第259話 旅先で気を付けること!
「沼地が増えてきたな……フィーナ、道はこっちで合ってるのか?」
「地図によるとそうみたい。それと今は広い道だからいいけど、道から外れると意外なところで沼にはまっちゃうから気を付けてねクレイ。それと火が付いたら消化は困難だから、魔術を使う時には注意して」
「その時にはガビーに消火してもらうさ」
[ボクがやってあげようか?]
「せっかくだけど毒沼はノーサンキュー」
アルストリア城を出発して三日。
クレイたちは炎の国、ムスペルヘイムの端へと到着していた。
「それにしても寂れた国だな……所々に集落が点在しているだけで、城壁を備えた町なんて全然無いじゃないか」
「しょうがないわよ。ムスペルヘイムは泥炭地が多いから、城壁なんて重いものを作っても傾いたり沈んじゃったりして、すぐに壊れちゃうわ」
「そうなのか」
フィーナの説明にクレイが相槌を打つと、その隙を狙ったかのようにエルザが口を差し挟んでくる。
「それに城壁などを作ってしまえば、そこに固執する理由が出来てしまいますわクレイお兄様。火計などを利用した神出鬼没の戦術が彼らの基本である以上、拠点を持つのはいかにも不味いでしょう」
クレイとフィーナとの会話に割り込んできたエルザはそう言うと、嫌味たっぷりな顔でアスタロトを見た。
[別にボクが教えたわけじゃないよ、エルザ]
「それは失礼、沼繋がりで真っ先に貴方の顔が浮かんでしまったものですから、つい口を滑らせてしまいましたわ」
[そうだね、今の君の体型だと取っ掛かりが皆無だし、滑るのも仕方がないかな]
「あらあら……どこを見ておいでなのですか?」
隙あらばギスギス。
何かあるごとに嫌味を言いあうエルザとアスタロト。
「実は仲がいいんじゃないかお前ら」
「仲がいいというよりは腐れ縁ですわね。この腐った堕天使とは」
[あはは、上手いこと言うね]
「何でもいいからちょっとは仲を良くしてくれ。ムスペルヘイムの説得を前にして緊張してるんだ。少しは気を使ってくれよな」
しょうがないので、クレイは自分をダシにして二人の仲を取り持とうとする。
「それじゃ仕方がありませんわね」
[そうだね仕方がないね]
「分かってくれて助かる……おい二人ともくっつきすぎだ」
その後、しばらくクレイはやたら要らぬ気を使ってくるエルザとアスタロトに、色々と付きまとわれる……と言うか密着されることとなった。
その日の夕刻。
「それじゃクレイ、私ここの村長に話を通してくるわね」
「すまない、頼むよフィーナ」
「だからあまりイチャイチャしてちゃダメよ。体調が悪いってことで私が代理で行くんだから、そんな姿を見られたらバカにしてるのかって怒られちゃうから」
「ホントすまない」
飛行術で移動できるはずのクレイは、なぜか先ほどからバヤールの背で揺られていた。
「大丈夫ですかクレイ様、ウチ水でも貰ってきましょうか」
「大丈夫、心配かけてすまないティナ」
≪私の背ではなく、どこか木陰に行って休んだ方が良いのではないかクレイ≫
「そうだね、悪いけどどこか適当な所に降ろしてくれる? バヤールさん」
「クレイ様……」
力なく答えるクレイを、ティナは心配そうに見つめた。
エルザとアスタロトの魔力にあてられたのか、少し前からクレイは熱中症のような症状を発していた。
≪ここが良かろう。それでは私は少し席を外すぞ≫
クレイの願いに従ったバヤールは、適当な木を見つけるとその下にクレイを下ろし、自らもまた水を探してどこかへと歩いて行く。
その後ろ姿を見送ったクレイは、額に手を当てると周囲をゆっくりと見渡した。
「ふぅ……まさかこんなことになるとは思わなかったよ。エルザとアスタロトはどこに行ったか分かるかいサリム?」
「お二人とも責任を感じたのか、綺麗な水を探してくると言って出かけられました」
「そっか」
クレイは途中の村で供給された水を思い出し、全身を震わせた。
泥炭地の水はよほど慎重な処理をしない限り、飲用には適しない。
ムスペルヘイムに元々住んでいる者たちであればともかく、他の地域から来た者が飲めば、たちまち体調を崩してしまうのだ。
(これもムスペルヘイムが攻め込まれない理由の一つなのかな……ウップ)
とりあえず魔術で処理はしたものの、早く飲みたいがために熱処理を加えなかったのがまずかったようだ。
(フィーナの言う通り、蒸留水にして飲んだ方が良かったか……でも味気ないから嫌なんだよなあ……)
そうすると今度は必要な成分まで摂れなくなるのだがな、と誰かに言われたような気がしたクレイは、その声から耳を背けるように眠りに落ちたのだった。
