第73話 ドラゴンの息吹!
「しっかりエメルさん!」
クレイは倒れているエメルに駆け寄り、突き刺さっている牙を抜こうとする。
しかしクレイが牙に触ろうとした直前、その動きは背後のギュイベルから放たれた警告によって止められた。
「抜いても良いが、その後はどうするつもりだ?」
「どういうことだ!」
「その牙には俺の魔力を注いである。抜けばその女の全身に激痛が走り、また法術で治癒をしようにも傷が塞がらぬようにな」
「……まさか」
ギュイベルが口にした説明を聞いたクレイの脳裏に、一本の槍の名前が走る。
「その昔、龍神から剥がれた一枚の鱗より産まれし一匹の海獣。その骨より産み出された一本の呪槍……確かゲイボルグと言ったか。そう呼ばれるものと同じ呪いがそれには籠められているのだ。理解したか小僧」
クレイはエメルの体に刺さっている牙に手を伸ばした姿で固まり、かけられた術の解析を行った後に下を向いた。
「どうしてここに……って、聞くまでもないよね」
クレイはエメルが残した遺書の中に、かつてクー・フーリンと過ごしたチェレスタで死にたいと書かれていたことを思い出して肩を落とす。
「さて、クレイと言うことは……そこの男がこたびの天魔大戦で選ばれた新しい天使か。バロールの身内に聞いた情報より随分と背丈があるようだが」
ギュイベルは興味深げにつぶやくと、虫の息であるエメルを鼻で笑った。
「我々を裏切ろうとは愚かな女よ。俺が決めた卑しい吸血鬼に相応しい死に方を受け入れ、そこでゆっくりと腐っていくがいい」
「私の……役目……は……元からクー・フーリンがここに来るまで……のはず……」
「その役目を放棄し、死のうとしたのは裏切では無いとでも言うのか? 浅はかな吸血鬼め。俺があらかじめ術をかけてお前をチェレスタへ誘導しなければ、メイヴがまたヒステリーを起こすところだったぞ」
面倒そうな口調で話すギュイベル。
「へぇ、女王メイヴを呼び捨てにしていいのかい?」
そのギュイベルの説明より受けたわずかな違和感、わずかな亀裂にクレイはクサビをあてがった。
「ドライグの方はどうだか分らぬが、俺は本心からあの女に従っているのではない。単に面白そうなことを頼まれたから魅了された振りをしているだけよ。偉大なるドラゴンの頭の一つ、このギュイベルがただの人間に従うと思ったか」
「なるほどね」
そしてクレイは打ち込んだ。
「だけど偉大なるドラゴンと言う割にはみみっちいよね。レクサールに飛んで来る時も、そして今エメルさんにかけている術も。自分の力を消費するのが怖いのかい? それとも俺と戦うために力を温存したいのかな?」
ギュイベルの本心を隠している壁、虚栄心を打ち砕くクサビを。
「この状況において挑発とは、人から天使になったばかりの青二才にしては見所があるようだ。そこまでしてそのエメルとやらを助け出すための時間稼ぎがしたいか」
「時間は貴重だからね。何をするにも時間は必要で、限りある時間を活用した先には無限大の可能性が待っている」
だがギュイベルは冷静なままに答え、クレイの思惑はあっさりと砕かれる。
強者の余裕、持てる者の寛容。
ギュイベルの動揺を誘うためのクレイの挑発は、相手が一枚も二枚も上であるという証明にしかならなかった。
「定命の脆さを感じさせるなかなかにいい答えだ。その女を外へ持って行くことを許してやるぞ。ついでに後ろにいる人間と翅妖精もな」
「それはどうも。サリム、ティナとエメルさんを安全な所へ連れていってくれ」
「でも……」
「残念だけど、この場における決定権はギュイベルにあるみたいだ。二人のエスコートを頼んだよ親友」
「……分かりました」
静かなれど、反論を許さぬクレイの指示。
それを聞いたサリムは、自分の無力さに硬く歯を食いしばりつつもエメルをゆっくりと抱き上げ、ティナと共に大広間の外へ出ていった。
