第78話 術にして術にあらず!
「クレイ兄様!」
「ジョゼ!」
ギュイベルが倒されたのを見たジョゼは、走ってクレイへ近づいていく。
兄と呼ぶ幼馴染と離れていた時間だけを見れば、ひと月にも満たない期間。
だがジョゼにとってそのひと月は、物心ついた時から一緒にいたクレイと離れていたそのひと月は、半年以上のものに感じられた。
泣きながら飛び込んだジョゼをクレイはしっかりと受け止め、何回か頭を撫でた後に軽く抱きしめると、ジョゼの肩を握って少しだけ後ろに下がった。
「クー・フーリンさんが苦戦してるらしい。悪いけど……」
「助けに行かれるのですね」
「ああ、急いで外に行こう」
気付いた時、二人は再び宮殿の中にいた。
そして天井には大穴が開いており、そのために広間の中は二人を祝福するようにまばゆいばかりの陽の光で満たされている。
「……ガビーに後で直してもらえばいいよね」
「そうですね」
つまり天井を壊した犯人であるクレイは身を隠すことも出来ず、広間の出入口から逃げるようにこそこそと出ていったのであった。
頭の中のイメージでいつの間にかボロボロの姿になったバロールが、しきりに首を捻っている姿を不思議に思いつつも。
そしてチェレスタの外では、未だ一つの戦いが終わりを告げず続いていた。
「クー……フー……リィィィィィイイインンンンンンンン……」
≪まだ生きていたかドライグ≫
「貴様が……神の血を引く大英雄とは言え……誇り高き……ドラゴンが……人間ごときに滅されるとでも思ったか!」
≪バカな! いかなドラゴンとは言え、波動槍ゲイボルグで負った傷、しかも完全に欠損した部位を元に戻すだと!?≫
波動槍ゲイボルグに滅されたかに見えたドライグが水煙の向こうより姿を現し、そして体の欠けた部分を見る見るうちに復元していく。
「呪槍ゲイボルグの由来を知らぬか。半神とは言え所詮は人の子の内に収まるか」
≪知っているに決まっている。海獣クリードの骨を用いて作られし槍ゲイボルグ、加工せし者は名高き戦士にして骨細工士だったボルグ・マックベイン……≫
「だがその海獣の由来までは知らぬようだな。クリードは元々ティアマト神より剥がれ落ちた一枚の鱗だ」
≪……まさか≫
「そう、龍神ティアマト。身内で相争うことを悲しんだかの慈悲深き龍神は、倒されたと見せかけて自ら姿を消すことを選んだ。つまり我ら同族であるドラゴンをゲイボルグで傷つけることはできても、傷の復元まで妨げることはできぬ」
クー・フーリン最大にして最強の術、波動槍ゲイボルグすら通用しない恐るべき敵ドラゴン。
いや、ゲイボルグそのものの力が通用しないと言うことは、今のクー・フーリンからドライグに対抗する力は失われたと言っても過言では無かった。
「ゲイボルグを無効化するメイヴ様を、得体のしれぬあの大男が連れて行ってくれたのもぬか喜びだったな」
全身に負った傷が癒える時間も惜しいと言わんばかりに、ドライグはただちに息を吸い込み始める。
「苦しむことは無い。我がドラゴンブレスは塵すら残さずお前を蒸発させよう」
しかしゲイボルグの現在の所持者が、それを黙って見ているはずが無かった。
「そうはいきませんよドライグ」
「この戦いに戦女神どのの入る余地はない。力を失って転生の憂き目に遭いたくなくばおとなしく引っ込んでいることだモリガン」
言い放つドライグに、モリガンはゲイボルグを握りしめる右手を後ろに回し、背後をかばうように左の手のひらをドライグに向けた。
「戦女神をあなどった不幸、その身で思い知りなさい! ブラッディ・ランサー!」
「ファイア・メイン」
しかし再び赤い槍はドライグのたてがみに打ち砕かれ、モリガンはその美しい顔を絶望で満たした。
「血塗られた槍の一本一本は鋭くとも脆弱。我がたてがみにかなうはずも無し」
「くっ……」
「戦女神であろうと女は女、手にかけたくはない。再び警告しよう、痛い目に遭いたくなければ引っ込んでいることだ」
ドライグは口から白い煙を出しながらゆっくりとモリガンへ進む。
しかしモリガンは唇を噛みしめ、その重圧に必死に耐えていた。
≪もういいモリガン! 俺を置いて退くのだ!≫
≪いやです!≫
クー・フーリンの声にも従わず、蒼白な顔で返答するモリガンを感じ取ったクー・フーリンは、思わず怒りの思念を返してしまう。
≪この大馬鹿者! 女に守られるだけでも苦痛だと言うに、この俺がその犠牲をもって多少生きながらえることを喜ぶと思うか!≫
≪いやです! 私はもうあの時のように、貴方の亡骸にすがって泣きたくはありません!≫
≪お前……!≫
途端にクー・フーリンの意志に、あの時の記憶が蘇る。
孤立無援で戦い抜き、だが力及ばず敵に奪われた自らのゲイボルグで貫かれ絶命したあの日の記憶が。
勇気を振り絞って戦場に駆け付け、しかし自分の死に際に間に合わず、そのことを悔やんで既に息絶えた自分の肩で鳴くカラスの悲し気な声が。