(知らない天井だ……)
クレイが目を覚ました時、彼は粗末な寝台の上に寝かされていた。
天井や壁は丸太を組み合わせたもののようで、隙間には粘土や藁のようなものが詰められている。
(こんな作りで冬を越せるのかな……ってよく見れば分厚いな)
窓を見れば、どうやら壁の厚みは数十cmほどあるようで、それに従って詰め物も手厚いものとなっており、保温効果は絶大なものとなっていた。
「あらあら、ようやくお目覚めですか寝坊助さん」
「原因となったお前に言われたくはないけどな。ここが今日の宿かエルザ?」
いつからそこにいたのか。
部屋の様子を伺っている間、エルザの気配にまるで気づかなかったクレイはそう考えると、まだしっかりしない頭を軽く振って現在の状況を聞きはじめる。
「村長の自宅の部屋を一つお貸し願えましたわ。この辺りは旅人もそれほど多くはなく、いつも宿代わりに提供しているので気兼ねしないように、だそうですわ」
「そっか」
望んでいた情報すべてとは言わないものの、ある程度の状況が把握できたクレイは短く呟くと、自分の体を法術で解析する。
すぐに分かる体感的な異変、頭痛や吐き気は収まっていたものの、やはり根本的な原因である水分不足と、ミネラル不足はすぐには分からないのだ。
「ちょっとは体力も回復したみたいだな。それにしても、水も栄養も足りてるみたいなのに、さっきはなんで調子を崩したんだろ」
「それは先ほど治療のために、クレイお兄様の体に直接栄養を注入したからでしょう」
「なんだそれ」
直接流し込んだという説明に、えも言われぬ恐怖を感じるクレイ。
「点滴と呼ばれる医療行為ですわ。貴方が目を覚めるのを待っていても良かったのですが、こちらの方が早かったのでそう致しました」
「むー」
不安は残るものの、法術による解析は問題なく、体調もすこぶる順調。
「分かった。看病してくれて礼を言うエルザ」
「ありがとうお姉ちゃんでもいいのですが」
「もう妹の立場に飽きたんかい」
というわけでクレイはエルザにお礼を言ったのだが、言われた当人はやや不満のようであった。
「実際に存在している年数は私の方がよほど上なのですから、たまにはお姉ちゃんと呼んでくれても構いませんわ」
「俺も成人してるんだからお姉ちゃんって呼ぶのも何だか気持ち悪いな。ありがとうエルザ姉上」
「ぶー」
口を尖らせるエルザ。
その姿は年相応(あくまで外見の範囲ではあるが)に見え、更には産まれてからの月日が半年にも満たないことを思い出してクレイは苦笑する。
「村長に挨拶に行こう。お前はどうする」
「先ほどご挨拶に行ってまいりましたので、クレイお兄様お一人でどうぞ」
「ああ、分かった」(珍しいな……?)
図々しく無遠慮なエルザが同席をためらうとは。
更にエルザやガビーが今回同行しているのは、それぞれ特使の役目やアスタロトの監視などもあるのだが、クレイ自身が暴走しないためでもある。
それがガビーはバヤールと遠乗り、エルザは同席を遠慮というのは少し不思議に思えた。
(まあ、俺と離れて行動したい何かがあるなら別だろうが)
エルザとて性別上は女性、たまには男性と距離を取りたいときもあろう。
そう思ったクレイは部屋を出ると、エルザに教えてもらった村長の部屋へと向かった。
「ああ~こりゃあ~また~……えぇと? ご丁寧にどうもじゃあ~」
「いえ、こちらこそいきなりの訪問に対しても嫌な顔一つされず、それどころか宿まで提供していただけるとは、このご厚意に皆感謝しております」
「ああ~ああ~……えぇと? 婆さんや~」
「どうしましたお前さん」
「この~旅人さんたちに~……えぇと? 今晩の食事を~出してくれんかの~」
「あらお前さんったらいやですよ、昨日皆で一緒に食べたじゃありませんか」
「おお~おお~……えぇと? そうじゃったかの?」
この村の村長はかなりの高齢であった。
加えて配偶者もかなりの老婆であり、どうにもこうにも意思の疎通は難しそうである。
(まさかこれを知ってて逃げたんじゃないだろうなエルザの奴……あ、隅っこでフィーナが膝かかえてる)
クレイの視線の先では、とてもとても息の長いため息をフィーナが吐いている途中であり、その姿はクレイでさえ声を掛けられる雰囲気ではない。
「では病み上がりですのでこれで失礼します村長あとはあそこにいる仲間がよろしくやってくれるでしょう」
というわけでクレイは一息でそう言うと自分に割り当てられた部屋に戻っていった。