第90話 人材の重要性!
[少々遊び過ぎではありませんかな、ジョーカー殿]
[眷族も呼び出していないお前が言えた義理か]
いきなり姿を現した堕天使ジョーカーに対し、最上位魔神の一人アンドラスが冗談めいた口調で非難をすると、それを聞いたジョーカーは気を悪くした様子もなく軽口で返す。
[これは失礼を]
すぐにアンドラスは謝罪をし、持っている剣で地面を切り裂くとたちまちそこから一匹の巨大な狼が飛び出す。
くるりと身を丸めて一回転した狼は宙に浮いたまま遠吠えをし、リュファスたちを睨み付けた。
「まさかお前まで覚えていてくれるとは思わなかったぜジョーカー。まだ子供だった俺たちを人質にとると決めた、あのわずかな時間しか顔を合わせていなかったってのにな」
[覚えていたのはそこのアンドラスだ。だが今度は覚えておかねばならぬだろう。我らに対抗できる力を持つほどに成長した強者たちの名前をな]
緊張の度合いが増したリュファスを見たジョーカーは息を吐き、同時にその道化師のような体に力がみなぎらせる。
何かの魔術を使ったわけでもないというのに、周囲にそれとわかる圧を発し始めたジョーカーを、ロザリーはまるで恐れる様子もなく一つの質問をする。
「それは光栄なのです。それにしてもロクに魔術が使えないこの状況で、よく私たちの居場所が分かったですね」
[策を弄しすぎたな]
ジョーカーはそこでしばし口を閉ざし、二人の反応をチラチラと見るが。
「……それだけなのです?」
「おい全然説明になってねえよもう少し真面目にやってくれ」
[……]
どうやらリュファスとロザリーは空気が読めないようだ。
戦争につきものである人材の枯渇問題は敵味方に共通のようであり、目の前の鈍感な二人を見たジョーカーは、かつて幾度も戦い、時には死線を漂わせられたこともある仇敵、天使アルバトールの察しの良さを思い出して悲嘆にくれる。
[ジョーカー殿?]
「相手のペースに乗せられるなアンドラス。このくらいも察せぬようであれば、持つ実力の方もたかが知れていると言うものよ」
しょうがないのでジョーカーはリュファスとロザリーを低能と断じて無視することに決め、ついでに今の会話にはなにも関与していないアンドラスを、勝手に相手のテンポに巻き込まれていると決めつけることで、自分を今のやりとりの蚊帳の外において無罪を確定させる。
[はぁ……しかし王都の時もそうでしたが、先ほどから周囲に漂う霧はあのオートクレールのものでしょうか? 自然に発生する霧ならなんら構うものではありませぬが、強い精霊力が混ざったこの霧ではまるで見通しがききませぬ]
[まるで何かを隠すように、か?]
[この霧では街に潜んでいる敵や罠はおろか、街の道や方角、味方の位置すらあやふやなものとなってしまいますからな]
[ふむ]
その言葉を聞いたジョーカーは内心でほくそ笑み、軽く頷いてアンドラスの洞察に感心した様子を見せ、だが最後にその意見を否定した。
[……いや、むしろそう思わせることがベルナールの狙いだろう]
[何と。それでは人間どもの真の思惑はどこにあるというのです]
新しい人材の発掘や育成は、それらの集団を率いる指導者にとって得難い喜びである。
ジョーカーは表には出さないまでも心の中で軽く拳を握り、その喜びを噛みしめながら周囲の家、そして土地の区切りを示す垣根を指差した。
[あれらに施された仕掛けが分かるか?]
[はて罠が仕掛けられているわけでも伏兵が隠れている訳でも無し……何も無いように見えまするが]
[そう、それこそがベルナールの仕掛けた罠だ]
「マジかよ!」「さすが団長なのです! さぁさっさと説明の続きをするですよ!」
[……]
そしてジョーカーが望んでいた、彼の洞察を称賛する声が、アンドラスではなくリュファスとロザリーから発せられる。
会話を邪魔されたジョーカーは少なからずイラっとしたが、ここで感情を表に出すことは魔族の中でも支配層の一人として君臨する彼の矜持が許さない。
よって彼は今の二人の発言を再び無視し、視線を周囲の家からアンドラスへと戻して説明を再開した。
[つまり奴らは我々を討つための罠ではなく、討つための状況を整える罠を仕掛けたのだ。目印となる景色の特徴を入れ替えることで我々を分断するという罠を]
[おお、さすがはジョーカー殿!]
「すげえ! 子供のいたずらじゃんって思ってたら、そんな理由があったのか!」
「それを見破るとは、バアル=ゼブルが言ってた通り大した知恵者なのです!」
[…………]
目を丸め、パチパチと賞讃の拍手をするリュファスとロザリー。
傍目から見れば馬鹿にしているようにしか見えないその挑発に、軍の指揮官であるジョーカーは乗らなかった。
[霧を出したのは失敗だったな。とどめの一押しとでも考えていたのだろうが、その一押しがさりげない風景を価値のあるかけがえのない景観に変えてしまった]
「いや、オートクレールの水煙はベルナール団長の感情が高ぶった時にも自然に出るらしいぞ」
「出そうと思えば自在に出せるとは聞いたですけどね」
[………………]
ジョーカーの言葉にいちいち水を差してくるリュファスとロザリー。
風情というものをまるで理解しない野蛮な二人を無言で殴りつけたい気分を必死に抑え、ジョーカーは悠然と胸を張った。
[さて種明かしはここまでだ]
[どうなさるのですかジョーカー殿]
既に一つのアイデアを思い浮かべた、そういった表情のアンドラスを見たジョーカーは軽く頷く。
[相手のペースに巻き込まれるな]
[承知しました]
アンドラスは翼を広げるとふわりと飛び上がり、宙に浮かんだままの狼に跨る。
[やれィ]
そして鋭いクチバシを動かして何かを命じると、それを聞き届けた狼は主人の命令を正確に理解し、忠実にこなした。
――ウオオオオオオォォォォンンンンンンン――
「ハッまた遠吠えかよ。さっきと何が違うってんだ?」
馬鹿にしたように嘲笑するリュファスをアンドラスは上空から見下し、無知なる敵を憐れんで呟いた。
[単独の遠吠えならば違わないだろうな]
「何ッ!?」
驚くリュファスを尻目にアンドラスは剣を持った右手を掲げる。
[爆ぜよシルフ! 弾けよアトモスフィア!]
