第237話 内緒の話は!
嵐の前の静けさ。
その大半はその後に訪れた騒乱との比較による思い込み、勘違いによるものであり、騒ぎの大きさに比例してその静けさは印象深いものとなる。
だが、その騒ぎの元が世界を左右するほどの存在であった場合は?
「やー、何とか祝宴の設営が間に合っただなー」
「んだんだ、三日ほど飲まず食わずはともかく、不眠不休はさすがにきつかっただよー」
「あらー、まー、食事も寝ることも忘れて、無駄な彫細工をテーブルの裏に彫り込んだのはあんただっぺよー」
「そういやそうだっただな。どうだ? 今から夜明けのように昇り詰める何かにオメも突き付き合うだか?」
「あんれまー、やだよお前さんー、こんなめでたい日に朝からおめでた行為だなんて、オラ恥ずかしいだよー」
話している内容の割には疲労の色も無く、テクテクと朝もやの中に消えていくドワーフたち。
「そんじゃ割り当てられた穴に戻ったら」
「戻ったら?」
「身ぎれいにして何とか祝宴に潜り込める人間の格好に化けて、酒と食事とうまい酒をごちそうになるだよ!」
「だよー」「だっぺ!」「んだな!」
まるでそろわない掛け声の後、(しかもよっぽど大事なことなのか酒を二回も言って)ドワーフたちは各自の家に戻っていく。
しかし。
「お前たち、今なにか聞き捨てならぬことを言わなかったか?」
「ひえあぁあ⁉」
「で、出ただあああッ! 騎士団の黒い悪魔だよおおおおッ!」
「誰が悪魔だ!」
帰る途中で彼らは祝宴に向かう途中のエレーヌに会ってしまい、その逆鱗に触れてしまっていた。
「こら! 逃げるな!」
「そんなことを言われて足を止める奴はいないだよおおおお!」
「お前たちが今話していた内容について詰所でゆっくり聞かせてもらうだけだ!」
「ひいいい⁉」
形相を鬼と変え、迫ってくるエレーヌを見たドワーフは一目散に離散する。
「み、見るだよお前さん! 騎士団の黒い悪魔に幅広のでっかい角が!」
「何が角だ! これは耳だ!」
「み、耳が四つとかとうとうモンスター娘に⁉」
「うるさいッ! 人には言えん理由があるのだ!」
「お助けええええええ!」
程なくドワーフの頭を何個かひっ捕まえたエレーヌは、気が済んだのかその数人を引きずって詰め所の方角へと消えていった。
「やー、それにしてもえらい目に遭っただな」
「あいつらの犠牲を無駄にはしないっぺよ」
「でも何だか体が重たいだよ。このくらいで疲れるだなんて、オラも年をとったってことだかな」
そして帰路の途中、逃げ切ったドワーフの一人がそんなことを口にするが、それを気にする者は誰もいなかった。
その頃、仮宮殿を兼ねた領主の館の一室では。
「え、本当にアルストリア伯が来てるのベル兄⁉ 招待状を何度送っても、忙しいからって言って参加の返事をくれなかったのに!」
特別な行事の際にそでを通す白のブリオーに着替えたクレイが、ベルトラムの報告に喜びの声をあげていた。
「はい、やはりクレイ様の成人を兼ねている誕生日とあっては、無理をしない訳にはいかなかったのでしょう」
「そっかー、会うのは久しぶりだから……アレ?」
喜んでいたクレイは急に途中でしゃべるのをやめ、慌てて姿見の鏡を見る。
「そう言えば、俺が急激に成長したってアルストリア伯に報告してたっけ……?」
「いえ、しておりませんが大丈夫でしょう」
「そうなの?」
不思議そうに首を傾げるクレイに、ベルトラムはにっこりと笑いかける。
「アルバ様も天使のお勤めの際に急激に成長なされましたからね。アルストリア伯も、その辺の事情は十分にご承知されています」
「そっか!」
クレイは喜びを隠そうともせず、ベルトラムの前でグッとこぶしを握り締める。
ところがそのアルストリア伯は。
「申し訳ありませぬ陛下」
「私の問いに対する答えが、いきなり謝罪からとはな……随分なことだなアルストリア伯よ」
「申し開きのしようもございません」
聖テイレシア王国の国王シルヴェールの前で、己が領地であるアルストリア領の統治の不備を直々に問い詰められていた。
平身低頭、片膝をついたまま頭を上げるそぶりも見せないアルストリア伯、ジルベールを見たシルヴェールは小さく溜息をつく。
「私はお前の謝罪を聞くためにここへ呼んだのではない。報告せよ、なにゆえに街道の修復を放置しておるのかを」
「……」
「苦情は四方より耳に入ってきている。中には各領地に置かれた関所を通る際の税を、私が撤廃したことによる意趣返しだとそなたを貶めるような報告もな」
ジルベールは黙するのみで答えようとしない。
自己を正当化する言い訳をすることはない、実直なこの若い伯爵の忠誠心をシルヴェールが疑ったことは無かったが、その寡黙さは説明、報告の詳細さに欠けるという欠点も持ち合わせていた。
またそれはジルベールの親族や近臣との意思疎通にも影響を及ぼしており、彼の領内運営にも影を落とすこととなっていたのだ。
「お前自身はどう考えているのだジルベール」
「……」
意見を求めても返事はなし。
さすがに手詰まりなのか、シルヴェールは思わず溜息をついた。
