第31話 マスターの称号!
ゼウスが参加した宴より一週間ほどが経った日の早朝、フォルセール領の西方に位置するレオディール領にある港町ラィ・ロシェールでは。
「おはようごぜえやす領主様!」
「バッカヤロウ! 俺のことは親分と言えと何度言えばわかるんだてめえら!」
朝もやに包まれた街の中を歩いていた一人の男が、自分に声をかけてきた水夫を叱りつけていた。
彼の名はディオニシオ=アミュゾン=レオディール。
幅広の帽子をかぶって、潮風でぼさぼさになった髪の毛としわがいくつも刻まれた顔を隠し、付け髭と眼帯をつけているその姿は、一言で言えば海賊の親分そのものである。
とは言っても最近は年のせいか眼がかすむようになったため、眼帯には小さい穴をいくつも開けて前が見えるようにしているし、幅広の帽子と言えば風に飛ばされそうになった時に咄嗟に押さえつけられなくなったため、あごひもがつけられていた。
(まったくしょうがねえ野郎どもだ。この俺がこのレオディールの領主ってバレねえようにこの格好をしてるってのに、周りを取り囲む肝心かなめのあいつらがバラしたんじゃ何の意味もねえじゃねえか)
ディオニシオはそうボヤきながらも、霧で水煙るラィ・ロシェールの街を見回って行く。
普段は内陸にあるフェニオールで執務をしている彼であるが、今日は重要な客人がここラィ・ロシェールから隣国のヘプルクロシア王国へ旅立つ日。
よって彼はその手続きと護衛のため、数日前からこの街に所有している別荘へと足を運んでいたのだ。
(クレイと会うのも久しぶりだぜ。何年か前に会った時はそりゃもうクソ生意気なことをぬかしやがるクソガキだったが……まぁアルバも小生意気だったし、ありゃトール家に育った人間特有のモンか、それともベルナールの野郎の影響かぁ?)
騎士養成所で同期だったベルナールと、クレイの顔を思い出しながらニタニタと不気味な笑みを浮かべるディオニシオ。
すれ違うたびにその顔を見る水夫たちは、明らかにどこか間違った畏怖を彼に向けて道を空けていくのだが、ディオニシオがそれに気付く様子はなかった。
(さぁて、後はこの波止場を見回れば……んー? 何だアイツは……随分とデカい荷物を足元に置いてやがるが……この時間に俺のお気に入りの場所にいるとは、余所モンか?)
町を一回りし、異常が無いことを確認したディオニシオ。
しかし彼は、最後の締めである波止場についた所で不快感をあらわにしていた。
近場の漁場に行くための小舟を係留する数々の木の杭と、そこから伸ばされたロープの一本一本に繋がってずらりと並んだ船。
その奥のほう、つまり波止場で一番奥まった一本の杭に、一人の人物が足を乗せていたのだ。
(チッ、見逃してやってもいいが、変に勘違いしてこれからも来るようになっちゃあ、ちょいと面白くねえなぁ。ここは優し~い俺が優し~~く注意をしてやって、二度とここに来れねえよう……に……!?)
ラィ・ロシェール特有のしきたり、ディオニシオの機嫌を損なうことなかれ。
それを教えてやるべく、朝もやの向こうでよく顔が見えない人物に近づこうとしたディオニシオは、荷物に隠されていた彼の足元が見えた途端に、驚愕の表情を浮かべることになっていた。
(腕を組んだまま……杭の上に片足を乗せているだと……!?)
