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第294話 目に焼き付けたもの!

 場所は再びヴィネットゥーリア共和国へと飛ぶ。


 十人委員会の一人、ジョヴァンニ=カッシーニは今日も執務に追われており、妨げとなる外部からの情報をすべて遮断するかのように、紙の障壁を周りに巡らせていた。


 それでも例外はある。



「旦那様」


「どうした」


 執務室の扉がノックされ、数瞬を置いて外から老執事の声が発せられる。


 よほどのことがない限り、声をかけるなと言っておいたジョヴァンニはペンを置き、心を落ち着けて老執事が発する言葉の続きを待つ。


「ヴェイラーグ帝国軍、聖テイレシア王国のアルストリア領に向けて進軍を始めたようでございます」


「そうか」


 心を落ち着けた甲斐があったのか、それとも最初から予想の内にあったのか、ジョヴァンニは老執事の報告を平静を保ったまま受け取った。


「さて、我々はどう動くべきか……それともこの前のタリーニア砦のように、動いた時にはすでにすべてが終わっているのか」


 ジョヴァンニはそっと溜息をつくと、十人委員会のマリーノとアンドレアに会うために、老執事をベルで呼んだ。



 ヴェイラーグ帝国、本軍動く。



 その報はまたたく間に各国を駆け巡り、隣接する国、しない国、はるか遠方に位置する国ですら、それぞれの国においての首脳の心中をおびやかす。


 それはこの国においても例外ではなかった。


「やれやれ、まさかこのような事態になるとは思いませんでしたなあ、陛下」


「とは言っても、これぞ好機と言わざるをえまい。なにせ今度はヴェイラーグの主力が出陣。さすがにタリーニア砦のようにはいくまいよ」


 幾度となくテイレシアと争ってきたフェストリア王国。


 その国王、ヴィルヘルムは不平をこぼすモルトケにそう言うと、傍らで忙しそうに書類の確認をする宰相ビスマルクを、横目でチラリと見る。


「どうだビスマルク、出陣は叶うか」


 国王の呼びかけを聞いたビスマルクは顔を上げると、まるで虫歯の激痛をこらえるかのような(実際にそうなのかもしれないが)苦い表情で国王に頭を下げた。


「出陣そのものは問題ありませぬ。ただ一度取りやめた出陣のやり直しとあって、民衆に動揺が見られます」


「仕方あるまい。このような動乱の時代では、他の国から領土を取れる時に取っておかないと、どんどん領土を切り崩されていくだけだ。自分の身の回りだけしか目がいかぬ民衆の意思を尊重しては、国家百年の大計などとても望めぬよ」


 ヴィルヘルムは表情を陰らせてそう言うと、何やら忙しく動き回っているモルトケへ冷たい視線を向けた。


「……どうだモルトケ、策は浮かんだか」


「と、言われても、策とは相手があってのもの。ヴェイラーグとの意思疎通はもちろんのこと、ベルナール殿がなぜあんな念話を我らに送り付けてきたのか、その真意が分からぬうちはなかなかに思い浮かびませぬなあ」


