第240話 カノン砲だッ!
「ん? この立ち昇る神気は……向こうで何かあったのか?」
「おおお、オラたちまだ何にもしてないっぺよ副団長さん!」
周囲で大勢の人々が宴を楽しんでいるここは、騒ぎが起こっている場所とは領主の館を挟んで反対側の広場である。
人間の賓客が饗応を受けている場所、と言えば分かりいいであろうか。
司法取引により、騎士団の詰め所でドワーフたちから企みを聞いたエレーヌは、残りのドワーフたちを捕まえるべくこちらに立ち寄ったのだが。
「なんだあ? ネコ耳なんかつけやがって、エレーヌおめえいつからそんなチャラチャラした女になりやがった」
「ディオニシオ伯か、ご無沙汰している」
見回っている途中、聞き覚えのあるダミ声をかけられたエレーヌは、そこにいた人物にスッと頭を下げた。
テイレシアの各領地を治める領主の中でも、ひときわ異彩を放つ変わり者。
幅広の帽子をかぶり、眼帯を着け、まるで海賊のような風采をしているディオニシオは、いつもの黒レザーアーマーにネコ耳、という異常な風体であるエレーヌを、ジロジロと遠慮のない視線で見つめた後にようやく挨拶を返した。
「おうゴブ。まあ沙汰が無いのは無事な証拠たぁ言うが、おめぇさんを見ている限りじゃあそうでもなさそうだな。あん?」
「これには深いわけがある。詳細な説明が必要とあらば、この右拳が詳しいことを教えてくれるが?」
「ほう」
ディオニシオはエレーヌの台詞に鼻白むと、持っていた酒杯を一気にあおって中身を飲み干した。
「言ってくれるじゃねえか、騎士団のお姫様に祭り上げられて、何か勘違いしちまってんじゃねえかエレーヌよぅ」
ディオニシオはそう言うと口の端を左手でぐいっと拭い、不敵な笑みを浮かべると同時に素早く両手を腰へと伸ばした。
「そらぁ! 俺様の最新式カノン、フランキ砲を喰らいやがれ!」
「ぎやああああアアアッ⁉」
一瞬にして門を開けたディオニシオの城楼が、太ももの下へとその姿を崩す。
しかる後に巨大な砲身がボロンと御姿を現すと、周りで飲んでいた賓客たちはこぞってその威容に魅入られ、オオっと声を上げた。
「き、貴様! ディオニシオ! 婦女子を相手にするにそのようなものを取り出すとは、国を守る領主として恥ずかしくないのか! この卑怯者!」
「あぁ~ん? 婦女子サマを相手にするから取り出してるんじゃあねえか、グヘヘ」
「お、おのれ……」
余裕しゃくしゃくで構えるディオニシオを見たエレーヌは歯を食いしばり、威風堂々たる構えを見せる巨大なカノン砲を憎々しげに睨みつけた。
史実上のフランキ砲とは、十六世紀ごろに使用された原始的な大砲であり、実際には小型の砲である。
砲弾を装填する時は、砲身の後方ではなく上部からであり、砲弾と発射薬を一体化したものを挿入する。
その機構上、発射時の爆圧が大きくなる大型の砲には向かないが、装填の回転は速いため速射に向いているという特性があった。
(クッ……こちらの早い動きによって砲弾を無駄撃ちさせれば、そのうち弾切れを起こしてしまうだろうと思っていたが……そうはいかないか)
右こぶしを握ったエレーヌがそう考えていると、騒ぎに気付いた一人の女性が人ごみをかきわけ、美しい金髪をなびかせながら二人に近づいていく。
「何をしているんですか二人とも! 騒ぎは厳禁というお達しですよ! ってアラー、マー……」
「おおフィーナかいいところに来た。実はディオニシオ伯がだな」
その女性、ヘプルクロシアから来た客分であるフィーナはエレーヌからの苦情を聞き流し、黙ってアーカイブ術を起動させた。
「どうぞそのまま」
「なに?」
「どうぞそのまま」
「いや、そのままだと問題があるだろう。各国の重鎮が集まっている場だぞ」
危険物から視線を外そうとせず、まばたきすらせずに見つめているフィーナへ、エレーヌは気持ち悪そうに忠告をする。
「フィーナ?」
だがフィーナは忙しそうに手を動かすのみで返答をせず、途方に暮れたエレーヌは助けを求めるようにディオニシオを見る。
「ぎええええええ⁉」
「なぁにやってやがんだまったく。おぼこじゃあるまいし、こんなモンで悲鳴を上げてやがるようじゃあ、好きな男が出来た時にどうするつもりなんでえまったく」
しかしディオニシオを見た途端にエレーヌは顔を両手で覆ってしまい、その様子を見たディオニシオは呆れた顔でそう言うと、目を皿のようにして自分を見ているエレーヌに少々引きながら頭をかいた。
「おうフィーナ、俺様を絵の題材にするのは構わねえが、こんな所で油を売ってていいのか?」
フィーナは答えない。
「俺様が聞いたところによると、お前さんアルストリア領から招聘の要請がかかってるらしいじゃあねぇか。ジルベールの奴に挨拶に行っておいた方がいいと思うんだがな」
「……どなたから聞いたんですか? ディオニシオ伯」
しかしディオニシオがアルストリアについての情報を口にすると、フィーナは眉をピクリと動かして溜息をついた。
