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第282話 出陣テイレシア騎士団!

「何ということをしてくれたのだ! 通達は行っていたはずだぞブレダ!」


「あん? 通達だ? そんなもん俺ァ知らねえぞガッティラ」


 タリーニア砦を落とした部隊がヴェイラーグへ帰還途中、ムスペルヘイムの兵に全滅させられたという噂は、当事者が広めたこともあって次の日には全ムスペルヘイムの氏族に伝わっていた。


 テイレシアとヴェイラーグが戦火を交えている現在、その間に挟まれているムスペルヘイムの国策には慎重な舵取りを求められている。


 だというのにその最中に起こってしまった凶事に、族長であるガッティラは頭を抱え、その当事者であり、更には実兄でもあるブレダを自分の天幕へと呼びつけて叱責していた。


「何をバカなことを言っている! 通達は氏族会議が解散し、各氏族の長が帰ると同時に通達している! いくらお前が留守がちとは言え、通達に目を通す時間は十分にあったはずだ!」


「つっても俺は文字が分からねえからなぁ。通達が来ていたとしても、そいつを読む奴がいねえとどうにも理解できねえぞ?」


「お前という奴は……」


 実兄とはいえ、あまりの無頓着さにいつもの頭痛が起きてきたガッティラは、察して薬湯を持ってきた妻に軽く手を挙げ、湯飲みの中身を飲み干す。


「だから文字を覚えろと日頃から言ってあるだろう! どうしていつも人の言うことを聞かんのだ!」


「文字が読めるようになったら命令無視ができんからだ」


 ニンマリと笑うブレダ。


「……なるほど」


 そして薬湯を飲んで一気に冷静になったガッティラは、その勢いのまま冷酷な笑みへと移行する。


「命令無視と分かっているなら話は早い。そこに直れブレダ!」


「やめなさいアンタ」


 そしてガッティラは脇に置いてあった剣を素早く抜くも、すぐ傍に控えていた彼の妻にすりこ木で手ひどく後頭部をどつかれ昏倒したのだった。



「あれ? 母上、父上を担いでどちらへ?」


「またお父さんとブレダさんが喧嘩しちゃってねえ。ギャーギャーうるさいから黙らせたんだよ」


「そうですか」


「アンタは周りと仲良くするんだよ」


「ハイ」


 ガッティラを肩に乗せ、のっしのっしと歩いていく母親の姿を見送ったエリラクは、一つの天幕から恐る恐るといった感じで外の様子を伺うブレダの顔を見つけ、そちらへと歩いて行った。


「ガッティラは生きてそうだったか、エリラク」


「母にとっては慣れた作業ですし、大丈夫でしょう」


 ブレダに挨拶をしたエリラクは天幕の入口を閉め、中に入り込んで事情を聞く。


「命令違反ですか」


「なにせ俺は文字が読めないからな」


「ヴェイラーグへの弁明もバッチリですね」


「族長から殺されそうになったくらいだし、いざとなれば俺の首で済むだろう」


「そんなことになるかもしれないのに、なぜヴェイラーグを襲ったのです?」


 エリラクの目を見たブレダは、歓待のために饗された馬乳酒をグイとあおる。


「もちろんヴェイラーグに攻め込ませるためだ」


「……負けはしないでしょうが、本格的な報復を招かないために大勝することは許されないのが我らムスペルヘイム」


「子供は純粋なものと思っていたが、なかなかに辛辣だな」


「なにせ純粋な子供のままでは、父上を始めとした大人たちに気に入ってもらえなかったもので」


「反論も堂に入ったものだ。可愛い甥っ子にまるで可愛げが無くなってしまった」


 嘆いてみせる伯父おじを、エリラクは半眼で見つめる。


「それで先ほどの続きですが、ヴェイラーグが略奪してきた物資を、ハイエナのように横取りするくらいがせいぜいの我らに、なぜそんな危険を招くのです?」


「俺には息子がおらんからな」


 ブレダはそう言いながらトプトプと馬乳酒を盃につぎ、ギラリとした目をエリラクに向ける。


「後顧の憂いを断つ。ヴェイラーグとの戦いには俺が先頭に立ち、それで勝てば良し。負けて討たれても族長の血統は一つに集約される」


「勝てば族長の実兄の名声が上がるのでは?」


「ムスペルヘイム単独でも、ヴェイラーグを撃退する能力がある。そう奴らに教え込めば十分だ。ムスペルヘイム内の問題ならガッティラの奴がどうとでもする」


 エリラクはブレダの目を真っ向から見据え、ゆっくりと首を振った。


「賛成しかねます。これでは若衆の協力も期待できません」


「あん? お前の賛成なんぞハナから俺は期待しちゃいねえし、協力も必要としてねえなあ?」


「俺の……いや、我らの出番が無ければ困りますブレダ殿」


「……おっと、そうだったな次期族長殿」


「察していただき、ありがとうございます」


 エリラクの読めぬ無表情を見たブレダは、今までの砕けた態度を微妙に改めて真摯に向き合う。


「前線に出たいのか?」


「血気に逸る若衆の中には、積極的に前に配置されたい、という者もいますが、俺的にはブレダ殿を止めようとして、結果的に戦闘に巻き込まれた、という消極的な流れに持っていきたいのです」


「戦いは他の奴に任せるか」


 エリラクは痛いところを突かれたとばかりに一瞬だけ下を向き、そして意地悪な笑みを浮かべる伯父を見る。


「任せざるをえません。今の俺には小賢しい考えを帷幕で張り巡らすことは出来ても、力を持って激流に対することは見込めませんから」


「他者の血の上に築いた玉座の座り心地は、ぬるりと滑り落ちるものだぞ」


「こんな俺でも守ろうとしてくれる人がいます。未熟な子供を守ろうとして、皆が敵に背中を見せる危険要素となるくらいなら、後方で戦場を見極めてより安全な方策を取る人物となります」


