94話 手入れの重要さ!
「ん? あの光は……」
中から暖かいランプの光が漏れ出ている炊煙の蒸気亭の前で、先端に巨大な松ぼっくりがついたような形状のメイスを持つ一人の男が足を止める。
「またアテーナー殿が新しい英雄を見つけられたかな」
見るからにゼウスたちの仲間と分かる、古ギリシャの衣装ヒマティオンを纏ったその男性は、やや赤みがかった金髪を柔らかく振ると炊煙の蒸気亭の扉を開けた。
「いら……なんだディオニューソスなの。お客様かと思ってしまったなの」
「ご無沙汰しておりますヘスティアー様。久しぶりだねイリアス」
「ご無沙汰しておりますディオニューソス様。新しい商品を頼んだ覚えはありませんが、今日はどのようなご用件でしょう」
オリュンポス十二神ではないものの、持てる力や名声は間違いなくあの輝かしい神々と比肩すると称賛される神ディオニューソス。
ワインの神でもある彼は、イリアスから窓際の席に案内された後にその手に持っていた杖を渡し、だがその杖を見たヘスティアーから咎めの言葉を受ける。
「みだりに生命を奪うのは良くないと思うなの」
「威光を示さねば払えぬ災いもありましょう。それに……どうも叔母上の方も何かやむにやまれぬ事情がおありのようですが?」
「むむむ……なの」
人の目には綺麗に見える店内にも、神の目には何かが見えるのか、ディオニューソスの気だるげな指摘にヘスティアーは言葉に詰まる。
それを見たイリアスは軽く肩をすくめ、受け取った杖を大事に捧げ持って壁のフックへと取り付けた後にディオニューソスへ微笑んだ。
「随分と大立ち回りをされたようですね」
「おや? 魔神どもは眠らせておいたはずなのだが」
「大立ち回りをしたのはこの杖、テュルソスの方ですよ。先端部にやや土がついておりますよ? 街中で酩酊されるのはあまりよろしくありませんねディオニューソス様」
「さすがに君の目は誤魔化せないな。周囲で爆発が起こっていたどさくさに紛れることができたとはいえ、少々魔神どもを打ち据えすぎたようだ」
「では酒宴における余興の一つと受け取らせていただきましょう。さて今日のご用件はいかほどで?」
微笑んだままのイリアスを見たディオニューソスは、軽く溜息をついて窓の外へ視線を向ける。
「フェストリア王国の旧神、エーギルの元にいたドワーフたちが新しいタイプのエールをこっそり持ち込んでいたらしくてね。仔細を訪ねたところ、お主の目で直接確かめるのじゃな、との返答をいただいたから、今日の夕方に会えるようラファエラ司祭に約束の取り付けをお願いしていたのだが……どうやらすっぽかされたようだ」
「なるほど、酒神のプライドを賭けたテイスティングですか。それで私の所なら仕入れているかもしれないとお考えに?」
「それもある。だが本音は君の料理を久しぶりに口にしたいと思ったからだよ」
「私の料理など、どこにでもある店の内の一つにしか過ぎないでしょうに」
そのへりくだったイリアスの言い分を聞いたディオニューソスは、窓の外に向けていた視線をやや厳しいものとしてイリアスに向ける。
「ヘスティアー様と常に共にある者が言う言葉ではないね、イリアス」
「申し訳ありません、過ぎたる謙遜は嫌味と取られかねませんでした。いつもありがとうございますディオニューソス様」
「半人半神として生まれた身なれば、君の境遇も少しは理解できるというだけの話さ。ではいつもの奴を頼む」
「クスクスのタブレとナヴァランですね。少々お待ちを」
「君の料理ならいくらでも待つさ。やれやれ、約束した教会に行けば肝心のラファエラ司祭はベッドで寝込んでいて、王都司祭のダリウス殿は留守とは。加えて街の中にまで魔神が入り込んでいるとは、何ゆえこのような差し迫った状況であるにもかかわらず約束の日を今日にしたのやら」
小さい粒状のパスタ、クスクスを使ったサラダであるタブレと、羊肉と野菜を煮込んだ料理であるナヴァランを注文したディオニューソスは、今日会うことのできなかったドワーフたちに思いをきたす。
その相手であるドワーフたちと言えば。
