第228話 優先させて見るべきもの!
「ふう……」
翌朝、クレイはいつものように窓の外に集まったセイレーンたちの朝チュンによって目を覚ますと、窓を開けて眩しい朝日を体全体に取り込む。
「さて、今日はサリムと一緒に行くかな」
そして深呼吸をした後にそう独り言を口にすると、日課である素振りをするためにクレイは窓からこっそりと抜け出したのだった。
「え……サリムと一緒に?」
「うん、今日はサリムと一緒に行ってみるよ。サリムの目と耳だけじゃなくて、森の外から広範囲を精神魔術で探知してもらいたいから」
朝食に戻ったクレイは、皆がいる前でジョゼにそう告げる。
当然ジョゼはあからさまに悄然としてしまい、同席しているシルヴェールとクレメンスは愛娘の落ち込んだ姿を見てこっそりと視線を交わす。
「クレイ、ジョゼを連れて行った方が何かと都合が良いのではないか? 森の外から見るより中で調べた方が良かろう」
そしてシルヴェールが数度の咳ばらいをした後に微笑んでそう言うと、その笑みをクレイは深刻な表情で受け止めた。
「そうなのですが、どうも森の様子がおかしいのです陛下」
「おかしいとは?」
「常にないほどに住んでいる生き物たちが攻撃的になっており、襲い掛かってくるのです」
「何……? そんな報告は受けていないが」
シルヴェールはじろりとクレイを睨み、その視線を受けたクレイは素早く立ち上がると軽く頭を下げて謝罪をした。
「申し訳ありません、一昨日は動物、昨日は昆虫と、過敏になった動物の種類が違いましたので、再現性に欠けていると判断して報告を見送っておりました」
クレイは速やかに答えるも、すぐにジョゼが追加の説明を付け加える。
「申し訳ありません父上、私がその……クレイ兄様に口止めを……」
「ふむ」
シルヴェールは腕を組み、眉間にしわを寄せて目を閉じる。
「どちらにしろ不手際と言うものだ。隠し立てようとした二人とも罰を下す……と言いたいところだが、今回は二人とも反省していると思われるし、口頭による注意だけで済ませておこう」
「ありがとうございます陛下」
「今回は何も起こらなかったが、何かが起こってからでは遅い。それだけは覚えておくように」
クレイとジョゼは起立すると謝罪のために頭を下げ、シルヴェールが片手を上げて応える姿を見て着席する。
「クレイ、調査というのであればアルテミスに協力を仰いではどうだ。狩猟の女神なのだからその辺は詳しいだろう。それなら森の中を軽くジョゼと散策するだけで済むと思うが」
そして最初からそう言いつければいいと思われる指示(ジョゼの企みを知っていたのでしなかった)をシルヴェールが出すも、それを聞いたクレイの顔は浮かないものだった。
「私もそう思ってアルテミスに聞いてみたのですが……」
「どうした、途中で口を止めるとはお前らしくもない」
シルヴェールはクレイに先を促す。
「あたしは気の向いた時に弓を取り、気の向いた狩場へと向かうだけ! ところで調査って何だ⁉ と自信満々に答えられてしまいまして」
「……ほう」
「まず調査についての説明が必要なのか、と思わず考えた時の感情が少々顔に出てしまったのか、直後にアルテミスが怯えて逃げ出してしまったので協力を得るのは難しいかと」
「それは困ったな」
「まったくアルテミスにも困ったものですわね」
シルヴェールとクレメンスが穏やかな顔で笑いあい、ギスギスとした雰囲気を周囲にまき散らし、そして仕方ないと言わんばかりにシルヴェールが溜息をつく。
「まあ良い。クレメンス、今日の公務はどうなっている」
「朝から晩までギッチリでございますわ陛下」
「ほう」
晴れやかに言うクレメンスと対照的にシルヴェールの顔がどんよりと曇る。
「ただ、私とベルナール団長で出来る決済もございますので、陛下が気晴らしをなさりたいと言うのであれば、出かけるのもやぶさかではございませんわ」
しかし続けて苦笑しながらクレメンスが告げると、途端にシルヴェールの顔も晴れやかなものと変化した。
「分かった。クレイ、今日はいつ頃に出る予定だ」
