第296話 緋色への呼びかけ!
「あん? そりゃ本当かよガッティラ」
「事実らしい。そうだなエリラク」
「はい父上、それにブレダ伯父さん。今回のいくさ、テイレシアとヴェイラーグの二国間の戦いに留まらず、フェストリア王国も参戦するようです」
ヴェイラーグの出陣に対応すべく、テイレシアも出陣して数日後。
決戦の場となるであろう緩衝地帯ムスペルヘイムで、三人の男が話し合いの場を持っていた。
「で? ウチはどうすんだ」
「長老はヴェイラーグに味方すべしと言っている」
あぐらをかいて座っている男たちの一人、ガッティラが肩をすくめてそう言うと、ブレダは鼻で笑って胸を逸らし、腕を床について天井に向けて高笑いをした。
「カカカッ! 老いぼれはその場しのぎの事なかれ主義だからなぁ! テイレシアは何とでも言いくるめられるが、ヴェイラーグはそうじゃないってことだろ。エリラクも心の中じゃ長老のことをそう思ってるんじゃねえか?」
部族の先達である長老を悪しざまに言った後、ブレダはエリラクに話を振る。
しかも暗に同意を求める、エリラクも自分と同意見だろうという底意地の悪い語彙を含めて。
それに勘付いたエリラクは苦笑すると、いくつかの懸念材料を頭に思い浮かべ、若衆の要望を口にする。
「やはり我々若衆の意見としては、これまで通りこの地域の未来に思いを馳せたく存じます」
「……そりゃ俺たちみたいなやりたい放題の年月を経たオッサンたちは、過去の栄光と今の安寧がすべてだけどよ」
「たちなどと、ワシのことも含めんで欲しいものだなブレダ」
「あん? 自分は無関係みたいに言ってんじゃねえぞガッティラ」
「ワシは族長としての体面があるからな。まあエリラクが言いたいことはある程度分かる。過去、現在、未来の比重が、エリラクたちと我々とは違うのだろう」
やや投げやりな感想をブレダが言うと、それをたしなめるようにガッティラが補足をする。
エリラクはそんな二人を見て、険悪に見えてもやはり心の中では通じ合っているのだろうとホッとし、テイレシアとヴェイラーグのそれぞれの交渉条件を出す。
「ヴェイラーグは我らの信義を問う書簡を寄越してきました」
「なんだって?」
「信義ですブレダ伯父さん。真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすことです」
真顔で迫りくるエリラクの気迫にブレダはやや気圧され、だがどうしても納得がいかないようで、眉間に縦ジワを寄せて睨みを利かせ、エリラクの圧を跳ねのけようとする。
「あのヴェイラーグが信義だあ? そいつぁひょっとしてギャグで言ってるのか?」
「ヴェイラーグの支配者が、そんなファンキーな外交をするようになったというあり得ない狂言より、このセテルニウス世界の天と地がひっくり返るという、荒唐無稽な予言のほうを僕は信じるでしょうね」
だがその反抗はあっさりと粉砕され、ブレダは無駄な努力のかけらを吹き飛ばすように深いため息をついた。
「ひどいなお前。どういう教育を受けたら、こんな思いやりのかけらもない言葉を吐けるんだ」
「こういう傍若無人な言い回しを教えてくれるのはブレダ伯父さんですね。さてヴェイラーグの書簡の内容に戻りますが」
エリラクはブレダを突き放すように言うと、ヴェイラーグからの書簡をスラスラと読み上げた。
「最後はこう結んでありますね。長きにわたり親交を結んできたよしみで、そちらの不義理は無かったことにするゆえ、どうか力を貸してほしい。とのことです」
「要は俺がヴェイラーグの将官を殺したことを見逃す代わりに、アイツらに味方しろってことか。反吐が出るな」
他人事のように話すブレダを、今度はガッティラがジロリと睨みつける。
「やった本人が言うな」
「あぁん? アイツらが先にこっちの庭先をうろついて不文律を破ったんだろうが。悪いのはヴェイラーグだ」
「それでも殺すのはやりすぎだ。こちらから仕掛けたのなら尚更にな」
「そりゃアイツらは軍隊、こっちは寄せ集めの警備兵だぞ。やられる前にやれ、だ」
「よくいって野党の群れだな。そもそも我々の住んでいる地域は、住んでいる本人たちですら国と認識していないし、当然他の国からも認められていない。だからこそ領土の境をあいまいに出来るし、今まで見逃してももらえた」
ガッティラがそう言うと、ブレダは目を鋭くして低い声で疑問を呈す。
「……もうそんなやり方が通用しなくなったってことか?」
「時代の流れというやつだ。ムスペルヘイムの中だけ見ていては分からんだろうが、外からの客人を見て、このままでは我らは滅びると確信した」
「客人たぁ、あのリュファスって小僧か? それともクレイって天使様か?」
「エルザという天使様の方だ。運河を引いて大地の水はけを良くすれば、泥炭地は徐々に普通の大地へと変わっていき、耕作地として開発することも可能でしょう、とまあ素知らぬ顔で言ってはいたが、その実は我々の頼みの綱とする泥炭地は、もう防壁として通用しないという脅迫であろう」
