第27話 笑顔があふれる酒場!
クレイがポセイドーンから贈られた腕輪によって満足に身動きができなくなった頃。
「……なるほど、アルテミスの言いたいことは分かった」
「ホントに判ってんのか? ヘルメース」
「勿論だ。このヘルメースに二言は無い」
「ふみ」
フォルセールに数ある酒場のうちの一軒では、短めの明るいオレンジ色の髪を持つ少女、旧神アルテミスが首を傾げていた。
その原因は、先ほど彼女にヘルメースと呼ばれた男にある。
若草色の長い髪、瞳、服、ぺタソスと呼ばれる幅広の帽子。
ちょっと見た目には理知的な色男……なのだが。
「ご注文のワイン二つです」
「そこの君、グラスの置き方にどことなく気品が感じられる。良ければ仕事が終わった後、個人的に僕に教授してくれないか? ああ、君が考案した作法が世界に愛と光をもたらす未来が今から僕には見えるよ」
アルテミスには満面の笑みで、ヘルメースには不愛想きわまりない表情で、持っているグラスをズドンとテーブルに置いたウェイトレス。
その無作法をまるで気にする様子もなく、旧神ヘルメースはグラスから解放されたウェイトレスの手を握りしめ、熱烈に口説き始めていた。
「お姉様がある時期から子供を溺愛するようになった。ってお前からのリークがあったからこの姿になったのに、お姉様はいつまで経ってもあたしの方を振り向いてくれないぞ。どうなってるんだよヘルメース」
「それはアルテミスのやり方が不味い。君はまるで絡め手を使おうとしないからな。正面から特攻するだけでは、アテーナーのアイギスに弾き返されるだけだ。安心したまえ、既にポセイドーンの協力は取り付けてある」
ウェイトレスに正面からビンタで弾かれた顔をそのままに、ヘルメースはアルテミスをこんこんと諭す。
カウンターの向こうではこの酒場のマスターと見られる男性が、かなりの剣幕で迫ってくるウェイトレスを手でガードしており、その諦め半分の顔を見る限りでは、どうやらこのヘルメースが原因で次々と従業員がやめていることは確定的に明らかだった。
そしてウェイトレスはエプロンをマスターに叩きつけると、ドスドスと床を踏み鳴らしながら荒々しく店を出ていき。
「ふー、店内で女の子を口説くのはやめてほしいと何度言えばわかるのヘルメース」
カウンターの向こうでその背中に溜息を送った一人の女性が、ヘルメースへ苦情を述べるために近づいていく。
「すまないなヘスティアー。だが僕がこのフォルセールに協力するための報酬が、僕の花嫁探しを許可することだから仕方がない。苦情は城主であるアルバトールか、もしくは国王であるシルヴェールに言う方が筋だろう」
「ここじゃないお店で口説けばいいと思うの」
「僕にこの店以外で食事をしろと言うのか? イリアスの味を求めて店へ尋ねて来た客を追い出すなど、そんな非情な仕打ちは貴女に最もそぐわないことだヘスティアー」
「処置無しなの……」
ゆるやかに波うつ栗色の髪を、清潔な白い布でまとめた可憐な女性。
旧神ヘスティアーが、お手あげとばかりに項垂れながらカウンターへ戻って行く。
その姿を見た酒場の店主は、すぐに慰めの言葉をヘスティアーにかけ、そして先ほどウェイトレスから叩きつけられたエプロンを、くるりと巻いて壁のフックにかけると、肉料理を盛りつけた皿を代わりに持ってヘルメースたちの元へ向かった。
「ヘルメース様。あまりヘスティアー様をいじめると後が怖いですよ」
「ふむ、長い付き合いの君がそう言うなら間違いないか。気をつけておこう」
「おおっ!? これあたしが取ってきたイノシシかイリアス!? なんかすげーいい匂いがするぞ!」
イリアスと呼ばれた酒場の店主が、うっすらと古傷が頬に残る顔をほころばせ、アルテミスへ頷く。
「先ほどゼピュロス様が、春の知らせと共にいい香草をお持ちしてくれましたので」
「そっか! アポローンがさっき凄い顔をして投てき用の円盤を持ち出したからどうしたのかと思ってたら、ゼピュロスに投げつけに行ったんだな!」
しかし割と物騒なことを満面の笑みで答えたアルテミスに、イリアスは困ったような顔を作ってヘルメースに助けを求める。
「ヒュアキントス王子を取り合った挙句、その死因となったゼピュロスをまだ許せないのかも知れないな。アポローンにも困ったものだ。僕のように上品な恋愛事情を心がけねば、女性は勿論のこと男性にも嫌われてしまうぞ」
「上品な顔の裏に、ゲスな感情が見え隠れしてると思うの」
