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第285話 食は死と共にあり!

 ルシフェル以外の全員がCfo=tyhau=tkhuの効果に蝕まれ、緩慢なナマケモノとなった後。


[あん? なんだこの匂い……]


 何かが焼ける香ばしい匂いが謁見の間を包んだ。


[おいルシフェル、なんだそれ]


[これは餅と言ってな、俺の故郷で食べられている穀物をつぶし、練ったものだ]


[ふーん、なんかぷっくり膨れて面白いな]


 金網の上でこんがり焼け、焦げ目がついた白い角形の物体を見たバアル=ゼブルは、興味津々と言った視線を餅に向ける。


[もう食べ頃だが、これにつけるタレをアスタロトに頼んである。しばし待て]


[分かった]


 数分後、謁見の間にトレーを持ったアスタロトが入ってくる。


[ルシフェル、頼まれた通りに作ってみたけど……この黒い液体って何なんだい? 砂糖を入れているとは言ってもすごく塩辛くて体に悪そうなんだけど]


[毒使いのお前が言うな。それは醤油と言ってな、魚醤を作る材料で魚の代わりに大豆を使ったものだ]


[ダイズ?]


[豆の一種だ。そんなことよりタレを持てアスタロト]


[はいはい]


 アスタロトはトレーの上に乗せていた小皿とハケをルシフェルに手渡す。


 受け取ったルシフェルは、慣れた手つきでハケに砂糖醤油をつけると餅に塗り、軽く炙って香りをつけてからヤム=ナハルへと餅を入れた小皿を差し出した。


[では食ってみろヤム=ナハル]


[ふむ……なんじゃこれは、やたら粘って噛み切るのも一苦労じゃ。それにさっきまで焼いとったから熱いんじゃが?]


[十分に気を付けて食え]


 ルシフェルの忠告に、ヤム=ナハルは口の中に入った餅を扱いかねるようにハフハフと息を吐く。



 そして事件は起こった。



[むぐッ⁉]


[お、おいどうしたヤム=ナハル!]


[しっかりヤム=ナハルお爺ちゃん! ってうわあ! どんどん顔が青黒くなっていくよ⁉]


[ふむ……なるほどな]


 突然のどを押さえ、苦しみ始めたヤム=ナハルを見たバアル=ゼブルとアスタロトは慌てて駆け寄り、対照的にルシフェルは冷静に見下ろし観察をする。


 魔族の本拠地、王都の中心にある王城で突如として起きた惨劇。


[なんか大変そうニョ。お前も行ってみてくるニョ、エレオノール]


[俺の城仕えの経験上、あの中に入るのはもうちょっと騒ぎが収まってからでございますかなー]


 そしてそれを引き起こしたのが魔族の頂点である魔王であることに、メイド頭であるエレオノールは、何の疑いも持たずにコタツの中から騒ぎを見守る。


[城の中で事件……騒ぎが起こると、大抵は魔王様かバアル=ゼブル様が原因なんでやがりましてね]


[迷惑な話ニョ]


[そうそう、それですぐに解決しようとしても、誤魔化したりするから余計に悪化するか手間がかかるだけなんですわ。だからお二人が飽きるまで待つのが正解]


[この場合は待っておくのも間違いな気がするニョ……]


 と言いつつベルフェゴールは動かない。


 なにせ彼はまだ王都に着任したばかりであり、城での先輩であるエレオノールの指示待ちをするのが無難だからである。


[新人はつらいニョ]


[いやベルフェゴール様の方が魔族歴は長いですわよ]


 机の上にあごを乗せたままエレオノールはそう言うと、チラリとヤム=ナハルの方を見る。


 だが長年を生き、天魔大戦においても数々の戦歴を誇る彼が、単なる食べ物であるはずの餅を未だに喉に詰まらせたまま、と言うのは明らかに異常である。


[ルシフェル様]


[なんだエレオノール]


[なんだかヤム=ナハル様の様子がおかしくあられませんか? 単に食べ物をのどに詰まらせただけなら、魔術で取り除けばいいじゃないかでございます]


[どうやらそれも難しいようだな。なにせあの餅は、俺がガブリエルに特注で作らせた特別な餅だからな]


[ああ、そうなん……え]


[ヤム=ナハルとガブリエルの力比べは、どうやらガブリエルに分があったようだ]


 平然と言ってのけたルシフェルの発言の内容に、場は一気に混迷を深める。


[お前バカヤロウそれを最初に言えよ!]


