第79話 謎の男たち!
≪新しい世界とはどういう……まさか≫
クー・フーリンの脳裏に、チェレスタに来る途中で話したクレイとの会話の内容が雷光のように浮かび上がる。
「俺の内なる世界、曼荼羅にクー・フーリンさんを招待するよ。それなら現世じゃないから大丈夫だよね」
≪……できるのか?≫
「バロールさんは元気でやってるよ。ちょっと焦げてるけど」
クレイは笑い、照れくさそうに鼻の頭をかく。
だがクー・フーリンの洞察力は、その目が細かく揺れたのを見逃さなかった。
≪分かった、どうせ滅びゆくこの魂だ。神ならぬこの身で曼荼羅に存在し続けられるかどうかは分からんが、お前にすべて任せよう≫
「じゃあ……」
クー・フーリンの返事を聞いたクレイは笑顔となるも、すぐにその表情は陰ることとなる。
≪だがその前に一つ聞きたいことがある。メタトロンを出せ≫
「説明なら俺の口からするよ。それじゃダメかな」
≪バロールでもいいから出せ。今まではお前が嘘をついても見逃してやったが、今回ばかりはそうもいかん≫
「……分かった」
クー・フーリンの意志を感じ取ったクレイはすっと目を閉じ、そのまま数秒ほどの時が過ぎた後にクレイの気配が変わる。
「聞きたいことがあるらしいな」
≪一つだけ聞こう。俺を曼荼羅に引き入れるのに支払うクレイの代償だ≫
クー・フーリンの質問を聞いた瞬間、クレイ=メタトロンはその真紅の目を軽く見開いた。
「……ああ、すまぬ。我が宿り主に君は信用されていないのかと聞いたら、急に口うるさく文句を言いだしてな」
≪まだ子供なのだから信用を積み上げる時間も功績もまるで足りなかろう。それより先ほどの俺の質問に対する解答はどうなのだメタトロン≫
「代償はある。だがそれは君が気にする必要のないものだ」
メタトロンはそこまで言うと何かを振り払うように軽く首を振り、そして少し待ってくれと言わんばかりに手を上げたまま考え込んだ。
「……成功した場合、君は問題なく曼荼羅の住人となる。そして失敗した場合のことだが、君の魂は生生流転の輪廻の輪から弾かれ、永劫の闇をさまようこととなり、君に関する記憶、記録は最初から存在しなかったものとしてこの世からすべて抹消される」
≪この世からすべて抹消だと? そのようなことが可能なのか?≫
「内面に別世界を作り出すと言う異常さから分かるように、もとよりこの曼荼羅の術は主の奇跡の御業に準拠するものだ。現世のすべての事象に影響するのが当然と言えるだろう」
≪そうか……だがそれでは先ほどのクレイの表情の変化に説明がつかんし、俺が聞いたのはクレイが支払う代償だ。何か他にもあるのではないか?≫
「それは……ええいうるさい。うる……こ、こら止めたまえ! それはだなクレイだけは君のことを……」
途端にクレイの目は元の赤茶色へと戻り、そして勢いよくゲイボルグと化したクー・フーリンの下へ駆け寄る。
「と言うわけなんだ。だからクー・フーリンさんを俺の曼荼羅に招き入れるにはクー・フーリンさんだけじゃなくて、モリガンさんやエメルさん、リチャード陛下やルーさんたちの許可を得る必要があるんだよね」
≪なるほど≫
「うん、でもこの場にいない陛下やルーさんの返事を聞きに戻る時間は無いから、モリガンさんやエメルさんの許可だけでも貰いたいんだ」
≪そうか≫
「じゃ、じゃあ……モリガンさん……曼荼羅の許可をもらってもいい?」
素っ気ないクー・フーリンの返事を聞いたクレイは、困ったようにモリガンの顔へ視線を向ける。
「……クレイ」
「うん」
「メタトロンを押しのけてまで遮った説明の続きを言いなさい。そうでなければ私たちは、取り返しのつかない過ちをすることになるかもしれません」
静かに口を開いたモリガンの顔を、クレイは見続けることができなかった。
「……俺は大丈夫だよ。生きてればつらいことなんていくらでもあることくらい知ってるさ。そんなことよりクー・フーリンさんの記憶を失う立場のモリガンさんたちのほうが……」
「クレイ様」
「どうしたのエメルさん、そんな怖い顔して」
「では私も聞きましょう。大人が子供にそのようなつらい顔をさせて、平気でいられると思っているのですか?」
クレイは目を伏せたまま黙り込み、そしてぽつり、ぽつりと話し始めた。
「……大したことはないよ。術を使う俺と、メタトロンの中にだけはクー・フーリンさんの記憶が残るってだけさ」
クレイはそう言うと右足を勢いよく持ち上げ、地面に叩きつけ、全力で自らの顔をモリガンとエメルへと向けた。
