第238話 またこのパターンかよ!
コンコン。
ジルベールが去った後、重い雰囲気が漂っていた部屋に、木の扉を叩く軽い音が鳴り響く。
「クレイ=トール=フォルセールです。陛下に成人になった挨拶に参りました」
「入れ」
「失礼します」
シルヴェールより入室の許可を得たクレイは、おずおずと部屋に入り込む。
「どうした、まさか祝宴の盛大さに気後れでもしているのか?」
「いえ……」
しかし自ら入室の許可を求めてきたにも関わらず、歯切れが悪いクレイを見たシルヴェールは、思わず苦笑いを浮かべた。
「聞いていたのか? ジルベールとの会話を」
クレイは答えない。
やや視線を落とし、シルヴェールの出方を待っている。
その姿は、何よりも雄弁に先ほどの問いに対する回答を物語っており、それを見たシルヴェールは、目の前の壮麗な天使が今日成人を迎えたばかりの少年だったことを思い出し、小さく息を吐いた。
「気にする必要は無い。このような行き違いは、国を治める我らの間では日常茶飯事であるゆえにな」
「……はい」
「だからお前がそんな暗い顔をする必要は無いのだ。何といっても今日はお前の十六歳の誕生日、つまり成人を迎えるめでたい日なのだ。というわけで私は今朝からとても嬉しい気分になっている」
「はい」
慰めの言葉にも硬い表情を崩さぬクレイに、シルヴェールは行儀悪く鋼鉄色の髪をガシガシとかいてクレメンスに睨まれる。
「よって今から私は笑う。お前も笑え、クレイ」
「……は?」
目を丸くし、少年相応の顔となったクレイにシルヴェールは満足げに頷き、大きく口を開けた。
「わーっはっはっは! なんだその顔はクレイ! とても成人を迎えた大人には見えんぞ!」
「ぷっ……はははは! そういう陛下こそ、国を治めるご立派な王とは思えぬ下品な笑い声を立てているではありませんか!」
二人は笑い、クレメンスはホッとした顔になると鈴を振ってメイドにお茶を持ってくるように言う。
「なんやなんや? 廊下まで笑い声が聞こえて来とったで」
そして紅茶をトレーに乗せたメイドと共になぜかゼウスまで部屋に入り込み、呆気にとられる部屋の中の三人をよそに悠々とカウチに座ると、四つ目のカップに淹れられた紅茶を口にするのだった。
「さて、先ほども話したが今日はお前のめでたい日だ。本来であればアルバトールにも出席してもらいたかったのだが……どうやら無理そうだ」
「ホンマかいなシルヴェール王、アルバトールにまたなんぞあったんかい」
シルヴェールは先ほどメイドが持ってきた紅茶を一口ふくみ、ゼウスを横目に見ながら受け皿に戻す。
「知っての通り、今日は各国の要人のみならず旧神たちも来ることになっている。よってどんな騒ぎが起こるか分からぬゆえに、アルバには結界に専念してもらうこととなっている」
「……はい」
落ち込んでいるのか、それともホッとしているのか、外からではなかなかに判断がつかない顔をするクレイ。
その姿を見たゼウスは、珍しくやや迷った様子を見せながら軽く片手を上げて口を開いた。
「こない大勢で邪魔してすまんのボン」
「いえ、来賓の方に気を使わせてしまい、こちらこそ申し訳なく思っております」
「お、おう」
礼儀正しく答えるクレイに、ゼウスは鼻白む。
「……まあ勝手に部屋に入り込んできたのはワシの方やから、そない気を使わんでええ。ちぅかお前の成人を祝うために押し掛けたんやから、もう少し気楽に話しかけてもええんやで」
「もったいないお言葉です。オリュンポス十二神の主神ゼウスよ」
「あー……うん、ほなそろそろ失礼するで、また後でな」
ゼウスは返事を聞く暇も惜しむように早々に執務室を出ていく。
「あらあら、随分とゼウス神をおいじめになったようですわねクレイ兄様は」
「エルザ⁉ なんでお前がここにいるんだよ!」
そしてゼウスと入れ替わるように入ってきた、長い巻き毛の金髪を持つ十歳ほどの美しい少女を見たクレイは仰天し、シルヴェールの前だというのに感情を露わにしてエルザへと話しかけてしまう。
「あ、いえ、そのー……教会で少々……いえ、かなり打ち解けたもので」
直後にその無礼に気づいたクレイは慌てて口を押え、シルヴェールへと振り返った。
「よい、気にするなクレイよ」
ようやくお祝いの日に相応しい顔つきとなった。
シルヴェールは心の内でそう考えると、入ってきたエルザに視線を向ける。
「アルバトールに会ってきてくれましたか司祭様」
「今しがた会ってまいりましたわお母様」
しかし妻であるクレメンスに台詞を取られ、ややぶすっとした表情となったシルヴェールは、不機嫌さを隠そうともせずにエルザへ話しかける。
「それでアルバの様子はどうであったエルザ」
「大きくなったと思っていましたが、中身は小さい頃と変わりありませんでしたわね。うじうじとせずにしっかりなさい、とお尻を引っぱたいてまいりました」
エルザの発した言葉を聞いたクレイは目を見張り、その様子を見たシルヴェールは安堵のため息をついた。
「そうか、まるで母親のようだな」
「そうあらねばなりませんからね、私は。ところで陛下、クレイにまだ用事がございますか? こちらの準備は整ったので迎えに参ったのですが」