「それにしても不思議だね」
「世の中にはこのギュイベルですら知らぬことで溢れている。増してやお前のような青二才では、この世はお前が知らぬ不思議なことのみでできあがっているだろうに」
「じゃあちょっと教えてくれる? お前は本当にギュイベルなのか?」
「無論だ」
ギュイベルはほんの少しだけ考え、そして答える。
その間にクレイは腰に下げたミスリル剣の柄を左手で軽く叩き、そしてゆっくりと抜き始めていた。
「確かにこの大広間はかなりの広さがあるけど、レクサールで見たお前は家を数軒ほど合わせてもなお余るほどの巨体だった。それがこの大広間に入りきれるわけが無い。答えろ、お前は何者だ」
クレイはミスリル剣の先端を暗闇に包まれたままの大広間の奥に向け、見えぬままの相手をけん制する。
だがクレイがギュイベルと呼んだ相手は、その圧力を歯牙にもかけない様子で平然と答えを述べた。
「先ほども述べた通り本物の俺、白龍ギュイベルだ。しかしなるほど、そんなつまらぬことを聞くと言うことは、お前は本当に何も知らないらしい」
「つまらない?」
ギュイベルの言っていることが理解できない様子のクレイを見て、ギュイベルはやや機嫌が良くなったかのように饒舌となる。
「我らドラゴンは持てる魔術ですべてを作り出す。腹を満たす食物を作り、休むための安寧を作り出すなどの生きるに必要な措置もその一つ。そして……」
「な、なんだ……?」
壁が、床が、そして天井が揺れ、きしみ音をあげる。
そしてクレイは次に訪れた、視界を塗りつぶすほどの光に思わず目を閉じた。
「自らに都合のいい世界をも作り出す。それがかつてこの世界を支配していた俺たちドラゴンだ」
体を撫でるそよ風、身体に感じる陽光の柔らかな温かさ。
先ほどまで宮殿の中にいたはずのクレイは、いつの間にか広い草原の真ん中に移動していた。
「先ほどまで俺たちが居た部屋の組成を作り替えた。俺たちが今いるここは建物の中であり、そして俺が作り出した世界の一部でもある」
「……驚いたな」
光在る場所へ移動したことにより、とうとうその巨大な姿を現したギュイベルの言葉にクレイは辺りを見回し、足元に転がっていた小石を拾い上げると遠くへ投げる。
だが小石は広間の壁に当たって落ちることなくどこまでも飛んでいき、やがて地面に不時着をする。
そこからも慣性の法則による惰性の動きは止まらず、小石は数回ほど地面で跳ねてからようやく動きを止めた。
「理解したか? だがこんなものは俺たちにとって日常。お前たちが出かける際に、玄関のドアを開ける程度の作業でしかない」
「いや、俺が驚いたのは……ええと……ドアを開ける程度?」
力を無駄遣いしていいのか。
そう問いかけようとしたクレイは、ギュイベルの説明をそのまま繰り返し、彼の思考と同じように目のまばたきを止めた。
「弱者に施す慈悲の時間は過ぎた。無力にして無知なるものよ、俺に実力を示せ」
「……そうだな、ちょうど俺もそう思ってたところだ」
クレイは抜いたままのミスリル剣を構え、アイギスの術を発動させる。
「ほう、見覚えがあるぞその術。確かアイギスとか言ったか」
「知ってるのかい?」
「知っている、と言いたいが、どうやらかつて俺が見たものとは違うようだ」
ギュイベルは失望したように首を振ると、鱗と鱗の隙間から生えている白い体毛を逆立たせた。
「ヘッジホッグ・ニードル」
「頼んだぞアイギス!」
無数の針がクレイを襲い、そのすべてがアイギスに吸い込まれて行く。
だが。
「ほころびたな」
「な、なんだ? 精霊たちが急に……うわあッ!?」
ギュイベルが呟くと同時にクレイを守っていたアイギスの光が歪み、隙間を生じさせ、そして霧散する。
