第87話 不確かな不安!
ジョーカーたちがとうとうリュファスたちを襲うために動き出した時、彼らはまだそのことに気付いていなかった。
「どうだい? 体の調子は」
「あんれまー、体の調子がスッキリクッキリゴーゴーだよー」
「ほんになぁ……どうだ? 調子も良くなったことだしこれから二人で強引にゴーイングローインアップとしゃれこむってのは」
「なんでそう考えがすぐ脇道に逸れるんだよ!」
先ほどフォルセールから届いた念話により、リュファスたちは城外にいた人々がドワーフと知らされていた。
そこでロザリーが状況を説明すると、ドワーフたちは結界による影響で動けないのではないかとシルヴェールがただちに判断し、たった今アルバトールに結界の効力を一時的に弱めてもらったのだ。
「まさかラファエラ司祭がこっそりドワーフを呼び寄せてたなんてな。ダリウス司祭があんなくどい説教しなけりゃ、今回の任務もすんなり解決したっつーか発生すらしなかったんだまったく」
「くどいですよリュファス。いつまでもうじうじと前のことを引っ張ってないで、さっさと男らしく次の考えに切り替えるですよ」
「女って……さっき出発する時に俺に覚えてろなんて言ってたくせによ……」
思わず口をついて出た愚痴をロザリーに聞かれたリュファスは、彼女の視線から逃げるようにただちに首を縮めこみ、人間に偽装する魔術具を(誰に貰ったかは知らないが)持ったドワーフたちに号令をかけてフォルセールへと歩き出す。
「あークソ! 俺はフォルセールに帰ったら真の男女平等を提唱する運動家になってやるからな! それじゃ出発する……ぞ……」
「どうしたです? リュファ……ス……」
「逃げろおおおおおおおおおっ!」
こうして彼らの逃走劇と追走劇は始まった。
「おおおおオイロザリー! 竜牙兵を出してくれ!」
「それが全然出てこないですよ!」
「何だってえええええ!?」
なぜならロザリーの持っている竜の牙は、母であるエステルが以前ヘプルクロシアに渡った時に譲り受けたクロウ・クルワッハ由来のものだからである。
テイレシアに残ったロザリーは知る由もないが、そのクロウ・クルワッハと一体化しているバロールがクレイの曼荼羅に移住したため、現在は牙への魔力の供給が途切れてしまっている状態であり、そのためにロザリーの未熟な召喚魔術では竜牙兵に変化させることができなくなっているのだ。
「仕方ねえ! ロザリー皆を連れて逃げてくれ! 俺は魔族に牽制の攻撃を入れつつ脇へ進路を変える!」
「そんなことを言って一人だけ逃げる気ですね! どう考えても魔族の狙いはドワーフさんたちなのです!」
「そこは王都の時を思い出して俺にそんなことはさせられないこうなれば奥の手をとかそんな展開だろロザリー!」
人の真価は追い詰められた時に現れるというが、どうやらこの二人にはまだまだ余裕があるようである。
[待ていエルフの小僧!]
「待ったら殺されるだろバーカ!」
[おのれ減らず口を叩きおって!]
そしてリュファスたちを追う魔族の側も必死だった。
結界が緩んだとは言え、まだ彼らのいつもの力が出せるというわけではない。
加えて魔族を構成している種族のうち、最大の勢力である魔神族を少数派の堕天使が、しかも長でもないジョーカーが率いているといういびつな構成が彼らの足を重くさせていたのだ。
(ジョーカー、なんで天魔大戦では僕たち魔神ばかりに被害が出るんだい?)
以前ベリアルに言われた嫌味を思い出した堕天使ジョーカーは、彼の前方をのろのろと走っているはずの敵を睨み、そしてやる気が感じられない後方の味方へ絶望的な眼差しを送る。
そもそも彼らは自分たちばかりが汚れ仕事を請け負っているという不満を抱き、その解消のためにフォルセールへ攻め込んだのではなかったか。
(ええい余計なことを考える必要があるか! もしもここでドワーフたちの数を減らすことができれば、今後の展望が開きやすくなるというもの! 多少の犠牲を払ってでも……!)
その後に訪れるのは、間違いなく魔神との不和。
ジョーカーは即断することができず、アンドラスはそんな彼へ不信の目を送り、後ろに続く魔神や魔物たちと言えば、人と魔の境界を示すヘルマと呼ばれる目障りな石像を勝手に打ち砕こうとして足を止めてはジョーカーに叱責される。
もはや彼らに統率という言葉は無縁なものとなっていた。
(これは……もはや手遅れか……このまま無理にドワーフを追って想定外の犠牲を出すよりは、奴らを見逃してフォルセール城へ申し訳程度の攻撃を加え、こやつらの不満を無くすだけに留めるか……)
ジョーカーは目の前にぶら下げられた特上の餌に惑い、だが迷わされることなく決断を下そうとした。
だが運命という歯車は、否応なしに彼らを苛烈な戦場と言う舞台へと引きずり上げていく。
[ジョーカー殿!]
[ここでそう来るかベルナール! いや! お前ならそう来るのが当然であろう!]
十年以上前、王都から脱出したシルヴェールが未だ流浪の身であった時と配役は一部変わっている。
[さすがは豪胆をもって戦術の根幹と成すベルナールよ! 我らが目の前に迫っているこの状況で城門を開放するとはな!]
[どうなされるのですか!]
[知れたこと! ここに至ってはもはや下手な統率など考えずにこのまま全力でフォルセールに突撃! 相手の想像を超えた一撃を喰らわせ、街を地獄の業火に包んでその勢いのまま撤収する! 五人組の頭よ! お前たちの命運をこの私が握っていることを忘れるな!]
