第257話 また俺なにか試されちゃいました!
「何を考えているのですか兄上! いやジルベール伯! バヤールは城内ではなく、あの森においてこそ意味があるものだと何度も言ったではありませんか!」
アルストリア領に戻ってきたジルベール、そしてその護衛として着いてきたクレイたちは、その中枢であるアルストリア城に入った途端、中にいたジルベールの弟、エクトルからの叱責を受けていた。
「黙れエクトル。バヤールはもはやアルストリア領だけのものにあらず。これ以上の執着は陛下への叛逆の意と受け取られかねんぞ」
「そんな言葉で誤魔化されるとでも?」
「この私がお前に対し、逃げを打つとでも思ったか? 久しぶりに説教をしてやっても良いが、ここでは人目が多すぎる。執務室に向かうぞ」
しかしジルベールは弟であるエクトルからの叱責を一顧だにせず、衛兵や領民のざわめきを放置したまま城内へと入っていった。
「おや、もうバレてしまいましたか。さすがに神が相手では分が悪うございましたな兄上」
「大願成就を前にしてお互いに気が緩んだのかもしれぬ。やはりお前が言った方が良かったな、エクトル」
「さすがに名代を立てるわけにもいかなかったでしょう。魔王ルシフェルが復活したとは言え、魔族として組織立った侵攻もこちらには見られませんしね」
執務室に入ると一転、兄と弟は和やかな雰囲気で打ち合わせを始める。
どこから調達したのか、中には魔道具によるかなり頑強な障壁が張り巡らされており、天使の結界を抜けることが出来るような微細な力の魔族では、中の様子はうかがえないようになっていた。
「お初にお目にかかります天使クレイ=トール=フォルセール様。アルストリアの内政を任されております、エクトル=ミュール=アルストリアと申します」
「初めましてエクトル殿。いつもアルストリア伯から噂は聞いております」
「そうですか、お耳障りなことを申し上げていなければ良いのですが」
クレイは愛想笑いで誤魔化すと、詳細を口にすることを避けるようにジルベールへ助けを求める視線を送った。
エクトル=ミュール=アルストリアはジルベールの弟であり、ここアルストリア領における№2の立場である。
文武両道と言われるジルベールに比べその才は文、つまり知に傾いたものと評されるが、その器はベルナールに次ぐものとも称される。
実際にエクトルが、文官の筆頭であったジェラールの後を継いで、実務につくようになった直後から、見る見るうちにアルストリア領の治安と生産性は向上したのであるから、そう称されるのも無理は無かったであろう。
しかしそれを面白くないと思ったジルベールが、内政に関して口出しをするようになり、急速に二人の仲は悪化し、それを見かねた姉ジルダが仲違いをやめさせようとしたため、争いはミュール家全体まで発展した……となっている。
「仲違いをしているように見せかけ、領内はもちろん国内の不穏分子を炙り出し、尚且つヴェイラーグへの誘い水とする。何にせよ、この悪辣な騒ぎを進言したのが実の弟であるのだから、耳障りになるようなことしか言えぬ、というのが正直なところだよ、クレイ君」
「だ、そうですが」
「兄上に泥をかぶらせるような策を考えた責任、領民からの大量の苦情をあまんじて受けることによって、果たしている最中でございまして」
「この通り言い訳も完璧だ。とまぁ、冗談はこれくらいにして」
ジルベールは溜息をつき、エルザを見つめる。
「ジェラールも年で引退してしまったから、王都に行くたびにエクトルの手助けができるような人材を探しているのだが、なかなか見つからぬ。教会で行っている民間への教育とやらは、いつ成果が出るのやら」
恨みがましい視線をジルベールがエルザに向けると、エルザは頬に手を当てるといつもの微笑みを浮かべる。
「あらあら、そう言えば私がいない間にそのようなことをやっていたのでしたね」
それだけで自分への非難をガビーへと移管したエルザは、いきなり話題を振られて慌てふためくガビーを微笑んだまま見つめると、ジルベールとエクトルに視線を移す。
「申し訳ありませんジルベール様、エクトル様。この旅より戻りましたら、ラファエラにきつく言い含めておきますゆえ、どうかご容赦を」
「あ、いや……それにはおよびませぬぞ、エルザ司祭」
「兄上の言う通りでございます。第二王女でもあらせられる貴女に、そのようにお手数をかけさせてしまっては、ミュール家の名折れというもの」
「あらあら、お二人ともそんなに遠慮なさらずともいいのですよ」
恩を受けるのも恨みを買うのもまっぴらだ、とばかりのその短いやりとりに、エルザとミュール家の力関係を見たクレイは、内心でやや首を傾げる。
確かにエルザは王家直系の血筋であるが、第二王女であってそもそも男子でもない。
いかに主筋とは言え、ミュール家は代々続く辺境伯の一つであり、また年齢的にも大幅に……
(あ、そうか)
考えてみればエルザは転生した身である。
しかも転生する前は国中どころか、大陸中にその名が知れ渡った(色んな意味で)高名な司祭であったのだから、ジルベールとエクトルの両名が恐れ入るのも無理は無かっただろう。
「亀の甲より年の劫か」
「あらあら、今なにかおっしゃいましてクレイお兄様?」
「ん? まだ十歳にもならないはずのお前が、俺の今の発言に何か気になることでもあったのか?」
「あらあら、メタトロンの助言でも得られたのか、言うことが随分とおませさんになったものですわね」
「この程度なら教会で教えを受けてる子供たちでも言えるぞ。ちゃんと仕事をしていないから、そんなことにも気づけないんじゃないか?」
突如として険悪な言い合いを始めたクレイとエルザを、ジルベールとエクトル、ついでにガビーが、二人の言い合いを狼狽えながら見守る。
[やれやれ、お二人さんともそれくらいにしておいたほうがいいんじゃないかい? ボクはともかく、若い人たちはキミたちの内輪もめに巻き込まれたくない、って顔をしてるよ]
よってそれを止めたのは、なぜか堕天使であるアスタロトであった。
「あらあら、その言い方では、まるで私が若くないようではありませんか? 貴女はともかくとして」
[ボクは存在した年月から得た経験を誇る生き方をしてるからね。自分の歩んできた時間を無闇に否定することは、自分を否定することに他ならないよエルザ]
「えー、俺は実際に若いんだけど」
[果たしてそうなのかな? ヴィネットゥーリアでのことを忘れたのかい、天使クレイ=トール=フォルセール]
「……言ってる意味が分からないな。俺が魔術で若返った姿を見せているとでも言いたいの?」
そしてクレイとエルザの緊迫したやり取りを止めたはずのアスタロトが、その場に新たな火種を放り込むこととなる。
[ま、この場でそれを議論してもしょうがない。魔族であるボクが今回キミたちに着いて来ているのは、別の問題だしね]
アスタロトが事もなげに発したその一言に、激しくエクトルが反応したのだ。
「……魔族だと? どういうことですか兄上。私はそのような話、一言も聞いておりませんが」
「何? マティオ殿から話は行っていないのか?」
「あ」
[え、クレイたんひょっとして……話を通してないのかい?]
