第251話 犬猿の仲!
クレイたちがルルドの泉でヘルメースに会っていた頃、聖王国テイレシアの王都――いや、元王都と言った方が正しいであろう――であるテイレシアでは、魔族を支配する上位存在たちが顔を合わせていた。
[ヴェイラーグが動いたらしいな、ジョーカー]
[さようでございます、ルシフェル様]
[去年より何やらヴェイラーグで働いていたようだが、その結果か? しかし不意を突くためにクレイの誕生日と予定を合わせた、という割にはテイレシアの奴らの対応も早いようだな]
その中でも更なる極み、至高の存在。
魔族たちを束ねる王である魔王ルシフェルは、皮肉を込めた口調で一人の道化じみた格好の堕天使に一瞥を送る。
ルシフェルが懐刀とも頼んでいるはずの、堕天使ジョーカーが魔王の視線を白黒に分かたれた仮面で受け止めると、大広間に重い沈黙のとばりが下りた。
[……去年より報告書をその都度あげておいたはずですが]
しかしその沈黙のとばりは、すぐにジョーカーのやりきれぬ怒りによって跳ね上げられる。
[バアル=ゼブル、お前に目を通すよう言っておいたはずだぞ]
[聞いてねーよボケ、人に責任を擦り付けるんじゃねえこのニート魔王が。大体テメエは事あるごとに俺に責任を丸投げにしやがって、いい加減にしやがれ]
そしてジョーカーの怒りを見てもこゆるぎもしないルシフェルによって、とばりは舞台の袖へと投げ捨てられてしまっていた。
数分後。
[モート]
[どうしたジョーカー]
[我らの王はお忙しいようだ。ここは下がってお体が空くのを待つとしよう]
堕天使ジョーカーは旧神モートと共に、先ほどから雑音と騒音が支配するようになった広間の外へと退出した。
ジョーカーたちが居なくなり、大広間にいささかの時が経過する。
[そんでどこにやったんだよ、その報告書って]
[ふむ、どうやら裏にセファールへの注文を書いて出してしまったかもしれんな]
[あ? あー……えーとだな、ちょっと俺の理解が追い付かねえんだが……ジョーカーの報告書をどうしたって?]
[余った冬物をこちらに格安で寄越せ、と注文を出した気がしないでもない]
[マジかよ]
ようやく落ち着いた広間の中では、人を人とも思わぬ顔をした魔王ルシフェルと、不貞腐れた表情の旧神バアル=ゼブルが睨み合っていた。
[ふ、どうも最近は人間どもが俺の思ったように動かないことが増えたと思っていたら、思わぬところから情報が漏洩していたようだな]
[いや俺もうなんも言えねえよ……これジョーカーにどう説明すんだオマエ]
[ふん、俺を誰だと思っている]
[ついさっき魔王から単なるバカに評価が下がったルシフェルとかいう堕天使だ]
数分後。
[騒ぎが収まったと思ったら、またうるさくなってきたようだなジョーカー]
[……]
モートの問いかけを聞いても、まったく顔を上げようとしないジョーカーを見たモートは、肩をすくめて廊下の角から大広間へ続く扉へと視線を移す。
[それで? そのニコライとかいう人間を使ってヴェイラーグを動かしたのか]
[ああ、あ奴らの皇帝とやらが、この冬でひいた風邪をだいぶこじらせてな。もう高齢で長くないであろうから色々と助言を授けていたのだが、どうも以前からテイレシアの連中もそそのかしていたようで、存外にあっさりと踊ってくれた]
[人間どもは、器が小さい者ほど自分を大きく見せたがる傾向があるとは聞くが、本当のようだな]
[その辺りの流れも報告書に書いていたのだが……ふぅ]
広間から響いてきていた騒音は、先ほどから重厚な地響きへと変化している。
大規模な破壊活動が行われていること間違いなし、そんな不愉快な音を聞いたジョーカーは、肩を落として大仰に溜息をついた。
[まったく、人間どもの精神的シンボルでもある王城を、事あるごとに破壊するとは……これでは人間どもが我々になびくのはいつの日になるやら]
[それでもあの二人、人間たちには妙に人気があるようだぞ]
[だから困っている。我々に必要なのは畏怖の感情であって親近ではない]
[だろうな]
その瞬間、ひときわ大きな轟音が城をつんざく。
[止めに行くか?]
