第233話 デウス・エクス・マキナ!
「どどど、どういうことだよッ⁉」
エルザが口にした言葉にクレイは驚き、姿だけは可憐な少女に思わず詰め寄るも、その先のエルザの表情は今さら何を、といったものだった。
「ですから三位一体の再施行、つまりはこの世界に新しい法則を生み出すのですわ。セテルニウスに久しぶりに新しい神……いえ、価値が宿るのです」
「神……主の一部を俺が担う……?」
エルザの補足説明を聞いてもクレイは呆然としたままであり、よってエルザに詳細を聞くのは別の男であった。
「待ちたまえエルザ」
「あらあら、どうしたのですかヘルメース。万事を些事と受け止め、飄々と受け流す貴方に、そんな真面目な顔は似合いませんわ」
「このセテルニウスに新しい神が宿るとはどう言うことだ。今セテルニウスには、ありとあらゆる地域で神が存在し、その上に君たち天使と言う新たな存在まで台頭してしまった」
「まあそうですわね」
「分かっているのかエルザ。このセテルニウスの宗教心は、今ある超常的存在ですでに飽和しているということだ。流石の僕でも、今の話を聞いて鷹揚に構えているわけにはいかないぞ」
珍しく緊張感を表情にみなぎらせるヘルメースに対しても、エルザは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「デウス・エクス・マキナ」
「はぐらかさないで答えてもらおう。破綻した戯曲の無理やりな完結方法、機械仕掛けの神がクレイと何の……」
そしてエルザが口にした答えにヘルメースは抗おうとし、そしてすぐに力なく口を閉じた。
「まさか……君たち天使はクレイを……」
「プロメーテウスの火は、人間たちにいい刺激となったようですわね」
「なるほど、やはり文明の段階を進めるつもりかエルザ」
エルザは無言で微笑む。
それはヘルメースの言葉を肯定したに他ならず、更にはエルザの持てる力や発言から、天使長ミカエルを本体と匂わせる彼女の肯定は、現在における天使全体の総意と取られてもおかしくないものであった。
それ故にヘルメースはいつものエルザの冗談と受け流すことも出来ず、さらなる追求をエルザに突きつける。
「無知なるままでいれば、大いなる破壊を作り出すことも無く、それから逃れることも出来よう。プロメーテウスだけならともかく、まさか君たちまでそんなことも分からぬ愚か者であったとは」
「賢くあれば滅亡から逃れることも出来ましょう。結界を破ることが出来るアポローンを擁する貴方たちが、そんなこともわきまえぬとは思っていませんでした」
「暴走する力を包み込めるほどの知。神の叡智をすべての人間が身に着けることができる未来など無い。それは遥か太古より人間たちを見守ってきた、我らオリュンポス十二神が一番良く知っている」
何千年という歳月を根拠とするヘルメースの言葉にも、エルザの顔色は少しも変わることが無い。
「万事を一時で解決できると思う、しなければならないと思い込む。それこそが貴方たちの限界なのですわ」
「我らに届くまでに足場とするものが消失してしまえばどうなる。彼らの生まれた意味はどうなるのだエルザよ」
「それに関しては信じるしかありませんわね。貴方たちも私たちも子と呼ぶ彼ら、人間たちに」
「馬鹿馬鹿しい」
ついにヘルメースはエルザの説明を一笑に付す。
「彼ら人間が我らの信用に値する瞬間など、これまで一瞬たりとも……」
しかし淀みなく口にしていたヘルメースの反論は、ヘルメース自身が気づいたある一つの事実によって行き場を失い、せき止められた。
「時は流れ、代はうつろうものですわヘルメース。貴方たちがここフォルセールに常駐するようになったのは、貴方たちが何を見たからですか?」
ヘルメースは大きく息を吐き、そして遠くを見つめる目をした後にクレイの顔を見た。
「なるほど、な……」
「子離れなさい、オリュンポス十二神よ。それが私の復帰祝いも寄越さぬ貴方たちへの最初のお小言ですわ」
「僕から力を吸い取っておきながらよく言う。だがその苦情はゼウスに伝えておこう、司祭エルザよ」
「お小言はもう一つありますわ、ヘルメース」
「何かな?」
用件が終わったと思っていたヘルメースは、不思議そうな顔で首を傾げる。
「最近、このフォルセールに新しいオリュンポス十二神が遊びに来ているようですわね」
「それが何か?」
ふわりとした綿菓子のように、掴みどころの無いヘルメースの返答。
だが即座にそれは、綿菓子の真ん中を貫く鋭い串のようなエルザの言葉によって貫かれた。
「クレイはアルバトールのみならず、私にとっても我が身以上に大事な子供です。そのクレイを曇らすようなことをすれば……」
「すれば?」
「ヘーラーと仲良くなってしまいかねませんわね」
「ふむ」
そしてエルザがニッコリと――いやニタリとほくそ笑んだエルザを見たヘルメースは、目をパチパチとしばたかせた後、しばし動きを止める。
「ゼウスによく伝えておこうそれでは僕は急用を思い出した失礼する」
そして動き始めたヘルメースは恐ろしいほど早口でそう言うと姿を消し、それを見届けたエルザは未だ呆然としているクレイの背後へと足音を殺して忍び寄った。
「神……価値……」
「どうしたのですかクレイ。そのようにボンヤリとしていては、知らぬ間に貴方の貞操が奪われることになりかねませんよ」
「か……何ィッ⁉」