カウンターの向こうでぷくっと顔を膨らませたヘスティアーの嫌味をヘルメースは軽く無視し、ワインをクピクピと飲んでいるアルテミスへ視線を向けた。
「さて、それでは始めるとしよう。アルテミスの思慕を遂げさせるための策を」
ヘルメースはそう宣言すると、リザーヴェイションとの札が置かれたテーブルを見て、ニヤリと笑みを浮かべるのであった。
「ここが新しいイリアスさんのお店かー。収監されたリュファス兄に感謝だね」
ヘルメースが不気味な笑みを浮かべた数分後、イリアスの店である炊煙の子守歌亭の外には二組の男女が姿を現していた。
「だから俺は無罪だって言ってんだろ! ティン……ティナも何とか言ってくれよ!」
「嫌です」
「ぐぬぬ……」
リュファスはティナに助けを求めるが、半透明の翅妖精はその頼みを聞き届けるどころか、敵意のこもった眼と光の粒子をリュファスの顔に振りかけて返答とする。
「まぁ仕方が無いのです。無力な相手に好き放題に悪口を言うような輩は天罰を受けるべきなのです」
さらにロザリーから追撃とも言える罪の追及を受けたリュファスは、駄々っ子のように両手を振り回しながら抗弁をするが。
「あ、そういうこと言っちゃう? お前もさんざんティン子ティン子言ってたのによ!」
「私は捕まらなかったので問題ないのです」
「俺を囮にして逃げ出しただけじゃねえか!」
まるで聴く様子もない澄ました顔のロザリーに、リュファスが恨みがましい視線を向けて詰め寄った時、呆れたような声で仲裁が入る。
「その辺にしておけティナ、ロザリー。お前の放免祝いなのだからもう少し嬉しそうな顔をしろリュファス」
四人の先頭に立って歩いていたエレーヌは、身内の見苦しい争いに顔をしかめつつ店の中に入っていき、中で出迎えてくれたヘスティア―の案内で席に着くと、後の三人……と言うか、ある一人の特定人物に向かって嬉しそうに手招きをする。
「ではクレイ、どうやらお前はポセイドーンの枷によってうまく手が使えないようだから、私が食べさせてあげよう」
「……またヘルメースの仕業か」
そして嫌そうな顔を隠そうともせずテーブルに座ったクレイは、離れたテーブルに座っているアルテミスとヘルメースが手を振る姿を見て、今度は隠し切れない怒りに顔をゆがめたのであった。
(おいヘルメース、お前の策ってこのことか?)
(その通り。実はエレーヌ姉からも依頼があってな)
ヘルメースの視線の先で、ご満悦な様子のエレーヌがクレイの口へ料理を運ぶ。
その姿を見たヘルメースは、エレーヌの意識が完全にクレイへと向いていることを確信すると、アルテミスへ作戦の内容を伝え始める。
(……と言うことで僕が橋渡しをして、二人が裏で手を結んだわけだ)
(あれほど険悪な仲だったポセイドーンに作戦の助力を申し出るとは……さすがアテーナーお姉様だな)
(標的が気を許している第三者を調略して協力してもらう。戦争の女神の面目躍如と言ったところだな)
そこまで説明したヘルメースは、エレーヌの横からあからさまな敵意を向けてくるクレイを見て苦笑する。
(後は君次第だアルテミス。あの機嫌のいいエレーヌ姉であれば、君が多少迫った所で邪険にはすまい。ご機嫌な理由であるクレイも、大海の戒めによってエレーヌ姉から逃げようにも逃げ出せない状況だろうから、あせらずに時間をかけてゆっくりとな)
(わかった! 感謝するぜヘルメース!)
ヘルメースに作戦開始の許しを得たアルテミスは、まるで解き放たれた猟犬のように、獲物であるエレーヌへすばしこく駆け寄る。
ゴツ
しかし今までの行いが祟ったのか、彼女はエレーヌの手の届く範囲に入った瞬間に脳天にチョップを喰らい、昏倒する羽目になっていた。
「アルテミスゥゥ!?」
自分に何が起こったのかすら判断する余裕も無かったのか、笑顔のまま床に倒れ込むアルテミス。
「ん? 何かあったのかクレイ?」
標的が動かなくなったのを確認すると、笑顔のままズブリとフォークを肉に突きさすエレーヌ。
「そうだぞクレイ。食事中に叫ぶなんてマナー違反だぞ」
「早く食べないとイリアスさんの食事が冷めちゃうですよクレイ」
そして笑顔のまま凍り付くリュファスとロザリー。
「残念だったなアルテミス……だが約束は約束だ。君の狩ってきた野兎はありがたく僕が頂戴しよう。イリアス、いつもの奴をいつものソースで頼む」
そしてヘルメースは笑顔でイリアスを呼び、ブルーチーズソースの野兎のソテーを注文するのであった。




