第241話 愛と美と性を司る女神!
「第一回クレイの乾杯は誰がやるかレース開催や!」
呆然とするフィーナとエレーヌの目の前で、ゴリゴリの筋肉をフリフリのドレスで包んだムッチムチのゼウスが宣言する。
「と言うわけですわ! さあお二人とも勝負服に着替えてくださいまし!」
「ななな……」
「ちょっとメイヴ様⁉ いきなり連れてきた挙句なにを言い出すんですか! 最初に説明をしてください!」
訳も分からずに連れてこられたエレーヌとフィーナはれぞれの反応を見せ、それを見たメイヴはきょとんとした顔になる。
「あ~ら、説明ならさっきゼウスがしていたじゃありませんこと?」
「はははメイヴ様。アレを説明と言うなら世の中の本はタイトルを書いた背表紙だけで成立しますよね真面目にやってください」
「じょ、冗談ですわ……だからビルガの穂先を収めてくださいな」
顔を青ざめさせたメイヴが、諸手をあげて降参の意思を表すと、額にビキビキィと青筋を立てたフィーナが霊槍ビルガを引っ込める。
「ウフフ、まったくメイヴ様ったら、人をイライラさせるのが本当にお上手なんですからがふっ」
そしてビルガをクルクルと威嚇するように振り回した後、しまおうとしたのかビルガの回転の軌道を変えた直後に自分の後頭部をしたたかに強打し、フィーナは倒れた。
「ホーッホッホ! 愚か! 愚かですわ~アガートラームの小娘はうっ」
そして倒れたフィーナの頭から血が流れているのを見たメイヴも卒倒し、その場に倒れてしまう。
「大丈夫かいな二人とも」
それを見たゼウスが近づいて声をかけるが二人の反応はまるで無く、ゼウスは胸をボリボリとかいた後に首をゆっくりと振った。
「こりゃアカンな。おーいそこの医者……ディアン=ケヒトとか言うたかいな」
「如何にも。患者ですかそうですか」
微動だにせず、滑るように数十メートルを移動してきたディアン=ケヒトに驚くことなく、ゼウスは腕組みをしてうんむとうなづく。
「して、診るのは貴方の頭ですか」
「ワシはいたって正気やがな」
「はて一見しただけで分かるその狂気。医者として見過ごすわけには」
「これがオリュンポス流儀や。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすちゅうからな」
唇にねっとりと紅を積み上げたゼウスが口の端をニヤリと吊り上げ、巨大な待ち針に見まがわんばかりに黒いクリームを乗せた、ごっつ太い眉毛を動かしてウィンクをする。
気の弱いものなら見ただけで気を失うこと間違いなしのその光景、しかしさすがは数々の凄惨な医療現場を作り出して……もとい見てきた百戦錬磨の医神ディアン=ケヒトである。
「致し方ありませんね、まずはこの二人を診ることにしましょう」
ゼウスの試練をなんなくクリアした彼はフィーナとメイヴの診断を始め、すぐに巨大な剃刀を取り出すとフィーナの頭部に近づける。
「ちょちょちょちょおっとディアン=ケヒト⁉ ウチの可愛いフィーナに何てことしようとしてんのさ!」
「おやヴァハですか。見ての通り診断に邪魔なモノを落とそうとしておりますが」
その物騒な現場を見たフィーナの母親、旧神ヴァハは即座に愛する娘を守るべくディアン=ケヒトの元へと飛んでいき、剃刀の刃を止めるべくその手を掴んだ。
「それなら何でうなじに剃刀を当ててんのさ! アンタ絶対に丸坊主にしようとしてたでしょ!」
「いやいや」
焦りを隠そうともしないヴァハに、ディアン=ケヒトは涼し気な笑顔を浮かべる。
「邪魔なのは首から下です」
「ちょっとおおおおおおおお⁉」
ヴァハはディアン=ケヒトの背後に素早く回り込むと首を絞め上げ、フィーナから遠ざけようとするがディアン=ケヒトはびくともしない。
「おやおや、さすがは我らトゥアハ・デ・ダナーン族の中でも最速の女神ヴァハ。この私がまったく反応できませんでしたよ」
「そんなのいいから、娘を救いたい母親の考えに反応しておくれよ!」
ヴァハの必死の叫びに反応したディアン=ケヒトがニコニコと笑顔を浮かべ、剃刀を大きく振り上げる。
「いい加減にしたまえ二人とも、酒がまずくなるだろう」
その瞬間に一本の剣を持った腕が虚空より現れて剃刀を受け止め、続いて地面から湧き出でた泉より分かれた水がフィーナの全身を包み、霧となって消えた。
「健やかなる泉でさっさと癒してしまえば良いものを、なぜ進んで回り道を選ぶが如く患者に余計な苦痛を与えるのか理解に苦しむな」
フィーナを癒した太陽神ルーは呆れた声を残し、その場を去る。
「おお……おお! 私の患者が! 私の診ようとしていた患者が⁉ おのれ太陽神ルー! 我が孫と言えど容赦はしませんよおゴッ!?」
しかし診るべき患者がいなくなったことに顔を青ざめさせたディアン=ケヒトが、幽鬼の表情で剃刀を振りかざし、凄まじい速度でルーへと近づこうとした直後、千手がその後頭部を痛打して沈黙させた。
