第71話 波動槍ゲイボルグ!
≪大丈夫ですかクー・フーリン!≫
土煙が去った後、倒れていた四人のうちの一人が立ち上がり、握っている槍に向かって不可解な一言を放つ。
≪それを言うのは……俺の役目だと思っていたがな……≫
すると単なる槍に見えたものが法術による念話を発し、立ち上がった戦女神モリガンはそれを聞いて安堵の表情を浮かべる。
その時、先ほどドライグが放った攻撃とは別の方角から轟音と土煙が上がった。
「ほう、別動隊がギュイベルに向かったか。あやつはこのドライグと違って勝つためには手段を選ばぬ。バロールの身内を人質にとって脅迫することもしかねんな。誰かは知らぬが哀れなことよ」
ドライグがぎょろりと目を動かし、今も煙があがっているチェレスタの宮殿を見てそう呟くと、モリガンの表情はたちまちにして凍り付く。
しかしそれは人質であるジョゼの身を案じるものではなく、クー・フーリンの発した断固たる決意に基づくものだった。
≪ドライグを滅する。例えここで今の俺が持つすべての力を使い果たそうともな≫
力を使い果たす。
それはゲイボルグに仮初めの命を宿しているクー・フーリンにとって、この世からの消滅を意味していた。
≪どうしてもドライグを滅さなければならないのですか? クー・フーリン≫
≪どうしてもだ≫
≪この場から逃げ出すと言う選択もあるのですよ≫
≪逃げても奴は追ってくるだろう。ヴァハであればともかく、お前にドラゴンから逃げ切れるだけの速さを求めるのは少々酷だ。それに奴が俺たちを追ってくるならまだいい。だが……≫
クー・フーリンは、そこでどこか遠い場所へ想いを馳せるように意思を区切る。
しかしモリガンは知っていた。
彼がこのようになった時、考えていることはある二人の天使についてのみなのだ。
≪クレイ、ですか≫
≪……そうだ。ジョゼが生まれた時、その祝いで我らがテイレシアに招かれた時のことを覚えているかモリガン≫
≪とてもよく≫
あの日はテイレシア中が沸いていた。
跡継ぎにするには条件が厳しい女ではあったものの、国王夫妻に初の子供が産まれたのだから。
天魔大戦が起きてから暗い知らせばかりが国を往来していた国民たちにとって、そのニュースは暗雲の隙間から降り注いだ一筋の陽光にも感じられた。
≪あの日の夜、俺はアルバトールからクレイのことを託された≫
≪覚えています。しかしアルバトールはなぜ他国のあなたに頼んだのでしょう≫
≪アデライードをルーに託した、テオドールの前例にならったのかも知れん。お前も知っての通り、クレイの出自はこの上なく怪しい。魔物から生まれた赤ん坊など聞いたことがないからな≫
モリガンは悲しそうに目を伏せる。
その時、彼女たちの遥か頭上から全身を震わせる重低音の振動が発せられた。
「かかってこぬのか? まさかヘプルクロシアが誇る大英雄クー・フーリンと、戦場を自在に駆け回る戦女神モリガンが怖気づいた訳でもあるまい」
「より完璧な勝利をこの手に。単なる勝利であればともかく、先ほどの失態が挽回できるほどの勝ち方となるとそれほど簡単には思いつきませんからね」
「それは楽しみだ。悠久の時を生きる我々にとって、生き死にを賭けた刺激こそが何よりも必要な日々の糧であるからな」
モリガンがドライグへ不敵な笑みを浮かべた後、クー・フーリンは決意を固める。
弱り、消えゆく自らの力を奮い立たせるために。
≪ゆくぞモリガン。アルバトールの心が現世に留まっているうちに、何とかしてクレイを一人立ちさせるのが今の我々にできる最大の恩返しだ≫
≪分かりました≫
力強く断言するクー・フーリンの意志を受け取ったモリガンは、いつも朗らかに笑っている天真爛漫なクレイの笑顔を思い浮かべる。
そして心の奥底にたゆたう、アルバトールに関する深い悲しみ、自らの生まれに起因する計り知れない苦悩をも。
まるで長年を苦しみ抜いた老人のような、疲弊した精神をクレイは持っていた。
≪クレイのためでは仕方がありませんね。あの子の本当の笑顔を、私も見てみたいですから≫