「いや大丈夫だ。だが夕方の祝宴までには戻ってきてくれ」
「かしこまりました」
長年ためこんできた心労を溜息と共に吐き出したシルヴェールに、澄ました顔でエルザは答えると、クレイのもとにスッと近づいて顔を見上げた。
「それでは参りましょうかクレイ兄様」
「何だよ、俺を今日エスコートするのはジョゼのはずだぞ。というかクレイ兄様ってなんだ?」
「ジョゼ……お姉様がそう呼んでらっしゃるので、私もそれに倣っただけですわ。さあさあ、いざゆかん勝負の場へ」
「勝負の場って何だ⁉ ちょっおま……うおおおお力がつえええええ⁉」
クレイは成人の儀を執り行うべく教会へと連行された。
「あら、早かったですね司祭様、それにクレイ」
教会で出迎えてくれたのはラファエラだった。
いつものように澄ました顔で出迎えてくれた彼女に、クレイはいつもと違って勢いよく怒りをぶつける。
「これ何なんだよラファエラ侍祭!」
「何なんだよって……もしや説明をしていないのですか? 司祭様」
「まあ儀式に詳細を知ることは必要ありませんからね。終わってから話した方が色々と効率的です」
眉をひそめたラファエラがエルザに問うも、その先の顔がニコニコと笑みを浮かべており、更にはダッテメンドウジャアリマセンカ、と書いてあるのを見たラファエラは溜息をつき、今日という一日のスケジュールを頭に思い描くと首を振った。
「仕方がありませんね、時間も無いことですし早く始めましょう」
「いや不安しかないんだけど! 何をやるかくらい聞かせてよ!」
速やかな流れに、というかまたしても自分だけ蚊帳の外に置かれていることを感じとったクレイは、まだ話が通じそうなラファエラへと詰め寄る。
「仕方がありませんね。では手短に説明をするとまずこのトンカチを司祭様が握ります」
「あ、これ気絶させられるパターンだ」
クレイは気絶した。
そして十分後。
「あらあら、ようやくお目覚めですかクレイ。気分はどうですか?」
「……天地が逆さまに思えるくらい最悪なんだけど」
苦情を申し立てるクレイを見て、ラファエラが申し訳なさそうに目を伏せる。
「仕方がありませんね。時間も無かったので早く終わらせなければなりませんでしたから」
「いや陛下は夕方の祝宴までに帰ってくればいいって言ってたよ⁉」
「あら」
そしてラファエラは表情を変えないまま半眼でエルザをジッと見すえる。
「あらあら、ついうっかりしていましたわ」
「仕方がありませんね。私も時間が無いとばかり思っていましたから我慢してくださいクレイ」
「あのさー、小さい子供には謝れって教えておきながら、自分は謝れない大人って白い目で見られるよ二人とも」
そして責任を放棄した大人をクレイが睨みつけると、即座にエルザとラファエラは目を背けた。
「はー、儀式が終わったんなら俺帰るよ。あ、祝宴には遅れるなよエルザ」
目を合わせようとしない二人を見たクレイが、呆れ顔で外への扉に手をかけた時、その気配を感じ取ったエルザが素早く制止の声をかける。
「お待ちなさいクレイ。儀式はこれからなのですよ」
「あるなら先に言ってくれ。何をやればいいんだ?」
振り返った先にあるエルザの顔が、ニヤニヤとしたものであったにも関わらず、クレイはあっさりそう言うと背後を振り返ってエルザのもとへ歩いていった。
「あらあら、思ったより素直ですわね」
「時と場合と相手による。この場合は相手が最悪なのがネックだけど、仕方がないだろ」
エルザは微笑み、クレイに敬意を表するように少しだけ顔を下げると一振りの短剣を懐から取り出した。
「これを手に」
「……なんか大海の戒めに似た術がかけられてるな」
「大海の戒め? その名前から察するに……ポセイドーンの術ですか?」
「ああ、俺がヘプルクロシアに旅立つ前に、ポセイドーンのオッサンがくれたんだけどさ……」
クレイが術についての説明をすると、エルザはやや感慨深げに視線を落とす。
「どうしたエルザ、まだ宴には時間があるけど、無限にあるわけじゃない。この短剣をどうすればいいのか教えてくれ」
「肌身離さず持ち歩くだけでいいですわ」
「それだけでいいのか?」
「それだけですわ。後は短剣があなたを導いてくれるでしょう」
「まるでおとぎ話に出てくる伝説の武器だな」
クレイがそう呟くとエルザは微笑み、それを見たラファエラが気遣うように声をかけた。
「……大事にするのですよクレイ」
「うん、じゃあ俺はそろそろ戻らせてもらうねラファエラ侍祭」
「道中、気を付けるのですよ」
「うん」
クレイは明るく返答するもラファエラは下を向き、視線を外した上で悲しそうな顔となると笑顔で出ていくクレイへ助言を送ったのだった。
そして数十分ほど後。
「それでは私も領主様の館へ行ってきますよラファエラ」
法服からドレスへと着替えたエルザが優雅な仕草でそう言うと、ラファエラはなぜか呆れた顔で頭を下げた。
「お早いお帰りをお待ち申し上げております」
「分かっていますわ」
いつの間にか逆転してしまった視線の高低。
ラファエラは胸がちくりと痛むのを堪え、クレイの誕生日の祝うパーティへと出かけるエルザを見送った。
(今度は……もう少しうまく立ち回ってくださいミカエル様……)
そのような不安を胸の中に抱えながら。