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第263話 怠惰を司る魔神!

先ほどまで、あくまでも表面上は和やかに進行していた食事は、エルザが口にした族長ガッティラへの指摘によって一気に凍り付く。


 だがその張本人であるエルザは穏やかな笑みを浮かべたまま、静かにガッティラを見つめるのみであった。


 そしてガッティラもまた、まったく動揺を表に出さないままに答える。


「ワシから魔族の臭いがしたとしても、何も不思議はあるまい。今も天使がそこにおるようにな」


「確かにその通りですわね」


「先ほど狩りをすると称して出かけた際に、ヴェイラーグの奴らがワシらを味方に引き入れようと使者を送ってきた。その際に魔族と思しき気配が近くにあった」


 ガッティラが言い終わると同時に、ゆらゆらと燃え盛る焚火からパチリと音がして、いくばくかの火の粉が舞う。


 宙を舞った火の粉は、その場にいる全員の姿を血のような不気味な赤い色に浮かび上がらせ、そしてすぐに虚空に散って再び闇へと閉ざした。


「ただそれだけの話だ」


 その光景に何らかの予兆を感じたのか、ガッティラは首を振ると傍に置いていた薪を手に取り、焚火に放り込む。


 その姿を見たエルザは、それを迷いと受け取ったのか言葉を選ぶように焚火を見つめる時間を取り、何もガッティラが喋らないのを見て短い沈黙を破る。


「交渉に魔族は直接姿を見せなかったわけですわね」


「脅迫をしているのではない、という逃げ道をあらかじめ用意しておいて交渉をする。小悪党がやりそうなことだ」


「不満そうですわね」


「不満と言うのであれば、お前たちも同じこと。我らが狭量との噂を流さない程度に客人として扱いはするが、我らをそっとしておいてほしいと言うのが本音だ」


 エルザの言葉の先を予想したガッティラがクサビを打ち込もうとするも、それはまるで効果を持たなかった。


「その割には他国の隊商や軍隊を襲っているようですが?」


「理不尽な襲来には威を示す。筋を通せば手出しはしない」


「それを決定されるのは、他国から見れば理不尽な決定をする貴方たちですわ」


「……ふん、聖職者と言う者はどいつもこいつも分かったような口を利く」


「逆に言えば、分かっていることだけしか口にできませんわ。自分が知らない情報は、その情報を知っている方に聞くしかできません」


 エルザはそう言うと、自分が知らない情報――相手の心中――を知っているガッティラをじっと見据えた。


「二つの相反する要望を判断する意思は一つ。お主ならどうする司祭エルザ」


「意思を二つに分け、要望を天秤にかけるしかありませんわね。どちらの要望を重んじるかを二つに分けた意思で判断し、決めた後で分けた意思を一つにします」


「不可能なことを」


「あらあら」


 エルザは意味ありげな笑みを浮かべると、ガッティラから逃げるように焚火を挟んで反対側にいる、つまりエルザの隣に座っているエリラクを見た。


「ここに貴方の意思を代弁してくれるお子様がいらっしゃるではありませんか」


 エルザが不思議そうに言うと、ガッティラは視線を帽子に隠すようにやや下を向き、だが鋭い声で周囲を威嚇した。


「こいつはまだ子供で、さらに臆病者だ。エリラクに何の意思が発せられる」


「だからこそ二つの意思足りうるのではありませんか」


「なに……」


 訝し気に睨みつけてくるガッティラへ、エルザは涼しい笑みを向ける。


「皆が皆、貴方のように強いわけではないのですよガッティラ」


 そしてそう諭すと、ガッティラは胸に何かをつかえさせたように黙り込んだ。


 そして十秒ほどの無為な時が過ぎ、誰もが誰かの反応を待つ。


「……なんだか重苦しい雰囲気になっちゃったな。せっかくの一日の締めくくりである夕食を荒らして済まないガッティラ族長、エリラク」


「いや、こちらこそ。テイレシアの王族であり、王の代行でもあるエルザ殿への暴言の数々、深く詫びさせてもらおう」


 沈黙を破ったのは、リーダーを務めるクレイであった。


 クレイとガッティラはお互いにあまり心のこもっていない謝罪をし、そして少しだけ頭を下げるが、エルザは微動だにしない。


 それを見たアスタロトは、呆れた顔をエルザに向ける。


[キミは頭を下げなくてもいいのかい?]


「説法をした後に感謝はされても、したことに感謝をする聖職者はいませんわ」


[……そうだね]


 キミは王族として、王権の代行を務めるためにここに来たんじゃないのかい?


 そう言いたくなる気持ちをアスタロトは押さえつけ、野兎の肉が入った粥をスプーンで口に運んだ。



 何となく雰囲気が悪くなった夕食は流れ解散となり、その深夜。



[さて]


「さて」


「夜這いの時間ですわね」



 夜這いの時間になったらしい。



「あの……皆さま?」


「どうしましたのティナ」


「ウチ、こう言うの良くないと思います……」


「何を言っていますの。得られるものは得られるべき時に奪っておくものですわ」


「今奪うって言いました?」


 だが集まった面々の中で話はまとまっておらず、翅妖精と見られる淡い光の球が押し殺した声を発すると、一人の妖艶な女性が緊迫した声で注意を呼び掛けた。


[シッ……誰か来る……]


 同時にその場にいた全員が手ごろな物陰に隠れ、近づいてきた人影は不思議そうにあたりを見回すと、再び哨戒へと戻っていった。


「フィーナ、あれはサリムですわね?」


「ええ、先ほど話した通り、龍王の助力を得た手ごわい相手です」


[物質界のかつての覇者、ドラゴンを統べる龍王バハムート……相手にとって不足は無いね]


