第261話 森の中の静かな集落!
「この森を抜けたらミンスルトの集落がある場所か……しかしすごい広さだな。王都周辺の森とは比べ物にならないほどの広さだ。なにか名前があるのかな」
ミンスルトに向かう途中、巨大な森を通ることになったクレイたちは、飛行術をやめてバヤールに騎乗していた。
道なき道を進んでいたクレイが、終わることなき木々の景色に驚嘆して独り言を言うと、それに反応したのは巨大な狼の姿に変化したマルトゥだった。
「ビャウォヴィエジャ・プーシャだ」
「言いづらいな」
「無理に言う必要も無い。どうせお前たちには関係のない場所だ」
「……」
あまりにも素っ気なさすぎるマルトゥの態度に、クレイは腹を立てて横顔を睨みつけるが、すぐに冷めて前へと視線を向ける。
「マルトゥ、今の態度は良くないぞ」
「申し訳ありませんアルテミス様」
「そうよそうよ。あのクレイって奴はすんごくキレやすい上にすぐに暴力を振るうんだから、早めに謝っておいた方がいいわ」
「あらあら、随分と嫌われていますわねクレイ」
そのマルトゥの背には三人の女児が乗っており、アルテミス、ガビー、エルザはめいめいに好き勝手なことを言うと、先ほどから行っている作業――ノミ取り――に再び戻り始めていた。
「しかしおっきいわねー、指の先くらいあるじゃないの。こんなに大きいと、どこにいてもすぐに見つけられそうなんだけど、ルー・ガルーにつくノミっていつもはどこに住んでるのかしら」
「取りつく時は普通の大きさのようだが、どうも我らの血を吸っている間に巨大化するようだ」
「あらあら、それでは貴方たちが人間の姿に戻った時は、巨大化したノミたちはどうなるのです?」
「分からん。気づいたらいなくなっていて、気づけば元に戻っている」
「あらあら」
森の中ゆえにバヤールもマルトゥもあまり速く走れず、暇を持て余した女子たちの笑い声がさざめく。
そんなのんびりした彼女たちを見たクレイは、うんざりして肩をすくめると背後に乗っているフィーナに声をかけた。
「いい気なもんだ。フィーナ、後どのくらいでミンスルトに着くか分かるか?」
「無理よ。こんな日の光も差さないような森の中じゃ、今どちらの方角に進んでるかどころか、何時かすらはっきり分からないんだから」
「マジかよ」
クレイの問いに対してフィーナが困った顔で答えると、どこからともなく聞こえてきた甘い女性の声が、クレイの耳にまとわりつく。
[ボクが上空から見てみようか?]
「頼むアスタロト」
うっそうと生い茂る大森林の中、魔族に発見されても問題ないアスタロトだけは飛行術で森の上を飛んでいた。
と言っても、そもそもクレイたちが発見される可能性も低いのであるが、飛行術を使えないアルテミス、マルトゥ、フィーナ、バヤールと分断してしまう可能性があり、目的地がほど近いこの森の中ではぐれることは、いかにも非効率だった。
「まったく、この森のせいで余計な苦労をする羽目になったじゃないか」
「グルルルルゥ……」
「え、なんかマルトゥ怒ってる?」
思わずクレイが不満を口にすると、直後にマルトゥが巨大な犬歯をむき出しにして唸り声をあげ、それを見たクレイは困った顔になってアルテミスを見る。
するとアルテミスはマルトゥに同調するかのように眉を吊り上げており、肩をいからせると不機嫌そうな声で答えた。
「そりゃそうだろ、この辺りは昔ルー・ガルーが一大勢力を誇っていた場所だ」
「そうか、神聖な場所でもあるんだなこの森は……すまないマルトゥ」
すぐにクレイが謝罪をするも、マルトゥはスネたようにぷいっと顔を前に向け、あからさまにクレイの謝罪を拒絶する。
ちょっぴり傷つくクレイに、フィーナが後ろからさらに追い打ちをかけた。
「文句を言うなら森を迂回すれば良かったじゃない」
「アルテミスがこっちだって言うから森を抜けることにしたんだぞ」
「急がば回れって言うでしょ。地図によるとちょっと向こうに街道があるんだから、そっちを通れば良かったのよ」
「そういうことは最初に言えよ!」
「私が地図を見る前にクレイが先にずんずん進んでいったんでしょ!」
途端に始まる口げんかに、バヤールの隣を走るマルトゥに乗ったエルザが面白そうにニヤニヤと笑う。
「あらあら、若い人たちは情熱的でよろしいことですわね」
[おーい、ミンスルトはこのまま行けば夕暮れまでにはつきそうだよ……ってどうしたんだいお二人さん、痴話ゲンカかい?]
