第227話 飛行術の心得!
フォルセール城を夕闇が覆いつくした宵の口。
なぜかカーテンを閉め切った上に明りもつけていないという、真っ黒な……いや真っ暗なジョゼの私室に、三人の女性が集まっていた。
「クレイ兄様の守りは思ったより堅牢でした、ラファエラ司祭」
「おいたわしやジョゼ様」
「しかしこのメイヴが思うに、まだ機会はございますわジョゼ様。三日後のクレイ様の誕生日、その日は成人の祝いも重なると言うことで、他国から大勢の賓客が来ると聞き及びますわ。つまり……」
「飲酒の許可が出たクレイ兄様と初の盃を交わす権利を狙って、乾杯後には大量の賓客がクレイ兄様に押し掛けることになるでしょう。その結果、クレイ兄様はべろんべろんに酔っぱらって前後不覚に陥る……そうですね女王メイヴよ」
「その通りですわジョゼ様」
ジョゼの言葉にメイヴが相槌を打つと、集まった三人の女性はクックックと含み笑いをする。
「しかし幾つかの問題が考えられますジョゼ様」
「何でしょうラファエラ司祭」
だがラファエラはその計画に満足することなく問題提起をすると、拳一つ分ほど体を乗り出してジョゼの耳との距離を詰める。
「一つはエルザ司祭様の帰還です」
そしてラファエラの口から出た人物の名に、ジョゼは意外そうな顔をした。
「ですが私が両親から聞き及んだ限りでは、むしろクレイ兄様と私との糾合を喜ぶように思えますが」
「あの方はそんな単純な思想で動いてはおりません。いえ、実に単純な思想ではあるのでしょうが……」
そしてラファエラは誰に向けるでもない、言うでもない言葉を口にした。
「実はあの方こそすべてを破壊する魔王なのではないか、最近はそう思えて仕方が無いのです」
かつて聖女と呼ばれ、聖テイレシア王国の象徴として名高いフォルセール教会の司祭を務めていたエルザ。
その尊い存在からあまりにかけ離れた評価を聞いたジョゼとメイヴは、あまりの恐ろしさに顔を真っ青に……
「大体なんなんですか! 仕事を溜めに溜めまくって、それを消化しようともせずにエルフの里に遊びに行くわ王都に攻め込むわ、その挙句に散華をして無理やりに逃亡するとかあれで……ええと司祭様だから今日は仕事を消化するようにガビーに言いつけておいたのですが、ちゃんとやっているかどうか!」
するが、どうやらラファエラは、ようやく戻ってきたエルザを見て安心しただけらしかった。
ラファエラは今まで誰にも吐露できなかった愚痴をどんどん吐き出していき、多少融通が利かないが素直だった少女の頃のような顔へと戻っていく。
「まあ今頃は積もりに積もった仕事を見て自分のしでかしてきた悪事に気づいている頃でしょうヒヒヒ」
……まだ多少は毒が残っているようだが、それも許容範囲のうち。
ということで、ジョゼとメイヴは素早く目配せをするとクレイを篭絡する手順の打ち合わせに戻る。
「お待ちください、まだ二つ目の問題点が残っております」
「あ、ハイどうぞ」
しかしながら精神状態が少し持ち直したように見えるラファエラの挙手を、ジョゼは無視することが出来ずについ話を振ってしまう。
「二つ目の問題はオリュンポス十二神です」
「しかし、無法な彼らがいなければクレイ兄様を酔い潰すのは難しいのでは」
基本的に節度をわきまえた酒宴しか見たことがないジョゼは首を傾げるが、ラファエラは即座に首を振ってみせることで隠された危険を露わにした。
「忘れてはなりません。彼らが本拠地、オリュンポス山で終わることのなき宴に興じていることを」
ラファエラの言葉にジョゼは考え込み、そしてその先にある結果を思いついてハッとする。
「……なるほど、そう言うことですかラファエラ司祭」
「はい、我々の目的はあくまでクレイを酔い潰すことであって、彼らとクレイが一晩中飲み明かすことを目的としてはおりません。何とかして途中で排除する方法を考えておかねば、取り返しのつかないことになるでしょう」
「そうでしたね……この私としたことが失念していました」