「稚拙と称することすらできぬ程度のアイギスで、この俺の攻撃を防げるはずがなかろう。もっと真面目にやるがいい青二才の天使よ」
本気を出していなかったとはいえ、旧神バアル=ゼブルの攻撃すら凌いだクレイのアイギスは、ギュイベルが戯れに発動させた術によってあっさりと消し飛ばされてしまっていた。
「俺と戦おうと言うものが、まさかこの程度の術者だとは侮辱されたにも等しい、と言ってやりたい所だが……これでは怒りを通り越して失望するしかない。お前は何をしにここまで来たのだ」
「……失望するだけの関心は残してくれるんだね」
「使い物にならぬ弱者に対してさえ一片の慈悲を残す。それが偉大なる種族ドラゴンとしての誇りと言うものだ」
強者としての矜持、持っている実力に裏打ちされた余裕。
白龍ギュイベルが発した言葉を聞いたクレイは悔しそうに顔を歪める。
空間を思うがままに変化させるほどの魔術の使い手、かつてこの世界を文字通り掌握していた種族ドラゴン。
その説明をあらかじめ聞いていたクレイでさえ、今のギュイベルの実力は誇張などではない、むしろ過少とも言えるものに見えた。
(だけど……付け入る隙はある! ローレ・ライで戦ったバアル=ゼブルとこいつとは違う! こいつの強さは自らの内より出でるものじゃなくて、外から貼り付けたような違和感しかない!)
クレイは腰を落とすと力を溜め、そして吐き出す。
「じゃあ見せてやるよ、お前が弱者と断じた者の実力をね!」
言うが早いか、クレイは常人であれば目にも止まらぬほどの速さでギュイベルの死角へと移動する。
「遅いな! 図体がでかいだけなら置物にでもなってろ!」
(首の中央に位置する、何かを守るような鱗の盛り上がり。もしかして弱点か!?)
そしてミスリル剣がギュイベルの首筋に走り、白銀に輝く剣身が白い鱗へと吸い込まれていき。
「剣が泣いているぞ青二才」
「いって……ぐあッ!?」
だがミスリル剣はギュイベルの鱗にあえなく弾き返され、その反動で手首を捻ったクレイは続いて彼を襲ったギュイベルの体毛に左手を撃ち抜かれてしまっていた。
「度しがたい。魔術どころか体術すら見どころが無いとは」
「そりゃすまないね。でもそっちもなかなか俺を倒せないんだしおあいこって奴じゃないかな」
「今はお前の自己治癒能力を探らせてもらっている。なぜなら天使は法術の元である聖霊と常時接続しているがゆえに、信じられないほどの自己治癒能力を持っているからな。普通であれば致命傷となるほどの負傷でさえ治ってしまうほどに」
「用心深いんだね」
「詰めを甘くしたゆえにバロールの時は後れを取った。同じ失敗は二度繰り返さぬ」
ギュイベルはそこで大きく息を吸い込み始める。
(これは……ドラゴンブレスの前兆!?)
その姿を見たクレイは咄嗟に剣を構え、ギュイベルへと走り始めていた。
世界を構成する四大精霊の力を、ほぼ十割とも言える純粋な水準で撃ちだすドラゴンの息吹は世界のことわりを塗り替え、生ある存在を消滅という死で塗りつぶす。
数あるドラゴンの攻撃の中でもひときわ抜けた威力を持つブレスを浴びることは、人と言うくびきを脱して天使になったクレイにとってもただでは済まない可能性があった。
(間に……合え……うおおおおおッ!)
気ままに宙を舞い踊っていた大気がクレイの圧に耐えきれず弾け飛び、風乙女が絶叫とともに怒りの衝撃波を周囲に撒き散らす。
だが。
「遅い」
「くっ!?」
クレイの攻撃は間に合わなかった。
ゆっくりとギュイベルの口が開放され、そこに滞っていた冷気が解放される。
白い輝きがクレイの視界を塞ぎ、そして程なく晴れ渡った。
「なんだこれ……?」
「痛みは無かろう。俺のブレスはすべてを凍てつかせる。痛みも、意志も、そして魂すらもな」
クレイの右腕は、うっすらと張り付いた霜の下で完全に凍り付いていた。




