第48話 逃げるなら今でしょ!
「ひどいですひどいですうわああああぁぁぁぁんんんん……」
「本当に俺が悪かったよディルドレッドさん。だからそろそろ泣き止んでよ……」
ここは王都ベイキングダム、軍のパレードにも使われる大道路のど真ん中。
当然その幅に比して人通りも多く、また露店も多い。
従って多くの耳目が集中するこの場所にも関わらず、一人の妙齢の女性が人目もはばからずに地面にへたり込み、大きな声で泣きわめいていた。
「悪かったで済む話じゃないです! 麗しくも清楚な乙女が、腰縄をつけられて鉄球を引きずってるところを衆目に晒されたんですよ!? もう私一生お嫁にいけません!」
「ごめんなさい」
ディルドレッドの苦情に対し、素直に謝罪するクレイ。
(……騎士としてブルックリン家に仕官した以上、人並みに結婚して子供を作り、幸せな家庭を築く女性としての幸せはもう望めないって決意はどこ行ったんだろ)
などという本音は殊勝な態度の裏に隠し、素直にペコリと頭を下げる。
可愛い子には旅をさせよとは言うが、この短い旅の間に戦いの腕だけではなく、人格にも磨きをかけたクレイは、義父であるアルバトールと同じく非凡と言えた。
「まぁクレイ君自ら誤解って説明もしたし、皆にも納得してもらったし大丈夫よディルドレッド。このフィーナの正義にかけて保証するわ」
「ああ、さすがフィーナ様……このディルドレッド一生貴女様についていきます」
主君が差し伸べた手を取る忠実なる女騎士。
傍から見れば神々しく見え、光の柱すら立ち昇っていそうなその光景をクレイは半眼で見つめ、早く終わって欲しいななどと思ったりもしてしまっていた。
(真っ先に切り捨てた本人が何を言ってるんだかなぁ……それにしてもこの二人の姿、フルール・ド・リス……に見立てるのは不敬かな)
フルール・ド・リス、通称ユリの花。
二人がひしと手を取り合う姿を見たクレイは、多くの高貴なシンボルに使われている紋章を思い出し、そして目の前の光景を見て現実に引き戻される。
「そろそろ王城に行かないといけないんだけどな。サリム、悪いけどちょっと二人を呼んできてくれない? もう俺ディルドレッドさんのお守りしたくないよ」
「またそんなワガママを言って……まぁ行きますけど」
クレイの言いつけに不満を漏らしつつも従うサリム。
しかし二人の近くに行った途端に顔を赤らめたサリムは、途端にディルドレッドたちの擁護を始めてしまい、クレイに呆れられてしまっていた。
「あーもう! 魅了の黒子は封印しておいてって言ったよねディルドレッドさん!?」
クレイは目を尖らせ、サリムの頬を叩くように両手で挟み込む。
そしてそのままサリムの眼を覗き込むようにじっと見つめると、赤くなっていたサリムの顔がいつものものに戻っていく。
が。
「何やってんだよフィーナ!」
「ここで筆を止めるわけにはいかないのよ!」
クレイが気付いた時には既に遅かった。
興奮した顔のティナを肩に乗せたフィーナが、黄金のプレートに一瞬で何かの絵を描き上げ、虚空へと返還していったのだ。
「ああ……その先にプレートが行っちゃった……」
「でもここで私たちが止まる訳には行かないわ……さぁ、王城へ行きましょうクレイ」
「なに感動的なセリフで誤魔化してんだよ!」
爽やかな笑顔のフィーナの首を真顔で締めるクレイ。
しかしその修羅場を見た一人の偉丈夫が近づくと、猫をつまみ上げる時のように二人の襟首を掴み、ひょいと持ち上げて引き離した。
「若様、さすがにこれ以上の時間の遅れはまずくございますぞ。前回の天魔大戦で我らがテイレシアと同じく、いやそれ以上の痛手をヘプルクロシアは負っており、その復興でリチャード陛下は多忙極まる日々を送っておりますからな」
「そうだった! 急ごうエンツォさん!」
エンツォの進言を聞いたクレイは、慌てて王城へ向けて走り出す。
露店から漂ってくるかぐわしい香りも、燃え上る血と鉄の意志で乗り切った彼は、ようやく王城ベイキングダムの中へ入ったのだった。
「ご無沙汰しておりますリチャード陛下。クレイ=トール=フォルセール、主君の書状を持ってただいま参上いたしました」
「よく来たなクレイ。お前が来るのを心待ちにしていたぞ」
「もったいないお言葉です」
何のことは無い、儀礼にのっとった普通の挨拶。
しかしリチャードの言葉を聞いたクレイは、全身にどっと冷や汗をかいていた。
(こわいこわいこわい! なんでこの人の声ってこんな威圧感があるんだ!?)