 緊迫した空気の中、宙に浮く光の球から今度は怒ったような声が発せられた。


「もう! 皆さま! 破廉恥なのはいけないと思います!」


「破廉恥という言葉で性交渉を否定してはいけませんよティナ。いいですか、主は産めよ、増えよ、地に満ちよという尊いお言葉をお残しになっているのですわ」


「そうよティナ、押してダメなら押し倒してみろって誰かが言ってそうじゃない」


「それ誰が言ったんですか⁉」


 内輪もめが始まる。


[シッ……誰か来る……]


 そんな中、再びアスタロトが警告を発するが、次に彼女が発したのは意外そうな声だった。


[ガッティラ族長だね。こんな夜更けにどこに行くんだろう]


「あらあら、これは尾行するしかありませんわね」


 移り気な天使と堕天使の長は、どうやら興味の矛先を変えたようである。


 ちなみにこんな状況を大いに楽しみそうなガビーとアルテミスは、お子様の姿なせいか丸まったマルトゥに包まれて安らかな寝息を立てており、バヤールは久しぶりの森の中に落ち着いたのか、集落にある一本の木の下で休んでいた。


「あら、じゃあ二人ともクレイの所には行かないんですか?」


[そうだね、クレイたんの肉体は逃げないけど、今この機を逃せば何か重要なことを見逃してしまう可能性がある]


「あらあら、堕天使の口とはやはり人を騙すためについているのですわね。他人の弱みを握るいいチャンス、そう正直に言えばよろしいじゃありませんか」


[ボクは上品なモノの言い回しをしてるだけさ。そんなことよりガッティラが行ってしまうよ]


「仕方ありませんね、大勢でつけると勘付かれるかもしれませんから、私はここに残ることにします」


「ウチもフィーナ様を見張っておきます」


 今度こそ話はまとまったようである。


 その場にいた淑女たちは二手に分かれ、それぞれの思惑の元に動き始めたのだった。



[誰かと会ってるね]


「見た感じは人間ですわね……でもアレは……」


 森の中に入っていったガッティラは、女性と会っていた。


「フードを被っているから分かりにくいですが、かなりの美人さんですわね」


[ボクには負けるけどね]


「あらあら、人間の女性と比較できる程度の美貌しか持ち合わせていないとは」


[天使と違って堕天使は人間と仲が良いからね。価値観も共有しやすいのさ]


 余計な情報を切り捨て、重要な情報をまとめると、どうやらガッティラが会っている相手は女性で、それもかなりの美人のようである。


 真っ先に調べるべきは相手の氏素性なのであるが、そのあたりをまったく問題にしていない、いうなれば人間を軽んじているあたりは、反目し合う二人にあって数少ない共有する価値観であっただろう。


[うーん、生々しい]


「あらあら、どうしましょう……我々の教えでは、性的な快楽のみを追求するアレコレのアレをするのは、断じて禁止なのですが」


[ガッティラは信徒じゃないし、見逃してもいいんじゃないかい?]


「仕方がありませんわね、我々の来訪に遠慮して奥方と外でズキュンバキュンしているのかもしれませんし、もう少し様子を見ることにしましょう」


 打ち合わせを終えたエルザとアスタロトは、茂みの中からじっと目を凝らし、闇の向こうで行われている激しい争いを見守る。


[ムホホ素晴らしいね、あの屈強な肉体があるからこそ、あのような連続した打ち込みが出来るんだろう]


「ウフフですが相手もさるもの、柔軟な身のこなしで次々といなしていきますわ。それに腰を起点とする玄妙な動き……あれでは打ち込んでいる側が先に疲れてしまいます」


 やたら息の合った解説を始める二人。


 その内容は抽象的なもので、難解であり、難読であったが、どうせロクな内容では無いことは、鼻の下を伸ばした二人の下品な顔で丸わかりであった。


 だがその下品な顔は、瞬時に警戒心に満ちた緊迫したものへと一転する。


「あら? アレは……」


[ベルフェゴールだね]


 エルザとアスタロトの視線の先には、木の陰に隠れるようにして、ガッティラとフードを被った女性がくんずほぐれつしている姿を凝視する魔神がいる。


 あごにひげをたくわえ、頭にはねじれた二本の角、でん部には牛の尾を生やしており、そんな魔人が森の中で何をしているかと言えば、ガッティラと女性の方を見ながらシュッシュッと丁寧に、そして執拗なまでに尾の手入れをしていた。


「確か結婚生活を覗き見る習性がおありでしたわね?」


[うん、女性の心に不道徳な性的好機心を芽生えさせ、要は浮気させる力を持つんだけど、そのせいで女性に対して不信感を持っちゃうようになったという、かなり複雑に捻じれ曲がった性道徳を持つんだよね]


「あらあら、つまりガッティラから魔族の臭いがしたというのは」


「ベルフェゴールがその正体じゃないのかなあ」


「とんだピーピング・トムですわね。というか天魔大戦の最中に何をしてるんですのアレは」


[覗きが存在の根幹の魔神だし、魔族は自分の欲を何より優先させるからしょうがないよ]


「なるほど、魔族ではしょうがないですわね」


 釣れた魚に興味は無いとばかりに、二人は呆れた顔になると連れ立って集落の方へ戻っていく。


 だが本命は別にいたのだ。


[フ……これで当面の安全は確保できたか]


 虚空から現れた極小の粒からメキリと音がすると同時に、そこから屈強な手足が伸びる。


 そして球が縦に伸びたかと思えば胴体となり、最後に頭が生えて一人の人型となっていた。


 黒と白の仮面、道化師の衣装。


 堕天使ジョーカーがムスペルヘイムに死をもたらすべく、その恐るべき姿を現していた。

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