ディオニシオは戦慄した。
体が吹き飛ばされるほどではないものの、今日はそれなりに強い風が沖合から吹き付けている。
それを前傾姿勢になって受け止めるでもなく、胸を張って吹き付ける風を真正面から受け止め、尚且つその状態で腕を組んだまま沖合を見つめることが自分以外に……
いや、この自分ですらよろけてしまいそうな強風の中、不安定な姿勢を見事に保っている少年に対し、ディオニシオは畏敬の念を覚えてしまっていた。
(なるほどな……どうやら俺も、進退を決める時期ってやつが来ちまったようだ。あばよ、どこの誰だか分からねえが、今日からその杭とマスターの称号はお前のモンだ)
別にその杭がディオニシオの私有物であるわけでもないのだが、杭に足を乗せたままの人物が知らないままに、勝手に杭の所有権らしきものは移譲され。
「エンツォさん人が来ちゃったよ! まだぼっきり折れた杭は直らないの!?」
「そ、そうは言ってもですな、この程度であれば若様の法術でも直せるのでは?」
「あの人が術者だったら俺が杭を直してるって見破っちゃうよ! お願いディオニシオさんにバレる前に早く直して! あーもう杭から離れた場所で剣を振ってたのに、なんでいきなり剣が伸びちゃうんだよ!? カラドボルグ貸してなんて言うんじゃなかった!」
少年が足を乗せて上から押さえつけている杭には、その足元に置かれた大きな荷物……ではなく、布に身を隠した人物から伸びた左手が、杭が折れた部分を真っ直ぐになるように必死に保護している。
そして先ほど杭が折れた場所にかけた、強い粘性を持つ怪しげな液体が入った小瓶を、右手と一緒に布の中に戻していったのだった。
数時間後。
杭に足載せマスターの称号をディオニシオに勝手に送られた人物、言わずと知れたクレイの姿は再び町の一部を形作る波止場にあった。
港町ラィ・ロシェール。
対岸にはヘプルクロシア王国が存在するアルフォリアン島があり、また魚貝類の水揚げ量においては聖テイレシア王国随一を誇る、アルメトラ大陸の中でも選りすぐりの港町である。
「全然見えないよ~? 本当にこのカ・トゥ・カレー海峡の向こうにアルフォリアン島があるの? エンツォさん」
「うんむ。確かにありますが、さすがに岬に建てられた大灯台の上からでないと、向こうを見るのは難しいでしょうな」
「えー? 今からだと灯台に行く時間なんて無いだろうなぁ……仕方がないや、今回は諦めよう」
沖を見つめていたクレイが、側に立つ大男エンツォの言葉を聞いてガッカリすると、その後ろに立っていた一人の少女が得意気に胸を張る。
「空を飛べるようになれば上から見えるわよ。なんなら今からあたしが教えてあげてもいいわよクレイ? そりゃもう今までの怨みも込め……あぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」
「クレイ様! いきなりガビー侍祭がこんがりきつね色になってしまわれました!」
「そろそろ乗船の時間でございますクレイ様。先に乗り込んで安全を確かめ、しかる後にクレメンス王妃とジョゼフィーヌ王女のエスコートを」
「あー……うん」
そして胸を張った直後、なぜか焦げて地面に転がった少女ガビーからクレイはそっと目を背けると、銀髪の執事ベルトラムに促されるままに、逞しい巨体を誇るエンツォ、そしてサリムと共に小舟に乗り込んで沖に留められた巨大船へ向かう。
「おう、待ってたぜクレイにエンツォ。ベルトラムも元気そうで何よりだ。そっちの小僧が元魔物のサリムって奴か?」
そして降ろされた縄ばしごで船に乗り込むと、そこには船の船首像の横で腕を組んで沖を見つめる、ボサボサ頭のディオニシオがいた。
「うん。それと……ほらティナ、背中に隠れてないでディオニシオ伯にご挨拶」
「は、はじめまして……ウチ、フェアリーのティナって言います……」
「お初にお目にかかります。クレイ様の側仕えとなったサリムと申します」
眼帯、そして付け髭をしたディオニシオの面相は、初対面の者にはかなりの威圧感があるようで、翅妖精のティナはおろか、サリムまで緊張した声で挨拶をする。
「おう、初めましてだ。まあそんなに緊張するない二人とも。別にお前らを取って食うために来たんじゃねえんだ」
だがそのような反応には慣れているのか、ディオニシオは気を悪くした様子もなくティナとサリムの二人に笑顔を向けた。
「なんか嬉しそうだねディオニシオさん。何かあったの?」
クレイはそんなディオニシオを見て、どうやら今朝のことはバレてなさそうだと思って話しかけたのだが。
「おう、よくぞ聞いてくれたクレイよ。実は今朝のことなんだがな……」
「へ? 今朝のこと?」
直後からクレイの胃はキリキリと痛みはじめ。
そして。
「つーわけで少々シャクだがしょうがねえ、その無礼な行為を見逃してやって、この大海のように広い心で、杭に足載せマスターの称号を譲ってやったってわけだ」
「へ、へー……そうなんダー」
すっかり強張ってしまったクレイの顔。
ディオニシオはそれに気付かず、話が終わるとクレイの肩をポンポンと叩くと船の中央へ向かおうとするが、その途中で足を止める。
