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第287話 現場の空洞化!

 テイレシアが出陣して三日後。


「ようやく出陣か。砦を落とされてから一週間の後とは、天魔大戦の最中にある国とはとても思えん、悠長なものだな」


 つまりタリーニア砦がヴェイラーグによって落とされてからちょうど十日後、砦を攻め落としてそこに駐留しているヴェイラーグ軍の大将ニコライは、目の前の斥候に楽し気な目を向けた。


「夜を徹しての伝令ご苦労であった。ゆっくりと休むが良い」


 ニコライは伝令の労をねぎらうと、傍に控えるチエーニに目配せをし、斥候に特別手当を渡させてから下がらせる。


「さて、この辺りの地形はすでに把握した。後は伏兵を置くか、それともこの砦まで奴らを引き付け、籠城戦に持ち込むかだな」


 人払いをした後、ニコライは目の前の机の上に広げた地図を、なめるように見つめる。


 地図に描かれた砦の周囲は、クモの巣のような細い道が迷路状になっており、その上に所々が隆起した岩で寸断されているようであった。


「さすがはオーディンと言った所か。勝てはしなかったが、天使との戦いで出来た大穴の余波ですら、このような複雑な地形にしてしまうとはな」



 北国フェストリアで信仰されていた旧神オーディン。


 かつては強大な神であった彼も、カリストア教の教えに民が同調していくにつれ、その力を失っていく。


 そして率いるアース神族の神の一人がとうとうその存在を消失してしまった時、主神であるオーディンは当時開戦していた天魔大戦に乗じ、魔族に与して天使たちに戦いを挑んだ。


 だが奮戦虚しく敗れ去ってしまい、龍王バハムートによって封印された彼は、最後の戦場であり、今は海の底に沈んでしまったカットワ湾の底で今も眠っているという。



「砦周囲の道は細く入り組んだ地形で、拠点を奪い返すのに必要な大軍の運用は、ほぼ不可能」


 ニコライは地図の上に指を置くと、不規則にその上を滑らせる。


「その上にオーディンと天使の戦いから噴き出し始めた、オーディンの怨念と呼ばれる毒ガスによって道が通行不可能になることもある、まさに難攻不落の砦。どうやってこのタリーニアを奪い返すつもりだ、テイレシアよ」


 そして不敵な笑みを浮かべると、特に見通しの悪いいくつかの地点を地図上に指し示し、チェスの駒を置いていった。



 その頃、ニコライが到着を待ち望んでいるテイレシア軍は。



「ベルナール将軍」


 馬に乗って近寄ってきたアランの声を聞いたベルナールは、忠誠心厚い部下が少し離れた場所で下馬をするのを馬上から見ていた。


 白髪の将軍ベルナール、このアルメトラ大陸において随一の将と呼ばれる彼は、アランが行軍停止の具申をするのを聞いて苦笑した。


「先ほど休憩したばかりだろう。タリーニア砦に着くまではまだまだ時間がかかるのだから、道草をくっている暇は無いぞ」


「まさしく。ですが兵たちは少々違うようなのです」


 アランは膝をつき、敬意をもってベルナールに説明を始めた。



 テイレシア軍は行軍を急いではいたものの、やはり砦からはまだまだ遠い場所にいた。


 だがそれも無理はないと言える、なにせ数年ぶりの本格的な行軍であるのだ。


 訓練と実践ではやはり違いはあるし、実際に生死をかけた戦いに臨まねばならないとあれば、緊張感による疲労も出てくる。


 特にテイレシアでは新しい城壁を必要とするほど爆発的に人口が増えており、必然的に新顔の兵士――若い兵士のみを指すのではない――の比率が増え、それが行軍の一体化を妨げていた。



「ふむ、一理ある」


「我々が思っていたより、現場の空洞化は激しいようです」


「常識に沿った訓練は行っていたが、それ以上のことは得られんか……絶えず変化を求められる、戦場に即したものに変更せねばならんな」


 ベルナールはそう感想を述べるも、その顔には落胆の色も焦燥の色も、ましてや憤然の類に属するものも無かった。


「王都陥落で人材が一気に旅立った影響が出てきてしまったな。柱となっていた能力ある者が上へ引き抜かれ、現場を担う若手たちが成長せねばならぬと言うのに、後から入ってきた者たちの育成もせねばならん」


「おまけに訓練で肉体を鍛えることは出来ても、実戦を経験せねば精神面の向上はなかなか見込めぬとあれば……」


「うむ、こうなることは予測していたが、こればかりはどうしようもない」


 ベルナールはアランに休息の許可を出し、その背中を見送ると自らも下馬して辺りの気配を伺った。


「さて、今回のいくさはどうなることやら」


 そう呟くと愛馬の首を撫で、水を飲ませるべく手綱を持って川の方へ向かったのだった。



 さらに三日後。


 ニコライは別の斥候から報告を受けていた。



「ほう、まったく焦った様子は無い、と」


「ハッ」


「他に気づいた点はあるか」


「炊煙の煙が徐々に減り、補給を受けては増えるといった行軍をしておりました」


「ふむ」


 ニコライは三日前の斥候に与えた報酬より少し多めに与えて下がらせると、窓から外をジッと見つめた。


(常識的に考えれば、奴らは準備に一週間という期間でも足らず、十分な兵糧を確保できないまま急いで出陣したということになる……)


 地平線の彼方にまだテイレシア軍の姿は見えず、それでもなおニコライは敵の真意を知ろうとするように目を凝らす。


(砦にはまだまだ遠いとはいえ、わが国にも名声が轟くあのベルナールが、そんな分かりやすい弱点を晒すか……?)


