第225話 色々調べたいお年頃!
クレイたちがテイレシアに帰国した次の日の朝。
「あ、忘れてた。宴が盛り上がった頃を見計らって皆の面前で陛下にお願いしたら、断りにくい雰囲気になるからって思ってたのに」
身内だけで行うはずの宴になぜかゼウスとポセイドーンまで乱入し、滅茶苦茶になった宴を思い出したクレイは自室でそう独り言を呟くと、王都での出来事をまとめていた筆を、割とその序盤で止めた。
(……君という奴は本当に下衆だな。追い込んでから状況を突き付けるのは確かに有効だが、その手管は使う人を選ばないと恨みを買うだけだぞ)
(うるさいな天使の王様は。この世は建前だけじゃ生きられないんだよ)
そして独り言を言った途端に返ってきた意思に、クレイは口を尖らせて反論をするが、すぐに呆れたような返答がされる。
(建前を盾に本音を通すのが王の役割なのでな)
(はいはい、それなら子供に腹芸を勧めるのは臣に範を示すべき王としてどうなんだよ)
(もうすぐ成人する子供に例を示しておくのは悪くないことだ)
ただちに嫌味で返され、権利と義務が一気に増える成人について考えたクレイは、扉の鍵をガチャリと開けながら思わず溜息をついていた。
(なんで何も悪いことをしてないのに成人しなきゃならないんだろうな)
早く大人になりたい、などと言っていた過去を無視した考えをクレイが思い浮かべると、メタトロンは軽く苦笑をして答える。
(悪いことを知ってはいけないのが子供。悪いことを知っておけと言われるのが成人。仕方なかろうな)
そもそも君は悪いことばかり知っているではないか、と補足するメタトロンに再びクレイは口を尖らせ、何かを始めるには短く、何もやらないには長すぎる休暇の一日目を始めた。
まず向かったのはジョゼの部屋だった。
「え? 領境の森にですか?」
「ああ、ちょっと調査をしたい案件があるんだけど、あそこは王の所有になってるから俺だけじゃ入れないことになってるだろ。付き合ってくれないかジョゼ」
「クレイ兄様が一言いえば、その場で許可は下りると思いますが」
「ただ入るだけならそうかもしれないけど、狩りをすることになるかもしれないんだ。狩猟の許可となると関連部署の調整も含めて数日はかかるだろ」
「確かに獲物の下賜ということになると色々と問題がありますね……明日でもよろしいですか? 今日はこの後に少し公務が入っているので」
「分かった」
ジョゼの同意を得たクレイは内心で胸をなでおろし、ジョゼの部屋を後にした。
(下手に陛下に話を通すと勘付かれる可能性があるからな……)
(正面から話を通しておかねば禍根を残すと何度言えば分かるのだ君は。下手な小細工をしてもシルヴェールやベルナールのような優秀な人間には見破られ、軽んじられるだけだぞ)
(条件を整えた後に正面からぶつかる。それでいいだろ?)
頑として意見を変えないクレイにメタトロンは一つ溜息をつくと、好きにしたまえと言って深層の寝所へと戻っていく。
そして部屋に残ったジョゼは、公務があるとは到底思えない悪い顔をしていた。
「さて……」
ジョゼは顔に浮かんだ悪魔の笑みを取り繕うと、卓上に置かれた手持ちベルをつまみ、軽く振り鳴らす。
「お呼びでしょうかジョゼフィーヌ様」
「これをラファエラ司祭へ」
程なく現れた一人のメイドに、ジョゼは一通のメッセージカードを託すと短く注意事項を言い渡してから送り出した。
「王女殿下よりの書状、確かに」
フォルセール教会にある、狭い採光用の窓しかない薄暗い司祭用の部屋。
そこでメッセージを受け取ったラファエラは、ある懺悔室へと向かう。
「貴女に命じたいことがあります女王メイヴ」
「ハイヨロコンデー」
その中にいた女性――なぜか頭の上で帽子がクルクルと回っている――にラファエラはそう言うと、軽く手をかざして帽子の回転速度を弱めたのだった。
次の日。
「じゃあ出かけるかジョゼ」
「はいクレイ兄様」
クレイとジョゼは二人きりで出かけようとしていた。
本当はティナも連れてこようと思っていたのだが、妙にすました表情で断られてしまったのだ。
(なんだよ妙に気を使っちゃってさ。俺とジョゼが結婚することはほぼ確定的だろうし、今更って感じしかしないのに)
クレイが内心で愚痴をこぼすと、すぐにメタトロンから指摘が来る。
(昨日の君が先ほどの翅妖精だな)
(分かったよもう。結構根に持つタイプだなお前)
(今の指摘を根に持っていると捉えた時点で、君の小人ぶりが際立つというものだ)
(ぐぬぬ……もういいから引っ込んでてくれよ!)