表情としては笑顔。
だがその発する声は、聞く側のクレイにとってはほんの少しだけ低く感じられるものであり、更にはあまりの重厚さで押しつぶされそうに感じられるものだった。
「お久しぶりですな陛下。先の大戦では我が主ともどもお世話になり申した」
「それはこちらも同様。フォルセール候には返そうとしても返せぬほどの恩義がある。こちらにできることがあれば遠慮なく言ってくれエンツォ」
(あ、なんかズルいぞエンツォさんの時と俺の時で声色が変わってる)
しかし続けて挨拶を始めたエンツォに対し、リチャードが発したねぎらいの言葉を聞いたクレイは、ちょっと不満げな感想を抱いていた。
(それは君が天使として成長した証だ。言葉に籠められた意志の力を感じ取れるようになってきた証拠と思いたまえ)
そこに内なる存在、メタトロンより声をかけられたクレイは、リチャードに失礼のないようにその様子を伺いながら質問をする。
(起きても大丈夫なのかメタトロン)
(大丈夫では無いが、済ませなければならない用事があってな。それが終わればまた眠りにつかせてもらう)
(ふーん……)
クレイはメタトロンへ生返事を返すと、後ろから聞こえてきたサリムの自己紹介の声に不安を覚えつつ、真正面の玉座に座るこのヘプルクロシアの王、リチャード=デプス=ヘプルクロシアを見上げた。
(サリムを今回の使節団に加えるように要請した本人、か)
クレイは礼儀についてさんざん心配されている自分を棚に上げ、サリムの挨拶に不備がないか聞き耳を立てながらリチャードの周囲にいる人物たちの顔を確かめる。
ヘプルクロシア王国における旧神たちの一族、トゥアハ・デ・ダナーンを治める立場である長老ダグザはここにはいない。
だがその代わりに先代の長である太陽神ルーがリチャードの後方に控え、何かあれば咄嗟にかばえるように目を光らせていた。
(ベルナール団長によると、確かにアルバ候の活躍に対しての恩義はある。だがそれに囚われるあまり、自国の利害を見誤るような凡庸な人物ではない、か。サリムを同行させるように言ったのは、謁見でなにか付け込む隙を見出す――例えばサリムの失態を誘ってこちらの弱みを握る――のが目的だとか何とか)
無事サリムの挨拶が終わったのを聞いたクレイは、ホッと一息をついて預かっていた書状をブラッドリーへ渡す。
そしてクレメンスとジョゼの姿が無いこと、そしてリチャードに常に付き従っているはずのある危険人物が居ないことを少々不思議に思いながらも、無難に進行していく謁見の儀をこなしていく。
そして、リチャードとの謁見は無事に終了したのだった。
「なんか拍子抜けしちゃった。まさかこんなにとんとん拍子に話が進むとはね」
「案ずるより産むがやすしですな。ベルナール団長殿は万が一のことにまで考えを進めねばならぬ立場ゆえ、若様に色々と対策を口伝したのでしょう」
「対策……切り札……は、使わぬに越したことは無い、だっけ」
「詳細を知られた切り札はその価値を無くしたも同然。ゆえに持っている手札を相手に知られるような愚策は避けるべし。団長殿とカードをするたびに言われますな」
「国の運営って大変だね」
謁見が終わった後、クレイたちは割り当てられた客室へと向かっていた。
心配していたリチャードに叱責されるような出来事も起こらず、それどころかリチャード直々にクレイたちを歓迎する晩餐会を開くとの発言ももらい。
(油断禁物、帰国するまでが特使の仕事!)
しかしこういう時こそ人は失敗するもの、と周囲から常々言われていたこともあり、クレイは気を抜くことも無くまっすぐに自分の部屋に向かう。
「おや、クレイではありませんか」
「あ、ディアン=ケヒト様。お久しぶりですさようなら」
よって彼は、このヘプルクロシアで一番会いたくない男、リチャードに常に付き従っており、その典医も務めている医神ディアン=ケヒトと最短の距離で遭遇することになっていた。
「いえいえ丁度良かった。貴方の健康診断をアルバトールやベルトラムから頼まれてましたからこのまま私の診察室に行きましょう」
「いえ旅で疲れてるのでこのまま客室で休みいいいいぃぃぃぃ…………」
クレイの襟首をつかんだと見えた瞬間、その白い影は景色に溶け込むように薄れ、遠ざかる。
それを見送ったエンツォはふうむと首を傾げ。
「では若様、ワシは若様の荷物を持って先に部屋に行っておりますぞ」
と、小声で誰に言うともなく囁く。
そしてその提案を聞く者も、許可を出す者もいなくなった廊下をそそくさと忍び足で遠ざかっていったのだった。