「少しは話してくれぬとこちらも困る。お前がなかなか相談してくれず、問題が表面化してから明らかになったことも多いと、お前の弟のエクトルから……」
「陛下、そのような物言いでは答えられるものも答えられなくなりますわ」
そこに妃であるクレメンスが口を挟み、水を差された形になったシルヴェールはやや口を尖らせながら王妃から目を逸らした。
「あえて口に出すことで、そのような讒言は信用しておらぬ、という意思表示をするつもりであったのだ」
「陛下におかれましても、最近は言葉足らずのことが増えたようで困ったものですわね、そうでございましょうアルストリア伯」
シルヴェールの発言を笑い飛ばそうとするクレメンスであったが、軽やかに笑う彼女の笑い声にもジルベールはピクリとも反応せず、クレメンスは困った顔でシルヴェールに目配せをした。
「……面を上げよジルベール」
「はっ」
ジルベールは膝をついたまま真っすぐにシルヴェールの顔を見ると、幾度かまばたきをする。
大柄である二人が見つめあうさまは、それだけで周囲の人間に圧を与えかねないほどのものであり、それは今も同じであった。
だが部屋の空気は程なく一気に圧を高め、爆発することとなる。
「寡黙、実直は美徳ではあるが、王都を魔族に占領されている国家の非常事態の時にまでそうであるとは限らぬ」
「はっ」
シルヴェールは一向に進まぬ会話の内容に焦れ、座っている椅子のひじ掛けをトントンと落ち着かない様子で叩いた。
「このままでは埒が開かぬ。これは内々の話に留めるつもりであったのだが、実はお前の近臣のみならず、お前の家族からも苦情が入っておる。」
「なんと」
シルヴェールが口にした言葉に、ジルベールはやや芝居がかった様子で答え、それを見たシルヴェールはやや姿勢を前傾のものとする。
「若くして伯爵の地位と領土を継ぎ、その重圧に耐えようと気を張っているのかもしれんが、少しは周りの意見を取り入れてみてはどうだ」
「……これは、名君と噂の高い陛下には似つかわしくない気の回しようでございますな。子宝に久しぶりに恵まれ、我が身と家族が可愛くなりましたかな?」
「何だと……もう一度申してみよ! アルストリア領を治めるジルベールよ!」
そして急に雄弁となったジルベールが口にした挑発に、たちまちシルヴェールは激怒した。
「そも我が領地の街道が荒れたままになっているのは、我が領地があのヴェイラーグと隣接し、常にその動向に目を見張らねばならず、更に幾たびも侵攻を受けてその対応で戦費がかさんでいること」
「ぬ……」
「また理由を同じくして、修理を行うはずの人的資源まで防備につぎ込まねばならず、ほかの領地に比べて枯渇していることに尽きます。それなのに陛下は……」
ジルベールはそこでわざとらしく溜息をつき、言葉を継いだ。
「戦火で荒れた我が領土にとって、少ない財源の一つである関所の税。陛下はこれを撤廃せよとおっしゃり、かと言ってその代わりとなる財源の提供もほとんどなし。これで街道を修復せよなど、これでは我らは飢え死にするか、ヴェイラーグに攻め滅ぼされるかの二択を押し付けられているようなものです」
「何を言うか! そなたらに飢え死にせよなどと、そんなことを私が考えていると思っているのか!」
痛い所を突かれて激昂するシルヴェールを見たクレメンスは、慌てて二人の間に入って仲裁をしようとする。
「陛下! アルストリア伯! 今日はクレイのめでたい席ですよ! 各国の旧神や要人も来ているのに、そのような険悪な雰囲気となってはどんな噂が立つか!」
クレメンスに痛い所を突かれ、押し黙るシルヴェール。
だがジルベールは違い、余程溜まりに溜まっていた不満があったのか、口を閉じることは無かった。
「いくさで死ねと言われれば死にましょう。ですが味方に見放され、野垂れ死ねと言わんばかりの今の状況は、さすがに私も看過できませぬ。我ら領主は聖テイレシアを治めていく同志であって、一方的に陛下を妄信して付き従う手下ではありませんぞ」
「……もうよい、下がれジルベール」
「関所の税を戻すというのであれば、街道を直す名目として我が領民にも十分に説明可能です。どうかご検討を」
「分かった」
シルヴェールは手をひらひらと振り、それを見たジルベールは頭を深々と垂れてから部屋を出る。
「おや、久しぶりだねクレイ君。しばらく見ない間に随分と大きくなられた」
「あ……お久しぶりですアルストリア伯」
しかしそこでバッタリと会ったクレイが、そわそわとして落ち着きがないのを見たジルベールは、少し考え込んでから口を開いた。
「ひょっとして今の話を?」
分かりやすく無言となるクレイに、ジルベールは微笑んだ。
「他言無用だよ」
「……分かりました」
いや、ジルベールが微笑んだように見えたのは、目を細めてクレイを見透かしたからだった。
あのような話をシルヴェールとした後で、さらに無駄な言い訳もせずに堂々と廊下を歩いて遠ざかっていくジルベールの姿は、まるで国王のようにクレイには見えたのだった。