同じ場所、そして城門の開放という同じ舞台を用意された魔族は、今度は迷うことなく城門の中へと突入していった。
[フォルセール城の城壁は三つ! しかし一つ目をくぐってしまえばそこには市街が広がっている! 天使たちとは無理に戦わず、人間の虐殺、及び建物の破壊と略奪を目的とせよ! 私が合図の光球を打ち上げた後は速やかに離脱すること!]
城壁の外には水堀が広がっているが、城門へと続く跳ね橋はそのまま。
心配していた落とし戸による分断もされることなく、ジョーカーたちはあっけなくフォルセール城内部への侵入を果たしていた。
[無抵抗すぎる……どういうことだ]
しかしそこに拡がるのは無人の大通り。
民がいないのは当然だが、まさか迎え撃つはずの人間たちの姿すらいないとは。
先ほどまで破壊の狂気に囚われていたはずの魔神たちですら、その異様な光景に疑念を抱いて足を止め、精霊界に通じる扉の向こうに呼び寄せていた精霊を待機、あるいは帰還させて周囲の気配を伺う。
[天使の気配すら近くに感じないとはな……これではまるでゴーストタウンではないか。アンドラス、人の気配はあるか?]
[いえ……そもそも人間どもの気配は我々には感じにくいものです。それが姿を隠しているとなれば……周囲の建物を手当たり次第に焼き払ってみますか?]
[いや、この結界の中で下手に魔術を放てばアルバトールに吸収される恐れがある]
[では各自離散、各々が先ほどの指示に従うということで]
[うむ。武器による戦闘、及び破壊は無制限に許可。人間と戦いになった時の判断は各組の頭に任せる。天使が出てきた場合は必ず他の者たちにも分かるように合図を出して全力で戦うように。ここにいる天使どもは無駄に強力な者ばかりだ]
こうして魔族によるフォルセールの探索が始まった。
[猫の子一匹おらぬか]
[すでに避難してしまったのでしょうか]
[十分に考えられる。我々がここに来るまでにかなり時間をかけているからな]
ジョーカーの独り言にアンドラスが応じる。
周囲の家を数軒ほど見て回るも、それらは生活の臭いがまるで感じられないものだった。
連れてきた魔神たちも、見る者とていない建物を壊すことに興味はないのか、すぐに人間の姿を求めて移動していった。
[倒すべき敵もいないのでは、深入りしすぎるという判断すらつかぬな]
[意味を無くす、ですか]
[考えにくいことだがな。今回の目的は短期的にフォルセールを攻めてその戦力を削ることであって、永続的に占領するためのものではない。そこをベルナールに見抜かれたか]
[せめて後詰めが来れば状況も好転するのでしょうが……]
[侵攻の理由が理由だ。高望みをするべきではないかもしれん]
第二城壁を超えれば状況も変わってくるのだろうが、すでに率いている魔族から戦意は失われつつある。
もしもジョーカーが率いている者たちが人間であれば、無人の街であろうが財産や食料の収奪を目的に士気が高まったかもしれないが、基本的にそれらに意味を見出さぬ魔族にとって、この状況はいかにも好ましくなかった。
(低級魔物であれば我々への金品の上納が行き届いているのだが……なまじ知性があると新しい価値観を植え込むのも一苦労だな)
ジョーカーがそう考えた時、彼の右手の方角から爆発音がし、その後に黒煙が立ち昇る。
[敵か!]
たちまちフォルセールのあちこちから魔族が発する力の気配が立ち昇る。
そしてそのいくつかからは、最初に爆発音がした場所に真っ直ぐに向かうべく建物を破壊する魔術が発動されるが、勢い余った魔力はすべてアルバトールの張った結界へと吸い込まれて行き、その無様な光景にアンドラスは舌打ちをした。
[あれほど言っておいたものを……]
[事情は後で聞くとしよう。不満解消もこの遠征の目的の一つであるからな]
ジョーカーはそう言うと強化術を発動し、街の通路を目にも止まらぬ速さで駆け抜けていく。
初めて見る街並み、そしてその通りは人が住む町の通路としての機能を優先した作りではなく、地形にそって建てられた建物に沿ったもの。
曲がりくねった通路はただでさえ迷いやすいものだったが、堕天使である彼にとってそれはなんら障害になるものではなかった。
はずだった。
[数十秒もあれば着く距離のはずだが!]
変わる景色、縮まらない距離。
それでもジョーカーは黒く焼け焦げた住居の一件に辿り着くが、そこには人間や天使はおろか、仲間である魔族の姿すら無かった。
[戦った形跡はある……逆に言えば形跡しかない。あれだけの爆発であれば、人間どもに死者が出ていてもおかしくはないはずだが]
[それよりも仲間とまったく会わない方が異常です。我々は今どこにいるのでしょうか]
[バカなことを言うな]
ジョーカーの背筋にじわりと伝う悪寒。
気付かない場所で蠢く悪意を感じ取った彼は、背後を振り返るとただちに住居の外に出て周囲を見渡した。
[……自分の身に降りかかって初めて分かる、か。情報の遮断がこれほど有効なものだとは]
堕天使であるジョーカーは、法術による念話ができる。
だが魔神たちは暗黒魔術による念話しかできず、そしてその念話はタイムラグがひどいこともあって緊急の連絡にはまるで適さないものだった。
退却を命じるか否か、ジョーカーが迷った瞬間、彼の視界の端を何かが横切る。
[誰だ!]
ただちにジョーカーは追いかけるが、建物の曲がり角を曲がった先には誰もおらず、何かの小動物を見間違ったのかと自嘲気味に振り返った時。
[……してやられたな]
彼はアンドラスとも分かれ、一人きりとなっていた。




