第54話 曼荼羅の術!
「くっそ……! 大丈夫かティナ! サリム!」
「は、はい。ウチは何も感じませんが……?」
「私は少々息苦しいくらいです」
大海の戒め(おニュー)を遥かに上回る体の重さ、息苦しさ。
いきなり体を襲った異変にクレイは着いていけず、あの大海の戒め(おニュー)が再び装着された時ですら屈しなかった膝を地面についてしまう。
「これは……堪えるわね」
「フィーナ様! しっかりしてくださ……グッ」
「フィーナ! ディルドレッドさん!」
(おかしい! 何で皆バラバラの症状なんだ!?)
不思議なことに、どうやらこの異変は力を持つもののみに限られ、そしてその力が強大な者ほど効果が大きいようであった。
(もしかしてこれがゼウスのおっちゃんが言ってた聖霊の……!?)
そして一つの考えにクレイが至った時、彼の頭の中に一つの意志が浮かび上がる。
(ガブリエルが張った結界の影響だな)
(メ、メタ!)
(メタは止めろと言ったはずだ)
(こんな非常時にそんな細かいことを……うあ!?)
ついにクレイは、潰れたカエルのように地面にうつ伏せとなってしまう。
(クソ……目がかすれて耳も遠く……)
(非常事態だな。我であれば問題の解決に少しは寄与できるかもしれんが、どうする)
(頼む! 今はまだサリムやティナに影響は無いみたいだけど、このまま二人が無事に済む保証は無い!)
(では体の支配権を我に移譲したまえ)
クレイはその提案を承諾し、メタトロンへ体を譲る。
だがクレイの体を襲った異常は、すぐには解決しなかった。
(……アルバトールの時は既に彼の位が座天使だったから分かるが……何という扱いづらさだ君の体は。とてもまだ権天使の座とは思えないほどだぞ。人の根本、存在の安定を司る基礎、土をそのまま形にしたような感触だ)
(そう言えばバアル=ゼブルも俺のことを名前通りの頑固者とか何とか言ってたな。クレイってそんなに変わった名前なのか?)
(テイレシアでは縁遠い名前だろう。この国ヘプルクロシアの言葉で土や泥を表すのが君の名であるクレイだ……よし、これならいけるか)
(ふーん……お、なんか体が軽くなってきたぞ。さすがメタ)
(いや……これは……)
メタトロンの返答がやや不満げなものに感じたクレイは、意識を内面から外界へと向ける。
「どうして貴女はいつもいつも手加減というものを知らないのですか! 一から十までの間にも数字はあるんですよ!?」
「え、え、だって本気出さないと周囲は村だしクレイたちもいるし、ほらあたし前にラファエラに言ったでしょ、ベルトラムがクー・フーリンと戦った時は全然力を抑えられなかったって」
「ガビー……あの時の貴女は槍の封印にかなりの力を割いていたはずですよ……」
「あ、え、あ、そうだったかしら。ごめんねベルトラムてへっ」
「どうやら儂も本気を出さねばいかんようじゃいのうぐおお肺が潰れる!?」
するとそこには槍を杖代わりにして立つベルトラムと、先ほどのクレイのように地面に這いつくばったバロール、そしてガビーを叱りつけるラファエラの姿があった。
(なんだこれ)
どうやらガビーが作り上げた結界により、ベルトラムとバロールは立ち上がることすら困難な状況に追い込まれているようである。
(……ひょっとしてガビーって凄いのか?)
(だからこその天軍の副官だ。それにこのウィッチエント村は大地を流れる聖霊の力、龍脈の集合する地点でもあるからそのせいもあるだろう。ただし力の制御を軽んじる性格ゆえに、今はラファエラの監視下に置かれている状態だ)
(そっか。さてと、このくらいなら俺だけでも立ち上がれるかな)
自分の知っているガビーとはまるで別人。
そんな結果を目の当たりにしたクレイは、胸にモヤモヤしたものを感じながらヘソの辺りに力を籠め、結界の力に対抗して立ち上がる。
(ふむ、ポセイドーンから贈られた大海の戒めとやらのおかげか、それともゼウスにアイギスの教えを受けたせいか、うまく結界の流れに乗れたようだな)
(子供は……まぁ子供だけど……それだけ成長が早いからな! よしフィーナたちを結界の外に出した後、ベル兄の戦いを見学するぞ!)