モリガンはそう言うとゲイボルグを構え、美しい顔をあげてつまらなさそうに自分を見下ろしているドライグを睨み付ける。
≪どんな人生を送ったら、あのように複雑な感情を隠した顔になるのやら≫
≪相談したければ自分から口にするだろう……いや、こちらから聞いてやるべきだったか。これではまたガビーに叱られてしまうな≫
苦笑するクー・フーリン。
それを怯えととったか、ドライグは足を持ち上げてゆっくりと前進を始めた。
「来ぬのか? ならばこちらから行かせてもらおう」
白龍ギュイベルを超える巨体、紅龍ドライグ。
踏み出すだけで大地が大きく揺れるも、すぐにその振動は収まっていた。
「ククク、どうやらこちらも気持ちが昂っているようだ。下等な生物よろしく大地に足を着けたまま移動してしまうとは」
ドライグは低い含み笑いの後にそう言うと、短く金切り声をあげた。
「さて、始めるか」
何が変わったと言うわけではない。
だが不思議なことに先ほどまでと違い、ドライグが歩いても大地は悲鳴を上げず、震えることも無くなっていた。
ドラゴンは大空の覇者であり、巨体にもかかわらず空中を軽やかに飛び回るが、地上にあってはその体重が枷となって鈍重な動きしかできないように見える。
≪なんだと!?≫
だが大地に降り立っているはずのその巨体が、まるで空中に居るかのように軽やかに動き回る姿を見て、クー・フーリンは驚きの意志を発した。
「くっ、何という速さですか! 狙いが定まらない!」
「なんと嘆かわしいことよ。旧き神モリガンよ、信仰を失いつつある御身の体はもはや骨董品どころか、無価値のガラクタに成り下がってしまったようだな」
モリガンの周囲を疾風の如く動き回っていたドライグが嘲りの声を発する。
「長い年月をメタトロンに封じられていた貴方が言う言葉ではありませんね! ブラッディ・ランサー!」
その嘲りに呼応したかのように、モリガンが気合の声と共に赤い槍を放つ。
「ファイア・メイン」
だがドライグのたてがみが変化した巨大な針がそのことごとくを迎撃し、ブラッディ・ランサーは光の粒子となって宙に霧散した。
≪いいぞモリガン! お前の術で発動に必要な精霊は集まりきった!≫
しかし本命は次。
≪息絶えよドライグ! 我が秘奥の技によって!≫
呪槍ゲイボルグ。
宙に放たれる無数の呪術を囮にし、本命の呪殺を自らの足元から放って大地を伝わらせ、見えぬ一撃を相手の内臓目がけて放つ術。
「ふむ、我が封じられている間に受け継ぐものが現れていたか」
≪何だと!?≫
だがドライグの足元にその効果が届いた途端、ゲイボルグの呪いは軽い音と共に砕かれてしまう。
「我らドラゴンが地上を移動する時は、風の精霊を行使して少し浮いた状態となる。つまりお前の術は、我らドラゴンが移動に使う程度の術すら上回れぬ程度のものと言うことだ」
クー・フーリンは心の奥底で歯噛みをし、無力な身と成り果てた己が境地を呪う。
「そろそろメイヴ様も満足された頃合いであろう、終わりとするぞ」
その直後にドライグが雄叫びをあげ、その全身に再び無数の炎が走った。
「レッド・ブレイジング」
ドライグの巨大な口から炎のブレスが、そしてその背に生えた巨大な翼からも無数の火球が形をとってモリガンに襲い掛かる。
≪モリ……ガン……!≫
クー・フーリンが張った障壁を、ドライグの放ったブレスが易々と貫く。
それをまともに喰らったモリガンは、声を発することもなく吹き飛ばされ、全身を焼かれた姿で地面に叩きつけられていた。
「慈悲は与えん。お前にはこのままゆっくりと朽ちてもらおう。このドライグの恐怖がヘプルクロシアに再臨したことと、我に戦いを挑む愚かさを知らせるためにな」
≪しっかりしろモリガン!≫
必死の呼びかけにモリガンが一言も答えず、倒れたままであることを感じ取ったクー・フーリンは天を仰いだ。
≪万事休す……か≫
一瞬だけそう考えた時、クー・フーリンはすぐさまその諦めを振り払う。
(まだだ! あの夜に俺は誓った! アルバトールだけではない、かつての心残りに!)