「どどど、どうするだよっ!? フォルセールに入れたはいいけんども、まさか自由に移動できないようになるとは思ってなかっただよ!」
「あんれーまー、まさかあのまま魔神と一緒にこの城のお世話になるとは思ってなかっただなー」
「どうするだーどうするだー……このままじゃまた司祭様のお叱りを受けてしまうだよー……むーん? この棚まったく飾り気がなくてつまらないだな」
「まったくなんで私がドワーフのお目付け役なのだ……そこ、勝手に調度品を改造しないでくれ」
破壊が始まった市街地にある騎士団の詰所で、一人の黒い肌のハーフエルフに見張られていた。
「大体この私は今や騎士団の副団長だぞ? それがなぜ詰所で留守番をしていなければならんのだフェリクス」
「フォルセール騎士団の団長を仰せつかった私も留守番ですよエレーヌ副団長」
椅子に座っているエレーヌが、組んだ足を苛立たし気に振り子のように振り回すと、その向かい側に座っている体格のいい男性が苦笑し、エレーヌの行儀の悪さを咎めた。
ダークブラウンの髪をベルナールのように肩まで伸ばし、その体格はエンツォよりはやや細めであるものの、その体から発する威厳はシルヴェールを除けばフォルセール随一。
聖剣デュランダルの所持者であるフェリクスは、咎められたことでいかにも不機嫌となった目の前のハーフエルフへ柔らかく微笑んだ後、不安そうにしているドワーフたちを見つめた。
「そんなに怯えないでください。別に我々は貴方たちに危害を加えるためにここに呼んだのではありません。むしろ外の危険から貴方たちを守るために……ええと、だから騒がないでください」
フェリクスの説得が終わる前に口々に騒ぎ出すドワーフたち。
そんな彼らを目にしてもフェリクスは困ったように微笑むだけで、慌てることも怒りだすこともなかった。
「怒るのはダメですよエレーヌ殿。はてさて、司祭様を呼んでくれと言われても彼女は今衰弱の身……どうしたらいいものか」
先ほどから市街地で続く爆発の連続。
街の中を蠢く邪悪な気配。
元は王都テイレシアを守る王都騎士団の団長を務めていたフェリクスは、腰に下げたデュランダルを握りしめ、しかる後に一つの決を下した。
「私はドワーフたちを連れて教会へ行ってきます。その間の指示は任せますよエレーヌ副団長」
「なっ……」
「命令です」
穏やかなれど反論を許さぬ断固とした口調。
日頃よりどの身分の者に対しても言いたいことをいうエレーヌには珍しく、彼女は言いたいことをグッと飲み込みフェリクスの命令を復唱した。
「いやー助かっただよ、いきなり司祭様に今日の夕方までに教会に来なさいと集落の王様が言われたらしくて、持つものも持たず急いで来たのにこんただことになっちまって」
「リュファスとロザリーからはかなりのんびりしていて、そのせいで魔族に見つかったと聞いておりますが」
「ドドドドド、ドワーフにとっては急いだほうだっぺ!」
「んだんだ。しかし何でビールを持ってくるようにとか言ったんだかな」
「ここで働くおらたつをねぎらうためじゃないっぺか?」
「んだ! そうに違いないだ! 早く教会に行くだよ!」
欲望に忠実なドワーフたちを見たフェリクスは苦笑すると、住み慣れたフォルセールの街を迷うそぶりも見せずに歩いていく。
実際には色々と遠回りをしているのだが、あちこちへ誘導された魔族や魔道具による罠を避けるにはこうするしかなかった。
「しかしお兄さん強いだなー。さっきから魔物を見るなり切り捨てるとかウチの旦那に見習わせたいくらいだよー」
「魔神になるとこうはいきませんがね。ああそこの貴方、デュランダルに軽々しく触れて全身を切り刻まれても……手遅れですね」
「あーこのくらいなら先代の司祭様にガッツリ握りつぶされるのに比べれば何ともないだよ」
「そうですか」
全身から血を噴き出しているドワーフを見たフェリクスは困惑し、腰に下げたデュランダルからかすかに伝わる妙な振動に眉をひそめつつも、再び周囲を警戒しながら教会へと歩き出した。