いきなり背後から声と息をかけられたクレイは、文字通り飛び上がって前方へと身を投げ出し、賊の正体を見極めんと身構えながら振り向く。
「あらあら、あんなに可愛かったのに、もうそのような物騒なことも出来るようになったのですね」
「物騒そのものなお前に言われたくねーよ!」
「おまけに赤ん坊の頃から貴方を育ててきた私に向かってそのような乱暴な言葉を……私悲しいですわヨヨヨ」
「ラファエラ司祭……元司祭がお前に仕事を押し付けられながらも懸命に育てたって言ってたんだが」
「そんなこともあったかもしれませんわね」
「うーん鬼畜」
まるで悪びれないエルザの感性にクレイは一筋の冷や汗を流す。
それを見たエルザは隙を見つけたと言わんばかりに一つの質問を捻じ込んだ。
「それでクレイ、話と言うのはもう終わりなのですか?」
「え、ああ……陛下からは特に話す内容とかは指示されてないし、俺の聞きたかったことも聞けたから無いといえば無いかな」
「あらあら、それでは……」
エルザは机の上に山と積まれた紙束をスッと指さす。
「ここにラファエラから押し付けられた仕事があります」
「あるな」
「これを貴方を育てる糧とするために今から整理をしてもらいます」
流れるように仕事を押し付けようとするエルザ。
「今休暇中だから休暇が終わったらいいぞ。ただ俺も他の仕事があるから陛下とラファエラ……さん? に許可を取ってくれ」
そしてクレイが大人の事情で回避しようとすると、エルザは可憐な少女の仕草で首を傾げ、溜息をついた。
「今の時間、通常であれば休憩の時間ですわね?」
「まあ、もう昼食の時間ではあるかな」
「休暇を休憩する時間、つまり今は仕事をする時間帯というわけですわ」
「なるほど一理ある……ってそんなわけあるかボケ! 話も無いしもう帰るぞ!」
エルザの身勝手な理論に憤慨したクレイは、きびすを返して部屋の外に出ていこうとする。
しかしいつもなら扉を開けてくれるはずのサリムはドアノブに手を伸ばしておらず、不思議に思ったクレイがサリムの顔を見ると、彼には珍しく物思いにふけって我を忘れているようであった。
「サリム?」
「あ、はい。お帰りですかクレイ様」
「うん、そうしようかと思ったんだけど……何かあったのか?」
まだ意識がはっきりとしていないように見えるサリムにクレイがそう言うと、サリムは数秒ほど迷った後に口を開いた。
「クレイ様、デウス・エクス・マキナとは一体?」
「あー、俺もあまり詳しくはないんだけど……」
クレイがサリムに説明しようとした瞬間、ニタリとエルザが笑みを浮かべて横から続きを横取りする。
「デウス・エクス・マキナ。戯曲劇などで複雑すぎる人間関係や伏線を張ってしまい、どうにもならないような展開になった時に、絶対的な力を持つ存在が現れて解決し、物語を打ち切……収束させる手法のことですわ」
「……まぁそんな感じだよ。場面を一つずつきちんと積み上げて話の頂点に持っていこうとせず、話の流れを中断してぶつ切りにして終わらせる。話をまとめることを諦めた手法として嫌われることも多いらしい」
「なるほど……」
話す内容を取られたクレイがぶすっと不貞腐れる姿を見たエルザは、可憐な少女の姿で屈託のない笑みを浮かべ、それを見たクレイは文句を言う気力も無くなって肩をすくめ、サリムが何らかの答えを出そうとする姿を見守る。
「何か引っかかると思ったら、セファールさんの店でクレイ様から聞いたお話と色々と被っているからでした。我々の困難を主や天使が解決しようとしないのは、そういった理由もあるからなのですね」
「そう言えばそうだな……」
程なくサリムが出した正答に、クレイは誰が言うともなく頷いたのだった。
神などの人とは違う存在による問題の解決は、人間たちが自分たちで助けよう、助かろうとする意思を奪い、成長しようとする意志を放棄させ、自堕落に向かう思考停止へとつながる。
まるで有能な独裁者が現れたときの独裁政治のように。
すでに決定された事項に対する修正は、独裁者の非を認めることに繋がってしまうためにできにくいものの、ドラスティックな解決ができる独裁政治。
対してマイルドではあるものの、修正しつつ地道に改善が出来る民主政治のどちらがいいのか。
「例え一歩進んで二歩下がるように見えても、他のところで三歩進んでいればいいのですわ。そうすればその進んだ三歩を他の者たちに伝えることが出来ます」
いきなり正論を口にするエルザ。
「確かにそうだな」
さすがにクレイも同意せざるを得ず、渋々ながら首を縦に振る。
「あらあら、今度は随分と素直ですわね」
「しかしその機械仕掛けの神がどうクレイ様に関係するのですか? エルザ司祭」
黙り込んだクレイへクスクスと微笑むエルザを見たサリムは、エルザが余計なことを言わないようにすかさず疑問を捻じ込み、それを聞いたエルザはやや不満そうに口を尖らせてから口を開いた。
「機械仕掛けの神が、と言うよりは機械仕掛けという呼称を新しい価値になぞらえただけですわ」
「と仰いますと?」
理解の外にあると言わんばかりの顔でサリムが疑問を返すと、エルザは口に指を当てて少し考えた後に話し始める。
「サリムと言いましたか。物質界が生みだす魔術は何だと思いますか?」
「え」
そしてエルザは無理難題をサリムに吹っ掛けると、聖女の名にふさわしい輝きを持つ美しい笑みを浮かべたのだった。