第81話 竜の卵!
(もういいのかね)
数分ほど経った後、草むらの中に座り込んでいたクレイが立ち上がって皆がいる方へと歩き出した時、頭の中に平然としたメタトロンの意思が響く。
(良くない)
(ふぅ……ではどうしたいのだ?)
その問いに応えるクレイの意志は、子供に相応しいと言った拗ねたもので、受け取ったメタトロンは溜息を含むやや呆れた返事を返してしまっていた。
(どうもしない。多分……いやきっとこの先ずっと良くなることは無いだろうし、悪いことばかりが増えていくだけかもしれない。何をしてもダメなら立ち上がって前に進むしかないじゃないか)
(……ふむ)
だがメタトロンの溜息は、すぐに呆れたものから感嘆へと変化していた。
(呑み込んだか)
(まだ呑み込む途中で引っかかって苦しんでる最中だよ。何とか解決する方法が無いかって探してるけど見つかりそうもない。これが徒労って奴なのか?)
(悩みを整理する方法を自由に選べれば、人はもう少し楽に生きられるだろうな)
(まったくだよ。とりあえずコンラとコンラッドさんの願いを叶えるにはどうするか、この悩みを早く解決……いてっ!?)
そしてメタトロンと意志を交わしながら歩き出したクレイは、さっき草むらに入った時にはまるで気付かなかった丸くて硬いものを踏んづけ、見事なまでに後方へ半回転を成し遂げる。
……つまり後頭部を地面に強打していた。
(何だコレ)
クレイは痛む後頭部をさすりながら、地面に転がっていたゴツゴツとした玄武岩のような丸いものを手に取り、そっと抱え上げる。
その大きさは人の頭よりやや大きいもので、見た目にはかなりの重量をクレイに感じさせたが、実際に持ってみたところ重さは殆どなく、むしろ持ち上げているクレイをそのまま宙に浮かばせるような感触すらあった。
(ほう、これは珍しい)
(知っているのかメタトロン)
(ああ、これは伝説にある竜の卵だ)
(うまいのか?)
(……その反応は予想になかったな。まあいい)
メタトロンは溜息を再び呆れたものへと戻し、クレイが持っている竜の卵を注意深く精査する。
(竜族は我々天使や旧神、堕天使や魔神と同じく転生をする。だがその方法は一風変わっていてな、老いた体、傷ついた体を一度卵に戻して再生し、そして孵化すると言ったものなのだ)
(へー、それじゃひょっとしてこの卵は?)
(十中八九ドライグのものだろうな)
(なるほどね。で、おいしいのか?)
(まったく君という奴は……竜の卵は誰にも食せない理由が二つある)
メタトロンは呆れた口調で説明を始める。
(その卵には元のドラゴンの情報がみっちりと詰まっている。つまり我々が予定外の転生を遂げた際に無理やり宿った素体のように、食した者はドラゴンと次第に一体化……言葉を飾るのはやめておくか。乗っ取られてしまうだろう)
(うへ……って、天使が転生した先の人って乗っ取られてるのか? 俺は何ともないように感じるんだけど)
不思議そうに首を捻るクレイ。
そんなクレイを見たメタトロンは、少しだけ時間を空けた後に説明をする。
(君やアルバトールは人から天使に転生、つまり魂そのものが昇華したので問題ない。そもそも我らが宿るのは天啓を受けた少年少女……つまり我々天使などの超常的な存在を受け入れるのに相応しい柔軟性を持つ人間だから、乗っ取ると言うよりはむしろ徐々に元の人格に馴染んでいくと言う方が合っているだろう)
(竜の卵は例外ってことか)
(それと先ほど言った予定外の転生を遂げた時だ。敵と戦い、力を消耗し、それでもなおすぐに転生を遂げて再び戦いに臨む必要がある時……我らは適合性のある人間に取り憑き、元の人格を飲み込んで力とする)
(へぇ……で、それを許したのは誰だい?)