「朝食を終えたらすぐにでも」
「では今日の調査は私が直接執り行う。クレイ、すまぬがサリムに私に同行し、動物の生息数および生息範囲を教えるように伝えてくれ」
「承知しました。私は何を?」
「ジョゼの護衛を頼む」
「はっ。勅命謹んでお受けいたします」
こうして動物を脅かすのが目的ではないかと思われるほどの人数(これにシルヴェールの騎乗するラビカンとバヤールが加わる)で今日の調査は始まった。
昼前、領境の森の中にはサリムの先導の元に歩くテイレシア国王と神馬二頭もとい人型になった二人、そしてその少し後方にクレイとジョゼの姿があった。
「陛下、あちらに鹿が二頭、あちらは狐が一頭。狼は近くにいないようです」
「狼がいないとは珍しいな。狐物語の主人公にやりこめられてしまって逃げたというのでもあるまいに」
「陛下のおなり、ということでアルテミス様が追い払われたのかもしれませんね」
美しく儚げな女性にも見える神馬ラビカン♂がそう答えると、シルヴェールは苦笑して首を振った。
「そんなに気を使わなくてもいいものを。クレイ、お前もわざわざ近くに寄ってこなくてもよいぞ」
「はい」
話題に加わろうとしてこっそり近づいたクレイは、短く答えると肩を落として後方のジョゼと合流した。
(どうしようかメタトロン。陛下が出張ることまでは予想の中にあったし、むしろ直接言う機会だと歓迎してたくらいなのに、まさか最終的にこんな大人数になるとは思ってなかった)
(話術に長けている、もしくは他人の話をぶつ切りにする図々しさがなければ、大人数の中の特定の個人に話しかけるタイミングは掴みづらいからな)
(少人数だとそんなに気にしなくてもいいんだけどなぁ……)
クレイは肩を落とし、隣にいるジョゼに心配そうな顔で見つめられる。
「どうしたのですかクレイ兄様」
「ちょっと調査が俺の手を離れちゃったからな」
「そう言えばどうして突然このような調査を?」
まじまじと見つめてくるジョゼの目から逃れるように、クレイはシルヴェールを見つめながら答えた。
「魔族の動きが活発化する前……つまり王都が落とされる前は毎年してたらしい。でもこのまま調査をしないでおくのも変な話だ。だって魔族に襲われて命を落とすのと、野生動物に襲われて命を落とすのに違いはないだろ?」
「確かに……」
クレイはそこまで話した後、ハッと気づいて自分の中の情報を整理し、そして吟味を重ねた説明を付け加えて会話を誘導する。
「……実はな、王都に行った時に戦災孤児たちの現状を目にしてさ」
「戦災孤児……そうですね、戦いに勝とうと負けようと、戦死者が出る以上は孤児の問題は付き物です」
ジョゼの顔は暗く沈む。
直接な関係が無いとはいえ、王族に生まれたものにとってその手の話題は避けて通れないものだからだ。
「聞くと、食料が今の王都は足りてないらしい」
「やはり王都の民は魔族によって苦しめられているのですね」
「いや、魔族にも一部に良識派がいるから、そいつらがある程度は面倒を見ているんだ。お前も知ってるアスタロトもその一人だ」
「まあ! アスタロトお姉さまが⁉」
「う、うん」
先ほどまで曇っていたジョゼの顔がパッと明るくなり、それを見たクレイは戸惑いを隠せずに鼻の頭をポリポリとかく。
「念のために言っておくけど、アスタロトは魔族だからな」
「あら、でも獣人の国の祭神になることを引き受けて下さったのでしょう?」
「まあそうだけど、まだ残ってる障害は少なくない……というか障害だらけだから、あまり表沙汰にはしないでくれよ」
「はい。話を戻しますと、それで森でとれる動物たちを横流し……ではなく、提供できないかどうか調べるために、ここ数日を森の調査に充てていたわけですね」
「有り体に言えばそうだな」
どうやらジョゼはクレイと王都の民の立場に同情してくれたようである。
これならシルヴェールとクレイの意見が対立した時、おそらくジョゼはクレイに味方してくれるであろう。
