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第270話 天狼族のシリウス!

「マルトゥ……さん……?」


 宙に四散し、ボトボトと地面に落ちていく泥の魔神を背景として、巨大な黒狼がエリラクにうなづく。


「キューン……」


 そして地面に倒れたままのシリウスをひと舐めすると、驚いたことに死んだと思われていたシリウスから、空気が漏れるような鳴き声が発せられていた。


「……おとなしくしていろ」


 黒狼姿のままのマルトゥの口から、そう人の声が発せられると同時にシリウスは再び動かなくなる。


[おやおや……こんな珍しいものを目にすることができるとは……]


 だが吹き飛ばされたはずの泥の魔神は、再びその姿を元に戻していた。


[人狼か]


[この地方では滅んだと聞いていたが]


[実に喜ばしい……アスタロト様が治める土地の傀儡の王として、人狼が選ばれたと聞いていましたが……おそらくこいつでしょう……]


 元に戻った泥の魔神がそう締めくくると、マルトゥは不愉快そうに唸り声をあげ、むき出しの刃のような闘志を全身から噴き出させる。


「この森から出ていけ、不浄な存在よ」


 普通の人間であれば、それだけで魂胆寒からしめ、逃げ出してしまうこと間違いなしの警告。


 だが魔神にそんなものが通用するはずもなかった。


 詰め寄ってくる魔神、迎え撃つマルトゥ。


[我らに命令できるのは我らより上位の者のみ]


[我らに言うことを聞かせたいのであれば]



「力づくということだな!」



[我らより……ギョフォ⁉]


 魔神の警告を最後まで言わせぬとばかりに、マルトゥは再び泥の魔神に襲い掛かった。


「ただの人狼と思って油断したか?」


[ぬぐ……これは……?]


「グレイプニル」


 今度は泥の魔神は四散しなかった。


 だが体は固まり、動きを止め、そしてそのまま地面へとくずおれていった。


[グレイプニル……聞いたことがある]


[あのフェンリルを繋ぎとめし技法の鎖、その名を術に借り受けたか。だが言霊を必要としないとは……?]


「貴様らに聞こえぬだけだ」


 不敵な態度をとるマルトゥ。


 だが魔神は冷静な眼差しをマルトゥに向け、すぐに一つの回答を出した。


[なるほど、超音波か]


[それにしても人狼とは言え、我らに聞こえぬ周波数帯を操るとは]


「正解だ。だがそれが分かったとは言え、これから俺が出す術の判別がつきにくいことに変わりはないだろう!」



 種類にもよるが、魔術、法術などは一定数の段階を踏まなければ発動しない。


 特に精霊魔術は、絶大な効果を得られる代わりに複雑な工程が必要であり、更に超常的存在には、発動する術の種類が事前に把握されてしまう。


 発動――言霊による物質界への固着――するまでの間のせめぎ合いによって、術の規模や威力、効果が決まってしまうこともあり、本来であれば人狼であるマルトゥが、魔神の術妨害を乗り越え発動できる道理はなかった。


 そう、自らの体内で構築する術を除いては。



[余裕だな、だが我らにそれがいつまでも通用するはずがあるまい]


[竜語魔術だな。稚拙も稚拙、龍族が見れば怒りを覚えるほどの低俗な水準だ]


 魔神の二人が平然と発した言葉に、術を発動するべく木々の間を飛び回っていたマルトゥは、一瞬だけ動きを止める。


[図星か]


[だがその程度で動きを止めるとは……まだ未熟!]


 しかし魔神にはその一瞬だけで十分だった。


「ぐおぁッ⁉」


 悲鳴と共にマルトゥの動きは止まる。


 先ほどまで目にも止まらぬ速度で木々の間を飛び回っていたその全身は、ザクロのような赤黒い色の網で覆われ、身動きができないようになっていた。


[投網の術……などとつけるまでもないな。未熟なお前でも分かるように、わざわざ網の形をつけてやったのだから]


「ぐ……ぎィ……」


 網が触れた箇所から、全身に激痛が走る。


 近づいてくる魔神から距離を取ろうとしても激痛がそれを妨げ、逃げようとする意志すら思考から奪っていった。


[さて、こいつをどうするかだが……]


[あいつの仇を討ってやっても良いが、アスタロト様の機嫌を損ねるのも得策ではないな]


[しかし我らが侮られたという事実を捨ておくわけにもいかぬ]


[ならば]


[それなりに痛い目にあってもらう、が正解か]


 魔神の打ち合わせが終わると同時に、マルトゥを包み込んでいた網が消える。


[どこへ行こうというのだ?]