[行かねばなるまい。これ以上やられては修復が面倒だ]
そして。
[ふん、ベルナールとやらがやりそうなこととは思っていたがな]
[……さようで]
ジョーカーから報告書の内容を聞いたルシフェルは、そこに書かれてあったテイレシアの分断策を知ることとなり、テイレシアの早い対応が自分の情報漏洩によるモノでは無いと知って安心して将棋を打ち始めるのだった。
その頃フォルセールでは。
「それで? 話というのは何なのだジョゼ。親子であるゆえに特別に執務室へ通したが、もしも公用であるなら手続きをして順番を待て。私用であるなら公務が終わってから話を聞こう」
「どちらもですお父様」
テイレシアを治める国王シルヴェールと、その娘である王女ジョゼフィーヌが、やや緊迫した空気の中対峙していた。
先の発言を聞いたシルヴェールはジロリと愛娘の顔を睨みつけ、ジョゼがその視線を真っ向から受け止めたことを感じ取り、気づかれぬ程度のため息をつく。
「どちらも、などというあやふやな物言いをするような用件で、私に謁見を申し出たのかジョゼ」
「はい」
「……緊急であればよし。だがすぐに報告や相談が必要でないのであれば、クレメンスにまず話すがいい。私もそう時間をとれるわけではないのだ」
「承知しております」
すぐにうなづき、真摯な眼差しを向けてくる愛娘の顔を見たシルヴェールは、その真っすぐな感情に対して再びため息をついた。
ヴェイラーグ帝国がアルストリア領に侵攻してきている今、国王であるシルヴェールの公務は苛烈なもの……というわけでもなかった。
なぜなら各領地の領主がフォルセールに集まっていたため、日頃であれば文書による指示や命令書も直接相手に手渡せば良く、また彼らを帰国させる前に色々と公務を手伝わせたりしていたからであった。
と言っても公務以外、例えばアルストリア領への軍の派遣などの新しい問題も発生しているため、そうゆっくりもしていられない。
なにせ今まで軍を任せていたベルナールの出仕回数が減っていたため、兵站の確保や構築などの後方支援に関する仕事が、シルヴェールにすべてのしかかっていたのだ。
(さすがにこればかりはセファール殿の手を借りる訳にもいかないからな……)
魔族に与していた、ということでセファールを信用していないわけではない。
畑違いの分野ということもあるが、それ以上に軍に関する情報は国の中でも最上位に位置する機密情報である。
もしも元魔族である彼女に、国家の根幹に関わる重要な仕事を任せるとする。
すると軍の内部や国民の中でいらぬ不安が広がり、疑心暗鬼を産み、派兵を諦めざるを得ない突発的な事件が起こる可能性すらあったのだ。
「……父様? お父様?」
「あ、ああすまぬジョゼ。人の心はかくも上手く理解できぬものなのかと、最近は悩むことが多くなってな」
物思いにふけっていたシルヴェールはジョゼの呼びかけに気づくと、心配そうに自分の顔を覗き込んでいたジョゼにそう答える。
「分かってくださったのですね!」
すると即座にジョゼは喜びの色で顔を一色に染めあげ、尚且つ小躍りまで始めてしまっていた。
しかしジョゼが言っていたことをまったく聞いていなかったシルヴェールは、先ほどクレイをからかおうとした罰が下ったのかと自らを呪い、そして喜んでいるジョゼを申し訳なさそうに見ながらボソリと呟いた。
「……すまぬ、聞いていなかった」
「……」
国王シルヴェール、大ピンチである。
何故なら愛娘が今までに見たことが無いほどに、いや今までに何度も見た冷たい表情……つまりジョゼの母親であるクレメンスが、夫であるシルヴェールに何度も向けたことのある、軽蔑の眼差しそっくりの目で見据えていたのだ。
