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第247話 ムスペルヘイムへ!

「では陛下、援軍は出せぬと?」


「すぐには出せぬ、と言うことだ。お前も知っての通り、我が国は今いたるところで魔族が出没している。小規模な争いに留まっているものの、その被害は甚大だ」


 クレイの成人を祝うため、国内の多くの重要人物がフォルセールへと集うこの日の間隙を狙ったかのような、アルストリア領への侵攻。


 十年以上も動きを見せなかった大国の侵攻というまさかの事態に、いや予想してしかるべきだった事態に、テイレシアの首脳たちは頭を抱えていた。


「ベルナール殿のご意見も伺いたい所ですが」


「今日は自宅で静養してもらっている。異様な騒ぎになることは分かっていたし、集まった神々の気にあてられても困るのでな」


 聖テイレシア王国、いや大陸中を見渡してもその智謀を恐れぬ者はいないと称されるベルナールも、最近ではよる年波に勝てないのか、それとも別の理由があるのか、出仕を遠慮することが多くなってきていた。


 そのような時に起こったヴェイラーグ帝国の侵攻。


 シルヴェールは溜息をつくと部屋を見渡し、その視線の先にいつも頼りにしているベルナールの姿が無いことを思い出すと、愛する伴侶であるクレメンスを見た。


「何にせよジルベール殿には、アルストリア領の防衛のために一刻も早く戻っていただかねばなりませんわ陛下」


「もちろんそうだ。だがただ防衛に戻らせるだけでは後手に回りすぎる」


「では……?」


「以前より進めていた調略を早めさせる。ムスペルヘイムへのな」


「承知しました。では準備を指示してまいりますわ陛下」


 シルヴェールの言を聞いたクレメンスが、席を立って一礼をした後に部屋を出る。


「陛下」


「なんだアルストリア伯」


「一刻も早く領地へ戻るため、バヤール馬の貸し出しをお願いしとうございます」


 そして声をかけてきたジルベールの態度が、いつも通りのものに戻っているのを見たシルヴェールは、行儀悪くガシガシと鋼鉄色の頭をかいた。


「まさかポセイドーンに見破られてしまうとはな」


「いずれオリュンポス十二神のどなたかが、衆人の前で口にされることも計算に入れておいでだったのでしょうに、お人が悪い」


「口にするならゼウスと思っていたが、やはり食えぬ御方よ」


「失言に付け込もう、などと考える陛下も陛下でございますが」


「さてそこまでだ。アルバトール、バヤール馬の貸し出し、構わぬか?」


 シルヴェールは部屋の隅に目をやり、気配を感じさせぬままに瞑想をしていた一人の美しい男性に声をかけると、ゆっくりと閉じられていた目が開かれる。


「元より彼女は、先代のアルストリア伯より借り受けたものと考えております。お持ちくださいアルストリア伯。ただし彼女の許しは、並大抵では得られませんよ」


「心得ましたフォルセール候。ところで陛下、クレイ君には今回の件は……?」


「天使ゆえに今回の戦いには加われぬし、自分のことは隠せても他人に関する腹芸はまだまだ」


「では現状維持ということで」


「うむ、見抜く目を養ってもらう肥やしとする」


 クレイへの評価を聞いたアルバトールは静かに微笑み、そして何かの気配に気づくとシルヴェールへ一礼をする。


「クレイが来たようです」


「では新しい指令を与えるとしよう」


 程なくして執務室の扉がノックされ、開かれる。


 現れた青年はアルバトールとよく似た背格好、だがその瞳と髪はアルバトールのような黄金ではなく、赤土に似た色をしていた。


「陛下がお呼びと聞き、天使クレイトール参上いたしました」


「務めご苦労である。早速だが、お前に与えた任務の変更を申し伝えたい」


「はっ」


「本来ならお前にはシエスターニャ帝国へ向かってもらう予定だった。だがヴェイラーグ帝国が攻めてきた今、事は自国の統治から自国の防衛へと移行――つまり一刻を争う事態となっている」


「はっ」


「よってお前にはジルベールと共にムスペルヘイムへ行き、かの地に住まう各部族の族長たちの説得にあたってもらいたいのだ」


「……御意に」


 スラスラと答えていたクレイの返事が、ジルベールの名が出た途端に鈍る。


「よろしく頼むよクレイ君」


「こちらこそお願いします、アルストリア伯。それでは陛下、準備のために自室に戻らせていただきます」


「うむ、今回もお前にはサリムとフィーナを付けるゆえ、二人と話をつけておいてくれ。他にも必要な人員がいれば、ある程度の希望は聞き入れよう」


「ご配慮に感謝いたします。それでは」


 こうしてクレイは対外的な宣伝も含めた外遊の予定を取りやめ、他国の調略という秘密裏の任務に就くこととなった。



「ふーん……それで何か問題があるの? 確かにシエスターニャ帝国に行けなくなって、東方の品物を見れなくなったのは残念だけど」


「まあそう言うなよ、俺も結構楽しみにはしてたんだからさ」


 後から執務室に来たフィーナを連れて自室に戻ったクレイは、肩をすくめて窓際にいるフィーナに苦笑いを浮かべた。


「問題点の一つ目は、お前も勘付いてる通りアルストリア伯の不穏な態度だな」


「そうね、ちょっとシルヴェール陛下を軽んじている雰囲気があったわ。でも分からないでもないの。先代のアルストリア伯の失策が原因とは言っても、ここ数年のアルストリア領に対する陛下の軽視は、少々行き過ぎている感じがあるもの」



