第29話 ゼウス、キレる!
「あーひどい目にあった……ただいまー」
あの後エレーヌから解放されたクレイは、どうやら彼の気持ちを察してエステルに話を通してくれたらしきイリアスに礼を言った後に店を出て、気疲れだけでは無い疲労に全身を包まれつつも、ティナと共に帰宅の途についていた。
「腕輪がはめられている箇所に意識を集中させすぎず、重さを全身に循環させるって言われても分かんないよイリアスさん……」
店を出る前、どうやらクレイはイリアスに大海の戒めに対抗するすべを習おうとしたようだが、それは今の彼には理解できない種類のもののようであり、門を通る際に番兵に挨拶された時も手を上げることすら出来ない有様であった。
「ティナ、ちょっと待った。ドアなら俺が開けるから」
「大丈夫ですか? クレイ様。よろしければ私が少し腕輪を支えて……」
「ん、大丈夫。ティナは病み上がりなんだから自分の方を気遣ってくれよ」
「は、はい」
クレイが扉を開けようとして腕に力を入れた時、ティナが慌てて扉のドアノブに飛んでいく姿を見たクレイは声を上げて彼女を押しとどめ、歯を食いしばりながら腕を上げていく。
(うおおおお! 燃え上れ俺の内面宇宙的な何か!)
カチャ
(おおおお!? ドアが自動的に!?)
「お帰りなさいませクレイ様」
「……ただいまサリム」
「なんで不満そうな顔をしてるんですか!」
ようやくクレイが腕をドアノブの高さまで上げた時に扉は開かれ、そこには新しく館に雇われたサリムが彼を出迎えていたのだった。
「あのくらいで怒るなよサリム~。ずっと勤め先を決めようとしなかったお前がきちんと仕事してるなんて凄いじゃん~?」
「怒ってるのはクレイ様のほうじゃないですかね~? そんなに先に扉を開けられたことが悔しかったんですか~?」
主人を出迎えるという仕事を見事にこなしたサリムに与えられた報酬はクレイのふくれっ面。
だからであろうか、主と従者という関係であるはずの二人はギスギスした雰囲気の中、嫌味を言いあいながら広間へ向かっていた。
「それにしてもまた赤の衣装を出されるとは思わなかったよ。昨日俺がもらったブリオーは白だったのにさ」
「ご不満ですか?」
「そう言うわけじゃないけど、ほら赤色ってなんか女の人のイメージがするじゃん」
クレイはそう答えた後、サリムと二人で間を飛ぶティナをほぼ同時に見つめる。
「え、えっと……そんなに見つめられるとウチちょっと恥ずかしいです」
するとティナは半透明の体にぽっと赤い光を宿し、下を向いてしまっていた。
「だってさサリム」
「俺だけ!? いや、でも俺って翅妖精って見るの初めてだしそれに……ええと、なんかごめんねティナさん」
「い、いえ……」
するとなぜかティナとサリムの周囲は温かな雰囲気に包まれ。
「ティナもここで住んでるんだからいつでも見ればいいさサリム。それじゃお客様ってのが誰か分からないけど、会いに行こうか」
もじもじする二人を微笑ましく思いつつ、クレイは先頭に立って足取り軽く広間へ向かうのだった。
「おう、久しぶりやなボン」
「ゼウスのおっちゃん!」
クレイの入室を知らせる声と同時に、広間にずらりと並べられた椅子の一つに座っていた白髪の男性が席を立つ。
それはクレイにとって家族とも言える旧神ゼウスであった。
筋骨たくましい体を、布を巻きつけたような衣服である白いトーガで包み、温厚そうに見えながらも、恐ろしいほどの内圧を持つその顔には豊かなヒゲ。
「……今日は誰にビンタされたの」
「あー気にせんでええ。これは男にとって勲章みたいなもんやからな」
そしてバラのような大輪のビンタが一つ、盛大に咲き誇っていた。
「まったくもう、私と一緒に行動している時くらいは大人しくなさいなゼウス」
そのゼウスの隣には、真紅のバラすらたちまちにして色あせてしまうほどの美しさを誇る女性が一人、黒色のトーガを身に着けてあでやかに立っている。
「初めましてクレイ、私はヘーラー。今日は新たな天使の誕生祝いに、ゼウスともどもお招き頂いて感謝しておりますよ」
「初めましてヘーラー様。新しく天使と成ったクレイ=トール=フォルセールです」
オリュンポス十二神の一人にしてゼウスの妻、神々の女王であるヘーラー。
こちらの世界でもやはりゼウスの浮気に手を焼いており、理不尽な罰をゼウス本人ではなく周囲の者に与えることで恐れられている。
しかし今は初夏。
ヘーラーは春に神事を行い、一年分つもりにつもったゼウスへの怨みを洗い清めるらしく、クレイが見たところではまるで穢れを知らぬ少女の如き美しさを誇っていた。
「ようやく来たかクレイ。お前はゼウスと反対側の席に座ってくれ」
「はい陛下」
そして広間の奥には聖テイレシア王国を治めるシルヴェールと、その妃であるクレメンスが座っており、クレメンスの隣には王女であるジョゼフィーヌ。
向かって右にはゼウスとヘーラーが座っており、クレイはその向かい側に座っているテイレシアの重要人物の隣、つまり騎士団長ベルナールの隣に座るようである。