「……さすが裁きの天使どのをも従えるエルザ司祭だな」
「あ、はい、そうですね僕もそう思います」
大人二人が恐怖に包まれる様を見たエリラクは、それはちょっと解釈違いなんじゃないかなーと戸惑いながらも、とりあえず同意を返してその場を濁す。
「我らの戦術が通用しなくなる時代は、すぐそこまでやってきているのだブレダ」
「そうか」
抗弁すると思いきや、存外素直にブレダは納得し、困った様子でガッティラの顔を見た。
「それでどっちに付く。俺たちの未来って奴のためには、そいつが一番重要なんだろう?」
ブレダの問いを聞いたガッティラは、腕を組んでしばし考え込む。
「先ほどお前が長老を皮肉ったことがいみじくも答えになっているか。一時をしのぐならヴェイラーグ、長き安定を求めるならテイレシア」
「補足するなら、困難から目を背けるならヴェイラーグ、困難を乗り越えるならテイレシア、だな」
ブレダがニヤリと笑って答えると、ガッティラもまた不敵な笑みを浮かべる。
「煽るではないかブレダ兄貴」
「あん? そりゃなだめて慎重にことを進めたがる奴がいれば、煽って焚きつける奴が必要になってくるだろうよ、ガッティラ」
「確かにバランスは重要だな」
ガッティラはそう言うと立ち上がり、天幕の外へと向かう。
「長老を説得する。ついてこいエリラク」
「はい父上」
「おう、いい知らせを待ってるぜ二人とも」
ガッティラに声をかけられなかったブレダはというと、座ったまま馬乳酒を酒器に注いでいた。
そして二日後、ムスペルヘイムの各地へ参戦をうながす密使が次々と発せられたのだった。
こうして世界は動き出した。
ヴェイラーグという巨大帝国によって。
それはこの人々にとっても例外ではない。
「なんだと……もう一度言ってもらいたい、使者殿」
「本日付けをもって、テスタ村の諸君らはヴェイラーグ軍へと編入された。かつてエカルラート=コミューンと呼ばれた手腕を、如何なく発して欲しいとのことだ」
「そんな無茶な! 我々はもう吸血鬼でもなければ、暗殺に関わってもいない!」
「そう心配しなくても良い。諸君らが戦いから遠ざかって長いことは皇太子パーヴェル様もご存じだ。補給などの警護に回ってくれるだけで良いだろう」
フードを被った初老の男、テスタ村の現在の指導者スタニックは、いきなり現れたヴェイラーグの使者が持ってきた言伝により、絶望の底へと突き落とされた。
「そいつは本当ですか村長」
「本当だアルノー」
使者が帰った後、スタニックの住む丸太小屋には二人の男が訪ねてきていた。
一人はアルノー。
軽薄そうな顔とやや長めの黄土色の髪を持つ、中年の男である。
「そんなことを言っても、日頃から鍛錬している我々はともかく、村の人たちはもう戦いなんて忘れてますよ」
「分かっている、だからそんな悲痛な顔をするなエミリアン」
もう一人はほわんとした黒いくせ毛の青年、エミリアン。
これにスタニックを合わせた三人は、元々教会の騎士団に入っていたのだが、任務でテスタ村の討伐に向かった際に真実を知り、そのままテスタ村の住民を守る守護者となった者たちである。
それから数々の死地をくぐり、実際に死んだこともあるが生き返り、今でもテスタ村の人々を守るために共に行動していた。
「まあ、エミリアンがそんな顔になるのも無理はありませんよ村長」
「そうだな……」
スタニックはフードを脱ぎ、短く刈り込んだくすんだ金髪を窓の外へ向ける。
そこに何かがあると言うわけでは無かったが、窓の外に広がる村の景色の一部には何かが存在しているようだった。
「せっかく息子と共に暮らせるようになったのに、まさかこんなことになろうとは」
「仕方ありませんや、まさか姫さんを見捨てるわけにもいかなかったでしょう」
「それにスタニスラスさんが投降してくれなければ、僕たちは皆殺しでしたよ。それにここに押し込められた後も自分を犠牲にして、僕たちを救ってくれたんです」
「うむ……だがその代償は……」
スタニックはゆっくりと首を振り、そして何かを振り切るようにパァンと自分の膝に手の平を叩きつける。
「村人たちを集めてくれアルノー、エミリアン」
「分かりましたよ村長」
「まあヴェイラーグの使者が来た時点で、皆も勘付いてるかもしれませんけどね」
アルノーとエミリアンはそう言うと椅子から立ち上がる。
それから四日後。
「では行くぞ! 生き残るために我らは再び立ち上がる!」
テスタ村の者たちは、こうしてヴェイラーグ軍へと合流することになる。
だがそこで彼らは、思わぬ顔と再び再会することになった。
「ノエル……? もしかして、そこに居るのはノエルではないか!?」
「……!」
それはかつて、テスタ村の者たちが驚異の暗殺集団、エカルラート=コミュヌと呼ばれるようになった原因を作った少女。
生き延びるため、テスタ村の全員を吸血鬼にした村のもう一人の指導者、ノエルだった。