「急ごう時間が無い。存在と言う事象を安定、定着させることにおいて比類なきこの物質界、その象徴とも言える実在の凝縮である固体。制限や制約で安定した力をもたらすゲッシュで、固体であるゲイボルグに魂を封入していたとしても、さすがに散華に対してはそう長くはもたない。増してやそのゲッシュの効果が失われつつある今では」
「馬鹿を言いなさい! 私たち全員が記憶を失うということは、貴方一人だけがクー・フーリンが消える原因になったと自分を責め続けるということでは無いですか! 誰かに悩みを打ち明けることもできず! 永久に!」
「時間が無いんだ! 成功したら問題は無い! 失敗しても誰かに責任を押し付けるなんてことはしないしできない! それで何がいけないんだよ!」
クレイは子供のようにモリガンへ言い返す。
「クレイ……貴方……」
「どっちみち、誰かが傷つく結果になるんだ……曼荼羅の術を使わないままクー・フーリンさんを黙って見送ったとしても、俺は絶対に後悔する……じゃあやるしかないじゃないか……」
それを見たモリガンは、いやその場にいる全員が思い出していた。
彼がまだ成人していない、成熟していない子供だと言うことを。
≪よせクレイ。モリガン、エメル、クレイが曼荼羅の術を使うことを許可しろ≫
そこに一つの意思が響き渡り、様々な絵の具が入り乱れたような皆の心を綺麗に切り分けていく。
「……いいのですか? 貴方がコンラのことで自分を責め続けたように、その重荷を今度はクレイに背負わせることになるのですよ?」
≪仕方あるまい。年少者に現実の厳しさを教えるのも年長者の務めだ≫
あまりにも速やかに返ってきたクー・フーリンの意志に、モリガンは反論せずにはいられなかった。
「貴方がこの世に残していった成果、貴方が私たちに与えてくれた思いすら消えるのですよ? 貴方がこの世に生まれたことすべてが水泡に、無駄なことだったとなってしまうかも知れないのに」
≪無駄ではない。俺が生きてきた証が消えても、俺の戦った証、戦果まで消えるわけでは無く、他の誰かに受け継いでもらえるのだろう? クレイに覚えてもらえるのならばそれでいい≫
モリガンはそれを聞いて黙り込み、代わってエメルがクー・フーリンにその意志を問う。
「英雄や勇者の記憶や記録は、後世に生きる者にとって大いなる指針となりえます。もしも曼荼羅の術をクレイ様が失敗してしまわれた時、あなたはそれらの働きまで放棄してしまわれるおつもりですか?」
≪その時はクレイが居る。俺の記憶を残すクレイが居る。それに今クレイが俺に曼荼羅の術を使うということは、成功するにせよ失敗するにせよ、おそらく一生の糧に成り得るものをクレイに残すことに繋がるのだ。お前たちに枷となる思いを残すより、よほど有意義というものだろう≫
「分かりました。私はあなたの意思を尊重し、クレイ様が曼荼羅の術を使うことを支持するとここに誓います」
エメルは頷き、そしてモリガンは黙ったままクレイの顔を見つめ、笑った。
「……私も支持します。クー・フーリンの力と、この物質界の申し子とも言える名前を持つ天使、大いなる土の巨人。クレイ=トール=フォルセールの力を信じて」
クレイは下に外した目線を上げ、はにかみ、そして力強く頷くと地面にあぐらをかいて目を静かに閉じ、自分の深層意識へと降りていったのだった。
(話はまとまった。頼んだぞメタトロン)
(まったく君と言う奴は……これが主が定めたもうた運命であっても逆らうつもりなのか?)
(主はそんな残酷な運命はお求めにならない)
はっきりと言い切るクレイの意志を受け取ったメタトロンは、彼にしては珍しく戸惑ったように生返事を返してしまう。
(そ、そうかね)
(もしも主がそんな運命を見守るだけしかできないのなら、俺が運命を変える力をこの手につかみ取るだけだ)
(……口を慎みたまえ。事と次第によっては君を異端者として処断せねばならん)
(え? だって俺は主を助けるために神になるんじゃないのか?)
(む? あ、ああ、そうだったな。この我としたことが)
(しっかりしてくれよ、俺たちクー・フーリンさんの命を預けてもらったんだぞ)
(すまない)
曼荼羅の一部分、寝所と呼んでいるところまで降りて行ったクレイはそこで休んでいたメタトロンを起こし、何やらうなされているバロールにそっと手を振って表層意識へと昇って行った。
(……お前バロールさんに何したんだよ)
(我に黙ってダークマターの結晶たる魔眼を君に使わせた奴が悪い)
(俺が使わせろって頼んだんだけど……というか魔眼ってダークマターなのか?)