メタトロンの小言が飛んでくるかとも思ったが、諦めたのか納得してくれたのか、メタトロンの意思が浮かび上がってくることは無かった。
簡単な昼食をとった後も調査は続き、日差しが強く感じられる午後三時頃にこの日の調査は終了した。
その帰り道。
「父上、いつになく晴れやかな顔をされていますが、何かよい調査結果でもあったのですか?」
「うむ、動物たちの頭数のみならずその毛並みも上々なものが多くてな。今年は食料だけでなく毛皮の売れ行きも期待できそうなのだ」
「まあ、おめでとうございます」
「王都の結界がとけ、また魔族が森の中を行きかうようになるかと思っていたが、オリュンポス十二神が常駐してくれるようになったおかげかまるで見ない。動物も順調に増えているし、これならベイルギュンティ領のエルネストの手助けが無くとも、軍をふた月は飢えさせずに外征させられよう」
ジョゼの問いに答えるシルヴェールの機嫌は上々であった。
あがってくる資源を民ではなく軍隊で例えたのは、別にシルヴェールが民を軽んじているのではない。
王都の民を救うために動かす軍勢、というものが考えの第一にあるのは間違いないからだ。
それを承知しているジョゼは、顔に満面の喜びを浮かべながらシルヴェールへ話しかける。
「では父上、王都奪還の日も近いのですか」
「それはいつになるか分からん。軍を動かすにはまだ整えなければならぬ条件が多い上に、また魔族があちこちで悪さを始めているからな」
「そうですか……王都で苦しんでいる民を助けられるのはいつになるのでしょう」
「うむ……」
すぐにジョゼとシルヴェールの顔は苦悶に歪み、会話が途切れたそのタイミングを見てクレイは二人の会話に割って入った。
「その件について陛下のお耳に入れたい案件があるのですが」
しかしクレイを見るシルヴェールの顔は、やや判断に難しいものだった。
クレイを値踏みするような、見透かすような。
あえて言うなら意思を自らの内に置かずにクレイの中に投影したような、感情がまるで浮かんでいない顔だった。
「どうした? 私の耳に入れたい案件があったのではないかクレイ」
「あ、いえ……」
クレイはあまりに意外なシルヴェールの態度に一瞬だけ尻込みする。
しかしここで時間を浪費するのは賢くないと判断したクレイは、すぐに用件を切り出していた。
「実は、王都に行った時に戦災孤児たちの現状を目にしまして」
「知っている。お前たちが帰国した直後にフィーナから聞いたからな」
「え……えと、さようでございましたか」(すぐ帰国したんじゃなかったのかよ!)
だがシルヴェールの口から発せられた意外な言葉に、クレイは動揺して次なる説明をあれこれ模索し、しかしそれを見越したような冷めた言葉が、クレイの隙を突くかのようにシルヴェールの口から発せられた。
「今回の調査の件と言い、王都での出来事の報告と言い、最近のお前は都合のいい結果を求めるあまりに小細工が目立ちすぎる」
「……はい」
「策士、策に溺れるという言葉もある。少し自重せよ」
「申し訳ありません」
クレイは謝罪をするも、王都に残された戦災孤児たちの食い扶持に関する件は諦めるわけにはいかない。
「それで陛下、王都の民に関してお願いがあるのですが」
だがそれすら今のシルヴェールには届かぬものだった。
「ならぬ」
「ならぬとは」
「この領境の森に関する権限はすべて王たる私のもの、国家そのものである王の所有するところである。その配分は国家たる私、そして国家を支える民に配分する物であり、魔族の統治下にある民への配分までは含んでおらぬ」
あまりに無慈悲で冷たいシルヴェールの告知。
クレイは思わず激昂し、怒りに身を任せた感情むき出しの反論を口にする。
「しかしそれでは王都で救いを待ち望む民は! かつて陛下や我々を支えてくれていた民はどうなるのですか!」
「今我々が目にし、口にすべきは現在我々を支えてくれる民についてである」
「なッ……⁉」
「かつて我々を支えてくれた民に関しては王都を奪還し、この手に取り戻してより考えれば良い。よいかクレイ、この森の中で得られる収穫は、私の目の届く限り断じて現在の民以外に渡すことまかりならぬ」