そのエルザに続くように二人をからかうアスタロトであった。
うまくいかない時は、それを原因として新たなトラブルが産まれる。
そんな好事例を示しつつ、クレイたちはミンスルトへと向かっていった。
「ふむ、ご用向きは承った。しばしこちらで待機なされよ」
夕暮れになる前についたミンスルトの集落は、周りを簡単な木の柵で囲った中に、いくつかの天幕を設置しただけの寂れたものだった。
クレイは親書を門番に預けると、毛皮と布を組み合わせた帽子、同じような素材を使った上衣と膨らんだズボンを履いたその後ろ姿を見送る。
(なんか討伐隊の移動式住居に似てるな……いや、むしろ討伐隊が真似をしたのか?)
クレイがきょろきょろと見渡していると、それに気づいたアスタロトが近くに寄って声をかけた。
[正式な客人として招かれないうちに中の様子を伺ったりなんかして、内偵扱いされても知らないよ]
「それもそうか……いや、ムスペルヘイムで最大の規模の集落って聞いてたのに、意外と人や建物が少ないなって思ってさ」
[見える範囲だけで測ればそうかもね。周りが森に囲まれて見えないから、この集落が小さく見えるんじゃないかい?]
「……なるほど」
森の向こうにもどのくらいの規模で集落があるのかと、クレイはメタトロンの眼を発動させようとするが、すぐに止める。
先ほどアスタロトに様子を伺わないように言われたからと言うこともあるが、集落の長との会話の流れで聞いた方が、仲を深めやすいと思ったからである。
(事前に調べておいてもいいけど、わざとらしい演技になると却って相手を不機嫌にさせちゃうからな……お、もう戻ってきた、ってアレ?)
「なんでリュファス兄がここにいるのさ」
「なんでって、そりゃここの族長と俺が、以前から親交があるからだよ」
門番と共に歩いてきた大男。
それは討伐隊の長、リュファスであった。
「ふ、なにが親交だ。我らを何とかして口説き、テイレシアと同盟を結ばせるのが目的であろうが」
「最終的な目的はそうだが、今のところはガッティラ族長と親交と信義を深めるのが優先だな。寡黙で筋が通った男と仲を深めておくのは、決して悪くない」
「やれやれ。とりあえずその若者は、お前の知り合いで間違いないのだな?」
「ああ。我らがテイレシアの……」
門番に問われたリュファスが、クレイの紹介をしようとした時。
「あらあら、随分と立派なことを言うようになりましたわね、リュファス」
しずしずと姿を現した一人の美しい少女、エルザを見たリュファスの顔が恐怖に凍り付く。
「ひぇッ⁉ ど、どうして司祭様がここに⁉」
「あらあら、正しくあるべき者がいれば、正しい道を示すためにどこにでも赴くのが聖職者というものですわ」
「そ、そうですか……ええと、こちらが天使クレイ、そしてこちらのお美しい少女がフォルセールの司祭……そして第二王女でもあらせられるエルザ様だ」
「ふむ」
門番は無遠慮にじろじろとエルザを睨みつけると、失礼にもあごで一つの天幕を指し示す。
「あそこが族長の天幕と言うことになっている。族長が来るまで長旅の疲れを中で癒しておけ」
「あらあら、わざわざありがとうございます」
門番はそれだけ言うと、クレイたちを案内もせずにどこかへと姿を消した。
「俺たちなんだか歓迎されてないみたいだよ、リュファス兄」
「仕方ねえ。言ってみれば俺たちはこのムスペルヘイムを、ヴェイラーグと正面切った戦いへと引きずり出そうとする、悪魔の使者みたいなもんだからな」
天幕の中へと入ったクレイは、口にした内容とはまったく関係ない、嬉しそうな顔をしていた。
その理由は、まさかリュファスとここで会えるとは思っていなかったからだが、それ以外にも理由はあった。