「飲み直すとするか。すまないが追加のエールを持ってきていただけるだろうか、美しくもあどけない女神ヘスティアーよ」
そして宴の輪に戻る途中でルーはヘスティアーにそう話しかけるが、おっとりとした女神はやや不機嫌そうに頬を膨らませて腕を組んだ。
「狼藉沙汰はもう勘弁なの。暴れないって約束してくれるなら持ってきてあげるの」
「……う、うむ。約束しよう」
「分かったなの。少々お待ちくださいなの」
ルーが先ほど豹変したヘスティアーの行動を思い出しながら返事をすると、ヘスティアーは可愛らしく微笑んだ後にその場を去っていく。
「ほな仕切り直すでぇ! 第一回! クレイの乾杯は誰がやるかレース開催や!」
そして天高く晴れ渡った空の下、天空神であるゼウスの爽やかな掛け声が響き渡って第一回クレイ(略)は始まった。
「まぁいいですけど……大体何なんですかこのレースって。何を競うんですか」
ルーによって復活したフィーナが不満そうにゼウスに質問すると、ゼウスはニカッと小気味よい笑顔を浮かべる。(ついでにその拍子に厚塗りした白粉が一部剥げ堕ちた)
「ルールは一つ! 誰が一番べっぴんさんかを審査員の方たちに決めてもらう! それだけや!」
「無理です」
「そうとは限らんやろ」
「天地がひっくり返ってもあり得ません! エレーヌさんも何か言ってください!」
自分の姿を鏡で見てみろとの暴言を、あやうくゼウスに叩きつけそうになったフィーナはその言葉を何とか飲み込み、おろおろしているエレーヌに激励を飛ばす。
「仕方ないんや。せやろ?」
「おえっ」
しかしエレーヌは応えず、仕方なくフィーナは一人で断固として拒否し続けるも、迫りくるゼウスの顔の凄みに負けて顔を背けてしまう。
「いえ常識的に言って不可能ですってば!」
しかしすぐに覚悟を決め、化粧という恐怖の鎧をまとったゼウスを見あげた。
「う~む、まあワシも最初はそう思ってたんやけどな、宴会の余興としてはここいらへんが落としどころやろ、っちゅうてアプロディーテーに言われての」
「アプロディーテーにですか?」
「うむ、女神同士でのコンテストにすると、自分が圧倒的美しさで断トツの悪魔的一位を取ってしまうちゅうてな」
ゼウスの説明を聞いたフィーナは、脇に控えているアプロディーテーが色を帯びた視線を送ってきているのを見て溜息をついたのだった。
愛と美と性を司る女神アプロディーテー。
ゼウスにとって祖父にあたる天空神ウーラノスが、息子であるクロノスに切り落とされた肉体の一部(所説ある)にまとわりついた泡から生まれたとされ、その一風変わったいきさつからか、あのゼウスが口説くことも無く養女にしている。
その美貌に加え、純愛と性欲という相反する神性を持つ故か、非常に恋多き遍歴を重ねており、その内容たるや未成年にはとてもご紹介できないものも多く存在していた。
「貴女、非常に綺麗な髪と肌をおもちでいらっしゃいますね。ひょっとするとお名前はフィーナ=ブルックリンさん?」
「ええ、そうですが」
「まあやっぱり。申し遅れましたわ、私はアプロディーテー、オリュンポス十二神の一人を務めております」
優雅に、かつ優美に挨拶をするアプロディーテーを、フィーナは同性でありながらいや同性であるがゆえに羨望の目で見つめた。
(あー……アスタロトお姉さまがここにいらっしゃったらウヒヒ)
「……どうかなさいまして?」
「いえ、アプロディーテー様があまりにお美しいもので目を奪われてしまいました」
「あら、お上手なこと」
口に手を当てて笑うアプロディーテー。
フィーナの目はその間に救援を求める相手を探すが、エレーヌは頭上のネコ耳の存在を忘れるほどに目の前のドレスにあたふたするばかり、メイヴは未だ気絶したままで(負傷したわけではないので放置された)ただの屍かとばかりに反応がない。
「ガッハハハ! 噂にたがわぬ美しさだなアプロディーテー殿! よければ俺様と一献かたむけぬか!」
従ってそこに現れた助けは、先ほどまでゼウスたちと宴を楽しんでいたダグザだった。
「良かったダグザ様いらっしゃったんですねオボロロロエエェ⁉」
「なんだフィーナ! 宴は始まったばかりというのにいきなり吐き出すとは情けないぞ!」
「原因はダグザ様です!」
第一回クレイ(略)が開催された今、当然ダグザも化粧をしており、その姿は普段の彼の不快感をさらにどん底へと叩き落すほどのものに仕上がっている。
いくら厚塗りをしても隠し切れない図々しさ、真っ白に塗り上げた肌の上にはいつも通りの毛皮の長靴とヘソ出しの上着。
本当にクレイの成人を祝うつもりがあるのかと問い詰めたくなる姿にフィーナが辟易し、今度は逃走経路を見つけるために周囲を見渡したその時。
「立場をわきまえなさい醜悪なるものよ。このアプロディーテーに話しかけることすら、今のそなたには許されるものではない」
アプロディーテーが言い放った言葉に、ダグザ以外の全員が凍り付いた。