第229話 蚊帳の外はもう嫌だ!
次の日の朝、領主の館の庭園に二人の男女の姿があった。
「買い物?」
「ああ、王都の地図の件では世話になったからな。セファールさんの店で好きな服を買ってくれ」
「いいの? 最近は民もおとなしくなってきてるけど、まだセファールさんとエメルさんに対する悪い印象は残ったままよ。いくらクレイの評判が上がってきているって言っても、そんな時に店に入ったんじゃ……」
「悪い評判があるから調査するんじゃないか」
「どっちの悪い評判を調べるつもりなのかしらね。分かったわ、お付き合いしてちょうだいクレイ。でも女性には準備が必要だから、一時間ほど待ってもらえるかしら? 実家でお父様からもらった絹のワンピースがあるのよ」
そして女性の方がそう言ってきびすを返すと、男性の方はややげんなりとした表情になって城門へと向かったのだった。
そして約束の時間の少し前、サリムと門番たちが困った顔で見守る中。
「なんで城門で待ってるのよ! こういう時はサリムを部屋の前に迎えに立たせておいて、貴方はホールで待ってるものでしょう!」
「ディルドレッドさんもいるんだからしょうがないだろ。領主の館に間借りしてるお前と違って、ディルドレッドさんは町で客員騎士団として働いてるんだから」
クレイとフィーナは、言い争いの真っただ中にあった。
「もう、私の護衛として付いてきたのに、何で私から離れて住んでるのかしらね」
「まあ最近は任務で一緒にいないことが多かったからな……お前と違って無為徒食でいることに耐えられなかったんだろ」
怒りの矛先が変わったのを感じたクレイは、そのままディルドレッドに関する会話を拡げていった。
実際のところ、今となってはディルドレッドの助力は頭を下げてでも欲しいものであった。
有能な人材は個人の能力による恩恵だけではなく、部下を任せることができる。
つまり運用できる部隊が一つ増やせるのだ。
指揮系統が増やせる人材は得難いものであり、多少ディルドレッドの性格に難があろうともフォルセールには居てもらわなくてはならなかった。
「まあいいわ。私もディルドレッドとゆっくりするのは久しぶりだし、積もる話もあるかもしれないしね……それじゃハイ」
「なんだその手は」
右手を差し伸べてきたフィーナにクレイは白い目を向けるが、その冷たい態度にフィーナはまるでひるまず笑顔で二の句を告げた。
「そろそろエスコートのやり方くらい覚えなさいよ。ジョゼちゃんに怒られるわよ」
「ジョゼに対してはきちんとエスコートしてるから怒られないぞ。なんか最近はオリジナリティ溢れるエスコートを求められるが」
「ジョゼちゃんも苦労するわねー……いいわ、とりあえずディルドレッドと合流することにしましょうか。サリムもディルドレッドと会うのは久しぶりじゃない?」
「そうですね、私も従者としての仕事とベルトラム様との稽古がありますから、ディルドレッドさんが館にいた以前のようには、なかなか会えなくなりました」
「それじゃ行きましょうか。コンラーズも頑張って小さくなっててね」
「アニャ」
こうして一行は頭上にコンラーズをパタパタと浮かばせつつ町へと繰り出していき、程なくカフェのテラスにいるディルドレッドと合流すると、久方ぶりに会話に花を咲かせ始める。
「というわけで探すにも人手が足りなくてね。無事にセイちゃんは見つかったし、問題も解決したから良かったけど、王都では貴女がいなくてホントに困ったわ」
「私もついていきたかったのですが、人数オーバーと言われては致し方が無く……それより良いのですかクレイ? 私の分の洋服まで買っていただけるとのことですが、最近はそれほど手柄を立てているわけでもありませんよ」
「あー、それが手柄なんだよね」
「?」
出会った頃は歩くだけで問題が起きていたフィーナとディルドレッドだけに、まさか問題を起こさないだけで手柄になるとも言えず、クレイはそれとなくディルドレッドを慰労する方向で話を展開させる。
「まあ今みたいな男性っぽい服もいいけどさ、依然言ってた通りに女性らしい服も着て欲しいかなって」
何とか誤魔化したクレイは、やや慌ててセファールとエメルの店へ向かった。
[あら、いらっしゃいませクレイ様]
「久しぶりだねセファールさん、婦人用の服で何か新作はあるかな」
[そうですね……エメルさん、以前お願いしたコタルディのドレスはどんな具合ですか]
セファールが店の奥にある作業場に呼びかけると、中から艶やかな黒髪と透き通るような白い肌を持つ美しい女性が姿を現す。
[そうですね、体型にフィットするように最近東方から伝来したボタンを色々とつけてみた所です。ですがまだ市場に与えるインパクトが薄いと感じられて……今一つといった感じでしょうか]
[そうですか、確かに今の私たちでは既存のものより余程興味を引くものでないと、お客様たちに買っていただけないかもしれませんね]
セファールとエメルは揃って溜息をつき、視線をやや下げたのだった。
この二人、実は魔族である。
色々な運命のめぐりあわせによってここフォルセールに来ているものの、セファールは魔族の中でも屈指の実力を持つヤム=ナハルと龍神ティアマトの娘、そしてエメルはヴァンパイアと、並の人間であれば到底太刀打ちできないほどの実力を持っている。
だが争いを好まない性格ということ。
そしてフォルセールの領主であるアルバトールや、テイレシア国王シルヴェールの好意によってここフォルセールに匿ってもらっている事情もあり、周囲の住民の無言の圧力に肩身を狭くして洋服店を営んでいた。
「じゃあ襟をちょっとこう……ガバっと開けてみたらどうかしらエメルさん」
[えっ……どういうことですかフィーナさん]
「胸元をね、こう開けて……見せつけるのよ、世の男性たちに」
フィーナからの突然の提案にセファールはうろたえ、言い咎める者もいない店内を慌てて見渡す。
[そ、そんなハレンチな! そんな服を出したらラファエラ司祭様にお仕置きされて店も潰れ、私たちは路頭に迷ってしまいます!]