≪決断の時か≫
≪クー・フーリン?≫
≪試してみたいことがある。少しだけ持ちこたえろモリガン≫
≪は、はい!≫
クー・フーリンに何か考えがあるのだと思ったモリガンは、牽制のブラッディ・ランサーをドライグに撃ち込みながら距離を取る。
その姿を記憶に焼き付けたクー・フーリンは、昔ガビーに聞いたある一つの魔術を実行しようとしていた。
(天主に至る禁忌、代償に得られる力。我が願うは一つの門の生成)
精霊界と物質界との間に作られた門の向こうで、クー・フーリンのやろうとしていることを理解した精霊たちがざわつき始める。
精霊魔術を実行する際に必要な最後の手順、土の精霊力による安定化。
それを完全に省く、つまり火風水の三種の精霊すべてを膨大な数で召喚して得られるのは召喚された精霊の消滅、そしてそれに伴う精霊力の暴走による魔法の混乱である。
つまり世界のごく一部だけとは言え、主が定めた法則とは別の新たな法則を誕生させてしまうのだ。
クー・フーリンが実行しようとしている術、いや術にして術にあらざるこの奇跡は、それによって遥か昔に消滅してしまった魂すら含めた完全なる復活、あるいは構築させることを可能としていた。
(でも絶対に使っちゃダメよ。あのエルザ様ですら耐えられなかったんだから)
無より有を、しかも永続に生じさせうるこの魔術につけられた呼称は散華。
だがその名前は言霊によって精霊を物質界に安定、定着させるものではなく、術を発動させた術者の身に訪れる運命の呼び名であった。
≪アスィヴァル≫
眼前に差し迫った脅威、ドライグへの対処法を考える時間が殆ど与えられなかったクー・フーリンの脳裏に浮かんだのは、ごく身近な一人の旧神の術。
モリガン、いやクー・フーリンの魂を宿すゲイボルグの上に、ドライグの巨体に比する巨大な一つの石門が、世を震わせる重低音とともに虚空より浮かび上がる。
その中に満ちる無色の、だがひとたび門から放たれれば万色に変化するであろう眩き光。
「まさか……この門は……」
「ストーンヘンジだと!? 太陽神ルーのみ使えるあの術に必要な門を、なぜ貴様が呼び寄せることができたクー・フーリン!」
≪イヴァル≫
ドライグの問いに光が応える。
「神に……通ずるか大英雄! カプスゥール・ウィング!」
それを見たドライグは背中に生えた翼を前に回し、竜語魔術によって分厚く強化する。
「ぬ……お……ぬおおおおおおおお!?」
だがストーンヘンジから放たれた光はあっさりとそれを消滅させ、ドライグの巨体すら光に照らされた影のごとく消し去って行く。
(クレイのことは頼んだぞモリガン……コンラ……俺も今から……すまんエメル……また……先に……)
薄れる意識の中で、彼は愛おしんだ人たちの名を呼ぶ。
神ならぬ身でありながら神の力を行使したクー・フーリンは、呼び出した精霊たちの消滅に引きずられるように、その魂を細分化させて昇らせていく。
だがそこに響き渡った一つの絶叫が死神の手を断ち切り、クー・フーリンの魂を引き留めこの世に引き戻していた。
「それが大英雄の死にざまですか! また戦女神さまを泣かせるくらいなら、今からその腹を自ら掻っ捌いて死になさい!」
≪エメル……か?≫
クー・フーリンの魂を再び現世へ手繰り寄せたのは、吸血鬼と化した一人の女性の叫びだった。
「新妻を放って戦場に行くわ他の女性と浮名を流すわ、それでも貴方を信じて待っていれば、とうとう人間だけでは飽き足らず妖精にまで手を出す始末! さすがに呆れましたが、自分が我慢すれば納まる話と思っていれば、また勝手に一人で死のうとして戦女神さまを泣かせて! 今度と言う今度は許しませんよあなた!」
久しぶりに聞いたエメルの小言に、ゲイボルグに魂を定着させていたクー・フーリンは苦笑する。
≪すまんなエメル≫
「口だけの謝罪は聞き飽きました。それでもなお謝りたいと言うのなら、その体で示してください」
≪俺にもう体は無いのだが≫
「あなたはそれでも大英雄ですか? 再び肉体を得て復活するくらいのことはしてください」
頬を膨らませ、プイっと顔を背けるエメルの気配に再びクー・フーリンは満足し、だがその安堵感によって再び意識が薄れていく。
「また誤魔化すおつもりですね」
≪そんなつもりはない……いや、誤魔化すのももはや限界なのだエメル≫
一瞬で眉を尖らせたエメルの横で、泣いていたモリガンが鼻をすする。
「あの時のゲッシュ……ですね」
≪決して現世で結ばれることは能わず……槍に身をやつしたとは言え、やはり誤魔化しきれなかったようだ。もはや俺には存在を保つ力は残っていない≫
寂し気に、だがゲッシュの内容すべては説明せずにクー・フーリンは呟く。
だがそのクー・フーリンに、一つの硬い意志を秘めた言葉がかけられた。
「つまり現世で結ばれないなら、新しい世界に生まれ変わればいいんだよね」
それはギュイベルを倒した後、急ぎ駆け付けたクレイの声だった。