それはジョゼの誕生を祝う宴の日の夜のこと。
生きる屍の状態だったアルバトールに、モリガンとクー・フーリンが呼ばれた時のことだった。
≪俺にクレイを?≫
≪頼みたい≫
≪なぜだ? 俺は知っての通りお前たちを騙し、傷つけ、奪い取ろうとした男だぞ≫
≪関係ないよ、ヘプルクロシアの大英雄クー・フーリン。信義を何よりも重んじるヘプルクロシアの戦士と信じて君に頼みたいんだ≫
≪……理由を話せ。いくら養子とは言え、他国の者に息子の身の安全を頼むとは尋常ではない≫
天空に月は見えず、それゆえに数々の星が揺れ動いて見える夜の空。
王都テイレシアを占領され、不安な人々の心を表すかのようなその星たちの下、迷うアルバトールの心を表すかのような星々の下、その相談はなされた。
≪……いつまでもつ?≫
≪わからない。あの時に確かに僕は君たちと結んだ絆により、堕天の状態から掬いだされたと思っていた。だが実は繋ぎ止められただけだったみたいだ≫
≪再び堕ちる時が来ると?≫
≪絆がほどけないように、ほつれないように、もがく心は封じた。だけどラファエラ司祭によれば、僕は堕天寸前の状態で留まっているだけに過ぎないらしい≫
≪分かった。俺がこの世にある限り、お前とアデライードの息子であり、今お前が生きている希望でもあるクレイの身を守るため、できるだけのことをしよう≫
≪ありがとう≫
≪気にするな。俺は今お前に信じてもらった。その信頼に俺が応えるだけだ≫
ゆっくりとアルバトールが頭を下げ、クーフーリン――ゲイボルグ――をその手に持ったモリガンが静かに微笑み頭を下げる。
身を縛る誓約ではない、心を繋ぎとめる約束がその日、二人の間に結ばれたのだった。
(失うわけには……いかん!)
クー・フーリンはドライグに殺意を向ける。
かつて彼は、クーフーリンは自らの息子コンラをその手にかけた。
その傷は彼の心の奥底に消えぬまま残り、それがクレイへの愛情と変わるのにそれほど時間はかからなかった。
(我が身を、心を燃やし、それを精霊への……狼煙とすれば……!)
クー・フーリンは悲壮な決意を固め、精霊へと念じる。
精霊は術者が発したシグナルを受け取り、集まり、その結果発動された術の発動が派手であればあるほど、続ければ続けるほどに飛躍的に数を増やしていく。
強力な術の発動には大量の精霊が必要であり、ましてや眼前の敵である紅龍ドライグを討ち果たすほどの術には、今集まっている精霊だけでは到底足りるものではなかったからである。
「足掻くか大英雄よ」
心を震わせ、魂を震わせ、精霊への狼煙とした時。
「だが我が干渉せずとも吹き飛ばされるような術を放つようでは、これ以上このドライグが見る価値を認めぬ。ただの槍に戻るがいい」
ドライグの全身に炎が走る。
「我が道を拓きなさいビルガ!」
「ゲイ・ジャルグよ! ゲイ・ボーよ! 眼前に立つ敵を貫きなさい!」
「まだかかって来るか人間ども!」
しかしその瞬間、フィーナとディルドレッドがドライグの背後から攻撃を仕掛け、そちらに意識を取られたドライグはブレスの発動が遅れてしまっていた。
≪もらったぞドライグ!≫
「小癪な人間めが!」
ゲイボルグに青の光が宿る。
周りに次々と輝きは増え、そのすべてがドライグに襲い掛かる。
「ぬおおおお!?」
≪さらばだ。このクー・フーリンとゲイボルグの名を地獄まで持っていけ≫
類稀なる水の精霊力を宿す呪槍ゲイボルグ。
その持てる精霊力をすべて解放することで発動する、クー・フーリン最大の術である波動槍ゲイボルグ。
敵を圧殺し、滅するこの術にドライグは成すすべなく飲み込まれていった。