(基本的には許されていない。よってその行いをした者は罰せられる……と言いたいが、それは平常時における決まりであって、非常時でも有効な縛りではない)
(そっか)
やや苦し気な説明を聞いたクレイは、やや低い声で相槌を打つ。
それを聞いたメタトロンは、直後に自分を怒鳴りつけてくるのかと思っていたが、クレイは少し目を細めるだけに留め、軽く首を振った後に無言で卵を抱えたまま戻って行く。
(すぐには答えが出ない問題もあるさ)
(そう言ってもらえると少し楽になる)
(皆それぞれの立場があって、それぞれに守りたいものがある。アルバ候が義母上を助けるためにヘプルクロシアに来た時のクー・フーリンさんや、先の天魔大戦が起こるきっかけとなったテオドール公にも……それはあったんだ。だから簡単に答えは出せないよ)
(……そうか)
決断を下さない返答。
非情なる裁きの天使、メタトロンがそのような曖昧な返答をすることになった原因にクレイは気づいていたが、彼はあえて詮索をしないという決断を下し、そして手中にある卵を見つめた。
(……壊した方がいいのかな)
(無駄だろう。竜の卵はかつて物質界を支配していたドラゴンと言う存在が凝縮されたものだ。この物質界で破壊するのは困難を極める。それが先ほど我が誰にも竜の卵を食せないと言った二つ目の理由だ)
(聖天術でも無理なのか?)
(その言い方には語弊がある。むしろ聖天術だからこそ無理になると言っていい)
(ゴヘー?)
聞いたことの無い単語にクレイが首を傾げ、それを見たメタトロンが苦笑する。
(正確な説明ではないこと、それによって引き起こる誤解などだな。聖天術で竜の卵を破壊できない理由は、聖天術の対象が魔族など人々の苦しみを産む邪悪な対象に限られているからだ。この卵はまだ何もしていない無垢な存在だから、それを討つことはできぬ)
(命を奪われるもの、命を討つものの痛みや苦しみを、すべて主にお任せするのが聖天術だったっけ……じゃあ明確な殺意をもって、相手の急所を最小限の力で狙い撃つアポカリプスなら壊せるんじゃないか?)
(竜の卵は玉。玉は完全なる球を指し、そこに急所は存在しない。すべてが一つの存在であり、一つの存在がすべてとなるものだ)
(よく分からないけど無理ってことか)
(身体に降ろした神力が暴走する寸前まで溜めこみ、自らの身体が破壊される一歩手前まで撃ちだすレペテ・エルスであれば、あるいは卵の破壊も可能であるかも知れないが、君はそうまでしてこの無力な卵を破壊したいかね)
クレイは肩をすくめ、ゆっくりと首を振った。
(すべてを公平な天秤の結果の下に。現実主義者だなメタトロンは)
メタトロンから返事はなく、クレイは再び肩をすくめると心配そうに自分を見ている皆の方へ明るい笑顔で手を振った。
「で、何なのこれ」
「メタトロンによると竜の卵らしい。それはそれとしてお前の怪我は大丈夫なのか? フィーナ」
「大丈夫じゃないけど仕方がないわ。さっきまでの戦いで聖霊が偏在しちゃったから、モリガン様の法術じゃ治せないみたいなのよ」
クレイが戻ると、そこでは体のあちこちに傷を負ったままのフィーナが皆を癒していた。
その側ではサリムとティナが水や食事を配っており、久方ぶりの再会を果たしたジョゼと言えば、激しい戦いの余波で壊れてしまった馬車をモリガンやエメルと一緒に少しずつ修繕している。
「ガビーなら何とかなりそうなもんだけどな……アイツどこに行ったんだ?」
「ガビー侍祭なら私たちを助けてくれた後、用事があると言ってどこかに行かれてしまわれましたよクレイ様」
「しょうがない、俺が癒してみるか。ちょっと竜の卵を持っててくれよフィーナ」
サリムの報告を聞いて顔をしかめたクレイがそう言うと、離れたところで水を運んでいたティナが慌てて飛んでくる。
「ダメですよクレイ様! さっきフィーナ様が仰っていたように、今この地は法術の使い過ぎによる聖霊の偏在が起きてますから、法術を使おうとしてもうまく発動しないばかりか、再び聖霊が満ちる日数を伸ばしてしまうだけです!」
「分かってるよティナ。俺にも考えがあるからちょっと見ていてくれるか? サリムはディルドレッドさんが馬車に突撃しないか見ていてくれ。ジョゼが巻き込まれたらシャレにならない」
それぞれに頷く二人にクレイは笑顔を向けると、今しがたメタトロンがふと口にした術を発動させる準備を始める。
(付喪神……物質としてこの世に形作られながらも、あまりに長く人の間に存在しすぎたために、人の影響によって神性を得てしまったモノ……か)
クレイは付喪神が神性に至るまでの因から、神性を得てしまった果に至るまでの全ての情報をアーカイブから引き出し、そして再構築させていく。
(基本的に魔術は原因から経過をへて結果を引き出す。だけどゼウスのおっちゃんの言うことを信じるなら、魔法は経過どころか原因すら必要とせずに結果のみを得られるみたいだ。じゃあ何のために俺たちは産み出されたんだ……?)