(アルバ候がいない時にゼウスが来るなんて珍しいな……それに新しく天使になった俺が陛下の隣じゃなくて、ベルナール団長の隣に座るってことは……)
本来ならこの席には領主であるアルバトールが座るはずであるが、彼は現在テイレシアの東、ヴィネットゥーリア共和国へと外遊に出かけており、この場にはいない。
つまりクレイはこの宴に主賓ではなく、アルバトールの代理という形で呼ばれたと言うことになる。
「……なんでヘルメースがいるんだよ」
「仕事が終わったからだな。というかゼウスが来るんだから、伝令役である僕も来るに決まっている」
しかしベルナールの席から一つ席を空けたところには、澄ました顔でヘルメースが既に座っており、それを見たクレイがジト目で苦情を申し立てるも、緑色の神がそれを聞き入れる様子はない。
「オリュンポス山にゼウスが戻ってもフォルセールに居るのに?」
「忘れてもらっては困るが、僕にも神としての役割が色々とあるのだぞ。それはそれとして、君はこのような席に呼ばれるのは初めてか? この際、国や神々を動かす立場にあるものが集う宴は、飲み食いをするだけの場ではないと言うことを学ぶといい」
さらにヘルメースが告げた言葉に、ぐうの音も出なかったクレイは大人しく席につき、周囲の様子を……と言うよりは、列席している五十名以上の言動や仕草をじっと見つめ始める。
つまり観察の目を周囲に向け始めていた。
(天使の叙階の時に、アルバ候が言っていたのは本当っぽいな。俺がヘプルクロシアに特使に行った時のために、天使誕生を祝う宴にかこつけて俺の作法のチェックをするつもりだな。そして陛下やゼウスの振る舞いから、裏交渉を学び取れって感じか)
宴に入る前の祈りはほぼ省略され、食事をとれる感謝の意を述べたのみ。
普段であれば主に感謝をささげるところであるが、さすがにゼウスの前と言うことで省略されたのだろう。
(相手の威を立て、自分の意を相手に気付かれないようにそっと立てかける……現在のテイレシアの国力を考えるとそんなやり方になるんだろうな。そう言えば眠れる獅子と称される、遥か東の大国はどんな外交をしてるんだろ? 相手の意思を無視して、自分の意見のみを相手の目の前に突き立てるようなやり方なのかな……ん?)
クレイが周囲に目と心を配っていると、シルヴェールの挨拶が終わった途端にゼウスが席を立ち、招待客の挨拶もほったらかしで彼の方へ向かってくることに気付く。
手に銀の酒器を持っているゼウスが。
「ゼウスのおっちゃん、俺まだ十六歳になってないからワインは飲めないんだけど」
「ええがなええがな。というかこれはワインやないで。ネクタールっちゅうて神の宴会に出される……」
「いや飲んじゃいけないのはワインと一緒だよ!?」
ゼウスが持っている酒杯に注がれた中身からはオリュンポス十二神が宴に使う飲み物、ネクタールの放つ芳醇な香りがふわりと漂っていた。
つまり子供が飲むにはまだちょっと早そうな香りである。
しかしシルヴェールが気を使っている相手、肝心のゼウスはそれほど礼儀作法に厳しいわけではなく、自分がやりたいように楽しむ方が優先のようだった。
その匂いを嗅いだクレイがどう断ろうかと困った顔をすると、それを見たベルナールがすぐにゼウスに取りなして事なきを得る。
「ゼウス殿、一年中宴を開いている貴方がたと違って、人は宴の最初と最後に重きをおいている。貴方が目にかけてきたクレイが天使になって嬉しいのは判るが、ネクタールはもう少し待って頂けないものだろうか」
「分かった分かった。相変わらず固いやっちゃでベルナールは」
さすがのゼウスも、聖テイレシア王国きってのうるさ型であるベルナールは苦手としているのか、肩をすくめただけで特にゴネもせず戻って行く。
そしてその後ろ姿を見送ったベルナールは、クレイへ人生の先輩としての助言を口にし始めていた。
「あんな時はラファエラ司祭の名前を出したまえ。彼女はこう言ったルール破りには特にうるさいから、相手がゼウスであろうと叱りつけてくれるだろう。一人で勝てない相手に勝利を収めるには、他者の手を借りることも必要だ」
「は、はい」
「人が生きるにまず情報ありき。日頃から周囲の情報を集め、どのカードをどのカードに当て、どのカードをどのカードへの当て馬とするか。常にシミュレートしておくようにするとこの先の人生が楽になるぞクレイ」
クレイはベルナールの助言に頷くと、カードの例えにふとあることを思い出す。
「そう言えばまたエンツォさんの給料をカードで巻き上げたって聞きましたけど」
「機織りの守護神でもあるアテーナーの宿り主、エステル殿のお造りになる衣装を欲しいと騒ぐ者が周囲にいてな。きちんとその分を上乗せした額を支払ったから問題ない」
「レナさんか……大変ですねベルナール団長も」
「もうその時ではない、と言っているのだがな。おっとゼウスの挨拶が始まるぞ」
ベルナールが視線をクレイからゼウスに移動させるのに合わせ、クレイも向かい側にいるゼウスへと顔を向ける。
「ほな盛大にやろか」
(それだけかい!)
