第258話 機密漏洩は相手次第!
「では、あまり大きな被害は出ていないと」
「ええ、今のところはムスペルヘイムを北から大きく迂回したルート、そちらの小競り合いが中心です。」
客室へ案内される途中、クレイはエクトルからヴェイラーグ帝国との戦況報告を聞いていた。
「しかしムスペルヘイムを迂回できるなら、敵の主力がそちらの方面から攻め込む可能性も高いのではありませんか?」
「そうすると補給線が伸び切ってしまい、柔軟性を欠きます。まさか大軍を補給無しで賄えると思うほど、ヴェイラーグの指揮官が無能だとも思えません」
「国境ギリギリを迂回すればそれほど伸びないのでは」
クレイの疑問を聞いたエクトルは、ニコリと微笑む。
「確かにそう思われるのもごもっともです。しかしムスペルヘイムは多数の部族からなる共同国家ゆえに国境が分かりづらい」
「そうですね……」
「彼らはそれを利用し、近くを通る軍に対して国境を侵犯したと難癖をつけては、その補給部隊をよく奇襲して強奪しますので、今回のヴェイラーグはかなりの遠回りをしております。補給の柔軟性を欠き、連絡を疎にした軍隊が勝った例は古来存在しません」
「確かに」
エクトルの指摘にクレイは頷いた。
もちろん海路を使えば補給期間を大幅に短縮することも可能だろう。
だがヴェイラーグ帝国は冬になると殆どの港が凍り付き、また流氷による海難事故も多いため、あまり海路は重要視されていない。
また北国フェストリアもヘプルクロシアの海軍、海商たちが目を光らせており、ヴェイラーグとの関係もそれほど良くないため、援助をすることは考えにくい。
更にあり得ない可能性を考慮に入れるとして、もしもヴェイラーグが魔族に救援を求めたとしよう。
しかし魔族とて前回の天魔大戦において、海路の補給手段を徹底的につぶされており、おまけにムスペルヘイム北の沿岸には港は存在しないために、大型船から物資を容易に揚陸することはできない。
また上陸してからの陸路の安全も確保できない以上、ヴェイラーグはムスペルヘイムを通ることが、一番効率的な進軍ルートであった。
[ねー、クレイたん]
「どうしたアスタロト。まさか暇だから暴れたくなったとか、さっきのバヤールさんみたいなことを言わないだろうな」
客室に向かう途中、身体を動かしたくなったと言って、ガビーとアルテミスを背に乗せて遠乗りに向かったバヤールを思い出し、クレイは不安がる。
[天使の加護がある中でそんなことするわけないでしょ。そんなことよりさっきからボクがいる前で重要そうな話をしてるけど、いいのかい?]
そんなクレイの不安が移ったように、アスタロトが遠慮がちにエクトルを見つめながら言うと、エクトルは小首を傾げてアスタロトに答える。
「よろしいですよ」
「よろしいみたい」
[よろしいのかー]
三人は納得し、そのまま客室の中へと入っていった。
「いや、よろしくないと思うのよ私」
「急にどうしたフィーナ」
「さっきの話よ! アスタロトお姉さまの前で、軍事に関する重要な話をしても良かったのかって話!」
「エクトルさんがいいって言ったし、アスタロトも納得してたから別にいいじゃん」
[ひょっとしてボクが邪魔になったのかいフィーナ]
「違います! 違うけどなんか気になるじゃない!」
部屋の中に入った途端いきなり騒ぎ出し、手をぶんぶん振り始めたフィーナをクレイは迷惑そうな目で見ると、身に着けていた装備をサリムに預けてカウチに身を預ける。
それを見たフィーナはテーブルを挟んだ向かい側に座り、アスタロトもその隣に腰を下ろした。
「まあ、理由の一つとして話しても構わない案件だったことが考えられる。もしくは流した情報を逆手にとって罠にはめるとかだな」
「そうね、妥当な線だわ」
「次にアスタロトさんや魔族の立ち位置が分かること」
「立ち位置?」