「それにしても助かったよ。マルトゥの説明をどうしようかと思ってたんだけど、先にリュファス兄が説明してくれてて手間が省けた」
「陛下から使いが来てたからな」
クレイはリュファスの浅黒く焼けた、たくましい体を見る。
先ほどの門番も負けぬ体格をしていたが、やはりティーターンの一族となったリュファスと比べると、内から溢れる格が違っていた。
「さて、んじゃ後はお前に任せて俺は討伐隊の仕事に戻るか」
「え、マジで」
「大マジ。つか財政状況がマジでシャレになってないからな、今のテイレシアは。討伐隊の仕事も真面目にやっておかないと、国庫が干上がっちまう」
討伐隊の仕事は、他国の内偵、調略以外にもあるのだが、それには大っぴらに出来ない理由がある。
それはまだ公認されていない、発見されていないなどで探索が入っていない、未知の迷宮の盗掘である。
それら迷宮を探索し、まだ発見されていない財宝を盗掘し、こっそりとテイレシアの国庫に入れて潤わせる。
元々はフォルセールの財源の一つであったのだが、裏で公認されていたと言うこともあって、今では国の貴重な財源となっていた。
「と言うわけで俺は行く。後は頼んだぜクレイ」
「分かった。ロザリー姉によろしく言っておいてくれよな」
リュファスは片手をあげてクレイに応えると、闇が迫る集落の外へ姿を消した。
「さて、どうしよう」
リュファスが姿を消した後、クレイは手持ち無沙汰になっていた。
いつまで経っても族長は姿を現さず、かと言って勝手に外を出歩けるような許可は得ていない。
「そもそも族長にも家族はいるだろうに、なんで顔も見せてくれないんだろう……ハッまさか! これも何か俺を試そうとしてるのか⁉」
慌ててキョロキョロと天幕の中を見渡し始めたクレイを、フィーナが呆れた顔で見つめる。
「リュファスさんが話を通してくれてるんじゃないの? それよりさっきの門番の態度、すっごく失礼だったわよね」
「あー、そうなのか? ああいうのがこの辺りでは普通なのかと思ってスルーしてたよ」
「まあ司祭様が問題ないならそれでもいいんだけど、王族の姫でもあるんだから、ある程度はうやまってもらいたいわよね。国の威信にも関わっちゃうから」
「ふむ」
フィーナに同意はしてみたものの、実はクレイは先ほどの門番の態度を、そこまでエルザへの侮辱とは思っていなかった。
気に入らなければ王であろうが教皇であろうがその意を無視し、我が物顔で振る舞う。
それが周囲に聞いたエルザの性格だったからである。
(何か問題があれば自分から言い出すだろうしな……ん?)
考え事をしていたクレイはふと視線を感じ、顔を動かさずに目のみを動かす。
すると隣の部屋に続く扉から子供が覗いているようで、それに気づいたクレイはそちらに向けて軽く手を振ると、気さくな感じで声をかけた。
「こんばんは、何かお兄さんたちに用かな?」
「……」
「大丈夫よ、このお兄さんはとっても優しい天使様なんだから」
「なんか含みがある言い方だなフィーナ」
「何か引け目に感じることでもあるの?」
軽く睨み合いを始めたクレイとフィーナをよそに、エルザが扉の方へ近づいて微笑む。
「こんばんは、良かったらこちらに来てお話でもしませんこと?」
「は、はい……」
扉の影から出てきたのは、年端も行かぬ男の子であった。
父と同じく遊牧民の衣装を着こんだ子供は、おずおずとした表情でクレイたちを見回す。
「は、初めまして。ぼ、ぼく、族長ガッティラの息子でエリラクって言います」
そして続いて現れたのは、グレート・ピレニーズと見られる一匹の巨大な老犬だった。
「こっちはシリウスって言います。よろしくお願いします」
そしてエリラクはクレイたちの所に歩いてくると、老犬の名前を紹介してペコリと頭を下げたのだった。