どうやらクレイが発動させようとしている術は、精霊の力のみを借りるのではなく、精霊の力を借りて具現化させた何者かの力を借りるもののようであった。
そして途中で考え事を始めたクレイは、即座にメタトロンに小言を言われる。
(術が乱れ始めているぞ少年。不要なことは考えないことだ)
(不要なことじゃなくてお前に都合が悪いことなんじゃないか?)
しかし小言を言われることも、そしてその内容をも予想していたクレイはすぐに用意していた返答をし、あらかじめクレイが準備をしていたことを察したメタトロンは即座に眉根を寄せた。
(不要な時間と言い換えよう。いま君の考えていることは、いずれ教えなければならないことだからな)
(はいはい。いずれってことはまだ俺には話せない、今は俺が話すに足る天使になったかどうかを判断してる最中なわけね。面倒な話だなぁ)
(余計な情報は余計な思考と結果を招く災いの元だからな。よって君に不要な情報は与えられない。これはすべてにおいて重要なことだ)
(分かったよ。それじゃ発動させるぞメタトロン)
「八坂の勾玉よ、虚の海に消えしモノを従えて現世へ戻ってくれ」
術の名にしてはやや冗長、だが祈願としては妥当な長さの文言がクレイの口から発せられると、先ほどの竜の卵と同じくらいの大きさをした半透明の赤い石が地面の中から浮かび上がり、そして一瞬の点滅を遂げた後に再び地の中へ沈み込む。
「ほら、治したぞフィーナ」
「あらホント。凄いじゃないクレイ」
感心した口調で体のあちこちを見回すフィーナ。
「凄いですクレイ様……ウチ法術以外にひどい怪我を治す術があるなんて知りませんでした」
そして羨望の眼差しを送ってくるティナにクレイが照れ笑いを返した途端、サリムとジョゼが慌てて彼に走り寄り、声をかける。
「ク、クレイ様!? 馬車が!」
「クレイ兄様! 馬車がいきなり直ってしまいました!」
「そっちも術の対象になるようにしただけだから大丈夫。それより馬車も元に戻ったことだし、後は誰かに任せて俺たちは早くテイレシアに戻ろう……あ」
だが二人に説明をした後でクレイは後悔する。
何故ならこの事態の収拾に最も適した人物であるクー・フーリンは自分の中におり、また次点でチェレスタの近くに神殿を持つモリガンになるからである。
と言うより、この二人以外に責任者が務まるほどの身分を持つものは……
「何でアンタまでいるのよもう! いるならちゃんとクー・フーリンの手伝いをしなさいよバカ!」
「ガッハハ! どちらかに手を貸すほどの義理も無いと思ってな……冗談だ冗談! クー・フーリンの危機と聞いてたった今駆け付けたばかりなのだ!」
(あれ? あの下品な声は?)
悩むクレイの耳に聞き覚えのある二人の声が入り、そのうちの一人である男性が発した挨拶にクレイはたちまち顔を明るくした。
「おう、久しぶりだな坊主」
「ダグザのおっさん!」
「ダグザ様だ! トゥアハ・デ・ダナーン神族を率いる偉大なこの俺様を何だと思っておる! 会うたびに毎回毎回オッサン呼ばわりしおって!」
ダグザと呼ばれた巨大なオッサンが事もなげに発した怒声が、たちまち辺りを圧する。
だが発した本人は満面の笑みといった顔でクレイに手をあげ、クレイもまた破顔してダグザへと手を振り返した。




