第36話 ミスリル剣を振ってみた!
「お願い……手を貸して……」
地面にうずくまった一人の少女は整った金髪に白い肌をしており、澄んだグレーの瞳には痛みをこらえる一筋の涙があった。
普通の男であれば、その姿を見た瞬間に駆け寄って助けの手を差し伸べるであろうフィーナを、なぜかクレイはジト目で見るだけでなかなか助けようとはしない。
それほどまでに正義という言葉には、うさん臭い響きがあるのだろうか。
(えぇー……何なんだよもう自分で勝手に飛び降りてきて勝手にケガしたくせに。そういえば正義を押し付けてくる奴にロクな奴はいないってヘルメースが……ヘルメース……あ、じゃあ助けた方がいいのか?)
クレイが迷い始めた時、目の前にいるセイが目配せをし、顔の前で手を合わせて何度も緑色のツンツン頭を下げる。
(あー、おとり捜査を頼んだのがフィーナなんだね。何となくシャクに触る物言いをする奴だけどセイ姉ちゃんの頼みじゃ仕方がないか)
先ほど子ども扱いされたのを根に持っているのか、クレイは不機嫌な顔をしつつフィーナを助けに向かう。
一方ケロリーナとグレンデルと言えば、このような訪問者には慣れているのか、それともこの訪問者に慣れているのか、口論を続けたままであった。
「ほら治ったぞ。捻挫も治せないのによく騎士団長とかやってられるな」
「おお凄い! 子供なのに法術使えるんだね! じゃああたしの足を治してくれた褒美にフィーナ騎士団に入れてあげ」
「それは絶対に断る」
即答どころか、言葉を遮ってまでお断りするクレイを見たフィーナは、たちまち澄んだグレーの瞳を死んだ魚の物に変えてしまう。
しかし元々打たれ強いのだろう。
「ついに見つけたわよ悪の人身売買組織をとりしき」
「それ二度目。えーと、お前フィーナってことはブルックリンさんの娘か?」
彼女はすぐに立ち上がってケロリーナをずびしと指差し、再び先ほどの口上を述べようとするが、その姿を冷めた目で見つめていたクレイにただちに中断されてしまい、口を尖らせる。
「う、うん。なんで知ってるの?」
しかし続けて一つの質問をしてきたクレイをフィーナは不思議そうな顔で見つめ、何の悪気も無さそうな返答を聞いたクレイは溜息をついてうなだれた。
(三年前に一回会ってるんだけどな……人の顔を覚えるのが苦手なのか?)
クレイは心の中でがっくりすると、それでも怪我を負ったフィーナを気遣う言葉を、憐れみの口調で口にする。
「その様子だと痛みもひいたみたいだな。捻挫も甘く見たら後遺症が残ることになるから気をつけたほうがいいぞ。それにしてもなんで評議衆筆頭の娘さんが奴隷市場みたいな危ない所にくるんだ? それにローレ・ライは自治の町。町を守るのは騎士団じゃなくて自警団だろ」
「あ、なんかフォルセールを治めるアルバトール候の息子さんがこっちに来るらしいのよ。三年前に初めて会ったんだけど、その時に一目惚れしちゃってエヘヘ。それでそのご令息がいらっしゃる前にこの町を大掃除しようと思って、急いで騎士団を結成したの。やっぱり自警団より騎士団のほうがかっこいい……あ、正義って感じだしねー」
(……後であいさつに行った時にブルックリンさんと奥さんのヴァハさんの顔をよく見ておこうウン)
ついにクレイは失意を隠すのを諦め、長々と溜息を吐き始めると途中でそれを精神集中への吐息と変える。
「仕方ない。ブルックリンさんとは知らぬ仲でもないし手伝ってやるよ。こいつらを締め上げてやればいいのか?」
「あ、そうね。ついでに黒幕を吐かせて……あ、えっと、殺すのは可哀想だから殺さないでね」
「はいはいあいつらの背後にいる黒幕を吐かせたいんだね」
「うぁ何でわかるの!?」
(今自分で言っただろ! チクショウこいつの頭を平手打ちしてやりたい!)