持ち主の生命力を刃と変える聖剣デュランダルは、この世に切れぬものは無いとされる無双の剣である。
この剣を二十代と言う若さで継承することになった彼は、知勇に秀でた名将として名高く、さらには驕ることのない誠実な人柄とあわさって、彼を慕う人物は城主であるアルバトールや、その養子であるクレイを含め、大多数にのぼった。
「あと三分も歩けば教会に……おや、これはまずいことになりましたね」
そのフェリクスが、行く手に立ちはだかる影を見て緊張に満ちた声を発する。
[どこへ行く、人間よ]
雄牛の頭を持つ亜人族、ミノタウロス。
熟練の騎士たちですら十人程度では手に負えず、全滅は必至と言われる恐ろしい能力を持つ怪物である。
(このルートにこれほどの魔族がいるとは……少々甘く見過ぎましたかね)
フェリクスは背中に伝う冷や汗を感じつつ、腰に下げたデュランダルをいつでも抜けるように身構える。
「一日を無事に終えた祈りを捧げに教会へ」
[それは殊勝な。だがそれは自らに死を飛び込む呪詛の間違いだったようだな]
ミノタウロスが人の大人ほどの大きさをした巨大な斧を軽々と片手で振り上げ、フェリクス目がけて振り下ろす。
しかしその動きは途中で止まり、いつの間にかデュランダルを抜いていたフェリクスがそれを鞘の中に戻すと同時に、ミノタウロスは真っ二つとなって大地に崩れ落ちていた。
「……これは一体」
その成果が信じられないかのようにフェリクスが呟いた途端、先ほどデュランダルを触っていたドワーフが陽気に口を開いた。
「あー、その剣だども、持ち主が何人も変わったせいで生命力の回路に不純物が溜まって通りが悪くなってただから、ちょっと掃除しておいただよ」
「あの短い時間で?」
「暇つぶしにはなっただな」
フェリクスは自分の生きてきた世界の外に生きる不思議な妖精の発言に、自分の無知さを知って溜息をつく。
「何はともあれありがとうございます。教会は目と鼻の……」
フェリクスの顔が凍り付く。
なぜなら彼の前方には黒い肌を持つ上級魔神が三体、彼と彼の後方にいるドワーフたちを見て歓喜の笑みを浮かべていたのだ。
「さて、これは流石に私一人ではどうにもなりませんね。どうしたものか」
[グフフ、悪名高きフォルセール教会をこの機に一気に潰してしまえと来てみれば、思わぬ獲物と遭遇することになるとは……]
[俺たちツイてるううう!]
[ヒャアもう我慢できねえ! 今すぐやっちまおうぜ!]
二本の角を頭に生やした一般的なタイプの魔神。
だがその持てる力は本物であり、上級魔神一体に対抗するには退魔装備を装着した一小隊が必要とされた。
「仕方ありません。ここは私に任せて貴方たちは……おや?」
さすがに危険だと思ったのか、フェリクスはドワーフたちを先に逃がそうと後ろを見るが、そこには誰もいない。
「やー、ここまで来たらビールが飲めるのもすぐだべな」
「なんか前にうるさいのがいるだよお前さん」
「団長さんも教会はもうすぐだって言ってただし安心だべよ」
上級魔神に気付いていないのか、ドワーフたちはフェリクスを追い越してトコトコと教会へと向かっていたのだ。
[おいおい、カモがネギしょってやってきやがったぜ!]
[こいつぁ初っ端から縁起がいいや!]
[まったく意地汚い奴らだ。一人も逃すなよ]
「危険です! すぐに引き返しなさい……え?」
フェリクスは信じられない光景を見る。
上級魔神の魔術や攻撃を受けても、ドワーフたちはびくともしないどころか逆に目の前の魔神を殴り倒し、それどころか隠し持っていたハンマーで地面に叩きこんでしまったのだ。
「んじゃフォルセール教会にゴー! だっぺ!」
驚きを隠せず、足を止めてしまったフェリクスとは対照的にドワーフたちは教会の中に入っていく。
そして。
「なるほど、それでこの有様ですか」
「ではラファエラ司祭、私はこれで」
「ありがとうございますフェリクス様。さて、貴方たちちょっとこちらに」
そしてダリウスの説教によるダメージを、魂の眠りによって癒していたラファエラのキーワードである彼らは、こっぴどく物理的に叱られたのだった。




