第234話 物質界が生みだす魔術!
「物質界が生みだす魔術……と言われましても……」
エルザからのいきなりの無茶ぶりにサリムは戸惑い、そのまま動きを止める。
「あらあら、貴方にはまだ早すぎる質問のようですわね。それでは魔術の定義から説明していただけますか?」
そんなサリムを見たエルザは方針を変え、質問を変えて反応を見ることにしたようで、サリムもその期待に応えるべく慎重に言葉を選び、エルザへ向き直った。
「魔術……は……精霊界にいる精霊の力を、物質界向けの力に生まれ変わらせる……存在できるように安定させる、でしょうか?」
「そうですね、膨大な力を持つも安定性に欠ける精霊の力。それを物質界でも存続できるように物質界に最もなじみ深い、安定した地の精霊の力によって物質界の存在とする。それが魔術の手順です」
サリムの知識がどれほどのものかを知ったエルザは、話す内容をふたたび吟味して口を開いた。
「ではもう一度あなたに問います。物質界が生みだす魔術は何でしょう」
「……魔術は精霊の力によって生み出されるものではないのですか?」
さすがに訳の分からない質問を何度もされるのは面白くないのか、クレイに仕えるようになってからは滅多に感情を見せなくなったサリムも不満げに反論する。
しかしエルザが黙って微笑んだままなのを見たサリムはしばらく考え込み、だが一向に答えは出ず、途方に暮れた彼は助けを求めるようにクレイを見た。
「……道具、か?」
「正解です。さすがメタトロンを宿し、ダァトを本質とする者ですね」
それほど時を置かずにクレイが答えるとエルザは感心し、しかし答えたクレイ自身の顔は浮かないものであった。
「いや……前に誰かからそう聞いたような……気がするんだけど、それが誰か思い出せないんだ」
「思い出せない?」
エルザは不思議そうに呟くとクレイをジッと見つめ、そして何かに気づいたのかほんの少しだけ目を見張り、ゆっくりと首を横に振った。
「……そうですか。さて、今クレイが言ったように、道具がこの世界における魔術のようなもの、自分の望んだ結果を具象化させる手段ですわね。精霊界に由来する魔術は膨大な力を持っていますが、不安定ゆえに誰でも気軽に扱えません」
「はい」
素直に頷くサリムを見たエルザはうんうんと満足げに首を縦に振ると、わざわざクレイをちらりと見た後に、ぷひーと溜息をついて両手を上げる。
「……話の続きをどうぞ、エルザ司祭サマ」
しかし挑発に乗ってこないクレイを見たエルザは口を少し尖らせると、窓の外を見るふりをして二人から満足げな表情を隠した後に話の続きを始めた。
「それに比して物質界に由来する道具は、安定させるためにある程度の力の制限、あるいは許容量を持たせており、少しの学習時間と意欲があれば誰でも扱えるものです。ゆくゆくは人間たちが魔術を使う時の詠唱のように、秘める力を解放させる手順も増え、簡単に扱えなくなるかも知れませんけどね」
「ですか……しかしそれと機械仕掛けの神に何の関係があるのです?」
「科学の神」
「……科学?」
この当時まだはっきりとした区分がされていなかった、どの人間にも扱える魔術ともいえる科学という分野。
その科学という単語を聞いたサリムは不思議そうな顔をするだけしか出来ず、その様子を見たエルザは再び口を開く。
「知識を知恵とし、叡智とし、物質界そのものへの影響すら及ぼせる存在。そうなるために必要な方策――学問とでも考えてください」
「物質界そのものに影響する……?」
やはり要領を得ないサリムはエルザの言葉をオウム返しにするのみ。
しかし傍に立つクレイの顔はやや青ざめ、エルザの口にした言葉がただごとではないことを物語っていた。
「エルザ司祭」
「何ですかクレイ」
「物質界そのものへ影響する、そう言ったな」
「言いましたわ」
クレイの問いに平然と答えるエルザ。
その様子を見たクレイは、エルザが自分で何を言っているか分かっていないのではないか、そう判断する。
だがエルザの正体は大天使ミカエル。