 ブレダは長いため息をつき、かつて頼りなかった甥っ子を見た。


「ヴェイラーグの動向はそちらでも監視しておくように」


「承知しました」


「場合によってはテイレシアの助力……いや、テイレシアとヴェイラーグの戦いにおいて、俺たちが漁夫の利を得られるようにしておけ」


「イルナックと相談しておきます」


 ブレダは満足げにうなづくと、天幕の入口に張ってある布を跳ね上げ、自分の氏族の拠点へと帰って行った。


 一人天幕の中に残ったエリラクが思索にふけっていたその時、天幕の入口の布は再び跳ね上げられる。


「ブレダは帰ったか」


「はい、父上」


 渋面で後頭部をさすりながら現れた父親に、エリラクは神妙な顔をして答える。


「奴は何といっていた」


「テイレシアとヴェイラーグの戦いで、漁夫の利を得られるように動く、と」


「ふん」


 入口に立ったままエリラクの話を聞いていたガッティラは、エリラクの答えを聞き終わると同時に天幕の中に入り、床の盃に残っていた馬乳酒を飲み干す。


「……確かにそれなら、我らムスペルヘイムの方針にも合致するな」


「そこでヴェイラーグの者たちを手ひどく叩けば、頼りない若造たちも少しは長生きできるであろう、とも」


「なるほどな」


 しかし(多少脚色を加えた)エリラクの説明にガッティラはあまり興味が湧かなかったのか、それ以上のことは何も言わずに馬乳酒を入れていた革袋と杯を持って立ち上がった。


「母さんに洗い物をするから持って来いと言われたのでな」


「それなら俺が」


「先ほどの件でおかんむりだ。ワシが直接持っていった方が機嫌を取れる」


「では一緒に」


「お前にはお前のやることがあろう。気を使わなくて良い」


 ガッティラはエリラクを追い払うと、そのまま妻の所へは行かずに新しい馬乳酒を革袋に入れ、森の中の脇道に入って行った。


「……死んで何もかもを清算するつもりか。あの馬鹿者め」


 そして周りに転がっている苔むした石とはまったく違う、誰かの手によって磨き上げられた大きな石の前で一人馬乳酒をあおったのだった。



 それから一週間後。



「出るぞ!」


 ベルナールを総大将としたテイレシア軍が、ヴェイラーグに奪われたタリーニア砦を奪還するべくアリストア領に出立した。


 各部隊を率いる大隊長にはエレーヌ、エンツォ、アランと、フォルセール騎士団が誇る英傑を配置する精鋭部隊である。


 さすがにベルナールが率いるだけあって、一糸乱れぬ行軍を見たアランは、厳格に生きてきた自分は間違っていなかったと、内心で誇らしく思いながら見送る町の住民たちに手を振る。


(……母上、見送りには来ないと言っていたが、本当に来なかったか)


 だがフォルセール城の外に進み出でたアランは、見送りの人々の中に彼が尊敬する母親の姿が無かったことにやや気落ちしつつ、今朝がた母親と交わした会話を思い出していた。



「見送りには来ないこと、承知いたしました母上」


 昔は美しい栗色だった母親の髪が、騎士団に勤めている間にすっかり白くなってしまったことに、アランは少々驚きながら返事をする。


 その視線の先、食卓を挟んで向かい側に座っている母の眉間にはいくつかの縦じわがあり、それを見たアランはすでに見慣れた母の怒った顔を思い浮かべ、内心で苦笑をした。


「戦場に女など不要。貴方が戦場によけいな感情を持ち込むような未熟者とはこの母は思っておりませんが、それでも不確定要素は少しでも排除すべきです」


「お心遣い、感謝いたします」


「気遣い無用。陛下のために戦場で貢献し、父親の不名誉を少しでも晴らすのですアラン」


 小さい頃から厳格だった母は、昔どこかの領地の貴族の妻であったらしい。


 だが汚職に手を染め、それを咎められて官職をはく奪された父は、その処分を下したテオドールを逆恨みし、暗殺しようとした。


 そしてそれを察知したテオドールの私兵、かの名高き暗殺者集団エカルラート・コミュヌによって逆に殺されてしまったのだった。


(それからの母の苦労は想像を絶するものだったろう。残された私を育てるにも父の財産は没収されて一文無し。更には反逆者の妻だったとして生きていかねばならなかったのだから)


 不幸中の幸いか、すぐに母を援助してくれる者は現れた。


 それがどこの誰かは不明であったが、アランの記憶にある母の表情はいつも屈辱にまみれていた。


(おそらくは……テオドール公ご自身であられたのだろう)


 アランの父は、剣の腕だけはなかなかのものだったようだ。


 よって秘密裏に援助してくれたどこかの親切な人は、援助の見返りとしてアランを王都の神殿騎士団に入れることを要求したらしい。


 入団に必要な学識や剣術も、親切な人がフォルセール騎士団への紹介状を書いてくれたおかげで身に着けることが出来た。


 もっとも、王都の神殿騎士団に人材を取られるのだから、教える側の表情はかんばしくないものであったが。


(さて、ヴェイラーグとのいくさは、今までほぼアルストリア領に任せっきりだったと言っていい。伝聞には聞いているが、実際にはどんな戦い方をすることやら)


 アランはそう考えると、ヴェイラーグ本国へ連れ去られたアルストリア領の民たちの身の上を想う。


(どんなひどい目にあわされているか分からぬ。一刻も早く助けださねば)


 この時アランはまだ知らない。


 自らの父の仇が、ヴェイラーグに連れ去られたテスタ村の村民であることに。

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