第70話 蘇る殺意!
≪まったく呑気な女だ。とりあえず昔のように縛り上げて祖国に送り付けるか≫
メイヴとの決着はついたはずだった。
しかしメイヴの前に立ちはだかる者が、ここにはまだいたのだ。
「か弱き女性に槍を向ける非道! 例え天が許してもこのエンツォが許しませんぞクー・フーリン殿!」
それは力なき者を守る義侠心を持つ男、エンツォだった。
かつて太陽神ルーの神域で、ヘプルクロシア王国の王として君臨していたクレメンスの手から巫女たちを守ろうとした時のように、今度はメイヴを守るべくクー・フーリンの前に立ちはだかったのだ。
≪いや、ゲイボルグに見えてこれは俺自身だから問題ないぞエンツォ≫
「む? むぅ……確かにご立派な槍ではございますがな……」
だがこのような事態には慣れているのか、クー・フーリンは意外なまでの冷静さでエンツォを説得に掛かる。
≪それに俺たちが今なさねばならぬことはなんだ? それはジョゼを助けることであってメイヴを倒すことではないだろう≫
「うんむ、ジョゼフィーヌ様であれば若様が救出に向かっておりますから問題ありませんぞ。むしろワシがついていって邪魔をしては……」
「邪魔するぞ」
≪ぬっ!? ドライグか!≫
だがそこに叩きつけられた数条の火線がエンツォの説得を妨げる。
≪この……威力! 貴様、先ほどのブレスは手加減していたのか!≫
「無論よ。誇り高きドラゴンが女子供相手に本気で戦うとでも思っていたか。子猫を指でじゃらすように、少しだけ遊んでやっているだけよ」
フィーナとディルドレッドが倒されたわけではない。
だが二人はドライグが伸ばした角に押され、その防御だけで手一杯な状態だった。
≪クッ……ぬ……ぅ……≫
「ク、クー・フーリン!?」
クー・フーリンとモリガンに向かう火線の数が増え、威力も増していき、とうとうモリガンの体に届かんとした時。
「ちと悪さが過ぎるようですな」
黒き刃、カラドボルグが一閃してすべての火線を掻き消した。
「ちょっと! あたしと一緒に戦ってくれるんじゃなかったの!?」
「どうやらそうもいかぬ事態のようでしてな。クー・フーリン殿の容体は如何に?」
エンツォはメイヴの苦情に断固たる決意を返すと、体のあちこちに細い火傷を負ったモリガンに問いかける。
「……気にする必要はありません。今は一刻も早くジョゼの元へ」
「なるほど。ではこのエンツォがメイヴを引き受けますゆえ、クー・フーリン殿とモリガン殿はフィーナ嬢を助けにドライグへ」
「いいのですか?」
エンツォはニカリと笑うと、カラドボルグをかたわらの地面にズブリと突き刺し、服を脱いで逞しい上半身を陽の光にさらけ出す。
まるで油を塗ったようにツヤツヤと光るその肌、所々に走る無数の傷をあらわにしたエンツォはそのままメイヴの所へスススっと滑るように歩いていき。
「淑女たる者、軽々しく寝所を共にしてもいい、などと言ってはなりませぬな。このエンツォが二人きりでじっくりと説教いたしますゆえ、どこか人目のない所へ」
「大胆なお方……でもそのような強引なお誘いも嫌いじゃなくてよ」
何やらひそひそ話をした後、二人は激しい戦いになりそうであり、それに民草を巻き込むわけにはいかないと真顔でハモると、どこか遠くへ離れていった。
「意外ですね。あの目立ちたがりのメイヴが民草を戦いに巻き込みたくないとは……それにしてもエンツォは、フェルグスにそっくりですね。顔はまるで違いますが」