「ギャワン⁉」


 即座にマルトゥは魔神から距離を取ろうとするが、その動きは先ほどとは比べ物にならぬほどに鈍っており、易々と魔神たちに後ろを取られてしまっていた。


 マルトゥは背中を蹴りつけられ、先ほどのシリウスと同じように大木に叩きつけられる。



 だがその衝撃はシリウスの時とは違う、桁外れなものだった。



 大木だけではその勢いは止まらず、吹き飛ばされた先で数百年を経た大森林の木々が轟音と共に次々と倒れていく。


 そして十メートルほど先の一本の木で、ようやくマルトゥの体は止まっていた。


[術を使うことを考慮し、それなりの対処をさせてもらったぞ人狼]


 魔神の言葉に対し、マルトゥは返答をしない。


 いや出来なかったのだ。


 体のあちこちに擦り傷のみならず、折れた木々の枝や幹の一部が突き刺さり、足はあり得ぬ方向に曲がり。


 それでも目だけは敵意に満ち、爛々と光っていた。


[その目、気に入らんな]


[お前のその目が誰かに似ている……まさか貴様、天狼族の者か]


「……」


 マルトゥは気絶寸前の意識を何とかつなぎ止め、魔神の顔を見上げる。


[竜語魔術の使い手なら、今の時間でそこそこの体力は回復していよう。お前が話す情報によっては、地面に転がっているあの老犬も回復してやる]


「……天狼族を……知って……いるのか……」


[質問をしているのはこちらだ]


「ぐふッ」


 地面に倒れこんだままのマルトゥの腹部を、魔神が踏みつける。


 既に全身は激痛に包み込まれ、そこに一つの痛みが加わったところでどうということは無かったが、呼吸が困難になる苦しみにマルトゥは耐え兼ね、自分が天狼族の族長の血を引くものだと口にした。


[なるほど、それで合点がいった]


[人狼の群れの中で内紛が起こった時、オティウス様が調停に入った。その時に天狼族はオティウス様にことごとく滅ぼされる運命だったが、その時に一族の安寧と引き換えに自らの命を供物にささげたのがお前の父、シリウスよ]


「な……⁉」


 母に聞いていた父の話とは違っていた。


 父は争いごとを避け、話し合いに行く途中で敵対する部族に見つかり、殺されたのだと聞かされていたのだ。


 それに安堵を約束された一族がなぜ滅ぶことに……?


「どういう……ことだ……我が一族は既に……」


[説明した以上のことは我々も知らぬ]


[聞きたければオティウス様本人に聞くのだな]


 見下ろしてくる魔神を見たマルトゥは、エリラクとシリウスの気配を探る。


(せめて……あの弱き者たちだけでも逃がしてやらねば……)


 狼や犬は群れの仲間をことのほか大事にすることで知られている。


 特にマルトゥは族長の娘であるイユニによって厳しく育て上げられており、また実力も相応に高いものであるため、群れの下位と認定したものを守るように考えるようになっていた。


「取引をしたい」


[取引?]


[この状態でもちかける取引はさすがに思いつかぬな。聞いてやっても良いが、あの子供を逃がす提案だけは聞けぬぞ]


「子供……エリラクはお前たちにとって重要な人間。危害を加えることは無いだろう。だがあの犬だけは、里に戻して人の手で葬れるようにして欲しい」


 マルトゥの提案を聞いた魔神の一人は、軽蔑の眼差しでマルトゥを打つ。


[惰弱な。それでも魔族の一員か。これ以上けがらわしい口上を聞く前に、お前の父のように殺してやろうか]


[しかし魔族とは言え、人狼は人に近しき存在。人の情けをまず考えるのも無理はないであろう。だがこいつは取引と言った。ならば要望と引き換えに差し出す条件を聞いても遅くは無かろう]


 だがもう一人の魔神は興味深げな視線をマルトゥに向け、どのような反応をするか楽しみに待っているようであった。


「それは……」


 マルトゥは困ったように魔神から視線を外す。


 そして次の瞬間。


「お前たちの命だ!」


 先ほど息も絶え絶えと言った様子で、不規則な呼吸を繰り返していたマルトゥの体が跳ね、興味を持っていた魔神の首筋に噛みついた。


「逃げろエリラク!」


 だがエリラクは逃げ出せない。


 突然の成り行きに戸惑っていたせいもあるが、彼の意識は地面に倒れこんでいるシリウスにあったのだ。


「でも……でも!」


「そいつはもう手遅れだ! お前を逃がすためだけに何とか意識を繋ぎとめているだけだ!」


 マルトゥが噛みついている魔神の首からゴキリと鈍い音がなり、剣すら通さぬ皮膚を持つと言われる魔神が地面に倒れこむ。


「早くしろ!」


 だがエリラクはやはり動けなかった。


[ふむ、逃げ出そうと後ろを振り向いた瞬間に俺に気づく、と言った演出をしたかったのだがな]


 そこには最上位魔神の一人、オティウスが腕を組んで立っていたのだ。

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