「海の男にはそれぞれの港に色々と教えてくれる女がいるもんだ……ってのは冗談でな、まあお前さんを必要とする何かがアルストリアにあるんだろう」
「まだ返事はしてませんけどね。今のところ私の身分はここの客人ですし、クレイと一緒に特使としてシエスターニャ帝国に赴いている間に、ゆっくり考えて答えを出してくれとシルヴェール様には言われました」
ディオニシオが物騒極まりないフランキ砲を収納する気配を見せ、それを感じ取ったフィーナは目を左右に忙しく動かすと、一気に右手を動かした後に半透明の黄金のプレートを収納した。
「まぁ、父と母も先の天魔大戦でアルストリアに行きましたから、私がかの地に赴くのも不思議はないかもしれません。そういえばクレイは私のアルストリア行きを知っているんですか?」
「あいつぁ教会の人事にゃあまだ関われねえだろう。俺はたまたま教会に寄付をしに行った時に耳にしただけだ」
「そうですか」
フィーナはアーカイブ術を起動した時に胸の前に回ってきた髪をかき上げ、背中へと回す。
光が髪からこぼれ落ちてくるのではないか、という美しい仕草に周囲は感嘆のため息をつき、そしてその腐った中身に考えが至ると同時に落胆のため息をつく。
それに気づかないフィーナはトントンとつま先で地面を叩くと、やや苛立たし気な口調でディオニシオに話しかけた。
「まあ? クレイがどうしても私に残ってほしいと言うなら? 残ってあげなくもないと言うか? そもそも私は天使になったお父様やお母様と違ってまだ客分だから? アルストリアに行くなら私じゃないって言うか?」
「割と意地っ張りだな。まあせいぜい頑張りなフィーナ嬢ちゃん」
いきなり子ども扱いしてきたディオニシオにフィーナはムッとする。
「ホーッホッホ! そんな陽動にあっさりと応じてしまうから、貴女はまだまだレディ扱いしてもらえないのですわ!」
「うぇ……どうしてここにいるんですかメイヴ様。神々の宴会場で給仕をしている間に手ごろな神を篭絡して、一気に失地回復ですわとか言っていたのに」
そこにいきなり高笑いを響かせた人物、同じくヘプルクロシアからの客人である女王メイヴの顔を見たフィーナは、うんざりした顔になって肩を落とした。
「そー、そう! そうなのですわ! この女王メイヴともあろうものが、ヘプルクロシアの旧神たちに見つかるのちょっと怖いから地味な格好に変装までして給仕をしたのに、オリュンポスの方々は酒に夢中で……ってそれどころじゃないんですのよ!」
変装と言っても、地毛である明るい赤毛を隠そうともしていないし、せいぜいいつもの派手な黄色のバンダナをクリーム色に変えたくらいであろうか。
「でも変装しても無駄に大きい声はそのままだからまったく意味が無いのよね……ハァ」
「地味に侮辱された気がしますわ……ってこんなことしてる場合じゃありませんのよ! 貴女の力が必要ですの!」
「えーいやですだってメイヴ様なんだから嫌な予感しかしませんし」
メイヴが絡んだ件でロクな目にあったことのないフィーナがそう言うと、メイヴは慌てた様子で地団太を踏んだ。
「そんなこと言ってる場合じゃありませんの! そこのボウヤ! ちょっとこの子を引きずっていく手助けをしてくださいまし!」
「あん? ボウヤたぁ俺のことですかいメイヴ様よ。まぁそう呼ばれるのも照れ臭い年になっちまったが、あんたから言われるならそう悪くもねぇ……」
ズボンを履き終えたディオニシオがそう言ってはにかむと、メイヴは珍しく男性に白い眼を向けた。
「貴方は後回しですわ! そこのご立派でご立派そうな貴方!」
「やれやれ、騒ぎが起こっていると思ってきてみれば、その騒ぎに巻き込まれることになろうとは」
ある人物をずびしと指さしたメイヴに、その視線をフィーナが追ってみると、そこには一人の偉丈夫がいた。
「あ、アルストリア伯⁉」
「いかにもその通り。お美しいお嬢さんは、ひょっとしてヘプルクロシアから来たフィーナ殿?」
「は、はい……」
アルストリア領を治めるジルベールと、ヘプルクロシアよりの客人フィーナ、二人がお互いの値踏みをするような視線を交わした瞬間。
「はー? この女王メイヴを差し置いて二人でなに専門空間作ってやがってるですかー? さっきからそんなことをしている場合じゃないって何度も言ってるのに、ハラスメントと感じられたので強制執行ですしー」
「ちょっとメイヴ様⁉」
メイヴは魅了の術をジルベールにかけてフィーナをお姫様抱っこさせる。
「さっ行きますわよアルストリア伯! エレーヌ様も急いで!」
「なっなんで私まで!」
こうしてフィーナとエレーヌを連れたメイヴは急いで神々の宴会場へと戻っていき。
「連れてきましたわよゼウス!」
「よっしゃ! ほなやろかい! 第一回クレイの乾杯は誰がやるかレース開催や!」
呆然とするフィーナとエレーヌの目の前で、女装をしたゼウスはそう高らかに宣言したのであった。