「あらあら、まさか……念話をするのを忘れていたのではないでしょうね、クレイお兄様」
クレイの顔が蒼白になる。
まさかとは思うが、出立する際に自分が念話で話を通しておく、そんな手筈となっていたことを聞き逃していたのか。
「あーごめん、アスタロト憎しで頭がいっぱいで、マティオに念話を送った後に、向こうからの復唱を受け取る確認作業を忘れてたわテヘ」
しかしそんな時にガビーからぽろっと出た言葉に、クレイは真面目な顔になってじっとガビーを見つめた。
「マジかよガビー、お前アスタロトにビビッてたんじゃなかったのか」
「……違うわよ」
「そうか、違ったのか」
「うん、だから殴らないでね」
「分かった殴らない」
クレイは本当に殴らなかった。
そんなクレイを見たガビーは目を丸くし、頭を防御していた両手を下ろす。
「どうしちゃったのよクレイ。いつものアンタなら、容赦なくアタシの頭に拳骨を振り下ろしてるところじゃない」
「まあ、そうしてもいいし、実はそうしたい所だ」
「ヒッ」
再び頭を両手でガードするガビー。
「だけど、お前が失敗したと言ったことで雰囲気が変わった。失敗したことを隠さずに俺に言ってくれた。ならそれを責めるのは、率いるものとしてはあまり良くない……と言うより失格だ。それに」
「それに?」
「お前が実際に念話をするように頼まれたのか、俺は聞いてない。ひょっとしたら別の誰かを庇うために、そう言ったのかもしれないしな」
クレイがそう言って笑うのを見たガビーは、目をパチパチとして唖然とし、しかる後に頬を桜色に染める。
「あらあら」
そんなガビーを見たエルザは視線を愛おし気なものに変えると、クレイをジッと見通す。
「どうした風の吹き回しでしょうかね、いつもの貴方なら有無を言わさず殴りつけているでしょうに」
「成人したからじゃね?」
「別人になったの間違いでは?」
「別人か。いいね、要領よく生きるには実に都合が良さそうだ」
話を打ち切るべく、そう言って肩をすくめるクレイ。
エルザもさすがにこれ以上くどくど言うのは、ジルベールとエクトルに対して礼を失すると考えたのか大人しく引き下がる。
それを見たクレイはエクトルに向き直ると、真摯な視線を向けた。
「エクトル殿」
「何でしょう」
「話の行き違いに関しては謝罪いたします。ですが魔族と行動を共にするのは、以前より推し進めていた獣人の国に関する政策の一環。我々もこのアルストリアで無用な騒ぎは起こさないように……」
「どうしましたかクレイ様」
途中で説明を止め、黙考を始めたクレイを訝し気に見るエクトル。
「ちょっとした騒ぎは起こるかもしれませんが、他の皆様には害が及ばぬように心いたしますので、どうか見逃してはいただけないでしょうか」
そして沈黙を破ったクレイはそう言うと、首をやや傾けてエルザとガビーの方を横目で見た。
「……心中お察し申し上げますクレイ様」
エクトルが目頭を押さえる仕草をして呟くと、それを見たジルベールが苦笑しながら肩に手を置く。
「話はついたようだなエクトル」
「兄上がおっしゃっていた以上に成長されておられることも確認できましたし、これであれば城内や領民たちも問題なく説得できるかと」
「では宴の準備をするように指示を出してくる。お前はクレイ殿たちを客室の方へ送り届けよ」
どうやら話は終わったようである。
しかしその直後からテキパキと手筈が進んでいく様に、クレイは違和感を覚えて手をそっと上げた。
「あのー……アルストリア伯?」
「何かな?」
「また俺なにか試されちゃいました?」
「この時点で見抜くとは、さすがクレイ君だね。ガビー侍祭がああ言わなければ、実は連絡が行き違いだったとうやむやにする手筈だったのだが」
「いや……もう慣れました」
こうして一行は、客室へと案内されていったのだった。