「そういやお前が天使になってヘプルクロシアに行くって聞いたティアマト様が、本体をアギルス領から戻したらしいぞ。せいぜい見つからないように大人しくしとくんだな」
「えっ」
そして茫然となったクレイの顔を見ると、ディオニシオは豪快な笑い声を上げながら右足を振り上げ、甲板へ叩きつけた。
「そんじゃぼちぼち出港の時間だぞてめえら! 我が国きっての高貴なる御方の乗船だ! このディオニシオのメンツを潰すような下手な操船しやがったらただじゃおかねえ! てめえら全員甲板掃除の見習いからやり直しだ分かったな!」
それが彼にとっての、出港の合図であった。
ディオニシオが船員たちに檄を飛ばすと、程なくヘプルクロシア王国へ特使として赴く王妃クレメンス、王女ジョゼフィーヌが小舟に乗って巨大船に近づく。
「それじゃ私にしっかり捕まっておきなさいジョゼ」
「はい、お母様」
そして揺れる小舟の上にも関わらず、しっかりとした足取りでクレメンスが立ち上がると、王女ジョゼフィーヌを小脇に抱え、海面から五メートルはあろうかという高さの甲板へと飛び上がってクレイたちの出迎えを受けた。
「……相変わらずの腕前ですね王妃殿下」
「兄から譲り受けた剣クルージーンもあるし、これくらいは造作も無いよ。それに王妃とは呼ばれても、これでも旧神ルーの血を引き、テイレシアで騎士としての訓練を受け、一時はヘプルクロシアの……どうしたのだクレイ。顔色が良くないぞ」
「本当に……まだ出港してないと言うのに、もう船酔いですか? クレイ兄様」
二人を出迎えたクレイがへとへとに疲れていることに、クレメンスとジョゼフィーヌは奇異の目を向けつつ、客室へと降りていった。
「あー……ゆううつだ……またティアちゃんに絡まれなければいいんだけど……アギルス領に逃げ込んだヤム=ナハルと一緒って聞いたから大丈夫と思ったのに」
「ほうほうティアちゃんと絡みですか。そのお年で恋煩いとは」
「うわエンツォさんいつの間に」
畳まれていた船の帆を、マストに登った船員たちが拡げていく姿をぼんやり見つめていたクレイは、思わず口をついて出た独り言へ反応されたことで慌ててしまい、驚いて隣に立つ大男エンツォの顔を見上げた。
エンツォはベルトラムと同じように、正式にクレイの護衛や教育係に任じられたうちの一人である。
白髪交じりの黒髪を短く刈り、日に焼けた肌には古傷が無数に刻まれている古参の騎士だが、テイレシアの騎士には珍しく精神魔術がまったく使えない。
しかしカラドボルグという、伸び縮みする黒い剛剣を一旦振るえばその力は旧神や上位魔神に匹敵するとも言われ、またその剛直な人柄を慕う者は聖テイレシア王国はおろか、隣国のヘプルクロシア王国にも多かった。
「なにそのこいわずらいって」
「うんむ、いい質問ですな若様。恋煩いとは愛する異性ができた時、その異性が今何をしているか、何を考えているかなどが気になって上の空になったり、どうやったらその異性と一緒にいられるか、もっと仲良くなれるかなどを思い悩んだりするあまり、実際の体調も悪くなってしまうことです」
「ふーん。体はどこも悪くないのに悪くなっちゃうの?」
「その通りです。若様……あ、いやいや、これはアルバ候から聞いた話ですが、シキソクゼクウ、クウソクゼシキと申す何らかの決まり事があってですな、精神が身体に影響を与えたり、その逆があったりなどは珍しいことではないそうです」
「なるほど全然わかんない」
「然り。ワシも未だに理解できませぬ」
甲板の上で首を捻り、考え込む二人。
そしてそこから離れた船尾楼では、二人の女性がその姿を見下ろしていた。
「あのように何やら難しい顔をされて……クレイ兄様は今のテイレシアが置かれた難しい状況について、エンツォさんと解決策でもお話になっているのでしょうか」
「えー? あたしには全然そう見えないんだけど。どうせいつものようにロクでもない悪戯でも考えてるんじゃないの?」
その内の一人ガビーが、割と失礼なことを口にしてジョゼに睨まれる。
「いえ、クレイ様も将来はフォルセールを背負う身。私もジョゼフィーヌ様の意見に賛成します」
「サリムは随分とクレイ様に心酔しているのですね。良いことです」
「あ、いえ、ベルトラム様。心酔とかそんな大したものじゃなくて……」
その隣に並んだ二人の男性の一人、サリムがもう一人の男性であるところのベルトラムに慌てて手を振り。
「クレイ様お悩みなのですか? ウチに何かお手伝いできることはありませんか?」
そして一人の翅妖精が、クレイと同じように悩み始め。
[ふむ、それならわらわが直接聞いてやってもよいぞ?]
「おやティアちゃんご無沙汰しております。それではご厚意に甘えてお願いしてもよろしいですか?」
[うむ、大船に乗ったつもりでわらわに任せるがよいぞベルトラム! それではクレイと共に、未知の大海へ出港じゃ!]
いつの間にか現れた少女姿の一人の旧神が、白いワンピースの裾をたなびかせながら、発情した顔でクレイの方へ近づいていった。
出港。