結界の影響が少なくなったクレイはサリムを呼び、フィーナとディルドレッドをおんぶして広場の外まで運び出す。
「あれ? ここも結界の内なのか」
しかしそこも広場と同じように体の重さや息苦しさは変わらず、クレイは若干落胆しつつ背中のフィーナを地面へ降ろした。
「そうみたいね、ガビー本気出しすぎ。この分だとおそらくこのウィッチエントの全体を礎とした結界を張ったと思うわ。建物なんかの人が作った物を媒介にすると、結界って凄く安定するから」
「へー、そうなんだふーん」
自分が知らない知識をフィーナが知っていることに、クレイは少々のやっかみを覚えつつ広場の中央を振り返る。
「……まだ潰れてる」
するとそこには未だ地面に這いつくばったままのバロールが、ガビーに結界を解除するように提案していた。
「仕方ないなーもー。じゃあちょっとだけ弛めてあげるわ」
「うむすまんの。どうも結界は儂の性分に合わんから、昔からあまり使ったことが無いんじゃい」
程なく周囲の雰囲気は軽くなり、ガビーはそっぽを向いて口を尖らせる。
「普通ならこんなことしてあげないんだからね? じゃあちゃんとベルトラムの怒りを鎮めてよ?」
「任せんかい、儂を誰と思うとるんじゃいごああッ!?」
しかし余裕を取り戻したバロールの体は、一筋の熱線によって貫かれていた。
「なるほど、それならさっき儂が飲んじまったわい、ですか……」
「うむ一気飲みしたせいか、ちょっとむせて一部吐き出してしもうたがぐおおッ!?」
「ウォースターソースの無念、汝が血を以って贖うがいい魔眼の王よ」
ベルトラムは鬼気迫る声でそう言うと、自らの右手に持っている槍を振りかぶる。
通称ピサールの毒槍。
抜けば一つの街をも溶解すると言われるそれをベルトラムが放とうとした瞬間、バロールの右目のあたりが怪しく光った。
「ゴワハハハハハ! まさか儂が魔眼の弱点を放置したままお前に挑むとでも思っておったんかいのうベルトラム!」
勝利を確信したバロールの高笑いが、ウィッチエント村中に響き渡る。
「なかなか開かぬ儂の瞼を解きほぐす、ちょっと高価ないい目薬! そいつを一週間ほど前にアスタロトが届けてくれたことを知らずに儂に挑んだ愚をあの世で嘆くんじゃいのグワアアアアアッ!?」
そしてバロールの高笑いが止まった瞬間、彼の全身はこんがりと焼け焦げていた。
「以前にも言ったでしょう。貴方の魔眼が視線を媒介とするものである以上、魔術で空気を歪めればその効果もまた屈折し、あっさり防げると」
槍を放った姿勢のまま、ベルトラムが溜息をつく。
「まぁ、高笑いで視線を上に向けた時点でそれをする必要も無かったわけですがね」
こうしてバロールはあっさり討伐された。
その数分後。
「むう、相変わらず容赦ないのお前は」
割とあっさりめにバロールは復活していた。
「容赦する必要もないでしょう。とは言え、やはり力は衰えてきているようですね」
ややつっけんどんな態度ではあるが、普段通りに戻ったベルトラムの言った言葉にクレイは不思議そうな顔をする。
「これでも力が落ちてるの? ベル兄」
「昔バロールと戦った時は私とほぼ力が拮抗していて、戦いは三日三晩続きました」
「そうなんだ……やっぱりお爺ちゃんになったからなのかいバロールさん?」
やや気を使った口調でバロールに問いかけるクレイ。
「うん? まあそいつもあるんじゃろうがいのう……」
地面に胡坐をかき、胸に生えた剛毛をボリボリと掻き始めるバロール。
「一番の原因は、お前ら天使がこの地に教えを広めたことじゃいのう」
「え……」
そしてバロールが話した思わぬ理由に、クレイは絶句する。
「儂ら旧神と呼ばれる者たちは、信者の多さ、信心深さなどで力を得るんじゃい」
「うん、前に聞いたことがあるよ」