「大丈夫! どうせ教会も時勢には勝てないわ! 出来上がったコタルディを王妃様なり王女様なりに捧げて、既成事実をでっちあげちゃえばいいのよ!」
熱弁をふるうフィーナ。
目の前で繰り広げられる悪事を天使であるクレイが見逃すはずが無い……と思いきや、フィーナを見るクレイの目は冷めたものだった。
「だそうだサリム」
「私に言われても困りますクレイ様。世の公序良俗を乱す行為は、天使が取り締まるものなのでは?」
「風紀を乱す服を流通させるがために、王族に賄賂の服を送る行為か……うーん、騎士団か自警団の管轄かな。そもそも天使は人の営みに関わっちゃいけないルールがあるんだよ」
「天罰をお与えになるのは?」
「魔族が浸透して手の施しようが無い場合とか、色々と基準があるみたいだ」
クレイはそう言うと、首を振って溜息をつく。
「まあ悪事という悪事を際限なく潰していったら、後に残るのは人々の墓標のみってことにもなりかねないしな。百の段階に分かれている悪事を十の段階まで減らしたとしても、次はその十が百に細分化されるだけさ」
天使と言えど清廉潔白ではなく、あくまで人間の自主性に任せている部分が多いようである。
まあ天使にも堕天使という悪の存在があるだけに、人間に対して強く出れない事情もあるのだろう。
「確かに自分たちの力で解決するんじゃなくて、天使という超常現象の力をあてにするようになったら種族としてはおしまいですね。王や皇帝という同じ人の身に頼りきりになるよりは健全かも知れませんが」
「そう言ってもらえるとだいぶ気分も楽になる……ん?」
クレイは何者かの気配に気づき、店の奥に続く通路にかけられた数枚の布切れ――のれん――の奥を睨みつける。
「セファールさん」
[もっ、もちろんそんな服を作るつもりは毛頭ございませんクレイ様!]
「いやそっちじゃなくてこっちの通路の奥の方」
緊張感がみなぎるクレイの質問に、セファールは小首を傾げて不思議そうな顔で考え込む。
[あ、聞いていらっしゃらないのですか? クレイ様]
「その疎外感を感じさせる受け答えはやめて下さい」
[申し訳ありません]
「最近国の外に出ることが多いからその手の攻撃は防御不能なんです。それより何が奥にいるんです?」
店の奥にある工房より滲み出る圧倒的な存在感。
重圧と呼ぶのもおこがましい、まるで鋼のように分厚く硬く重苦しい雰囲気に店の中が包まれたように感じたクレイは、思わずアイギスの術を発動する。
[ほうほう、ティアちゃんやセファールの言っていた通り、なかなかの聞かん坊じゃのう]
クレイの予想に反し、店の奥から現れたのは一人の老爺だった。
しかしその老爺が先ほどのただならぬ気配の正体だったことを示すが如く、老爺がしわだらけで小さい姿を現すと同時に店の中をがんじがらめに固め上げていた空気は霧散し、滝のそばで感じる涼し気で心地よい水煙の中にいるような気分となっていた。
「嘘だろ……確かアンタは魔族の……」
[ふむ、ワシの顔を覚えているようで何よりじゃ。久しぶりじゃのうクレイ]
「久しぶりと言うほど時間は経ってないだろう。そんなことよりなぜアンタがフォルセールにいる。不死の龍帝と呼ばれる存在にして魔族に与する旧神の一人、ヤム=ナハル」
[ホッホ、ひょっとして聞いておらなんだかのう、クレイ]
「だから俺を蚊帳の外に置くのはやめろォ!」
クレイが敵意と緊張感を露わにして睨みつけるも、ヤム=ナハルはその重圧を物ともせずに顔に柔和な笑みを浮かべ、楽しそうに笑い声をあげたのだった。