この世界セテルニウスでは、主が生まれた直後にルシフェルと共に存在を許されるようになった、原初の天使の一人である。
「……それはつまり、物質界の法則をも書き換えられる存在と言うこと……か?」
口にしてはいけないことを口にすることへの恐れ。
魔法を操る唯一の存在、主へと達する道を平然と進めるエルザ、大天使ミカエルをクレイは恐れを込めた視線で見つめた。
「気にすることはありませんわ。時の流れに身を任せるしか出来ない、今のあなたたちには無理なことですから」
態度が変わったクレイを見て気分が良くなったのか、エルザはやや上から目線でクレイに答え、その態度が気にくわないクレイはややトゲのある答えを返す。
「その言い方だと、いずれは時の流れに抗えるようになれるってことだけどな」
「時の流れに入ってしまえば私たち天使でさえ抗えません。私の言うことが分かりますか、天使クレイ」
「時の流れと同一化している物質界を、時の流れの外にある精神界へと導けってことか?」
「有限の中に眠る無限を追求しなさい。おそらくそれがあなたがこのセテルニウスに降臨した答えにも繋がっているでしょう」
「それは言ってる意味がわかんない」
あっけらかんとして答えるクレイに、エルザは駄々をこねる子供を見る母親のような困った顔となった。
「言ったばかりで即他人がわかるような問題なら私はとっくに主の元に帰ってますよ。ちょっとは努力しなさいクレイ」
「やだー楽したいー」
「楽に得られるものの価値なんてすぐにありふれて暴落するんです。誰もができない困難に打ち勝ってこそ貴重なものを得られるのですわ」
「まあそうだけどさ。いいことも言えるじゃないかエルザ司祭」
「聖職者はそのような職種ですからね。さて雑談はここまでです」
「どうした急に」
話を打ち切るエルザの顔が、浮かないものであることを見たクレイは何が起こったのかと疑問を呈する。
「滞っていた仕事を済ませなければなりませんからね。いかに陛下の頼みとは言え、かなりの時間を貴方との話で浪費してしまいましたから」
「まさか……⁉」
そして人が変わったような発言を続けるエルザを見たクレイの脳裏に、一つの仮定が稲妻のように閃いた瞬間、部屋の扉がノックと同時に開かれた。
「侍祭ラファエラ、ただいま戻りました」
「あら、意外と早かったですわねラファエラ」
「ヒエッ」
何事も無かったように部屋の中にスルリと入ってきたラファエラの声と、驚く様子もなく迎えたエルザの顔を見たクレイは、思わず直立不動となって助けを求めるように部屋の中を見渡す。
しかしサリムは既に部屋の外に出てドアを閉めているところであり、フィーナに至ってはいつの間にか姿をくらましていた。
「司祭様のお仕事を手伝おうかと思いまして、陛下とのお話を早めに切り上げさせてもらいました……まあ、思っていた通り全然進んでいませんね」
「あらあら、困りましたわね……陛下より賜った話があるとクレイから聞いたもので、無下にもできずとりとめもない話で時間を使ってしまいましたわ」
「そうでしたか。クレイが出る時に疑問は簡潔に、と釘を刺しておいたのですが、本当に話を聞かない子で困ります」
「あらあら、では罰としてこの仕事をクレイに任せることにいたしますわね」
「何でッ⁉」
思わぬところで迫ってきた危機にクレイの心臓は跳ね上がる。
「フフ……司祭様への罰としての仕事なのでそれはダメですよ……?」
「あ、あら、そうでしたわね。では早速取り掛かることにいたしますわ」
「私が横で見張っていますのでご存分に」
だがラファエラの助け舟が入ったことにより体勢を立て直したクレイは、即座に退却の決断を下した。
「じゃあ俺は陛下に会見の内容を報告してきまーす!」
「あっ、ちょっとクレイ……」
「ダメですよ司祭様クレイの仕事の邪魔をしては。行ってきなさいクレイ」
ラファエラの許可を得たクレイは秒で部屋の外に出ると、玄関に向かう時間すら惜しんで窓から身を投げ出し、飛行術で仮宮殿へと逃亡したのだった。