第55話 魔族、動く!
ここで時は遡る。
クレイがウィッチエント村で新たな力を得た時より少し前へ。
場所は移る。
封印が解けた王都テイレシア、その中心である王城テイレシアの大広間へ。
[ほう、ヘプルクロシアにメタトロンがな]
[相変わらずの上から目線で、相変わらず無駄に力を垂れ流してたな。しかし完全復活するまでは宿り主の意識に引っ張られるとは言え、力を使わないでいい時に使うとかなんでアイツあんなにバカなんだろうな]
[メタトロンも俺もお前のことをそう思ってるだろうな]
[……なんか余計なモンが混ざってないか?]
[気のせいだ]
そこでは一人の魔王が、一人の旧神の報告を受けていた。
[ま、ちっとばかし長くなったがそういうわけだ。んじゃ俺は下がらせてもらうぜ]
そして報告が終わったのか、旧神バアル=ゼブルが上司であるはずの魔王にまったく敬意を払わぬまま背中を向ける。
[待て]
しかし即座に呼び止められたバアル=ゼブルは、不服そうに後ろを振り向くと舌を出し、魔王の指示に断固たる拒否の意思を示していた。
[絶対に待たねえ。つーか将棋狂いは八雲の性癖だろうが。なんでお前さんまでどっぷり漬かってんだよルシフェル]
[お前がどうしても俺と将棋を指したいと言うなら止めはせんが、今は別件だ]
[へーへ。そんで魔王様は俺に将棋以外で何の用がお有りなんですかい?]
だがやはり魔族の頂点であるルシフェルには逆らえないのか、バアル=ゼブルはうんざりした表情で、水色の長髪をなびかせながら魔王のところへ戻って行く。
漆黒と見まがわんほどに濃い紫色の髪を持ち、自分以外の者に何の価値も見出していないと思わせるほどに無表情な顔つきの男へと。
その姿はまさに傲慢の具現したもの。
魔族の指導者、魔王ルシフェルと、魔族に味方する旧神の指導者バアル=ゼブルは、何かしらの共通点を周囲に発しながら対峙する。
[俺に味方する者たち、つまりお前ら旧神の闇の四属性、堕天使、魔神の処遇とこれからの魔族の方針についてだ]
[なるほどじゃあな]
[おい逃げるな]
しかしそれも一瞬。
予想通りの行動、つまり即座に背中を向けたバアル=ゼブルの背中にルシフェルは小言を投げつけてその動きを封じる。
[いい加減に観念しろ。俺の体は一つしかないのだぞ。お前たち側近が俺の仕事を分担して片付けないと、いつまで経っても世界は魔族のものとはならんぞ]
[天使じゃあるまいし何で魔族が真面目に仕事をする必要があるんだよ。つーかそういうことはお前が仕事してから言え。アバドンに勝ちを譲ってもらえる接待将棋ばかりしやがってコノヤロウ]
[馬鹿を言うな。相手の思考を読み、盤内のみならず盤外の事象にまで思いをきたし、その結果を勝負の結果へと反映させる……まぁ所詮お前のような浅学な輩には、この奥深い遊戯を理解することはできんかもしれんな]
得意気に踏ん反り返るルシフェルをバアル=ゼブルはジト目で見つめる。
[いやそれお前が仕事してない説明には全然なってないからな?]
[細かい仕事はお前たちに任せ、俺はより大局的な視点から物事を進めていると言うことだ。目の前の些事にしか考えが回らないとは、やはりお前はそれまでの男と言うことか]
[細かい心づかいができない奴に細かい仕事はできないらしいぞ]
激しい口論を繰り広げた後、一瞬だけだが二人の間に静寂が吹き溜まる。
そして聞くに堪えない下品な言葉の応酬が始まった後に睨み合いを始めるが。
[コーヒー持ってきたぜー……お? なになにまた二人とも喧嘩してんの?]