(結晶化によって純粋な力の素体と化している例外だがな。そんなことよりテイレシアに戻ったら覚悟しておくことだ。いや、その前に君の体に影響が出ていないか、ディアン=ケヒトに診察してもらうことが先か)
(全力で拒否するからな!)
クレイは絶叫すると、彼の足元から響いてきたバロールの悲鳴から逃げるように意識の表層へと急いだのだった。
「モリガンさん、ゲイボルグを」
現実世界に一瞬で戻ったクレイはモリガンの手からゲイボルグを受け取り、無数の目に見える孔雀のような羽根を何十本もその背に浮かばせる。
「曼荼羅」
その呟きとともに羽根が優しくゲイボルグを包み、曼荼羅の術は始まった。
(では頼んだぞクレイ)
(頑張るよ。主にメタトロンが)
クレイの精神世界に移送されたことにより、ゲイボルグではなく元の人型に戻ったクー・フーリンは苦笑しつつその身を光の粒子――精神体――へと変える。
ただちにメタトロンがその中心にある一際大きな光へと手のひらを差し伸べるが、その表情はやや歪んでいた。
(……やはり難しいな。前に君にも言った通り、曼荼羅の術を使うには対象者の想いの核が必要となるのだが、ゲッシュで無理やりゲイボルグに魂を定着させていたことが災いしてか、反動でかなり核が薄れてしまっている)
(不安になるようなこと言うなよ……おっと、クー・フーリンさんの因子が飛んでいかないようにしないと)
クレイは背中に生えた孔雀のような羽根を巧みに動かし、光の粒子と化したクー・フーリンの精神体を優しく自分の近くに寄せていく。
クレイと一体化したメタトロンは目を細めつつそのクレイの姿を見守り、ひとつ残らず集めたのを見て思わず唸り声をあげた。
(術を覚えるのは苦手なくせに、一度コツをつかむと異常に飲み込みが早いな君は。実に変わっている)
(俺よりクー・フーリンさんの方を見てくれよ……)
クレイが疲れた声でそう頼むと、メタトロンは少しの感情も籠めずに一つの結果を申し渡した。
(残念だが手遅れだ。彼の魂は酷使され過ぎた)
(何とかしろ)
(何とかしろと言われて何とか出来るものなら既にやっている。我とてかの英雄をむざむざ見殺しにするような真似はしたくない。だが彼の魂は、既に手の施しようがないほどに散華していたのだ)
(天使の王様なんだろ!? 何とかしてくれよメタトロン!)
(……諦めたまえ。絶望に足を踏み入れるには、君はまだ若すぎる)
必死に頼み込んでくるクレイを、メタトロンは冷たく突き放す。
(絶望って何だ)
(己を包む闇。自分の置かれた環境に希望の光を見いだせなくなり、生きていく目的、生の道を見失うことだ)
だがクレイは納得しない。
(やれることがあるのにやらない、やろうとしない。それは逃げじゃないのか?)
(無駄なあがき、徒労は貴重な時間を浪費するだけだ)
(……難しい言葉はよくわかんないけどさ、要は途中で諦めたから失敗のまま終わったってことだろ)
クレイはそう言うと両手を握りしめ、全身に力を籠める。
(俺は義母上と約束した。今は元に戻る方法がなくても、世界のどこかにはあるかもしれない。だからそれまで待っててくれってな)
(……義母上?)
いぶかしげに問うメタトロンにクレイは答えず、その代わりに彼は一つの頼みごとをする。
(散華を教えてくれメタトロン。散華で散った魂なら同じ散華で呼び戻せるんじゃないか?)
そしてメタトロンは、クレイのその提案に当然のように激怒した。
(馬鹿なことを言うな! 確かにその可能性はあるが、元より散華の奇跡は得られる結果だけではない! 成就する確率の方こそ奇跡に近いのだ! 君は散華をあまりにも軽々しく考えすぎているのではないか!?)
(じゃあどうしろって……ん?)
(どうしたクレイ……なんだあの二人組の男は。どうして君の内面世界にいる)
あり得ないことが目の前で起こっている。
その不思議な光景にクレイとメタトロンが心を奪われた瞬間、それぞれブラウンとダークの髪を持った男たちは自己紹介を始めた。
(僕の名前はコンラ!)
(私の名前はコンラッド!)
((二人そろってコンラーズでーす!))
(……)
その自己紹介を聞いたクレイとメタトロンは仲違いを即座に止め、クー・フーリンを助ける方法について密談を始めたのだった。