ジョゼは軽く口を噛み、自分の失態についてラファエラに許しを請うた。
それからもジョゼたちはああでもない、こうでもないと密談を交わす。
だがその夜に交わされていた密談はそこだけでは無かった。
「正気かヘルメース」
「無論。これはゼウスの意思だ」
領境の森の中、おぼろげな光を放つ焚火の中からパチリと木がはぜる音が鳴り、同時に火勢が増して向かい合う二人の男の顔を照らし出す。
一人は旧神アポローン、一人は旧神ヘルメース。
常になく緊張した顔をした二人が、しばし沈黙を保ったまま睨み合いを続け、そして程なくアポローンが溜息とともに首を振った。
「ゼウスの意思だとしても無謀すぎる。下手をすればテイレシアと我々の間に修復できかねる傷を残す結果となるのだぞ」
「それもまたゼウスの意思。まさか我々に断りなく獣人の国の祭神を決めてしまうとは、いくら目をかけているクレイとは言え独断が過ぎるとの仰せだ」
「しかし信じられん……それは本当のことなのか?」
首を振るアポローンに同意するが如く、いや同意したいようにヘルメースは溜息をつき、天を見上げた。
「クレイが帰ってきた晩の宴でゼウス直々に耳にしている。間違いあるまい」
「……ならば仕方あるまい。このアポローン、微力を尽くさせてもらおう」
フォルセール領と王領テイレシアを分ける森の中で、焚火を囲んでいた二人の旧神がうなづきあう。
「それではよろしくお願いしますねお二方」
そして二人の横に優雅に立つ女性がそう言うと、アポローンは苦虫を噛み潰したような顔となり、ヘルメースは苦笑をやや通り越した愛想笑いを浮かべたのであった。
次の日。
クレイとジョゼの姿が仮宮殿のバルコニーにあった。
「それじゃ今日も頼むよジョゼ。今日の調査は昨日の結果と比較するだけだから、執務に影響が出るほど時間は取らせない」
「遠慮なさらないでくださいクレイ兄様。最初から予定を入れてくだされば、私の方はいくらでも都合をつけますから」
「俺の都合が後で悪くなるからそれは勘弁してもらうよ。それじゃ今日は陛下と王妃様の許可を取ったし飛行術で行こうか」
「はい」
昨日とやや趣が違う、薄い若草色のワンピースを着たジョゼが顔を赤らめ、そっと両手をクレイに差し伸べるも、クレイはジョゼの手をすり抜けるかのように横に立ち、その腰を抱きかかえる。
「クレイ兄様」
「どうした」
「飛行術に同行者を伴う際は正面から抱き合うように、とアルバ叔父様は先代の司祭様から言い含められたそうです」
真剣な表情でジョゼが告げた助言を聞いたクレイは、キョトンとした顔になると首をひねった。
「あれ? 去年ヘプルクロシアから帰った時にラファエラ司祭に聞いたら、同行者の横から腰を抱えないと下に引きずり込まれるって言ってたけど」
「……そうですか。そう言えば私、部屋に忘れ物をしましたので少々お待ちを」
ジョゼはサササっと自室に戻ると、数分後にちょっとした厚さの文書を手に持ってバルコニーに姿を現す。
「クレイ兄様、ラファエラ司祭の著書によれば、このように正面から抱き合うようにと記しております」
「……なんかラファエラ司祭の魔力の残滓を感じるんだが」
「それほどまでに書物を記す内容には吟味に吟味を重ね、細心の注意を払って慎重に記されたのでしょう」
「うーん? 納得できない点はあるけど時間が惜しいからさっさと行くか。しっかり俺の体をつかんでおけよジョゼ」
こうしてクレイは今日も領境の森に出かけて行き、なぜか今日は昆虫に懐かれまくるジョゼを助けながら調査を終えた。
「ただいまサリム」
「お帰りなさいませクレイ様。今日もお疲れのようですね」
玄関のホールで出迎えてくれたサリムに、クレイは軽いため息をつきながら外套を手渡した。
「これが徒労って奴なのかな、無駄な苦労を押し付けられた一日って気がするよ。サリムの方はどうだった?」
「おかげ様で、より一層厳しい稽古をつけてもらえるようになれました」