 バアル=ゼブルはルシフェルを怒鳴りつけると、焦りを隠そうともせずにヤム=ナハルの口を急いでこじ開け、中を見る。


[クソッ! なんて高密度な魔術の粘度だ! まるで剥がれる気配がねえ!]


[あの魔眼の王バロールですら、ガブリエルの魔の沼からは逃れることが出来なかったらしいからな]


[なんでお前そんなに冷静なの? と言うかどうして念入りにヤム=ナハル爺を殺そうとしてんの?]


[元々餅の危険度を確認するための儀式だ。どれ、そろそろ治療に取り掛かるとしよう]


 ルシフェルはヤム=ナハルの背後に回り、そこで両の手のひらを重ねると肩甲骨の間あたりへ撃ちこむ。


[背部叩打法!]


[ごふぇっ⁉]


 ルシフェルの両の手のひらを撃ちこまれたヤム=ナハルは、ほぼ同時に激しく咳き込みだすと、粘液にまみれた白い塊を口の中から吐き出した。


[ふむ、どうやらうまくいったようだな]


[うまくいったじゃあるかい!]


 蘇生するや否や、ヤム=ナハルは怒声を上げつつ杖を一閃する。


[ほう、さすがはこの星を無数に取り囲む地磁気ウロボロスの一員に名を連ねるヤム=ナハル。蘇生してすぐにこれだけ動けるとはな]


 だが確かにルシフェルの頭を打ち据えたと見えた杖は空振りに終わり、八咫鏡による残像が消えるのを見たヤム=ナハルは、口角泡を飛ばしてルシフェルを怒鳴りつけた。


[それとワシを殺そうとしたことと何の関係があるんじゃい! 魔王とはいえ絶対に許さん! 許さんからなああああ!]


 だがその程度で傲岸不遜な魔王が態度を変えることはない。


[配下の実力を測るための一計に過ぎん。これからの天軍との本格的対立に向け、天軍の副将たるガブリエルの実力と、魔族の鼎の一つである闇の水の実力を知っておくことが、これからの魔族に必須であったゆえに行ったまでのこと]


 それどころか、まるでヤム=ナハルの方に罪があると言わんばかりのルシフェルの言い草に、ヤム=ナハルは目を白黒させて狼狽した。


[む? むむ……う……?]


[それすら理解できぬとあれば仕方ない、暇を取らすぞヤム=ナハル]


[ぬぐぐッ!]


 基本的に世話焼きであり、人間たちを手助けして回るような温厚な性格ゆえに、ヤム=ナハルはあっさりルシフェルに丸め込まれそうになる。


[いやお前よく平然とそんな嘘がつけるな。絶対にそんなこと考えてなかったろ]


[そうじゃ! バアル=ゼブルの言う通りじゃ! お主遊んでおるだけじゃろう!]


 それを押しとどめたのはバアル=ゼブルの呆れた口調の指摘であり、だがそうと感じ取らせぬほどの素早い同調は、さすが闇の水と言うべきであったろう。


[そう受け止めるならそれでも良い。だが貴様がガブリエルの技能に及ばなかった事実も、また真摯に受け止めなければならんことだ]


[だからもうそれはいいっての! そもそもあの餅ってのは何なんだ! ただでさえ粘って飲み込みにくい危険物じゃねえか!]


[そうだろうな。なにせ俺……八雲の故郷では、餅で毎年何十人もの死者を出すくらいだ]


[そんな危険極まりないモンを俺たちに食わせるなよ!]