苦笑するアスタロトを見たクレイは肩をすくめ、ティーカップをつまむとサリムが淹れてくれた紅茶の香りを楽しんだ。
「要はアスタロトさんの前で話した情報が、時間をおかずにヴェイラーグに流れたと分かれば、魔族とヴェイラーグが内通していることが分かり、アスタロトが俺たちとの信義を守ろうとしていないってことも分かる」
[うん、そうだね]
「だからこそ自分から言い出して、エクトルさんの思惑を引きずり出そうとしたんだろ?」
[そのつもりだったんだけど、あまりに素っ気なさすぎるから、彼の態度や表情からは見抜くことは難しいね。それにクレイたんの考えと、エクトルって子が考えてることが別の可能性もあるし……]
アスタロトは言葉を区切ると、窓際の木製の椅子に座っているエルザの方をチラリと見る。
[エルザ、ガビー、それにクレイたんがいる上に、狩猟の女神アルテミスもいるんだから、変なことなんて出来っこないよねえ]
「それにそもそも連絡手段が無いからな」
[えっ]
「えっ」
そしてクレイがフォローを入れると、アスタロトが意外と言うような答えを返してきたため、クレイは慌ててアスタロトを見た。
[気づいてなかったのかい、クレイたん]
「気づく……」
クレイは考え、悩み、そして最近のエルザやガビーの行動について思い出すと額に手を当て、天を仰ぎ見た。
「ダークマターが聖霊に混在した影響で、ダークマターの念話の速度が上がっているのか?」
[ピンポーン。ついでに言えば、法術による念話の精度も落ちている。ガビーが復唱を受け取れなかったのは、多分そのせいさ]
お気楽なアスタロトの声を聞いたクレイは、どっと疲れたようにカウチの背もたれに倒れこんでしまう。
「そっか……ダークマターが……」
前回の天魔大戦で、ダークマターをこの世界に引きずり込む原因となった、義父アルバトール。
その事実を思い出し、力なく呟くクレイを見たアスタロトは、数秒ほど経った後にやらかしてしまったという顔をした後に、慌ててエルザを見る。
するとジト目で見ていたエルザが、やれやれと言わんばかりに首を振ってドヤ顔になると、静かにクレイへ近づいてその肩に手を置いた。
「あらあら、それを解決するのも貴方の役目の一つではありませんかクレイお兄様」
「それが出来るならすぐにやってるよ。でも純粋なダークマターはまだ祓えないって、メタトロンが言ってたんだ」
「でもやらなければ何も始まらない、そうではありませんか?」
「うーん……考えておく」
しばらく悩んだ後にクレイがそう言うと、エルザは静かに微笑む。
「そうですわね、今すぐ貴方が始める必要もありませんし、貴方がやる必要もありません。メタトロンと相談して、ゆっくり決めなさい」
「いや、そうじゃなくてさ……」
クレイは下を向いた後に頭をガシガシとかくと、溜息をついた後に顔を上げる。
「ダークマターが聖霊に混ざったってことは、今も俺たちはダークマターにさらされてるわけだよな?」
「そうですわね」
「なのに俺たちはもちろん、一般の人たちも平気で生活を送ってる。これって不思議じゃないか?」
「混ざったダークマターは、聖霊と言う大いなる存在から見れば微量ですからね。ただそれを排除するのは難しいというだけです」
「なるほどな」
クレイは腕を背後につけると、背中をのけ反らせて天井を見る。
「ダークマターは制御が難しいってことか。となると、相談するべきはまずバロールさんかも知れないな。ちょっと行ってくる」
そして遠くを見る目をしたクレイは、すぐに体をビクンと震わせて全身に冷や汗をかいた。
「あらあら、どうしたのですクレイお兄様」
「メタトロンが怒って説教を始めたから逃げてきた」
「あらあら」
「これじゃしばらく話し合いは出来そうにないな……ほとぼりが冷めた頃にまた話してみるか。とりあえずは宴に出るための準備をしようか、皆」
クレイの言葉に、その場にいる全員が宴に出るための準備を始める。