その叫びに従うように上空には巨大な光球が現れ、しかし次の瞬間には大きく膨れ上がって轟音とともに消え失せていた。
「これは……しまった!?」
リュファスは先ほどのジョーカーに対する塩対応とはうってかわり、アンドラスが起こした一見無意味に見える爆発を見て律儀に動揺する。
何故ならその爆発と同時にあちこちで力が膨れ上がり、街を破壊する魔術が発動され始めたのだ。
当然アルバトールの張った結界に次々と余剰の力は吸収されていくが、それでも一向に破壊をやめぬ様子を見たリュファスは、その合図を送ったアンドラスを憎々し気に睨み付ける。
[これを見てもまだ余裕を崩さなければ、貴様を人として疑うところだったが……その顔を見て安心したぞ]
「てめえ……!」
焦燥感を露わにし、怒りの表情でアダマス剣をアンドラスに向けるリュファス。
その近くでは、ジョーカーが何かから逃避するように落ち着かない様子で街を見渡していたが、すぐに間が持たなくなったのかアンドラスの方を羨まし気に盗み見ると、やはり百聞は一見に如かずなのか、などと独り言をつぶやく。
「私たちの街をこんなにするなんて! 許さないですよ魔族!」
しかしそこにタイミングよくロザリーの鋭い声が背中に掛けられ、それを聞いたジョーカーは何となく嬉しそうに見えなくもない身震いを一つすると、白黒の仮面をロザリーへぐるりと向けた。
[何を言うか。壊されたくなければ城門を閉ざし、守りを固めていれば良かっただけの話。それをわざわざ城内へ我々を招き入れたのはそちらではないか]
「くッ!」
ロザリーは悔しそうに歯を食いしばり、ジョーカーはそれを見て満足そうに含み笑いをする。
魔に身を置くものにとって甘露とも言うべき感情、憎悪。
それを発するロザリーを目の前にしたジョーカーは、上機嫌な様子で無造作にロザリーに近づいていく。
[食わせてもらうぞその心]
「そう簡単にはいかないですよ!」
城壁に守られたフォルセールの美しい街並みは、今やそのいたるところから黒煙、あるいは炎が立ち昇っていた。
だがこのような状況になっても、国王であるシルヴェールはともかくこのフォルセールの城主であるアルバトールは現れない。
[どうやらアルバトールの病状は深刻なようだな]
「お前たちには関係のないことなのです! トリアイナ!」
ロザリーは怒りに顔を歪め、手に持っている三叉槍トリアイナでジョーカーに鋭い突きを繰り出す。
[驚いたな]
「え……」
ジョーカーの胸に刺さらなかった、それどころか着ている服をほころばせることもできなかったトリアイナの穂先を、ロザリーは茫然と見つめた。
[王都では街を歩く子供ですらもう少しマシな扱い方をするぞ]
「こ、このおおお!」
引くか貫くか。
ロザリーが迷ったその一瞬に彼女は無形の力を受けて吹き飛ばされていた。
[いい表情だ。心の琴線に触れる]
力を受け、呼吸ができずに苦しむロザリーを見下ろすジョーカー。
「ロザリー! どけアンドラス!」
[分かった]
リュファスの叫びに素直に従い、道を空けるアンドラス。
あまりに意外な展開にリュファスの気が抜け、ぽっかりと空いた前方に向かって思わず走り出そうとしたその時、彼の背中はいつのまにか背後に移動していたアンドラスに切り裂かれていた。
「ぐぅ……くそ! ロザリー!」
それでも止まらぬリュファスの歩み。
[美しくも麗しい家族愛]
その行く手に立ち塞がる一人の堕天使。
[それが絶望に変わる瞬間は、いつ味わっても甘美なものだ]
リュファスの振るった剣を軽くよけたジョーカーは、がらりとあいた目の前の脇腹に右膝をぬるりと差し込む。
「ご……ほっ」
ロザリーのように吹き飛ばされはしなかったものの、苦悶の表情で倒れ込んだリュファスに剣を構えたアンドラスがゆっくりと近づいていった。
[その余韻に浸る余裕すら無いとは、敵地に乗り込むとはまこと難儀ですな]
剣が振り上げられ、そして振り下ろされる瞬間。
「あら~……まさか本当にいらしたとは~……あら~……?」
周囲の雰囲気を綿花のようなふわふわなものとする、のんびりと間延びした声が発せられ、しかし即座に岸壁のような何事をも跳ね返す断固とした声に変わる。
「まさかこのアテーナーを選ばずゼウスやポセイドーンの武器を選ぶとは……覚悟はいいですね二人とも」
そしてふわりと現れた二人の母親、エステルの黒髪と黒肌がスッと金髪と白肌に変化した後、リュファスとロザリーの二人には死の宣告が下されたのだった。