そしてフィーナによって奴隷商人の二人への集中をすぐに切らされたクレイは、殺気立った顔をそむけて腰の剣に手を伸ばす。
まだその剣には慣れていないのか、剣が鞘走る音は周囲へ少々大きめに響き、それはケロリーナとグレンデルの言い争いを止めるのに十分なものだった。
「なんだいボウヤ。剣もロクに扱えないのに……剣……? ちょいとグレンデル」
「なんだいMrsケロリーナうあたぁ!?」
「なんだじゃないよこの唐変木! あんた剣を取り上げないまま商品を売りつけるつもりだったのかい!?」
ヒステリックに叫ぶケロリーナに頭をスパーンと平手打ちされたグレンデルは、剣を右手に持ったクレイを見ながら頭をさすると、その指の間から鋭い眼光を見せた。
「剣は持っていなかったはずなんだがな。まあそう怒るなよMrsケロリーナ。武器を持っても所詮は子供、このグレンデル様に……あびゃ?」
しかしグレンデルの余裕は即座に崩れ去る。
なぜなら剣どころか、長槍ですら届かない位置にいるクレイが右手を振り上げ、降ろした瞬間に彼の頬に痛みが走り、一条の傷がそこにできていたのだ。
「もうちょっと手加減が必要か。ラファエラ司祭も色々と忙しかったのは分かるけど、もう少し早く渡してほしかったな……さてそこのお二人さん」
白銀色にまばゆく光るミスリル剣。
クレイは実戦で初めて使うその剣の威力に内心で驚く。
「どうする? 実はこの剣を振るうのは今日が初めてなんだよ。一応そこのお姉さんに殺さないでとは頼まれたけど、あんたたちを殺さないように手加減する自信はまったく無い。降参してくれるとこっちは助かるんだけど」
「ど、どうすりゃいいMrsケロリーナ」
うろたえるグレンデルに対し、ケロリーナの方はまるで動じない。
「はっ! このくらいでおたついてるんじゃないよ! だからアンタはいつまで経ってもヒヨッコ扱いされるんだよ! アレを出しな!」
「お、おいアレってまさかアレか? いいのかよ、アレはもうすぐ引き渡しの時間じゃないのか?」
「大の男がビビってんじゃないよ! 腹ァくくんな!」
「う……わ、わかったよMrsケロリーナ」
慌てて布が掛けられた一つの檻の中に走って行くグレンデル。
目を凝らせばその布にはいくつかの陣が描かれており、そこには幾何学模様や無数の文字が描かれてあるのがわかった。
その上からさらに何本もの鎖で厳重に封がされているその檻を見たクレイは、やれやれといった感じで肩をすくめ、横に居るフィーナへうんざりとした口調で話しかけた。
「何かヤバそうだな。俺帰ってもいいかなお姉さん」
「そうね、小さい子供を危険にさらすのは正義に反するし。後はこの正義の中の正義、フィーナお姉さんに任せてママの所に帰りなさい」
「……ケロリーナの見張りを頼むよフィーナ」
微妙に成立しないフィーナとの会話を諦め、クレイはグレンデルの方へ歩いていく。
その途中、彼はある泣き声を檻の一つから聞いた。
「ままぁ……ままぁ……」
罠かも知れない。
クレイはその可能性を頭から振り払い、左側に置いてある檻の中を見つめた。
「どうしたんだ?」
「ままが……動かないの……朝から……ずっと……」
檻の中には一人のルー・ガルーの子供が泣いており、その側にはガリガリに痩せた、同じくルー・ガルーの女性が倒れていた。
自らで噛んだと思われる歯形が、両腕に無数に残る一人のルー・ガルーが。