 バアル=ゼブルは怒りの声を上げ、謁見の間の隅を指さす。


 そこではアスタロトがガブリエルの施した呪殺法の解除……ではなく、餅を美味しくするためにつきたての状態を保持する術を解除していた。


[うーん、どうもこの術が悪さをしてるみたいだね。と言うか、魔王様の力と反発しあって暴走してるんじゃないかな? なんかウニョウニョ触手が生えてるし]


[呼んだかニョ]


[……キミじゃないよ]


 アスタロトはベルフェゴールに溜息をつくと、ルシフェルをジト目で見る。


[まったくもー、こんな危ないものを、何で台所を預かるボクに無断で王都に持ち込んだんだい? 事と次第によっては魔王様でもタダじゃ済まさないからね]


[フン]


 さすがに食を預かるアスタロトを敵に回しては不味いと思ったのか、ルシフェルはその視線を受け止めかねてプイと横を向き、そこに丁度あったバアル=ゼブルの顔へと説明を始めた。


[仕方あるまい、理解の遅いお前たちにも分かるように、噛んで含めるように教えてやる]


[……まぁボクたちにも理解してもらいたいって考えただけ、魔王様にしては譲歩したと考えてあげるよ]


 半分諦めた顔でそう言うと、アスタロトはルシフェルに話の続きを促した。



[とまぁこんな感じだ。餅はあそこまでヤム=ナハルが一方的にやられるとは思っていなかったのが誤算だったな]


[今日からお前のことは一切信用せんからな]


 ヤム=ナハルの冷たい視線を当然のようにルシフェルは無視する。


[だけどよ、なんでそんな危険なモンをお前の国じゃ放置してるんだよ]


[縁起ものだから仕方あるまい。と言うより俺の国では食に無駄に命をかける悪癖があるようでな。食ったら中毒死する可能性が高いフグなどという魚を、しょっちゅう食う奴らがいるから、その魚を食って中毒死した武家は断絶と言う厳しい処分を課したくらいだ]


[……まぁそんなモンじゃね? 俺が昔ロキって奴に聞いた話だと、フェストリアあたりの国じゃわざわざ毒キノコから毒素を抜いて食う奴らもいるらしいからな]


[ふむ]


 ルシフェルは相槌を打つと、右腕を胸のあたりに上げて左から右に滑らせる。


[オモイカネ]


 するとアーカイブ術にも似た黒いプレートが浮かび上がり、いくつかの文字を刻み込まれると虚空に消えた。


[おいルシフェル、なんだ今の術は]


[俺の個人的な知識を集めた領域と繋がる術だ]


[ほう……?]


 興味津々と言うように、目をキラキラさせながら近づいてくるバアル=ゼブルを、ルシフェルは手で追いやる。


[今回の目的、Cfo=tyhau=tkhuに敵をおびき寄せ、餅によって動けなくする術の開発は、お前たちのお陰で成功に終わった。旧神や堕天使の皆の協力に、魔王ルシフェル自ら感謝の意を表してやろう。ご苦労だった]


[あ? ああ……]


[では解散する。後の行動はそれぞれ好きにせよ]


 ルシフェルはそう言い残すと、謁見の間の外へと姿を消した。



 その後、謁見の間では。



[おいヤム=ナハル爺、ミカン取ってくれ]


[じゃから自分の食う分くらい自分で取ってこんかい。ワシャ餅を食うので忙しいんじゃ]


[さっき殺されかけたものをよく何個も食うよな……おいエレオノール、お前メイドなんだから取って来いよ]


[皆の洗濯で手が凍り付くように冷たくなった俺に取って来いって言いやがりますか? ひどい……ひどすぎますバアル=ゼブル様……]


[お、おいそんくらいで泣くなよエレオノール……チッ、しゃーねーな]


[おう、ついでにワシの分のミカンも頼む]


[あ、バアル=ゼブル様、俺の分もお願い]


 Cfo=tyhau=tkhuの牢獄に囚われてしまった者たちが、アスタロトの冷たい視線に晒されながらくつろいだのであった。

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