一見するとサリムの外見に変化はないが、その魂には激しい疲労が見られた。
「あまり無理はしないでくれよ。俺がエレオノールに怒られちゃう」
「ベルトラム様にもあまり無理はしないように、と言い含められておりますので大丈夫でしょう。それより……」
サリムが声を低めて辺りの様子をうかがい、クレイもまた左右を見るとサリムの口に耳を近づける。
数秒後、溜息をついてクレイが後頭部をかくと、その姿を見たサリムは思わず微笑みを浮かべてしまい、クレイに軽い叱責をもらう。
「バアル=ゼブルとは関係ないからな」
「分かっております。それより部屋へお早く」
「少しだけ実家に顔を出すって言ってたのに、一体何の用なんだろうな」
用件はすでにサリムから聞いているし、その用件を遂行するために急いでヘプルクロシアに帰国してくれたことも知っている。
だがクレイはそれをおくびにも出さず、自室へと足を向けた。
「元気そうだなフィーナ」
「お帰りクレイ、早速だけどこれを見てちょうだい」
「これは……」
ビリッ
「何てことをするの! アスタロトお姉さまから預かった貴重な絵画を!」
「うるせえ! さっさと王都の地図を出せ!」
「怒っても誤魔化されないわよ! 大体貴方の指示で地図を作ったのに……」
数分後。
想定した十倍ほどうるさくなったフィーナのクレームを交わすために、不服ながらもクレイは破いたばかりの絵を渋面で修復し、新たに出てきた数十枚の紙に目を通した。
「うん、かなり詳細なモノが出来てるな。ありがとうフィーナ、これで王都を奪還する時にかなりルートの選別がしやすくなる」
「セイちゃんが行方不明になってくれたのが幸いしたわね。あのおかげで随分と入り組んだ場所まで入ることが出来たわ。それにしてもアーカイブ術でそのまま保管しても良かったんじゃない? わざわざ私を実家に帰らせて図面に起こすだなんて、随分と慎重じゃないの」
「アーカイブ術のままだと陛下やベルナール団長が見れないからな。それに王都の地図をテイレシア以外の人間に書かせたなんて知られたら、後でどれだけ怒られるか分かったもんじゃない。」
「でも王都に行く頃には防衛のために色々と変更されてるかも知れないわよ」
「その時は復興のために役立てるさ。今のフォルセールを見れば分かるように、増築に増築を重ねた城塞は、守るには便利でも人が住むには不都合なものが色々と出てくるからな。元の王都の地図と照らし合わせて、区画整理が出来そうな場所をピックアップしておこう」
ちなみにアーカイブ領域には人間だけに関する情報、例えば戸籍などの情報をアップロードすることは出来ないが、この地図の場合は魔族の攻略に必要ということでメタトロンに黙認してもらっている。
「そう言えばクレイ、実家に帰った時にお父様から嫌な情報を聞いたんだけど」
「ヌアザ……ブルックリンさんから?」
フィーナの父ブルックリンは、かつてダグザやディアン・ケヒトが属するダーナ神族の王を務めていた、強大無比なる神だった男である。
色々とあって今では人間となり、ヘプルクロシア王国があるアルフォリアン島の玄関口、港町ローレ・ライの意思決定をする評定衆の筆頭となっており、それ故にダーナ神族や王族に対して隠然たる影響力を持つフィクサーでもあった。
「ええ、今回の貴方の誕生日に、オリュンポス十二神を中心とした色々と面白い事件が起こりそうだと」
「事件ねぇ……」
クレイは溜息をつき、ゼウスの陽気な顔を思い出す。
「あのおっちゃんたちは、事件を余興レベルの話にしちゃうから始末に負えないんだよなぁ」
「油断しないことね、もう貴方はアルバトール叔父様の養子ではなく、メタトロンを宿す強大な天使として認知されてるんだから」
「分かったよ、忠告ありがとうフィーナ」
「それじゃ私は部屋に戻らせてもらうわね」
フィーナはそう言うと、ドアを静かに開けて廊下に出ていく。
「そう……強大な天使として……ね」
静かな笑みを浮かべつつ。