そこに大広間の扉が勢いよく開かれ、一人の少女が姿を現す。
うなじで団子状にまとめたしっとりとした長めの黒髪、それに反するような妙に色白の肌。
そして妙に唇の色が紅いその少女は、一つのトレイの上に二つの茶器を乗せたまま、床につくほど長く黒いドレスを物ともせず滑るように二人へ近づいていく。
[あー、いや何でもねえ。コーヒーを卓に置いて下がっていいぞエレオノール]
[あいよー。それじゃ俺モートのおっさんのところに行って元気づけてくる]
エレオノールと呼ばれた少女はそう言うと、花台とも見える、背の高い割に小さな天板を持つテーブルの上にトレイを置いて一礼をする。
[まだうじうじと悩んでいるのか。情けない奴だ]
[そうなんだよなー。そんなに俺が吸血鬼になったのが嫌なのかな]
[そういやあアスタロトが近いうちに顔を出せって言ってたぞエレオノール。お前の蘇生に使ったモートの身体の一部と、ダークマターの融合具合を見たいんだとさ]
[じゃあ今から行ってくるよ。あんがとバアル=ゼブルのにーちゃん]
吸血鬼エレオノールは明るい笑顔で返事をすると、再び滑るように扉へ向かい、大広間から姿を消す。
後に残された二人は顔を見合わせ、姿を消した少女の辿った運命にどちらからともなく溜息をついた。
[まさかモートがあんなにエレオノールに執着していたとはな……自分の体の一部を贄としてまで蘇生させるとは思わなかったぜ。城で働いてた戦災孤児たちの一人。それだけだったはずのエレオノールをよ]
[願いを聞いたアスタロト、孤児一人の蘇生にしては余りある契約を見て見ぬふりをしたお前もお前だがな。そういえばモートが失ったのは右目だけか? どうも奴の落ち込みようを見る限りでは、それ以外の何かを差し出したように感じられるが]
[あー……それな……]
バアル=ゼブルは迷い、周囲の様子を伺い、再び迷った挙句にこっそりとルシフェルへ耳打ちする。
次第にルシフェルの無表情は呆れ顔と変わり、そして大仰な溜息と共にモートの悩みを一蹴した。
[……今までと何も変わらんではないか]
[バッカヤロウお前にとっちゃそうかもしれねえけどモートにとっちゃ一大事だったんだぞバカヤロウ]
[ハゲが毛根を失って何が変わると言うのだ]
[それ本人の前で言うなよ……? 昔からハゲじゃなくて剃ってるだけだってメチャクチャうるさかったんだからな?]
ルシフェルは首を振り、深刻な顔のバアル=ゼブルを鼻で笑う。
[くだらん。いつからそんなに女々しくなったのだ冥界の神でもあった男が]
[あん? 昔からだぞ]
[……何?]
[昔から穴ぐらに籠ってああだこうだと言い訳をしちゃあ自分を正当化する。誇大妄想や妄言で自分を飾り立て、尊大な態度をとって他人が必要以上に関わってこないようにする。冥界の神と言えば聞こえはいいが、体のいいヒキコモリだな]
だがバアル=ゼブルの指摘を聞いた途端、傲岸なその顔は水色の旧神と同じく深刻なものとなっていた。
[確かお前たちがこのテイレシアに漂着した時の紹介に、そんな文言は無かったはずだが。この俺をたばかったのか?]
[良く言うぜ、俺がその時に話をしたのはジョーカーじゃねえか]
バアル=ゼブルはルシフェルから視線を外し、窓の外を見つめる。
[ま、アイツのことだ。俺たちを味方に引き入れてしまえばこっちのもの。後は自分の口八丁手八丁でうまく使い倒そうとでも考えてたんだろ。モートも可哀想にな。魔王不在の間だけとは言え、魔族の指導者なんぞに収まっちまったせいで、髪の毛を失う羽目になるたあな]
[お前が面倒くさがって指導者代行になろうとしなかったから、仕方なくモートがなったと聞いたぞ]
バアル=ゼブルは動揺しない。
不動の姿勢で、ただ昔を懐かしがるような澄んだ遠い目で、窓の外を見るだけである。
ルシフェルはと言えば、バアル=ゼブルの返答が無いことにも一向に構わず気を遣う様子もなく、ただ流れ作業をこなすように次の言葉を継いだ。
[まぁ、指導者となったおかげでエレオノールと出会ったと言えなくもなかろう。狂犬もエレオノールの目が届く範囲ならそれほど機嫌が悪くならんからな。まったくあれのどこが愛や豊穣の女神なのだか]
[アナトの機嫌が悪くなるのは大抵お前さんが……]
[それとだ]
流れ作業を打ち切るがごとく、ルシフェルはバアル=ゼブルの言葉を断ち切る。
[ヤム=ナハルとペイモンについてだが、奴らにはしばらくアギルス領に逗留してもらうことにする]
[いいのか? こっちに呼び戻した方が戦力の集中になると思うが]
[その分だけ不満も集中する。特にヤム=ナハルは運河や治水に長けているから、現地の人間が抱いている不満を逸らすのに持って来いの逸材だ。アギルスはフェストリアと連携をとるために不可欠。つまらん理由で失うわけにはいかん]
[なるほどね、しかし何でそれを俺に話すんだ?]