「ふむ……」


 モルトケが少しの悩みも感じさせずにあっさり言うと、ヴィルヘルムはあごに手を当てて考え始め、そしてすぐに一つの結論を出した。


「凡人に鬼才の考えることなど分かろうはずもなし。一つの視点にこだわり時間を無駄にするくらいなら、他の視点を手に入れるべし」


 道を大岩が塞いで通れないなら、どかすことを考えず他の道を探すべき。


 ごく当たり前のように感じられるが、道を急いでいる当人にとっては目の前の大岩のみが目に映り、他の道という選択肢が目に入らないことが多い。


「さようでございますなあ。ベルナール殿にこだわらず、他からの情報を多く仕入れると致しますかなあ」


 モルトケは国王の助言を瞬時に理解し、思考を一つの単語へと誘導する。



 離。



 一つにこだわるあまり、他のことが疎かになることのないように、フェストリアをけん引する三人は、それぞれの執務へと戻っていった。


 そしてこの話題の中心となる二国、テイレシアとヴェイラーグの内の一つ。


 いや、むしろこの話題を作り出した張本人ともいうべき国において、一人の老人が寝台の上に上半身だけを起こし、傍らに立つ青年を見上げた。


「ニコライがあっさり敗れるとはな。いや、敗れることは分かっていたが、もう少しくらいは粘ってくれると思っていたぞ」


 その老人、ヴェイラーグ帝国の皇帝イヴァン二世は苦笑した。


 病床についてから長く、もはや生きながらえていることが不思議なくらいにやせ衰えながらも、その声には万民に膝をつかせる覇気に満ちていた。


「それでお前はどうする、皇太子パーヴェルよ」


 イヴァンは優しい声でそう呟くと、寝台の横に立ち、自分を見下ろしている黒髪の青年に問いかける。


「すでに出陣の準備は整っております。陛下の許可があればすぐにでも」


「ほう」


 堂々とウソを口にした実の息子を見たイヴァンは、内心でほくそ笑む。


 実はここ数週間ほど彼は昏睡状態にあり、つい先ほど目覚めたばかりだった。


 その知らせを聞いたパーヴェルが寝室に来る前に、ニコライの敗北とヴェイラーグ本軍の出陣を聞いたイヴァンは再び眠りにつき、パーヴェルの到着と共に再び目を覚ましたように演技をしていた。


「良かろう、お前の思う通りに軍を動かすが良い」


「ありがたき幸せ。それでは陛下、行ってまいります」


「うむ」


 パーヴェルは答えると同時にイヴァンに背を向けると、あわただしく寝室を出ていった。


「ふん、ワシが寝ている間は、あやつがこの国の長。ワシに遠慮し、機会を逃すようであれば、あやつの皇帝継承権も考えねばならぬところだったな」


 あらかじめ軍を出撃させておき、自らは皇帝の目覚めを待って、皇帝の命令の元に軍を動かしたという体裁を整える。


 事後承諾とも言えるそのやり方は、単に筋を通すというだけではない、国の規範を守って軍を動かすことにこそ意味があるのだ。


 それはもしパーヴェル自らが皇帝に立った後、命令に従わぬものを厳罰に処する根拠となるものであるからである。


「テイレシアの二柱が一人、ベルナールは遠く要衝タリーニア砦にあり、大軍では進軍にも撤退にも時間がかかる天険の地」


 イヴァンは呟き、パーヴェルが出ていった扉を優しい目で見つめた。


「これが今生の別れであろう。さらばだ愛しい息子よ」


 そして彼は寝台に体を預け、ゆっくりと目を閉じたのであった。



「パーヴェル様」


「なんだ」


「よろしかったのですか? 如何に先ほど許可されたとはいえ、陛下の許しも得ないうちに出撃の準備をし、あまつさえ出撃してしまって」


「そんなことか」


 イヴァンと別れて騎乗し、街を進むパーヴェルは、横を固める騎士を鼻で笑う。


「陛下の許しなど些事。そもそも俺は、ニコライが少数でタリーニア砦を落としてみせると豪語した時から、出陣の下準備をしていたからな」


「ニコライ様が負けると分かっていたと?」


「奴はいくさに勝つことを手柄と思い、ベルナールを討つことにこだわりすぎた。タリーニア砦を奪い、そこを堅守して、ベルナールを釘付けにすることがヴェイラーグ帝国にとっての勝利だったものを、奴は自分一人の勝利にこだわってしまった」


「なるほど……」


「まあ、奴がそうなることが分かっていたからこそ、俺は前もって準備をしていたのだがな」


「非情ですな」


 ニコライへの侮蔑を隠そうともしないパーヴェルを見て、並走する騎士はやはりニコライへの軽蔑を隠そうともせず、ふくみ笑いをしながら答える。


 持っている才覚ゆえに、自分一人を頼みにするきらいのあるニコライは、どうやらヴェイラーグ内でも快く思っている者は少ないようであった。


「情にほだされては、公平な判断など出来ぬからな。国を率いなければならぬ者としては、当然のことだ」


 パーヴェルはそう言うと、馬の手綱を握って腹を蹴ろうとする。


「あ、パーヴェル様だ!」


「パーヴェル様~」


 しかし数人の子供が路地より出てきたため、パーヴェルは持った手綱を絞り、馬の進みを止めた。


「みな元気のようだな」


「はい! パーヴェル様もお仕事頑張ってください!」


「当たり前だ。だから俺が戻ってくるまで、お前たちも頑張るのだぞ」


「はい!」


 パーヴェルは子供に笑顔でそう言うと、道路の脇に避けてパーヴェルの進む道を開ける。


 それを見届けるとパーヴェルは子供たちに手を振り、馬の腹を軽く蹴って速度を上げ、門から外へと出ていった。



 その目に、子供たちのやせ衰えた体を目に焼き付けてから。

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