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第297話 我が生涯はこの少女のためにあり!

「やはりノエルだろう、久しぶりだな……そちらも無事そうで何よりだ」


 スタニックの目の前には、不安定ながらも神聖な雰囲気をまとう一人の少女が立っていた。


 銀色の長い髪を後ろで三つ編みにたばね、利発そうな緑色の大きめの目は、抱える悲しみの重さに耐えられず、伏せがちにスタニックから逸らされている。


 その姿を見たスタニックは、ノエルと離れることになった原因と、離れてからの十年以上の歳月に思いをきたし、思いつく限りの慰めの言葉を口にしながら近づいていく。


 だがノエルから反応はない。


「……」


「どうしたノエル、まさか……喋れなくなっているのか?」


 立ちすくむノエルを見たスタニックの脳裏に、ある過去がよぎった。


 人と話さなくなったものは次第に言葉を忘れ、声を発する喉の動きも衰え、会話をすることが難しくなる。


 スタニックがまだ教会の騎士団に居た頃、牢獄の中で長い時間を過ごしている囚人を解放した時、そのような症状になった者を何人か見たことがあった。


(あれから十年以上……ノエルを一人にしてしまったのが原因か……)


 サンダルフォンを中心とした不幸の螺旋に周囲の人々を巻き込まないため、テスタ村に一人で残ったノエル。


 ノエル自身が望んだこととはいえ、何か連絡の取りようはあったはずだという結論に至ったスタニックは、自らを責めながらノエルへ笑顔を向ける。


「我々は大丈夫だ、よんどころない理由によってヴェイラーグに助力はしているが、それも補給などに限定すると約束を交わしている」


「……!」


 だがスタニックの説明を聞いたノエルは血相を変え、激しい身振り手振りを交えながら何かの説明をしようとする。


「先ほども言ったように大丈夫だ、だから昔のように元気な笑顔を見せてくれ」


 スタニックがそう言って笑った時には、他のテスタ村の住民もノエルに気づいたのか、少し離れたところで顔を合わせ、スタニックとノエルを見ながら会話を始めていた。


 程なく一人の女性が近づき、ノエルを睨みつける。


「よくもあたしたちの前に顔を見せられたもんだねノエル!」


「……」


 そして近づいてきた女性は眉間にしわを寄せて腕組みをすると、ノエルをいきなり怒鳴りつけた。


「いきなり何を言うアリソン! いくらお前がアルノーと……」


「村長さんは黙っててくださいませんか! いくら貴方が前の村長から後を託されたと言っても、村じゃ新参者だ! あたしとノエルの間に口出しはさせませんよ!」


 たしなめようとしたスタニックをも怒鳴りつけ、アリソンと呼ばれた女性がノエルに近づいた時、離れたところでヴェイラーグの兵士と話していた初老の男性が歩み寄ってきて、ノエルとアリソンの間に笑顔で入り込んだ。


「およしなさい、不安な気持ちは誰にでもあるものですが、それは往々にして少し話しあえば消えていくものですよ」


「何だい、部外者はお呼びじゃない……え? ひょっとして貴方は、中央協会で枢機卿を務めていらっしゃったデュール=レイモンド=マザラン様?」


「マザラン……様だと?」


「え、ええ。少し前にモスクラースに買い物に行った時にお見掛けしました」


 仲介に入った初老の男性を見たアリソンが、驚いたように目を見開くと同時に、スタニックが目を鋭くしてマザランを睨みつける。


 だがその緊張は、マザランが苦笑しながらの説明ですぐに消えた。


「ハハハ……恥ずかしながらそれは昔の話、今は配流となってこのヴェイラーグにお世話になっている罪人です」


 マザランはそう言うと、アリソンに笑いかける。


「よろしければお話を聞かせていただけませんか? 何らかのお手伝いが出来るかもしれませんから」


「え、いや、あの……」


 先ほどの勢いはどこへやら、アリソンは急に狼狽えて、マザランの向こうで立ちすくんでいるノエルを体の位置を変えながら見ようとする。


 そしてそれも、音もなく近づいてきた堕天使によって出来なくなってしまう。


[久しぶりだな、スタニック]


「……ジョーカーか。まだ生きていたとは驚きだ」


[ひどいことを言うものだ。陰ながら君たちに援助をし、一度は元ベイルギュンティ領主、エドゥアールが放った刺客から守ってやった私にな]