「……」
クレイが絶望し、身を震わせ、抗議をする余裕すらなくなった、そう見たジョゼがただちに助け舟を入れる。
「しかし父上、それでは見捨てられたと感じた王都の民が希望を失って魔物化する恐れがあり、そして今付き従ってくれている民にしても、一度魔族に敗れれば救いの手を差し伸べられぬと判断し、積極的に味方してくれなくなる可能性が」
「それをさせぬのが王族たる我らの役目。かつての民を救うより、現在の民を守ることを考えよ、ジョゼ」
しかしジョゼの進言も即座に切って捨てられ、場は暗くなり闇に沈む。
「暗くならぬうちに帰還する。王の護衛を務めよクレイ」
「はっ」
クレイが短く返答をすると、バヤールとラビカンがたちまち馬の姿に戻る。
そしてバヤールに乗ったクレイとその背に乗るジョゼが先頭に立ち、最後方をサリムが固め、シルヴェールはフォルセールへと戻っていった。
クレイの背に乗ったジョゼの冷たい視線にさらされながら。
その晩。
「何を思い悩んでいるのですか陛下」
「……少しクレイに厳しく言いすぎたのではないかと思ってな」
シルヴェールとクレメンス夫妻の寝所でそのようなピロートークが交わされる。
「言って悩むくらいなら最初から言わなければ良いのです。そもそも策を弄するクレイの姿が、自分を信じてくれていないようで面白くないと言い出したのは陛下ではありませんか」
「そんなことは言っておらん! 最近クレイが調子に乗って独断専行が増えてきたから、ここで訓戒しておかねばと言っただけだ!」
「本音は?」
クスリと笑ってクレメンスが言うとシルヴェールはムスリと黙り込んでしまい、子供のような夫の姿を見たクレメンスは優しくその体を抱きしめた。
「今度は陛下がクレイを信じる番ですわ。あの子は頭のいい子ですから、きっと陛下の真意に気づいてくれます」
「……うむ」
やや元気が無さそうにシルヴェールが答えた頃、クレイの部屋では。
「やったぞサリム! どうやら領境の森で狩りをしても良さそうだ!」
「本当でございますか? 陛下は狩りはまかりならぬ、とえらい剣幕だったではございませんか」
「陛下は目の届く限りと言ってた。つまり目の届かない所……密猟のお目こぼしをしてくれるってことに違いない!」
喜びを抑えきれないクレイが部屋の中を歩き回り、サリムに自慢げにそう話すも、それを聞いたサリムの顔は納得をしていない。
「……はぁ」
「何だよサリム」
思わず溜息をついてしまったサリムにクレイは食って掛かり、その主人の姿を見たサリムは本心から心配しているといった顔で意見を述べる。
「大丈夫でございますか? クレイ様の勘違いだったとしたら、今度こそ処罰されてしまいますよ」
「大丈夫。陛下が断る時は勘違いしようのない指示を出す。今日みたいな聞き手にとってどちらにもとれるような紛らわしい指示を出さないんだ。それに陛下だって王都の民を救いたいことに変わりはない」
「はい」
「おそらく根回しが終わってない状況で、王都に住んでる民に援助をすると表立って言うと、フォルセール領や他の諸領地に住んでる民から反感を買う恐れがあるし、すぐに承諾して国庫に余裕があると思われたくないのかも知れない」
「なるほど……」
「俺としたことが、状況が目まぐるしく変わりすぎたのに、一週間の休暇という期限ばかりを見て結果をあせって出そうとしてしまった。陛下の言う通り反省しなきゃな」
クレイの説明を聞いたサリムは、やや眉根を寄せながらも納得し、そしてすぐに疑問を口にする。
「なるほど……ですが密猟に変わりはありませんよね」
「そこら辺は盗賊ギルドの長の手腕頼みだな」
サリムの疑問に対し、クレイはコランタンの不敵な顔を思い浮かべながら呟く。
「よし、それじゃ明日は王都地図の作成お礼も兼ねて、フィーナとディルドレッドさんに服でも選んでもらうか」
そしてベッドの中に潜り込んだ後にサリムが扉に鍵をかける音を確認すると、こっそり起き上がってシャドーボクシングを始めるのであった。