 現在のテイレシアを構成する領土は、魔族に占領された王領テイレシアとアギルス領を除き、大きく四つに分かれている。


 一つは国王であるシルヴェールが住まい、実質的なテイレシアの中心地であるフォルセールである。


 そのフォルセールの東に隣接するのが、テイレシア最大の穀倉地帯であるベイルギュンティ領であり、そして反対側の西方には海洋貿易など海の仕事を主とするレオディール領が拡がっている。


 そして最後の一つが、ヴェイラーグ帝国に近接しているという、最も危険である土地であるにも拘らず、領土に特筆する産出物などが存在しないアルストリア領であった。



「まあ不平が出ても仕方がないような土地柄だからな」


「そうなの?」


 諸事情は把握しているくせに、とぼけた表情で質問をしてくるフィーナを見たクレイは、傍らのサリムが出立の準備をしながら聞き耳を立てていることに気づき、アルストリア領の現状を口にする。


「目立った産業が領内に存在しない、つまり財政を潤わせる財源がほぼ無いから、兵士を各領地に派遣することで財源としてるんだ。なのに危険極まりないヴェイラーグ帝国の防衛も一手に引き受けてるんだから、そりゃ不平も出るさ」


「先代のアルストリア伯にはお金に関する色々な噂もあったけど、そんな事情があったからなのね」


「そうだな、特にあのアバドンの災厄の時には……えっと?」


「どうしたのクレイ」


 喋っている途中で急に表情が無くなったクレイを見たフィーナは、怪訝そうな顔つきで法術による解析を始める。


 精神的な病には彼女の癒しの術が効かないからであるが、それほど法術に熟達していないフィーナの腕では、クレイが呆けた原因は掴めなかった。


「いや……何でもない。ええとアバドンの災厄でかなりの財産を放出してしまったから、その時期から先代のアルストリア伯、ガスパール様は更に財を求めるようになったってアルバ候が言ってた」


「そうだったのね」



 王都で魔神たちを束ねる存在、強大無比なるアバドンは、その昔ある行き違いによってアルストリア領に甚大な被害をもたらした。


 それはアルストリア領において、唯一とも言える穀倉地帯だった地域、そしてそこへの水を補完する水源だった森林を、完膚なきまでに破壊してしまったのだ。


 ほどなくアルストリア領は飢餓に陥り、それに対する一時的な処置をするためにガスパールは各国を奔走することになる。


 だが結局のところ武人であった彼は、足元を見られた商人たちに穀物の値を吊り上げられ、自領の民を救うどころか穀物の相場を乱したとして、国内はおろか国外からまで糾弾されてしまう。


 それから頑なな考えを持つようになったガスパールは、富に対して異常なまでの執着心を持つようになったのだった。



「アルストリア領に関してはこんなところかな」


「クレイ様、出立の準備はあらかた整いました」


「もう終わったのか、さすがに早いな」


 クレイの説明が終わったタイミングを見計らったように声をかけてきたサリムに、クレイはやや驚いた表情をした。


「シエスターニャ帝国への出立を控えておりましたから、下準備をあらかじめ整えておきましたので」


「で、何か聞きたいことがあると」


 クレイの言葉を聞いたサリムは、一礼をすることで肯定する。


「現在のアルストリアの状況についてですが、街道などが荒れ果てて通行もままならぬと聞きました。援軍は間に合うのでしょうか」


「それに関してはヴェイラーグも同じだからな。ムスペルヘイムでも足止めを喰らうだろうし、あまり心配はしなくていいと思う」


「もう一つ」


「なんだ? まだあるのか?」


「ヴェイラーグ帝国の今回の侵攻、目的はいずこに」


「目的か……」


 サリムが戦略的視点から質問をしてきたことにクレイは感嘆の声を上げ、そして考えをまとめるように独り言を呟く。


「いつもなら食料目的なんだけど、ここ二~三年ほどは目立った侵攻をしてきてないんだよな……しかもヴェイラーグ帝国の秘密主義は徹底していて、現地の情報はあまり入ってこないから……そもそも今は春だ。食料を目当てにするなら収穫の時期を待つはず」


 クレイがあごに手を当てて考え込むと、フィーナが不思議そうに首を傾げた。


「さっきヴェイラーグのことを危険極まりないとか言ってた割にのんきねー。隙があったから攻め込んできたんじゃないの?」


「いやまぁそりゃそうかも知れないけどさ……そもそも俺の誕生日に合わせて攻め込んでくるなんてことがあるか? 招待客には各国の要人だけじゃなくて旧神もいる。そんな時に攻め込めば、人ならず神まで敵に回すことに……」


 その時クレイの頭に一つの考えが閃く。


「まさか……いやいくらなんでも……だけどヴェイラーグならあるいは……?」


「どうしたのクレイ、顔色がすぐれないみたいだけど」


「いや、ええと……招待客はどうしたんだろう」


「こんな時だもの。陛下やフォルセール候が、丁重に礼を言って帰国してもらうみたいよ」


「分かった」


 フィーナが窓の外を見ながらそう言うと、クレイは部屋のドアを自らの手で開けて廊下へ飛び出す。


「ちょっとクレイ! そんなに急いでどこへ行くのよ!」


「ヤム=ナハルに聞きたいことがある!」


 だが走り出したクレイは、すぐに足を止めることになった。


「その必要は無いよクレイ君」


「アルストリア伯⁉」


「ちょっと君に手伝ってもらいたいことがあるんだ。できればそちらの方を優先してくれると助かるんだけどね」


 かのエンツォをしのぐ体格を持つ大男、ジルベール=ミュール=アルストリアがクレイの行く手を遮り、温和な笑みを浮かべていたのだ。

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