第58話 レクサールへ!
チェレスタへ向かうべくウィッチエント村を出発したクレイたち。
その道のりは平和そのものだった。
――おい、あのテイレシアの天使様がこっちに向かってるらしいぞ――
――もしかして処刑天使様か?――
――ローレ・ライの奴らを全員肉片になるまで磨り潰したっていうあの――
――くわばら、くわばら……命あっての物種だ。しばらく大人しくするか――
まずはウィッチエント村からチェレスタ近郊の街、レクサールへ。
これまでのように盗賊団がいるわけでもなく、また魔物に絡まれることも無い。
うっかりすると物見遊山の気分になってしまうほどにのんびりとした空気。
「だあああああああっ! ぜんっぜん凝りてないじゃないかディルドレッドさん!」
「ハッ……この騎士の自制心を以ってしても抗えないなんて、何て恐ろしい!」
思わずクレイはディルドレッドの腰縄を持つ手を緩めてしまい、彼女の突撃を許すこととなっていた。
「まぁまぁ、ディルドレッドも悪気があるわけじゃないし、許してあげてちょうだいクレイ」
「と言うかディルドレッドさんの主はお前なんだからお前が面倒見ろよフィーナ」
「まぁまぁ、ディルドレッドも悪気があるわけじゃないし、これも経験と思って大人の女性との付き合いを勉強してちょうだいクレイ」
「そういうことは迷惑じゃない大人を俺に紹介してから言ってくれ」
「目の前にいるじゃない」
「お前は迷惑な上に面倒くさい」
「えーウソ」
心外と言わんばかりの顔のフィーナ。
(こいつ俺が天使の位階を上がった途端に大胆なスキンシップ取ろうとしてきてないか?)
そのフィーナにクレイは背を向け、西の空を見上げる。
その空の下にはクー・フーリンが住むチェレスタがあるはずだった。
数々の武勲を上げ、ヘプルクロシア中に武名を轟かせる大英雄。
先の天魔大戦の最中、誘拐された義母アデライードを救うために来た義父アルバトールと反目するも、それも自分の信念に基づいた正義を秘密裏に行使するための偽りのものだった。
(こんな時に何だけど、クー・フーリンさんに久しぶりに会えるのは嬉しいや。不謹慎だけど誘拐されたジョゼに感謝だな……おっと)
「ちょっと控えてディルドレッドさん」
禁断症状でも出て来たのか、青草を積んだ荷馬車にすら突撃しそうなほど目を血走らせたディルドレッドの腰縄をクレイは硬く握りしめ、昔の思い出に浸った。
クレイがクー・フーリンと初めて会ったのは七歳の時だった。
前回の天魔大戦が終わり、見せかけのものながらも平和が戻ったテイレシア。
だが天使アルバトールの心は砕かれ、それを心配する多くの旧神や天使、他領の領主が次々と見舞いに来ていた時期のことである。
その時すでにクー・フーリンは今のように呪槍ゲイボルグに変化しており、それでも発する力強い意志と力は圧倒的なものだったが、クレイに対しては優しかった。
≪なるほど、お前がクレイか≫
ゲイボルグとなってより、法術による念話でしか意思の疎通ができなくなったクー・フーリン。
その彼と会話をするためにクレイは法術を学んだのだが、どうやら少々かじった程度では聖霊に認められなかったようである。
「え? クー・フーリンが貴方に対してだけ優しすぎる理由ですか? うーん……あ、はいはい分かってますよクー・フーリン。えっと、ちょっと説明するのは難しそうですねクレイ」
悪戯をしても怒ることなく、昔話を語り、武技を教えてくれるクー・フーリン。
ある日、クレイはその理由を彼のパートナーである戦女神モリガンに聞くが、その答えは返ってこなかった。
(でもリチャード陛下によれば、もうあの時の力は失われかけている……)
クレイはほんの少しだけ落ち込むが、今の彼にそれが許される猶予は無かった。
「急ごう。あのクー・フーリンさんがいる以上チェレスタが落ちることは無いだろうけど、のんびりしてると一般の兵士や民衆の被害が大きくなる可能性がある」
まるでリビングデッドのようにノロノロと、だが脇目もふらずに荷馬車に向かおうとするディルドレッドの腰縄をクレイはグイと引っ張る。
その意見に真っ先に賛同したのはガビーだった。
「そうよ。それに早く行かないとモリガンがまた不幸になってるかもしれないわ」
「あ、うん……」
「なによ」
「何でもない」
意外な人物の意外な反応にクレイは毒気を抜かれるが、考えてみればこの反応は想定して然るべきものだった。