(くっ、クレメンスと違って優しく育っていたはずなのに……クレイと共に何度も外遊に出し、精神的に成長したのが仇となったか)
実際には単にジョゼがシルヴェールの前でネコを被っていただけなのだが、残念なことに子煩悩なシルヴェールはそれを見抜けなかったのである。
「……ムスペルヘイムに対する調略の件です」
「それがどうした」
そして黙っていたジョゼの口から出てきた意外な言葉に、シルヴェールは呆れたような返答をしてしまい、次の瞬間に激しく後悔する。
「それがどうしたとは、国の存亡にかかわる問題と聞いておりました私の耳は、どうやら腐っていたようですね」
「待て待て、そう結論を急ぐなジョゼ。ムスペルヘイムがどうしたのだ」
いよいよジョゼの目は厳しくなり、それを見たシルヴェールは父親としての威厳も年上の男としての余裕もかなぐり捨て、思わずこのような時に取り成してくれるはずのベルナールの姿をキョロキョロと目で追い求める。
しかし昔から聖テイレシア王国全土で浮名を流し、大陸中においても甘い話術で諸国の婦人たちを誘惑したベルナールも、最近ではよる年波に勝てないのか、それとも今日は別の理由があるのか、出仕を遠慮していたのである。
「その調略に私を同行させない件です。王家の血筋を同行させずに、どうして彼らムスペルヘイムの信用を得ることができましょうか」
「なるほど、いいところに着眼したなジョゼ」
「誉めれば気を良くし、説得もしやすくなるとお考えですね?」
「我が子の成長を喜んでもいけないとは、手厳しいことだ。さて」
シルヴェールはそこで口を閉ざし、腕を組んで思案をする、フリをする。
なぜならジョゼが呈した疑問に対する回答は既に彼の中に在り、問題はそれをどうやって伝えるかにあったからである。
元々ジョゼはシエスターニャ帝国に外遊に行くクレイに着いて行きたかった、だがそれを拒まなければならない理由があり、諦めなければならなかった。
それがムスペルヘイムに変わったのだから、当然自分が着いて行きたいという欲も出てくることであろう。
「まず王家の血筋だが、今回のムスペルヘイムの調略には、エルザを着いて行かせることにする」
「それが問題なのです」
「なぜなら元々……なに? 問題?」
自分が話している最中に割り込んできたジョゼ。
父ではあるが、国王に対する態度ではないと思ったシルヴェールがジョゼの顔を見ると、その顔は真剣そのものだった。
「堕天使の長、アスタロトとエルザは犬猿の仲……と言うかアスタロトね……」
「ね?」
「ね、ねネ……ネクロマンシー……暗黒魔術の一種である、死霊魔術を使うアスタロトを、一方的にエルザが毛嫌いしているようなのです」
「ふむう」
一瞬慌てた様子を見せたジョゼに何か言おうかとも思ったが、冷静さの仮面が少しズレたまま話すジョゼを可愛いと思ったシルヴェールは、黙ったままジョゼの弁論を聞く。
「なるほど、お前の懸念は分かった」
「お聞き入れ下さり、感謝いたします陛下」
「少しエルザに事情を聴くとしよう。お前は下がってよいぞ」
「せっかくですからエルザを連れてまいりますお父様」
そして聞き終えたシルヴェールがジョゼに下がるように言うも、先ほどから必死な様子を隠すことも出来なくなったジョゼは、そう答えて執務室を辞する。
そして。
「確かに苦手ではありますが、これも任務のうちと思えば何ともありませんわ」
ジョゼと連れ立って執務室に現れたエルザは、ネコのようににんまりとした笑みを浮かべてそう言ったのだった。