「人間たちが自分たちを襲う災害から身を守ろうとして、勝手に生贄を捧げ始めたのが儂がこちら側に引き寄せられた始まりじゃからの。その生贄を新しく広まった教えで禁じてしまっては、こちらに現出している理由も無くなると言うものよ」
バロールはそう言うと、高らかに笑い始める。
「以前ルーの奴めも言っておったが、これも時代の流れと言う奴じゃいのう。もう少しこちら側で猛者と戦ってみたくもあったが、それが叶わぬもまた一興じゃいの」
「うーん……ベル兄、何とかならないの?」
「何とか、とは?」
「バロールさんが消えないような……他の誰かと戦えるようになれる何かの方法?」
バロールが力を失い、また消えかけているのは自分たちが信奉する主の教え、カリストア教が原因。
義父と同じくお人よしであるクレイは、ジョゼを誘拐した犯人であるにも関わらず、バロールの手助けをしたいと考えているようであった。
「そんな物はあったとしてもお教えする訳にはまいりません。そもそも以前バロールを討伐した理由が、猛者と戦いたいと近隣をむやみに荒らしたのが原因なのですから。それよりクレイ様、チェレスタへ連れ去られたジョゼ様を追わなければ」
「え、うーん……それは分かってるんだけど……」
「なぁにお前が気にする必要は無いわい。それに儂らは人間の信仰に根差した土着の存在ゆえに、不可能とは言わぬまでもホイホイと他国に移動することは難しいんじゃい。テイレシアに行く時にアガートラームとヴァハが天使に鞍替えしたのは、そんなわけじゃいの」
「うーん……」
クレイは悩む。
そしてある一つの情報を思い出した彼は、内面世界にいる存在へと意思を飛ばした。
(どうにかなんないのメタ? アーカイブ術って色んな情報があつまってるんだろ?)
(メタトロンだ)
(……どうにかならないのかメタトロン? 正直言ってこのままじゃ寝覚めが悪いよ)
(そんな物は……無い)
(あるのか。あるんだな。誤魔化そうとしても無駄だぞ)
メタトロンが垣間見せた迷い。
その逡巡をクレイは見逃さず、メタトロンを問い詰める。
(……曼荼羅の術だ)
(ん? それって自らの中に世界を作り出すって術か?)
(そうだ。そして曼荼羅の術を応用して作り上げたのが、アーカイブ術で接続するアーカイブ領域。今までに我が集めた、途方もない量の情報を保管するためにな)
そのクレイの勢いに負けるように、メタトロンは曼荼羅についての説明を始めた。
(つまり曼荼羅の術は、旧神などの超常的にして超越的な存在を保管する領域なのだ)
メタトロンが口にした情報に、クレイは歓喜した。
(マジかよ凄いじゃん! じゃあバロールさんもそこに収納できるわけ!?)
(まあそうなるな。丁度良かったと言っては何だが、バロールの得意とする術は土属性であり、君のクレイと言う名前と親和性がある。そしてさらに彼の身体の一部には、魔眼と言う法外な物がある。それは容易に想いの核となりうるものだ)
(想いの核?)
(我々や旧神、上位魔神などは、元々不安定な精神的存在が、安定した物質界のものに宿っている存在なのだ。しかし曼荼羅は精神世界に属する領域だから、収納する時には精神的な存在に戻さねばならん。その時に存在が維持できるかどうかが、その想いの核をしっかり持っているかどうかに掛かっているのだ)
(そっか、じゃあ早くバロールさんにそのマンダラって術を使おう!)
少年らしく素直に喜ぶクレイ。
メタトロンはそれを微笑ましく思いながら、一つの忠告を残した。
(最後に言っておく。きちんと本人の承諾を得てからにすることだ。もしも抵抗をされたなら、今の我では抗することも出来ずに霧散してしまうからな)
(わかった!)
そしてバロールは一も二も無く承諾し、クレイの曼荼羅の術を受け入れる。
将来、クレイの曼荼羅を織り成す数々の柱のうち、最初の一柱はこうして得られたのだった。