 もちろん現地調達を視野に入れた可能性はあるが、自領でそんな愚かな真似をするような指揮官は、遠からず滅びる愚者である。


「フン、これでは一人相撲だな。自分の影法師を見て、驚くような真似は慎まねばならん」


 ニコライは更なる情報を待つも、それを我慢できぬ者たちもいた。



「補給部隊を襲う?」


「如何にも。補給を襲って敵軍の飢餓を誘うは、我がヴェイラーグにとって古代よりの習わし。指揮官殿に置かれてはその役をお果たしにならぬように見えましたので、我らが代わりに、と」


「なるほど」


 偵察から報告を受けた次の日、若い貴族より意見具申があると聞いて執務室に招き入れたニコライは、二十歳になるかならぬかと言った後進の顔を眺める。


(能は無いが地位はある。捨て石……いや、戦意を高揚する尊い犠牲者にはもってこい、といったところか)


 ニコライはそう考え、即座にその愚行を打ち消した。


(増援をここに呼ぶにはまだ不安要素が多すぎる。こやつらのどれかを捨て石にするにしても、それに付き合わされる兵士の犠牲は無視できぬ)



 一兵卒より軽い命というものが、貴族には存在する。



 ニコライは皇帝に見いだされる前の自分を思い出して自嘲すると、貴族たちのまとめ役と見られる若者の前に立ち、その肩に両手を置いた。


「祖国を想う諸君らの気持ちに、このニコライ感動を禁じえぬ」


「おお! それでは出陣を!」


「しかしこの砦は要害の地にあり、易々と陥落することはありえぬ。今はまだ出陣の機にあらず」


「……承知しました」


 出陣を禁じるニコライの言に、居並ぶ貴族の若者たちは落胆の色を隠しきれず、あからさまに不満の表情を浮かべながら退室した。



「クク、そういう所が軍を任せきれぬ原因と言うに……しかし気になるな」


 貴族の若者たちの中に一人、表情を少しも変えずにニコライの目を見つめていた者もいた。


 指揮官の考えを見通そうとする短髪の若者に多少の興味を抱いたニコライは、側近であるチエーニに身辺調査を依頼し、その結果を得る。



「少数による遊撃?」


「テイレシアの狙いは、輸送部隊を誘い水として我々を砦から出すことであり、それに乗るのはまったくの愚考」


「つまり少数による遊撃で相手の様子を見るか。遊撃と言うより威力偵察と言うべきだな」


「申し訳ありません、勉学の重要さに気づくのに時間がかかりまして」


 素直に頭を下げる若者、セルジュコフにニコライは好ましい印象を覚え、続きを促す。


「見通しの悪い地形を見繕い、少数の精鋭で相手の輸送部隊を襲う振りをして、敵の対応を伺います。その動きによって相手の狙いがもう少しわかるかと」


「面白い、やってみたまえ」


「ありがたき幸せ。微力を尽くしてまいります」


 ニコライはセルジュコフに二十人ほどの部下を与え、その成果を待った。



 五日後。



「ほう、ゆっくりと進んでいた輸送部隊が、君たちの奇襲を見て驚く様子も無く即座に迎撃を行い、物資は恐ろしい速さで進んでいったと」


「随員は全員生き延びて帰着済み、捕虜として囚われることによる情報漏洩の心配はありませぬ」


「分かった。いい酒を用意してあるから今日はゆっくりと羽を伸ばしてくれ」


「御用があればいつでもお呼びください」


「分かった」


 セルジュコフが出ていくと、ニコライは満足げな笑みを浮かべた。


「さて、ベルナールの狙いは我々の出陣か。確かに籠城では目立った手柄が立てにくい……それを嫌悪する若手の精神的な揺さぶりとは、さすがに老獪だな」


 敵の狙いが明らかになった。


 だがそれは敵が打ってきた初手に過ぎず、こちらが籠城するとの受け身の決定をした以上は、相手の次の指し手を待たねばならない。


「我々の援軍はムスペルヘイムによって防がれる、クラーケンによる大量輸送はまだまだ検証が足りない、とあれば……」


 ニコライの指は地図の左、つまり西方へと動かされる。


 そして地図の端で指は止まり、ニコライはそこで口の端を吊り上げた。


「北国フェストリア、鉄血の宰相ビスマルク。汝であればこの戦況をどう判断し、どう処理する」


 楽し気に口ずさむニコライの顔は、ある人物に対する一種の信頼に満ちていた。


 その相手とはビスマルク。



「話は承ったヴェイラーグの使者殿。ニコライ殿には皇帝陛下に紹介して下さった恩義がある。悪いようにはせぬと伝えていただこう」



 フェストリア王家に仕える宰相、鉄血の異名を持つビスマルクは、隣国であるテイレシアとヴェイラーグが相撃つという、降って湧いた好機に顔をほころばせることも無く、厳粛な声でニコライが寄越した使者に答えたのだった。

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