(クー・フーリンさんのことを聞いた時の顔、本当に心配そうだったもんな)
即座に頷くフィーナ、ディルドレッド。
サリムとティナは緊張で表情がやや硬くなっていたが、それでもすぐにクレイの意見に頷いていた。
「今日中にレクサールに到着、チェレスタの情報を集めて次の日の早朝に出発しよう。それでいいかなエンツォさん」
「うんむ、このエンツォが見る限りでは満点と言っていいでしょう。急がば回れと言うように、急ぐあまりに必要な手順まで省略しては本末転倒ですからな」
「ありがとう!」
年少者や女性ばかりの一行では何かと不都合があろうと、進んでヘプルクロシアに残ってくれたエンツォ。
人柄や剣の腕だけではなく、思いもかけない世事にも通じているエンツォがニカリと笑うのを見たクレイは同じように笑みを浮かべ、そして歩を進めた。
ウィッチエント村とチェレスタの中間地、レクサールへと。
だが。
「……何だこれ」
レクサールについたクレイが目にしたのは、負傷した大量の兵士たちだった。
「うう……」
「大丈夫かいお兄さん? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
クレイは周囲を見渡し、怪我のひどそうな一人の兵士に目をつけると法術で傷を癒し、詳細を聞く。
「堅牢な防備を誇る城郭都市チェレスタが陥落だなんて……信じられない」
「いきなりドラゴンに空から攻められてはどうしようも無かった。まさか伝説の紅龍、白龍が攻め込んでくるとは思ってもみなかったのだ。それにしても君の年齢で法術を使いこなすとは凄いな」
先ほどまでの負傷がすっかり消えたのを見た兵士は目を丸くすると、クレイへ他の者も癒してくれないかと頼み込んでくる。
「いいよ、皆も手伝って……あれ何でガビー怒ってるんだ?」
「アンタね……苦しんでる人たちを見過ごせない気持ちは分かるけど、法術ってそうホイホイかけちゃいけないのよ」
だが、法術に関して右に出るものが居ないと言われる程の天使、ガブリエルを正体とするガビーは、治療を始めるどころかクレイに対して説教を始めていた。
「あれ? そうなのか? でも討ば……」
「本来なら!」
討伐隊のことを口にしようとしたクレイを、慌ててガビーが遮る。
「本来なら教会で祈りを捧げてもらって、その回数と時間に応じたレベルの術をかけるのよ。他には免罪符を買ってもらう方法もあるけど、そっちはすごくお金がかかるからこの人たちにはとても支払えないと思う」
「それってちょっとひどくないか?」
「きちんとした理由はあるわ。後で教えてあげるから」
「わかったよガビー」
クレイは湧き上がってくる不満を飲み込み、しかしちょっとだけ隠し切れない量を顔に出してガビーへ返事をする。
「後の治療はフィーナがやってくれるから、アタシたちは神殿に行くわよ」
だが次にガビーが口にした説明を聞いた瞬間、クレイの頭は疑問符で埋まった。
「それってどういう……」
そしてその詳細を聞こうとした時、クレイはフィーナが桶に手を入れ、怪我をした兵士に振りかける姿を目にする。
「おお、貴女様があの有名なフィーナ騎士団の団長を務めるフィーナ様ですか」
「両手で掬った水を癒しの奇跡とするというあの聖女様ですか?」
「我らのような者でも嫌な顔一つせず癒してくれるとは……なんとありがたい」
美しい金髪に白い肌。
まるで聖画を見るような光景の中心で、純粋な憧憬の目を集めるフィーナ。
「おいガビー」
「なによ」
「あいつ確かローレ・ライで会った時は、自分の怪我すら治癒できないポンコツだったんだが、お前いつ洗脳したんだ?」
そんな神々しい姿のフィーナをクレイは詐欺師を見るような目で見つめると、ガビーを問い詰める。
「自分は治療できないらしいわよ。そう言うゲッシュを誓ってるみたいだから」
「あーそうなんだ……なんか取ってつけたような理由に聞こえてしょうがないけどまぁいいや。それで何で神殿に行く必要があるんだ?」
「そこにモリガンとクー・フーリンがいるらしいわ。なのに二人の気配が凄く薄い。嫌な予感がするからすぐに行くわよ!」
「わかった!」
クー・フーリンの身が危ういと聞いた途端、クレイはこのレクサールの中心でもあるモリガンの神殿へ即座に駆け出す。
幼い頃より可愛がってもらっていたクー・フーリン。
大切な師匠の一人として、実の兄とすら思える英雄の身を案じ、クレイは一目散に白亜の神殿へと向かっていった。