そしてゼウスの挨拶が二秒で終わったのを聞いたクレイは、テーブルに置かれた彼専用の器にワインではない赤い飲み物、つまりトマトジュースが注がれているのを見て、たちまち口をへの字に曲げるのであった。
レナとは宮廷魔術師の筆頭であり、ベルナールと共に住んでいる女性である。
なかなかに活発な女性で、王都が陥落した後にベルナールのところに自ら飛び込んでいき、そのままなし崩しに住み始めてから十年以上が経っていた。
「まだその時ではないと断られていたのに、とレナに随分愚痴を聞かされたものだ」
「これは陛下、恥ずかしい所を聞かれたようで面目ない。後でレナには公私を区別するように言っておきますのでご勘弁を」
「構わんよ。民の愚痴を聞いて解決するのが王の仕事でもあるからな」
澄ました顔でシルヴェールが応えると、その後ろから再びゼウスがやってくることに気付いたベルナールが立ち上がり、今度はクレイも立ち上がって旧神の最大勢力、オリュンポス十二神の長であるゼウスを迎えた。
「何やお前ら。やっとるのう、とでも言おうと思っとったら、まだ最初のワインが酒杯に残っとるやないか」
それを聞いたシルヴェールがすぐさま酒杯を口にし、見る間に赤い液体を飲み干す。
「そちらの愛想も何もない挨拶を聞いたせいで、厳しい冬を耐え抜いてようやく宴を開催できる喜びが半減してしまったぞゼウス」
「挨拶なんかいうまどろっこしいことをやっても楽しゅうないからの」
「いつでも宴を開ける神と人との違いか。早く王都を奪還して平和な世の中に戻し、戦費を国土の開発へ向けたいものだが」
そこまで言うとシルヴェールはちらりとゼウスの顔を覗き見て、その反応を窺う。
「ワシもいつかそうなることを願っとるで」
しかしゼウスの返答からは、テイレシアに協力しようとの言質をとる手がかりすら見つけることができず、だがそれを既に承知していたであろう諦めの溜息を一つつくと、シルヴェールは二言三言ゼウスと言葉を交わしてその場を離れていった。
「やれやれ、我が国の女性に向ける情熱を、そろそろ我々にも向けてほしいものだ」
「そんなワシが悪いみたいな言い方をするもんやないでベルナール。それにワシは女性だけでなく男性にも情熱を向ける寛大さを持ち合わせとるがな」
「節操の無さの間違いではないのかね」
「どっちも受け入れる懐の深さの間違いやな」
ゼウスの減らず口にベルナールは溜息をつき、温和な目をやや鋭いものとする。
「二つの強国が相争って疲弊し、その後を第三国が喰らうと言う戦略は昔からよくあるものだ。我が国の中心人物と何人も親密にしている割に、積極的介入をしない貴方がたを見ていれば、疑ってかかりたくもなろうと言うものだ」
聞くものが聞けば、無礼極まりないと感じられるであろうベルナールの発言。
しかしこれまでに何度も繰り返されてきたやりとりなのだろうか、言葉を発した本人も、それを聞いたゼウスも、聞き耳を立てているであろうヘルメースも敢えて非礼を指摘することも無く、談笑は続いていく。
よってその場の空気に変化をもたらしたのは、クレイの一言だった。
「でもゼウスが本気で雷霆を撃てば天魔大戦ってすぐに終わるんじゃないの? この前、昔は世界のことごとくを焼き尽くしたこともあったって言ってたよね? それともゼウスでも魔族の親分は怖いの?」
「ほー……なかなかおもろいことを言うようになったやないかクレイ」
そのゼウスの返答に、和やかな雰囲気で進んでいた宴は即座に凍り付いた。