クレイはただちにメタトロンを意識の深層に押し込めると、逃避するようにジョゼへと話しかけた。
「うーん、その白いワンピースなかなか似合うけど、よくそんな簡素な衣装を陛下や王妃様が許してくれたな。袖なしとか肌を出しすぎだろ」
「お母さまから預かったと言ってメイドが出してきた衣装がこれでしたので」
「そうなのか」
クレイはジョゼをそれとなく観察した後、やや苦笑を浮かべると二人でバヤールが待つ馬房へと向かう。
「待っていたぞクレイ」
するとバヤールはまだ筋骨隆々の女性の姿のままであり、馬房の奥の壁で腕を組んだまま、念話を使わずに自分の口でクレイに挨拶をした。
「休暇中なのに悪いねバヤールさん」
「我が主の仰せとあらば仕方あるまい」
「アルバ候が?」
バヤールを借り受ける、とアルバに頼んだ覚えはないクレイは首をかしげる。
「今日、我が主がこのバヤールの背に乗る予定は有りか無しか。それを聞いておいた」
「ああ、そうか……今までは公用だったから当たり前に頼んでたけど、今日は私用だから関係する人たちに断っておくべきだった」
「成人した後はそうするがいい」
子供だからまだ許される。
そう暗に言われた気がしたクレイは、少々申し訳ない気持ちになりつつもバヤールの背に乗り、ジョゼの手を取ると風の魔術でふわりと持ち上げ、自分の後ろに腰掛けさせる。
≪馬車を引かぬ遠駆けだ。遠慮なく行くぞクレイ≫
神馬の姿に戻ったバヤールは念話でクレイにそう伝えると、力強く一歩を踏み出して領境の森へ向けて風のように走り始めたのだった。
その日の正午前には森の中にある開拓村へとついたクレイたちは、馬用の飼料として開拓された広大な燕麦畑へとバヤールを連れて行く。
「えーと、基本的には燕麦以外の草を食べて欲しいんだって」
「我々神馬は基本的に大気を餌としており、草を食む必要は無いから何の草を与えられようが構わんが、基本的にとは?」
「間違って燕麦を食べても気にしないってことみたい」
「了解した」
そして旺盛な雑草の伸びを示す夏を前にバヤールに雑草駆除を頼むと、村人たちに挨拶をしながら森の中へと入っていった。
「やっぱり森の中は日差しが遮られるだけあってちょっと肌寒いな」
「そうですね……」
「ジョゼ、俺のサーコートを貸すから肩から掛けておけよ。ちょっと狭い所を通るかもしれないし、その時に肌を傷つけるかもしれないから」
「は、はい」 (計算通りです!)
ジョゼはクレイからサーコートを受け取ると、少しの間だけうっとりとした表情で抱きしめるようなそぶりを見せ、その後に慌てて袖に腕を通す。
「暖かいですクレイ兄様」
「よし、それじゃ奥へと進もう」
そしてクレイとジョゼは二人きりで森のさらに奥へと進んだ。
「ところでお兄様、調査とはいったい何を?」
「森の中にいる動物たちの生息数と種類。どのあたりをどの動物が縄張りにしているかって感じかな。夏を越せばすぐに越冬のための猟が解禁されるだろ?」
「そうですね、開放する区域は決まっておりますが民にも狩りの許可を出します」
「それに陛下もたまには息抜きをされたいだろうから、今年くらいは狩猟を楽しみたいだろう。そちらの安全を確保するためにも今のうちにやっておかないとな」
「小川の中にも水産物がありますが、民の越冬の食料を確保するためならそちらも必要になるのでは?」
「動物は生きたまま持ち帰ることも出来るけど、魚やカニをそのまま持ち帰るには魔術で水ごと持ち運びするなり塩漬けなりする必要があるからなぁ。誰でも持ち運び出来るやり方があればいいんだけど」
クレイは困ったように後頭部をポリポリと手でかこうとするも、その直前に慌てて手を戻す。
「べ、別にバアル=ゼブルの真似をしたわけじゃないからな!」
「……どなたに説明をされているのですかクレイ兄様?」
「何でもない! それより鹿の親子がいるぞ可愛いな!」
ジョゼを王都に連れて行かなかった恨み節に代わることを恐れたクレイは、慌てて話題を転換しようとするが当のジョゼはきょとんとした表情で首を傾げ。
「そうですね、でも子育て中の親は気が立ってますし、あまり近寄らないようにしましょう」
「冷静だなジョゼは……」
興味が無さそうに鹿へ顔を向けるジョゼを見たクレイは、それでも行く手に鹿の親子がいるということでどうしようか迷った後、道を引き返そうとジョゼの手を取る。
その時だった。
ピャッ
親鹿が短く鳴き声を発したかと思うと、ジョゼに向かって突進してきたのだ。
「危ないジョゼ!」
クレイは素早く回り込んで親鹿との間に割って入ると、ジョゼを庇うように抱きしめた後に強風を巻き起こし、鹿をひるませて退散させる。
「怪我はないか?」
「は、はい……でも胸のあたりがちょっと……」
「じゃあ法術で解析するからちょっと待っててくれ」
「治りました」
「へ? でもお前たった今……」
「治りました」
「ハイ」
ジョゼの固い意志を見たクレイは、ややひるみながらも調査に戻り、その場から遠ざかっていく。
「……行ったようですね」
「ホーッ……ホホホ……どうやらそのようですわ……」
すると親子の鹿が逃げ込んだ茂みからヒソヒソと話す声が聞こえ、ガサガサと音がした後に二人の美しい女性が姿を現していた。
一人は金髪を肩のあたりで短く切り揃え、白い法衣に身を包んで緑のつば無しの帽子をかぶっているラファエラ。
そしてもう一人は。
「まったくもう。亡命したとは言っても、もう少し扱いを良くしてほしいものですわ。 この女王メイヴを何だと思っているのかしら」
オレンジにも見える赤毛を派手な黄色のバンダナでまとめ、しかしながら着ている衣服は統一感のまるで無い濃い藍色のドレスであり、しかも森の中でひらひらとした装飾付きの物を着るという常人からかけ離れたセンスの持ち主。
ヘプルクロシアでクレイと戦っていないが、なぜかテイレシアに密航してきた女王メイヴがそこにいた。