≪先ほど賭け事を始めた時は止めようかとも思ったが、どうしてもアイツを思い出して止められなかった。別人であることは間違いないのだがな。あのような法外な人間がどうしてテイレシアのような国に育ってしまったのか。理解に苦しむぞ≫
嬉しそうに、だが寂し気な意志を放ったクー・フーリンにモリガンは笑いかけ、そして冷静な意志を返した。
「まだ戦えますか。ヘプルクロシアの大英雄クー・フーリン」
≪……サポートくらいはできよう。ルーと戦った時のことはまだ覚えているな?≫
「あら、私これでも戦女神なのですよ」
モリガンは一瞬だけ唇をかみしめた後、ニコリと笑みを浮かべるとフィーナとディルドレッドが戦っている巨大な雄牛へ冷たい視線を向ける。
「二人ともなかなかやるようですが、ドラゴン相手には荷が重いようですね」
≪お前ならやれるか?≫
「いくらドラゴンでも三人には勝てないでしょう」
断言するモリガンの意思を感じ取った直後、急に黙り込むクー・フーリン。
モリガンは不思議そうに小首をかしげるも、軽く左手を振ってチャリオットを呼び寄せ、軽やかに空に踊り出でた。
「我が名は戦女神の長女モリガン! かつてこの地にあって人々を苦しめたドライグよ! このモリガンがゲイボルグの威をもって貴方を討伐してあげましょう!」
モリガンが宣戦布告すると共に彼女の周囲に無数の血塗られた槍が浮かび上がる。
「行きなさい我が誇りたち! ブラッディ・ランサー!」
戦女神の声に応えた槍が脈動し、奮い立ち、凄まじい勢いでドライグへ飛び立つ。
「今です! すべての力をドライグへ!」
「正義の力を!」「騎士の誇りを!」
そしてドライグの左右からフィーナとディルドレッドが、それぞれの手に持った槍と共にドライグへ迫り、その角を封じた。
「愚かな」
だが絶体絶命であるはずのドライグが呟いた途端、周囲は猛烈な熱に包まれる。
「ビルガ! 我が……道……」「ゲイ・ジャルグ! ゲイ・ボー……きゃあ!?」
フィーナとディルドレッドの悲鳴が一瞬だけ上がるも、直後に巻き起こった暴風によってそれは掻き消され、間をあけずして水袋が地面に落ちたような鈍い音が響く。
「フィーナ! ディルドレッド!」
「既に先ほどまでと状況は変わっている。それに気付かないままこのドライグに攻撃を仕掛けてくるとは、しばらく封印されている間にヘプルクロシアは堕落してしまったようだ。やはり平和は害悪よ……天使と旧神が仲良く手を結ぶなど言語道断」
そして恐怖は現れた。
先ほどまでの雄牛は姿を消し、残ったのは偉大なる存在ドラゴン。
巨大な口には子供の背丈ほどもある牙がずらりと並び、長く伸びた首には針金のごとき硬く見えてしなやかなたてがみが生えそろう。
背中に生えた蝙蝠のような双翼は、広げただけで突風を辺りに撒き散らして周囲に生えた草木の生命をおびやかした。
「どれ、今度は指ではなく尻尾であやしてやろう」
≪いかん! モリガン障壁を張れ!≫
「遅い」
異様が鎌首をもたげる。
それは殺意が形をとった物、モーニングスターと呼ばれるトゲの生えた鉄球に似ていながらそうではないもの。
ドラゴンの体の末端、尻尾と呼ばれる部位の先端についた、家一軒ほどの大きさを持つ巨大な星球だった。
「ふむ」
星球が通り過ぎ、竜巻を超える突風が吹き荒れ、うっかりその暴風に巻き込まれた――巻き込まれざるを得なかった大地がえぐれて吹き飛ばされる。
「いかんな、手加減はしたつもりだったが……天使や同族との争いに慣れ過ぎて下等生物の扱いを忘れてしまったようだ」
チェレスタの城壁をもやすやすと乗り越えるほどに巻きあがった土煙が晴れた後、そこには四体の人型が倒れていた。