[俺の目の前にいるからだ]
[なるほどな]
[ではジョーカーに伝言しておいてくれ。俺はアバドンと将棋を指してくる]
[……なるほどな]
意気揚々と大広間を出ていくルシフェル。
その後ろ姿を見送った後、バアル=ゼブルは首をひねり込み、その場で何やら考えこみ始めていた。
[おや? 君が一人でいるとは珍しいねえバアル=ゼブル]
[ああ、ベリアルか……いやちょっとあってな……そういやお前さんジョーカーを見かけなかったか?]
代わりに入ってきたのは最上位魔神の一人、しかしなぜか子供の姿をしているベリアルだった。
天使と見まごうばかりの愛くるしさを持ち、だが何となく得体のしれない気持ち悪さを周囲にかもしだしている彼の顔を見たバアル=ゼブルは、居心地が悪そうに身を震わせ、ニヤニヤと笑っているベリアルに質問をした。
[ああ、ジョーカーなら少し前に魔神たちを連れてフォルセールを攻めに行ったよ。何でも向こうの主だった戦力が、揃ってヘプルクロシアに行ってるらしくてねえ。ほら、今回の天魔大戦では我らが魔神族ばかり割を食ってただろう? だからフォルセールを攻めることでその溜まってた不満を解消しようって寸法のようだよ]
[ほー、だがフォルセールにはまだアルバトールが残ってるんじゃねえか? それに領境の森にはオリュンポス十二神が何人か居候してるみてえだが]
[こちらから手を出さなければ大丈夫さ。あの神族は自分たちが強大すぎることを知っている。強大すぎる故に、他の勢力が手を合わせて自分たちへ仕掛けてくることを何よりも恐れてる節があるのさ。それに失敗したら失敗したで痛手を被るのは僕じゃない。ジョーカーと僕以外の魔神たちさ]
[あーそうだな。しっかしジョーカーがフォルセールに行ったとなると……何でルシフェルのヤロウ、俺にジョーカーへの伝言なんか頼んだんだ?]
[本当は魔神たちだけで行く予定だったのを、急にジョーカーが同行するって言い出したからじゃないかな? ホント余計な苦労を背負い込みたがるよねアイツ]
ベリアルはそこまで言うと、大広間の中をぐるぐると見回し、そして探しものが、もしくは探し人が見つからなかったのか、肩をすくめて扉へと向かう。
しかし扉のノブに手を伸ばしたベリアルはそこで何かを思いついたのか、くるりとバアル=ゼブルの方へ振り返り、ニタリと笑みを浮かべた。
[もしくは君に、ジョーカーの手助けをしろってことなのかも、ね。仕事をしろって言っても聞かないような、子供じみた行動しかとらない君を動かすためにさ]
ベリアルはバアル=ゼブルの返答を待たずに扉の向こうへ姿を消す。
残されたバアル=ゼブルは、後ろ頭をぽりぽりと右手でかいた後に溜息をつき、ベリアルに続いて大広間から姿を消した。
しばらく後。
[茶器を片付けに来たぜー……あれ? 誰も居ないとか珍しいな。いつもだったらルシフェル様とバアル=ゼブルのにーちゃんが、ギャーギャー騒ぎながら将棋を指してるのに]
エレオノールがひょこりと扉の向こうから姿を現し、卓の上に残された茶器を手慣れた様子で片付けていく。
[モートのおっちゃんも忙しそうだったし、なんかあるのかもしれないな。しっかし『我が封じられし魔の瞳、今こそ開放する刻』って何の意味があるんだろ? 今度おっちゃんに聞いてみるか]
そして茶器をトレイに乗せた後、エレオノールは先ほどこっそりモートの部屋を覗き見した時の光景を思い出し、首をかしげた後に大広間を出ていったのだった。