「何……?」


 いきなり現れた堕天使ジョーカーの姿と、口にしたセリフの内容に、スタニックはアリソンを庇うように素早く前に出て睨みつけた。


「おやおや? そこにいるのは堕天使のジョーカー様じゃないですかねえ?」


「本当に久しぶりですね……今度はどんな卑怯な罠を仕込みに来たんです?」


 スタニックに助成するかのように現れたのは、アルノーとエミリアンだった。


 不快感で表情を満たし、だがジョーカーに対する畏怖は全身から発している。


 そんな複雑な感情の二人からは、如何に目の前の堕天使が恐ろしい相手なのかを、如実に表す恐怖がにじみ出ていた。


 しかしアルノーが次に発した一言により、二人の顔は華やかなものとなる。


「ん? おい、そこにいる可愛い子ちゃんは……ノエルか?」


「え? ノエルさん?」


 十年前と変わっていない、だが変わってしまった二人を見る表情。


 二人はすぐに察し、スタニックと同じように慰めの言葉をかけようとする。


[残念だがノエルは療養中だ。ここには気分転換のために連れてきたのだが、少し刺激を与えすぎたようだ。行くぞノエル]


 だがそれはジョーカーによって叶わず、ノエルもジョーカーの救いの手をよしとしてその場を去った。


「あー、行っちまったな」


「スタニックさん、あの少女はやはりノエルなのですか?」


「ああ、間違いないだろう」


 残ったアルノーとエミリアンが、何の気なしにスタニックに話しかけると、ノエルが背中を向けた瞬間から顔を青ざめさせていたアリソンが、血相を変えてスタニックに詰め寄る。


「ス、スタニック様! アルノー! あ、あたし……どうしよう……」


「どうしたアリソン」


「どうしたんだいハニー、俺たちの子供なら、集落で面倒を見てもらってるだろ」


 どうやらこのアリソンという女性はアルノーと結婚しているらしく、アルノーが気軽な顔でそう言うも、アリソンの思い詰めた顔が和らぐことは無い。


「あたし、冗談のつもりだったんだよ! あたしたちは何とも思ってない、だからそんなに悲しい顔をするなって続けようとして、だってあの子の顔、久しぶりで、思い詰めてて、だから、だから……」


 半ばパニック状態になり、泣き出してしまうアリソン。


 スタニックとアルノーはアリソンを慰め、そしてアルノーがアリソンと二人になると言って離れると、黙って見守っていたマザランがスタニックに近づく。


「失礼、スタニック殿と申されましたか……?」


「ええ、かつては中央協会の騎士団の末席を汚しておりました」


 警戒心もあらわに、マザランに答えるスタニック。


 その姿を見たマザランは苦笑すると、軽く頭を下げてスタニックを驚かせた。


「……枢機卿にまでなられた方が、私のような背教者に頭を下げるなど、あってはならぬことでございますぞ」


「気になさいますな。今は私も背教者の身でございますゆえ」


 マザランは軽く手を挙げてスタニックの謝罪を押しとどめると、聞きたいことがあると言って周囲を見渡した。


「先ほど、あの少女のことをノエルと仰っていましたが……もしや貴方がたはかつてテスタ村に住んでいた方たちなのですか?」


「さようです」


「おお、そうでしたか……ひょっとすると、テスタ村には一人、神父がおりませんでしたか?」


「私は生憎とその頃はまだ騎士団におりましたので……ですが村には、確かに教会が建っておりました」


「おお……そうですか……そうですか……」


 スタニックと幾つかの言葉を交わしたマザランは、満足げに何度もうなづいた後にスタニックに深々と頭を下げた。


「お、おやめくださいマザラン様! 皆が見ておりますぞ!」


「何を仰るのですか。数々の苦難と試練から、テスタ村の人々を長きにわたり守ってきた貴方に、心からの感謝と祝福を授けるのは当然のことでございます」


「し、しかし……」


 スタニックが戸惑っていると、マザランは再びその顔に優しい笑顔を浮かべる。


「それでは私も仕事が残っておりますので、これで失礼いたします。スタニック殿さえよろしければ、後でゆるりとお話でも致しましょう」


 そしてそう言い残すと、スタニックに背中を向けて離れていった。



 数分後。


 マザランの姿は軍の陣からやや離れた草原の中に在った。



(まさか……このような奇跡が私にも与えられるとは……)


 マザランの胸に、苦い一つの思い出が去来する。


 彼が昔、まだ権力の欲に取りつかれていた頃。


 マザランは善良な一人の同僚に罪をかぶせ、追放したことがあった。


 幼馴染であり、良き友人でもあったその男は、追放される原因がマザランにあることを知らなかったとは言え、迷惑をかけてすまないと謝罪し、寂れた村へと去っていった。



 マザランが幼い頃より憧れていた、一人の女性と共に。



 その後しばらくして二人に子供が産まれ、ノエルと名付けられたことは風の噂に聞いていた。


 そして、その後にテスタ村を襲った悲劇のことも。


(主よ、私をヴェイラーグに配流して下さった、その御心に感謝いたします)


 マザランは決意する。


「私の命は……あのノエルという少女を救うために使う……私の命は、この先の人生は、そのためだけにある」


 マザランの目に、かつて権力欲に取りつかれていた頃のような光が宿る。


 だがその光は自分ではなく、ただ一人の少女のために。


 ノエルが歩んでいくこの先の人生を照らすためだけに、マザランの瞳に宿った光は徐々に強さを増していった。

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