「いや女の人たちがここで着替えるなよ! ドレッサーは隣の部屋!」
そして女性たちが全員、恥ずかしげもなく服を脱ぎだした姿を見たクレイは、慌てて隣の部屋へ続くドアを指し示す。
そして宴の準備が整ったと知らせが入り、クレイたちは宴が開催される大広間へと向かった。
「おや、やけに疲れているようだけど、大丈夫かいクレイ君」
「倫理観がないって恐ろしいですねアルストリア伯」
「そうだね……? サリム君も大丈夫かい? やけに顔を赤くしているが」
「だ、大丈夫でございます……私のような従者にも配慮していただき、恐れ多いことでございます」
なぜか顔を真っ赤にしているサリムを見たジルベールが声をかけると、サリムは冷や汗を流しながら頭を下げ、クレイは溜息をついて離れた所で談笑している女性たちを見た。
「羞恥心が皆無なんですよ、今回着いて来ている女性たちは」
「なるほどね、思い当たるフシはある」
ちなみにティナだけはちゃんと別の部屋に移動しようとしていたのだが、他の女性陣が全員その場で着替え始めたため、ドアの前で立ち往生となってしまったのだ。
「ところでアルストリア伯、随分と豪勢ですね、今回の宴は……規模で言えば、俺が今までに参加した宴の中でも最大ですよ。まさか兵士たちまで参加するなんて思っていませんでした」
クレイはそう言うと、城の外から聞こえる騒ぎに耳を傾ける。
その内容によると、どうやら彼らはヴェイラーグの迎撃のために出陣する兵のようであり、ムスペルヘイムの北部を迂回して疲れた奴らなど敵ではない、と言っているようであった。
「父もいつもそうしていたからね。死地へ赴く兵士たち……最後の晩餐となるかもしれない者たちに、最大限できることをしてやりたいと」
「……そうですか」
ジルベールとエクトル、そしてジルダの父であるガスパールは、先の天魔大戦の末期に、いきなり攻め込んできたヴェイラーグとの戦いによって戦死している。
つまりヴェイラーグはジルベールたちにとって親の仇であり、同時に領民の安全を何度も脅かしている憎むべき敵であった。
「何とか今度の戦いで奴らの本軍を引き入れ、大打撃を与えてしばらくの安全を保障したいものだ」
「同感です。ムスペルヘイムの調略、微力を尽くさせていただきます」
「ああ、私はさすがに着いて行くことは出来ないが、その代わりに親書をしたためさせてもらうよ」
「助かりますアルストリア伯」
クレイはジルベールに感謝の意を表すと、再び城外に意識を向ける。
先ほどから城内に響いていた歓声はなりを潜め、代わりに聞こえてくるのはアルストリアとガスパールを讃える歌であった。
(一度会ってみたかったな、アルバ候が無条件に褒めたたえるガスパール様に)
世間の評価では、金銭や財宝収集にうつつを抜かし、貴族の中では新興であるトール家を妬んでいたとされるガスパール。
しかしその真の姿は私情を腹に収め、公的な立場を常に優先させて行動してきた、騎士の鏡とも称えられるものであった。
(向かうはムスペルヘイム。個性の強い各部族の共同国家であり、部族同士の争いも絶えないが、外敵に対しては一致団結してあたり、これを排除する)
クレイはアーカイブ術を起動させると、ムスペルヘイムについて調べだす。
(その変わった国家構成ゆえに、調略するにも各部族を回らなければならず、一つの部族を調略しても他の部族を説得している間に心変わりをされるため、未だにムスペルヘイムはどの国家に対してもなびいたことはない、か)
そして調略の難しさに辟易したクレイはバルコニーに出ると、城の中庭で上機嫌で歌っている兵士たちの姿を見た。
(だがやらなければならない……彼らを一人でも多く、無事に家族の元へ戻すためにも)
そして次の日。
「では頼むよ」
「お任せくださいアルストリア伯」
クレイたちは隣国ムスペルヘイムへと旅立っていった。